烏山統一展望台の出入り口で、一般タクシーは待っていました。来るときは同じ運転手でした。僕の車椅子を折り畳み、持ち上げてトランクに積み、ゴムで縛りました。僕は車椅子から下りて、最初に乗りました。運転手が「O.K」と言う声で,Iさん,Sさん,Tさんが車に乗りました。運転手の手際よさを見ていて,現地の車椅子利用者も一般タクシーを利用するのかなぁと思いました。
《車椅子をトランクに積む》ことは,簡単な操作のように見えますが,初めの方は戸惑っている様子を何度も見てきました。最近では,ほとんど見られませんが…6・7年前までは,車椅子を折り畳む操作が分からない運転手は「車椅子を,どのように畳むのですか」と僕に聞きました。そして,折り畳んだ車椅子をトランクに積んだところで,「トランクに入らないね。落ちてきたら,どうしましょう」と不安な表情の運転手に,僕は「紐で結ぶと,トンラクは開きませんよ」とアドバイス。早速,運転手は車の中で紐を捜して,紐があれば一安心。なければ,「トランクが開かないように,ゆっくりと運転していくよ」と運転手。タクシーを利用するたびに,運転手に教えていました。一人一人の運転手に同じ内容を教えるので,いい加減に疲れてくるときもありました。
最近になって,運転手から感じる不安な気持ちは少なくなりました。もっと言えば,僕の方が(手馴れているなぁ)と感じる運転手は多くなってきています。旅行で,僕との接し方を通して,その土地で車椅子使用者が街で出歩いているのか否かが,伝わってきます。
金村駅に向かう車の中で,Iさんに"車椅子使用者のタクシーの利用状況"を聞いてもらいました。「ときどき,烏山統一展望台の観光客に,車椅子利用者がいるとのこと」とIさん。さらに,運転手は韓国語でIさんに話していました。「他にしてほしいことは,ありますか」とIさん。僕は「No.Problem!!」と一言。運転手は笑っていて,運転手とコミュニケーションが取れたようでした。
「あちこちで,アパートの建設が行われているね。まるで,日本の高度経済成長の建設ラッシュを見ているようだ」とTさん。ブルドーザーやトラックが出入りしていたり,更地に建設予定の看板が立てられていたりしていました。もちろん,僕は高度経済成長時の様子など,イメージは沸きません。「10年もすれば,賑やかな住宅街になるだろうね」と呟くと,「たぶんね。日本も,田んぼを埋め立てて,街をつくってきたからね」とTさん。
午後4時過ぎ,金村駅に着きました。タクシーから降りると,運転手はトランクから車椅子を下ろしました。僕は「カムサハムニダ(ありがとう)」」と言うと,タクシーの運転手は微笑みました。
10分くらいで,ソウル駅行の電車がプラットホームに入ってきました。僕は車椅子を降りて,プラットホームまで階段の上り下り。駅員が車椅子を持ち運んでくれました。プラットホームに立つと,西日が頬を照らしました。外気が寒かったけれども,頬に当たる西日に温かさを感じました。電車の中で,最後の夕食のメニューが話題になりました。
「やっぱり,韓国に来たら,焼肉を食べないとね」
4人の共通の気持ちでした。ソウル駅に着いたら,辺りは薄暗くなっていました。"焼肉のお店は,どこにあるのか""おいしいお店は,どこにあるのか"分かる筈がありません。そこで,駅前で止まっている模範タクシーの運転手に聞いて,運転手が紹介するお店へ行くことになりました。早速,模範タクシー乗り場に行きました。運転手が出てきて,「お手伝いしましょうか」。僕は「ありがとうございます」と言い,車椅子から降りて車に乗りました。運転手は手馴れた感じで,車椅子を折り畳み,トランクの中に入れました。「行き先は,どこですか?」と運転手。「ソウル市内で,美味しい焼肉のお店に連れて行ってほしい」とIさん。「う〜ん。いくつかのお店を紹介することができますよ…どのお店がイイでしょうね。ホテルは,どちらですか」と運転手。「コリアナホテルです」とIさんが答えると,「分かりました」と運転手。目的地に向けて,車を走らせました。1000万人都市であるソウル市内を走ること,15分。目的地に着きました。40代の女性の店員が玄関に出てきて,「待っていました」と迎えてくれました。一瞬,(どうして,ここに来ることを知っているのだろう)と不思議に思いましたが,出発するときに運転手が携帯電話で電話をしていた姿がよぎり,納得できました。(会社と連絡しているのかなぁと思っていたけど,このお店に電話をかけていたんだなぁ)といきなサービスに感心しました。「階段があるけど,大丈夫?」と店員は手を差し伸べてきました。僕はその手を掴み,数段のステップを上り,店内に入りました。トランクから車椅子を下ろそうとする運転手に,「車椅子,店内のここに置いてください」と女性の店員。
4人掛けのテーブルに腰をかけました。「注文は,何にしましょうか」と店員。「おススメのメニューは,何ですか」とIさん。「韓国の焼肉の味を楽しんでほしいですね」と店員。厨房にメニューを伝え,御通しを持ってきて,テーブルの真ん中の鉄板に火をつけました。鉄板が温まったころ,次々とお肉を持ってきました。焼肉は好物ですが,自分で焼くことが困難なので,「僕の分も,焼いてください」とSさんに頼みました。Sさんは「いいよ」と言ってくれました。Sさんは自分の分も焼き,僕の分も焼いて,それぞれの小皿に取っていました。僕の分の肉を焼くとき,箸を持ち替えていました。何となく,めんどくさいように感じたので,「全然,気にしていませんよ」と。「今度から,私の箸を使わせてもらうよ」とSさん。その会話を聞いていた店員は「私,お手伝いをしましょうか」と。「お願いします」と僕。店内に他のお客はいなかったことを考えても,店員が焼肉を焼いてくれて,盛り付けてくれる…これもサービスなのかなぁと感激してしまいました。
韓国ビールで乾杯した後,焼肉を食べ始めました。お腹が透いていたので,僕は勢い良く食べていました。その様子を見ていた店員は「焼肉のタレで上着が汚れるから,エプロンをかけましょう」と言い,エプロンを持ってきて,僕に掛けてくれました。首から通すと,「似合っているよ。服の汚れを気にしないで,食べられるね」とSさん。
飲食店で,初めて店員に"前掛け"を勧められました。「焼肉を食べるとき,韓国人は服が汚れないようにエプロンをする人もいますよ。だから,珍しいことでないよ」と店員。(それで,貸し出しのエプロンがあるんだろうな)と納得できました。
幼少の頃,母は「服が汚れるから」と言い,僕はエプロン姿で食事をしていました。2歳年下の妹はエプロンをしていませんでした。すれ違う方は,妹を「お姉さん」と,僕を「弟」と呼ばれるときがありました。だから,《エプロン=幼い》というイメージを抱いていました。(エプロンをつけないで,食事をしたい)と思っていました。エプロンをかけたとき,忘れかけていた感情を懐かしく思い出しました。この淡い思い出を独り言のように話しましたが,焼肉を食べることに夢中な様子。何だか気持ちが吹っ切れて,僕も韓国の焼肉を楽しみました。「どんどん,食べてくださいね」と店員は鉄板で肉を焼き,空いた小皿に焼肉を盛り付けてくれました。
「日本人,たくさん来ますか?」とSさん。「ありがたいことに,店のお客の半分が,日本人ですよ」と店員。
1時間程して,お店を出るとき,「エプロン,ありがとうございました」と店員にエプロンを返しました。適度に汚れているエプロンを見ながら,「どういたしまして」と店員。迎えに来た模範タクシーで,ホテルに帰りました。それぞれの部屋で,くつろぎました。テレビをつけて,リモコンでチャンネルを操作しました。ニュース,バライティー,トーク,ドラマなど,いくつかのジャンルの番組を放送していました。言葉が分からなかったため,リモコンで適当にチャンネルをまわしていました。番組の構成が,日本と同じだなぁと感じました。韓国に来る前,"外国へ行くんだ"と気負っていて,日本との違いを意識しました。実際には,日本と似ているなぁと感じました。考えてみれば,飛行機で2時間30分の距離だものなぁ…物理的な距離が近いことは,文化的な距離も近いことなのだろう。テレビの映像で見る韓国人は,反日感情をむき出している姿が印象にありました。実際には,観光客を快く受け入れてくれました。市民レベルで,様々な交流が行われていることを肌で感じました。韓国は近くて近い国なんだなぁ・・・
「さぁ,明日は朝が早いので,寝ますか」とSさん。
明日が最終日。