んだんだ劇場2007年12月号 vol.108
No52
強風が吹き付ける

 3月22日現在では,3件の物件が候補になっていました。そのうち,2件が大家さんの改造許可待ち。その大家さんの返事次第で,状況が変わります。いろいろな状況が考えられるなかで,どのような状況になっても対応していく心構えはしっかりとしていこうと考えていました。
 3月24日。3つの物件で,一番可能性のある物件の部屋を見せさてもらいました。僕はデジカメを持ち,部屋の写真を撮りました。アパマンの担当者に事情を話して,メジャーで段差の高さや浴槽の幅などを図ってもらいました。
 部屋の写真をとれば,言葉よりもイメージが沸きやすい。この写真を,僕のリハビリの治療をしてくれる理学療法士の先生に見せました。同じ手摺りでも,取り付け方や取り付ける位置や高さ,材質などにより,全く違います。コスト面でも,安くて使いやすい品物があります。僕の身体の状態をよく知る理学療法士の先生に,僕が使いやすいように改造するときの具体的なアドバイスを求めました。
 生活支援のことは,アパートが決まり,住民票を由利本荘市に移さないかぎり,机上の空論でした。それ以上に,本命のアパートの大家さんが改造を許可してくれたとしても,通勤の課題がありました。実際に,電動車イスで歩きました。「会話を楽しみましょう」と,知人も一緒に歩いてくれました。実際に歩くと,歩道のデコボコ具合や,車道と歩道と境目の段差,風の強さなどを実感できました。歩道はフラットでしたが,学校の周辺は田んぼであり,思っていた以上に風が強く,息苦しさを感じました。3月下旬で,この風ならば,雪が降る季節は強風が吹き付けて,なかなか前に進まないだろうなと容易に想像できました。時間を計ると,約40分。「どうするの?毎日,今までのように電動車イスで通勤するの?」と知人。
僕 「無理だと思うよ。冬の日に,40分かけて電動車イスで歩いたら,凍えるね。基本的に,僕はただ座っているだけだしね。帰宅するとき,周りは真っ暗だから,家に着くまで不安だよ」
知人「他の方法は,何かないのかなぁ」
僕 「毎日,タクシー通勤かなぁ。例えば,片道1000円として考えると,往復で1日2000円。1ヶ月で,約5万円のタクシー代。今までと違って,通勤にも出費がかさむけど,仕方がないなぁ…これが現実的かも」
 これまでの状況を,全て秋田西中の校長先生に相談しました。
「最低でも,3月24日・25日まで,アパートが決定しなければ,3月中の引っ越しは困難です。この不安を解消するため,僕は最大限努力をします」
 「分かりました。職場として,全面的に協力をしましょう。新しく赴任する学校の校長先生に,市教委を通じて連絡してもらいます。赴任する学校でも,共通認識で対応してもらいましょう。現地の方が地理的に詳しいと思うので,アパートの情報があるかもね。それにしても,電動車イスで片道40分の通勤時間。厳しいなぁ」と校長先生。
 「アパート,見つかりましたか?」と,心配してくれる同僚もいました。「いいえ。まだだよ。探しているのだけどね」と,僕はため息混じりの声で応えました。「何も協力はできないけど,早くアパートが見つかることを願っていますよ」と同僚の言葉が僕の心に届いてきました。
 月27日に,新しい赴任校へ挨拶する日と決まっていました。その日は,同僚が僕を本荘東中に連れて行ってくれることとなっていました。「学校内の荷物を運ぶので,しっかりとまとめておいてね」と同僚。新しいアパートが決まらなくても,秋田西中を離任することは事実。学校内の私物の整理整頓をしていました。必要な書類をファイルに綴じ込み,それ以外の書類を処分。
 「もう少し長い期間,母校の秋田西中で勤務したかったなぁ」と懐かしむ時間がないほど,心の中に"ゆとり"はありませんでした。僕の気持ちは,完全に4月からの教師生活へ向いていました。
(どんな学校なのかなぁ。どんな地域なのかなぁ。そして,生徒たちは…)
 頭の片隅で過ぎりましたが,それよりも生活基盤を確かなものにすることでした。働くうえで,いかに生活基盤の安定が大切であることを,身をもって教えられているような気がしていました。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次