飛行機嫌い 1月の中旬にまたロンドンに行った。年末に無理やり仕上げた論文の草稿について、指導教官と話し合うためである。当たり前のことなのだが、ロンドンは遠いので飛行機で行く。でも私は飛行機が好きではない。というより、はっきりいって大嫌いである。 だいたい足が地についていない、というのが不安だ。あんなに高いところを飛んで、落ちてしまったらどうするの??と思うのだ。確率で言えば、車に乗るよりずっと安全なのかもしれないが、でも宙に浮いているというのはなんとも落ち着かない。 独身の頃はそれほど飛行機嫌いではなかったのだ。しかし結婚して子どもができてからというもの、突然私は重度の飛行機嫌いになったのである。 中国で仕事をしていたときは、飛行機を使う出張が少なくとも月に一回はあったし、タイに来てからは2,3ヶ月に一度は飛行機に乗る。ほとんどの場合、一人で乗るので、もし、もし飛行機が落ちて私が死んでしまったら家族はどうなってしまうのだろう、幼い二人の娘はどうなってしまうのだろう、とつい心配になってしまうのだ。 そんなわけでいつも飛行機に乗る日が近づくと、むやみに感傷的になってしまい、出発する日、飛行場で娘や夫と別れるときなどは、それこそ、「あー、これがもしかして最後だったりして、、」と、ものすごーく暗―くなってしまう、大げさな私なのである。 しかし、こんなに頻繁に一人で飛行機に乗る生活を選んだのは私なのだ。そしてこういう生活はこれからも続くのだろう。あー、困ったなあ。 論文 さて、論文の方であるが、案の定、最後の2章を読んだ指導教官からは「詰めが甘い」という的確なコメントをもらった。一番大事なまとめの2章を一週間で強引に仕上げたのだ。詰めが甘くないはずはない。これから2月の下旬までに、もっともっと深く掘り下げて書き直してまた提出だ。 今後の予定についても話し合った。5月には最終版を大学に提出することになり、提出した後に、ロンドン大学内のほかの講座から一人、他大学から一人、口頭試問の試験官が選ばれて試験が行われる。 なんだか、先が見えてきてちょっとうれしいような、でも口頭試問が恐ろしいような、複雑な気持ちである。 論文ができたあかつきには、あなたはもうその分野の専門家!と大学院に入りたてのころによく言われたものだが、あれからほぼ3年が経ち、自分が専門家になったとはとても思えない。山の中の暗いトンネルをつまずきながら進んできて、ちょっと出口に近づいてきたのか、少し明かりはみえるものの、外の世界がどうなっているのかはとんとわからない、ちょっと浦島太郎の気分である。 こんなんでちゃんと口頭試問に合格し卒業することができるのだろうか、、、。 でも、何しろもう4年目。貯金も底をついてきたことだし、気合をいれてびしっとしめないとね。 もう、歳? 知人に誘われて、ほぼ13年ぶりにテニスをした。チェンマイに住む退職後の日本人のテニスサークルに参加させてもらったのだ。 そのメンバーのほとんどが50代から60代なのだが、皆さん恐ろしいほど体力があり脚力もある。私は最年少でしかも高校大学とテニスをやっていたというのに、開始5分でもう息が切れ、足がもつれ、ぼろぼろであった。翌日など、体が痛いどころか、歩くのもやっと、できればはって進みたいくらいであった。 その数日後にロンドンに行った。ロンドンではバレエを観にいった。幼少のころはバレリーナを目指していたので、今でもバレエを観るのは大好きなのである。今回はマシューボーンという演出家の白鳥の湖を観た。これはとても有名で白鳥は全て男性、ものすごくかっこいい大人向けの白鳥の湖だ。今回はこれで2度目なのであるが、やはりすばらしく、感動に浸りながら滞在先の友人宅に戻った。そしておっちょこちょいの私は、ベッドに入る前、ついつい鼻歌などを歌いながら、ダンサーになりきって踊ってしまったのである。しかし、頭の中で優雅に舞う自分の姿とは裏腹に、体はしっかり老化していて、ポーズを決めた拍子に右のアキレス腱を痛めてしまったのだ。馬鹿だねえ。 10代20代の頃は、体力が自慢の私だったのに、いつのまにかこんなに体が衰えているとは。確かに大学を卒業してからろくに運動らしい運動をしていない。まだまだ若いつもりだが、体はどんどん歳をとっていくらしい。ちょっとしたショックであった。 まずい。やっぱりしっかり体を動かさないといけないのである。まずはテニスを再開してみようかなあ、と思っている今日この頃である。 |