んだんだ劇場2007年8月号 vol.104
No48 下見の帰国

第一週目
 夫に娘二人をまかせ、日本へ1人で帰国した。目的は家探しと教育、保育事情調査である。日本に到着後、一旦実家に戻り、その日のうちに妹の家へ直行した。何しろ翌日の午前から予定がぎっしりつまっているのだ。
 今回は2週間の滞在予定。最初の週は目星をつけた地域の公立小学校を見学に行き、その地域の環境も見た上で、まずどの小学校学区に住むかを決定。それに基づいて、次の週に住居を決める予定である。
 公立小学校の見学??とびっくりする人も多いのだが、最近の小学校はかなりオープンになっており、事前に予約をとれば快く見学させてくれるのだ。
 最初に訪問した小学校は熱意あふれる校長先生が突然の訪問にもかかわらず、学校の様子をくわしく説明してくださった。なかなかよさそうな学校であった。午後には学童クラブを2ヶ所見学した。ここは共働きの親を持つ子どもたちが、放課後を過ごす場所である。これも場所によってかなり雰囲気が違うことがわかった。
 翌日はさらに2つの小学校を見学。どちらもよさそう。さらに次の日にはもともと第一候補であった小学校を見学に行く。しかし、まわりの環境、生徒数、その他もろもろを検討した結果、この小学校は却下となった。
 残った3校は、どの学校もそれなりによさそうだったため、それぞれの学区の雰囲気や交通の便などをみて決定することにした。また夫の唯一の条件、「住む場所はスーパーに近いところね」も考慮に入れた。
 その結果、A小学校は校庭に緑も多く、のびのびした感じが魅力的であったが、最寄の駅まで遠いこと、駅のそばに住んだ場合、小学校に通うために大きな道路を横断しなければならないこと、を理由に落選。B小学校は校舎が新しく、また区立図書館がすぐそばにあるのが魅力的だが、最寄の駅がかなり大きな駅で混雑するため、落選。結局、C小学校が、駅にも近いし、スーパーも近い、近くに木がたくさん生えていて、水遊びもできる公園がある、という理由から当選した。

第2週目
 いよいよ家探しだ。駅近くの不動産屋をまわる。条件はC小学校の学区で、できれば例の公園のそば、そして地震でも崩れないこと。最初に入った不動産屋の主人が、「震度5までは大丈夫だけど、それ以上はねー、日頃の行いがよければ大丈夫かもしれないね」といいつつ、「それならここしかないね」と即座におすすめ物件の詳細をみせてくれた。なかなかよさそうである。小学校にもかなり近い。しかしまだ部屋を見ることができないため、その他いくつかの物件をみせてもらう。
 みんなそれなりによさそうなのだが、どの物件も小学校から離れすぎている。だいたいこのご時世に、小学生が1人で通学するということ自体、心配性の私には信じられないのに、こんなに人通りの少ないところを一人で歩かせるなんて心配で気が狂ってしまいそうである。
 と、なんとC小学校の裏門に面したマンションにも空室があるというではないか。部屋もまずまず良い。しかし、乗ったエレベーターに「もしエレベーターが故障したらドアをどんどんとたたいて、近くの階の人に知らせてください」と書いてある。だ、だめだ、、、。
 しようがない。最初のおすすめ物件にしぼって待とう、と決めたところ、なんと部屋の見学ができることになったその当日に、他の不動産屋を通じて、他の人が借りることに決めてしまったのだ。「あー、予約入れとくべきだったー。」と人の良い不動産屋の主人がショックを受けている。
 私もショックなのだが、とにかく早く決めなくてはならないので、とりあえずあまりおすすめでない物件もみせてもらう。主人は「えー、こんな物件でもいいんですか?」とびっくりしているが、私の合格ラインはかなり低いのだ。夫にいたっては、「寝る場所があって、トイレがあればどんなところでもいいよ」というレベルである。
 その中で、西向きなのが難点だが、部屋がかなり広く、そのため外国人に人気というマンションがあった。見てみると、確かに広い。1階というのがひっかかるが、かなり広いテラス(というのだろうか)があり、ちょっとした庭のようである。しかも夫の最大の心配事である地震や火事の際にも、逃げやすそうだ。浴槽とトイレがなぜかチョコレート色なのが気に食わないが、外国人が多ければ、夫も友人ができるかもしれないし、居心地もよいだろう。駅からは少し離れているが、小学校には近いし、妹の家にも歩いていける距離である。もうこれでいい、決定だー!とさっさと決めることにした。
 不動産屋の主人はまだいろいろ気にしているようだが、とりあえず住居に関しては一件落着である。

幼稚園に保育園
 さて残るは子どもたちの幼稚園保育園探しである。長女の通うことになる小学校を基準に全てを決定しているものの、長女はまだ幼稚園の年長だ。帰国したら幼稚園の年長に編入しなければならない。
 とりあえず区役所にいって、幼稚園保育園の状況を聞いてみる。と、近くの公立幼稚園の年長にまだ空きがあるとのこと。早速電話をして見学に行く。教室に入ると、大きな積み木で巨大な恐竜を作っている子どもたちや、秘密の隠れ家を作っている子どもたちがいる。毛糸のスパゲティを作っている子どももいる。みんなそれぞれ思い思いに遊んでいる。なんだか楽しそうだ。
 また妹の息子が通っていた私立の幼稚園にも見学にいったところ、これまた楽しそうにやっている。ここでも編入の受け入れをしてくれるということなので、長女はなんとか9月から幼稚園に通えそうだ。どちらの幼稚園がよいかは、彼女に決めさせよう。
 次女はまだ保育園の年齢である。しかし、保育園はどこも一杯らしい。空きがあるのは一ヶ月8万円以上もかかる私立の保育園だけである。とりあえず最初はここに入れて、さらに状況をリサーチするしかないようだ。
 どちらにしても、お弁当作りに送り迎えと、今のチェンマイ暮らしより、ずっと忙しくなりそうだ。お弁当。私が作るのだろうか、それとも夫が作るのかなあ。今のように子どもと共に起床しているわけにはいかないだろうなあ。ちょっと心配だ。

そして再びタイへ
 あっという間に2週間が過ぎ、もうタイへ戻る日がやってきた。日々のウォーキングで足腰が痛い。下した決断が果たして正しかったのかどうか、よくわからないが、少なくとも、一時帰国する前の重苦しい不安とストレスは、きれいさっぱりなくなっている。なんとかなりそうだ、という目処がたったからだろう。
 気持ちよく飛行機に乗り込む。「力ちゃん(孫)を連れて常磐ハワイアンセンター(今は名前がちょっと変わったらしいが)に行くのよ」と張り切っていた母の言葉を思い出し、機内でフラガールを観た。途中の盛り上がりの場面から泣けて泣けてしょうがない。私は涙もろいのだ。でも、おおっぴらに涙をふいて鼻をかむのも恥ずかしいので、涙と鼻水をだらだらとたらしながら観る。
 幼い頃、よくバスの中の広告に「常磐ハワイアンセンター」の宣伝がのっていたけど、こんなストーリーがあったとはねえ、と思いながら、やっぱり一回行ってみたほうがいいかなあ、でもこの映画の影響で混んでるだろうなあと考える。
 そうこうしているうちに飛行機はバンコクに到着し、私はさっぱりとした気持ちでチェンマイに向かったのであった。


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