食用ホオズキ
オレンジチェリー
房総半島、千葉県いすみ市の家の花壇に、まだ食用ホオズキが実をつけている。褐色になった袋を破ると、中からオレンジ色の実が現れる。
食用ホオズキ |
甘酸っぱい味だ。
10年ほど前に、なにかの立食パーティーで、「おいしゅうございます」の岸朝子さんが、「ほら、食用ホオズキよ。加藤さん、食べたことある?」と、どこかの皿から持って来てくれたことがあった。それが初めてで、以来、久しぶりに味わった。
ホオズキは、『古事記』に、真っ赤なヤマタノオロチの目の例えとして「アカカガチ」という名で登場するくらい、古くから日本にあった植物だという。芭蕉の句に、
鬼灯(ほおずき)は実も葉もからも紅葉かな
とあるように、美しい赤が喜ばれ、秋の季語になっている。
東京・浅草の浅草寺では毎年7月10日が、この日にお参りすれば46000日お参りしたと同じだという「四万六千日」(しまんろくせんにち)の縁日で、前日からホオズキ市が立つ。お参りした帰りに、鉢植えのホオズキを買うのである。でも、桂文楽だったか、三遊亭円生だったかが、いつも「えー、四万六千日、暑い盛りでございます」と話し始める落語がなんだったか忘れたけれど、梅雨が明けたか明けないかというころだから、ホオズキはまだ青いのが当たり前の時期だ。それが、次第に赤らんで来るのを楽しむのである。
日野草城の俳句には、
うら若き妻ほゝずきをならしけり
があって、ホオズキは子供の遊び道具でもあった。丸い実の中にある種などを取り出し、口の中でそれに空気を吹き入れ、押しつぶすように空気を出す時に「プー」というような音を出す遊びだ。今の子供らは、そんな遊びをするかどうかわからないが、私もやった。
しかし、実の中身は苦い。だから、ホオズキなんて食べる物ではないと思っていた。
ところが食用ホオズキは、欧米ではポピュラーなものだそうで、ストロベリートマトとか、ケープグーズベリーなどど呼ばれているという。日本でも近年、栽培者が増えて来た。
私も、千葉県佐倉市に住んでいたころ、苗を菜園に植えたことがあったが、熟す前にカビてしまって、収穫できなかった。もしかしたら、佐倉の畑は湿気が多くて、カビが発生したのかもしれない。
いま実っている食用ホオズキは、春に、父親がどこかで苗を入手して植えたものだ。7月に花が咲き始め、10月ごろから食べられるようになった。このホオズキは、紅葉せずに、いきなり袋が枯れ色になって、カサカサと音がするくらいに乾いたら、中の実が熟して食べごろになる。
食用ホオズキにも、いくつか品種があって、我が家のものはきれいなオレンジ色をしているから、長野県の「農事組合法人」が開発した「オレンジチェリー」のようだ。ほかの品種に比べて大粒なのが好評で、苗もたくさん出荷しているそうだから、たぶん、そうだと思う(父親が植えた時に、私はいなかったので、ここは推測)。
それが、もう12月だというのに、まだまだたくさん実っている。これも、房総半島が温暖の地だからだろう。
12月のダチュラ
温暖の地、といえば、ダチュラが咲いたのには驚いた。
12月にも咲いたダチュラ |
奄美大島の自然を描いた孤高の画家、田中一村(いっそん)の作品に、よく描かれている花である。
明治41年に栃木県で生まれた田中一村は、50歳の時に奄美大島へ移り住み、独特の画風で島の風景を描き続けた。私も画集を2冊持っていて、時々広げている。そこに、アダンの実とか、美しい鳥「リュウキュウアカショウビン」などとともに、よく登場するのがダチュラだ。別名をエンゼルトランペットという。
これも、父親がどこかで苗を手に入れて、自分の部屋のすぐ前の花壇に植えた。それはこの家に住み始めたころだったと思うから、もう8年になる。奄美大島では1年中咲いているそうだが、さすがに房総半島でも冬には地上部が枯れてしまう。しかし暖かくなるとともに芽を出し、高さ2メートル以上にも成長する。
園芸雑誌には、一度に100個もの花を咲かせた写真が載っていたりする。我が家はそれほどではないが、最も元気な夏の終わりごろには、30個ぐらいの花が咲く。
でも、最後の花は、たいてい11月初めごろだった。ところが今年は、12月に入って何個か花が開いたのだ。今年は暖冬という長期予報が出ているが、当たりそうな気がする。
ところで、9月に、混みすぎていたダチュラの幹を何本か、父親が切って、それを畑に棄てておいたら、そこから根が生えて、幹を伸ばし始めた。とても丈夫な植物だった。それを3株ほど、かみさんが花壇に移植した。来年は、もっとたくさんのダチュラの花を見られそうだ。
(2006年12月10日記)