んだんだ劇場2007年5月号 vol.101
No35
10年目たてば

月桂樹の花
 我が家の入り口の花壇にある月桂樹が、今年も花を咲かせた。

月桂樹の花
 小さくて、よく見なければ気づかない花である。毎年この時期に咲くが、今年は例年より1週間ほど早いようだ。地中海沿岸原産で、クスノキ科の月桂樹は、雌雄異株の植物だそうで、我が家の木に実がついたことはないから、オスの木なのだろう。
 でも、この木を植えたのは、いつだったのだろうか。かみさんに聞いたら、「この家に越して来た年」だという。ということは、今年で10年目になるわけだ。
 千葉県いすみ市に住むことになって、温暖な外房なら元気に育つだろうと、かみさんが見つけてきた樹木のひとつだった。
 月桂樹の葉は、ベイリーフ(英語)、ローリエ(フランス語)と言う名でも知られるように、ハーブ(香辛料かな?)の一つで、洋風の煮込み料理によく使われる。どうせ植えるなら、料理に役立つものをと、かみさんが選んだのだ。月桂樹の葉には、シネオールという芳香成分が豊富で、その独特の香りが「肉の臭みを消す」と言われる。しかし、それは、十分に成熟した葉を乾燥させて初めて「有効成分」になるらしい。一度、若葉を乾燥させたら、枯れたようになってしまったことがある。
 植えた時は、腰ぐらいの高さだったと思うが、今は、はるかに見上げる高さになっている。この10年で、よく育ったものだと感心する。しかも、昨年の寒波が厳しかった冬には、風がまともに当たる枝の葉が枯れたのに、昨年の夏を過ぎたら、完全に復活して、今年の春は、たくさんの花を咲かせてくれた。

大きく育った月桂樹
 これくらいの大きさになると、我が家の台所には十分すぎるので、来客で「欲しい」という人には、枝を切ってプレゼントしている。これは、ちょっと自慢できる。
 ところで、月桂樹を植えたとき、かみさんは「アーモンドと、フェイジョアの木も植えた」と言った。桜より大ぶりで、色の濃いアーモンドの花は、今年も咲いた。
 しかし、かみさんがうれしそうに「実が食べられるよ」と言って植えたフェイジョアの木は、今はもう、姿がない。
 この「房総半島スローフード日記」の最初のころ(バックナンバーの2004年7月号)に紹介した花の写真を覚えているだろうか。

日本ではまだ珍しいフェイジョアの花
 南米原産のフトモモ科の常緑樹で、花がきれいなだけでなく、ちょっと厚めの花びらを食べると、甘い。それを知った時は、びっくりした。
 これも自慢できる木だったが、2004年秋の台風で、川沿いの地面が崩れた時、フェイジョアもそれに巻き込まれてしまったのである。
 あらためて、「10年ひと昔」という言葉をかみしめさせられた。
 母親が亡くなってからでも、今月(4月)20日で、5年になる。
 月桂樹を植えて、今年が10年目だと気づいて、そんなことまで思いが及んだ。

名古屋の春姫道中
 4月15日の日曜日、名古屋市中心部の目抜き通りを練り歩く「春姫道中」の写真を撮りにでかけた。いま私が勤めているNEXCO(ネクスコ)中日本(中日本高速道路株式会社)の社員が、地域協力の一環として参加しているからだ。

今年で13回目の「春姫道中」
 「春姫」は、豊臣恩顧の大名だった浅野家の姫君で、尾張藩の初代、徳川義直に嫁いで来た人。その輿入れ行列が、3000棹の長持を連ねるほどの豪華さで、城下の整備を始めたばかりの名古屋では、みんな目を丸くしたそうだ。その行列を再現しようというのが「春姫道中」なのだが、これは「お祭り」ではない。
 名古屋城の本丸には、藩主と家族が住み、政務も行った豪華な御殿があったのだが、太平洋戦争の空襲で焼失してしまった。しかし、その直前、狩野派が描いた1047点もの障壁画を疎開させていた。保存されている障壁画を元に戻したいという市民から、「本丸御殿を復元しよう」という運動が起こり、それをアピールするために13年前、「春姫道中」を始めたのだそうだ。
 私のデスクのすぐ前に座っているTさんから、私にも、「参加しませんか」という声がかかったが、丁重にお断りした。「参加する」と言っても、ただ歩けばいいだけではないからだ。Tさんなどは今年、錫杖(しゃくじょう)で地面を突き、「春姫さまの、おな〜り」と叫びながら歩く「先触れ」の役を演じた。それなりの衣装をまとい、顔を化粧して行列に入るのである。その準備のために、たいへんな早朝から集まらなければならないのも、私にはつらかった。

Tさんが演じた「先触れ」
 最後は、名古屋城天守閣の前、「本丸御殿跡」のわきで、春姫と義直が声をそろえて「御殿は、どこじゃ?」と言いながら、周囲を見渡すという「寸劇」で幕を閉じる……それが例年だが、今年は、そのあとに「御殿は、いつじゃ?」というせりふが加わった。
 それに答えて、名古屋市長が「それは、来年度じゃ」と宣言した。来年度に着工し、名古屋城ができて400年目にあたる、2010年に、御殿の一部ができる計画を発表したのである。完全復元は、もう少し先になるらしいが、あと3年たつと、狩野派の豪華な障壁画を見られるようにな るらしい。
 どこかに「死蔵」されている文化財が、日の目をみるのは、うれしいことだ。ここまで13年、市民運動を続けてきた方々を、私は偉いと思う。
(2007年4月15日記)



山が見えない

フェイジョア再び
 前回の日記で、「フェイジョアは、水害のために姿を消した」と書いた。南米産のフトモモ科の常緑樹で、甘い花びらを食べられる、まだ日本では珍しい木だ。それが失われて、私も、かみさんも、がっかりしていた。
 ところが先週末、日記を読んだSさんが、フェイジョアの苗木をプレゼントしてくれた。Sさんは、私が「定年帰農のすすめ」を連載中の『園芸通信』を出している、種苗会社「サカタのタネ」の方だ。以前に、『園芸通信』の編集に携わっていて、我が家へ来たことがあり、その時ちょうど、フェイジョアの花が咲いていた。
 苗木には「あのフェイジョアがなくなっていたのは、知りませんでした。また育ててください」と、メッセージが添えられていた。
 大感激、である。
 さっそく、かみさんと二人で、畑の隅に植えた。前にフェイジョアを植えていたのと、ほぼ同じ場所である。

2代目のフェイジョアの木
 そのあと、「今度のフェイジョアは、結実性の品種です」というメールが届いた。フェイジョアは、おいしい実がなるはずだが、自家受粉では実がつきにくい植物らしい。しかし、今回送られてきたのは、自分の花粉で実がなる、という木だ。これは、ありがたい。初代フェイジョアより、楽しみが増えた。
 樹木が、ぐんぐん育ち始めるのは、植えてから3年後あたりからだ。根がしっかりと地中に伸びて、幹に十分な栄養を送ることができるまで、まあ、だいたい、それくらいの時間がかかる。花が咲くのは、さらにそれから1、2年後だろう。
 長いつきあいになるが、それは、楽しみのあるつきあいである。5年後が遠い先のことだなんて、私はちっとも思っていない。

父親がシャクナゲを植えた
 私は今、名古屋に単身赴任している。先週は東京に用事があって、火曜日(24日)にも、外房、千葉県いすみ市の家に帰った。すると、駐車場のわきの花壇に、シャクナゲ(石楠花)と、2本のサツキが植えられていた。
 「今度は西洋シャクナゲだから、大丈夫だろう」と、父親が言った。
 この花壇は、父親が管理していて、つい先日までは、スズラン水仙がびっしりと花を咲かせていた。咲き終わったスズラン水仙をぜんぶ掘り起こして畑に移し、そのあとに、シャクナゲとサツキを、父親が植えたのである。

ここにはスズラン水仙が咲いていた

そのあとに植えた西洋シャクナゲ
 「今度は大丈夫だろう」と、父親が言ったのは、以前にあったシャクナゲが枯れてしまったからだ。
 1998年の春、両親は、福島市の北に隣接する霊山(りょうぜん)町(現在は伊達市)の家を引き払って、温暖な外房、いすみ市(当時は夷隅郡大原町)にやってきた。その際、庭にあったシャクナゲを掘り起こして、こちらに移植した。
 しかし、年々、樹勢は弱まり、4年後には完全に枯れてしまったのである。
 福島から持ってきたのは、「アヅマシャクナゲ」だった。
 福島市の西には、奥羽山脈の高い山々が連なっている。その中に、「吾妻小富士」と呼ばれる山がある。富士山の山頂付近だけを切り取って貼り付けたような、美しい姿を私も毎日見ていた。この高山地帯にあるのが、「アヅマシャクナゲ」だ。明治37年に吾妻山で発見された。正式の名前は「ネモトシャクナゲ」という。発見者の植物学の恩師「根元氏」にちなんで名づけられたという。古くから知られていた「ハクサンシャクナゲ」の、雄シベが花びらに変化した八重咲きの品種で、「ヤエハクサンシャクナゲ」とも言い、「福島県の花」になっている。
 が、私らは普通に「アヅマシャクナゲ」と呼んでいる。この名前の方に、愛着がある。
 「老後は、雪の降らないところで暮らしたい」と父親が言い、房総半島のこの地を選んだのだが、「ここは、アヅマシャクナゲには、暖かすぎるかもしれないな」と、最初から、父親は心配していた。それで、家の日陰になる、比較的涼しい場所にシャクナゲを植えたのだが、やはり、だめだった。
 西洋シャクナゲなら、ここでも大丈夫。父親は、あのアヅマシャクナゲの美しさが忘れられないに違いない。
 しかし私は、西洋シャクナゲの花を見て、アヅマシャクナゲを思い出し、そして、吾妻山を思い出した。
 春になって、山の雪が消え始めると、吾妻小富士には、ウサギの形に雪が残る一時期がある。これを「吾妻山の雪うさぎ」と言い、別名を「種まきウサギ」とも言う。この姿を見て、ふもとの農家は、苗代に種籾をまく時期を知るからだ。
 今住んでいる房総半島には、山らしい山はない。内房の鋸(ノコギリ)山にはロープウェイがあって、東京湾を見下ろす景色はなかなかのものだが、毎日、標高1000メートルを超す山々を見て育った私には、山としてはもののかずではない。
 房総半島は、暮らしやすい土地ではあるが、仰ぎ見る高さの山がないという、その点だけは、つまらない。
(2007年4月28日記)


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