んだんだ劇場2007年10月号 vol.106
No40
変なカボチャ

飛騨の妖怪 両面宿儺
 今、房総半島、千葉県いすみ市の我が家の菜園に、こんなものが実っている。
 これはヘチマではない。カボチャである。

細長い、変な形のカボチャ
 私は今、名古屋に単身赴任しているが、昨年の今ごろ、スーパーでこいつを見つけた。1個400円もするのを買って、食べて、タネを千葉に持ち帰り、父親に「来年、まいてみて」と頼んだ。それが今年、夏も終わりに近づいて、ようやく育って来たのである。
 スーパーでは「飛騨のすくなカボチャ」という名前で売っていた。飛騨高山特産の伝統野菜なのだそうだ。切ってみると、中はオレンジ色で、普通のカボチャと変わらない。甘みが多くて、なかなかおいしかった。
 さて、「すくな」は、漢字では「宿儺」と書く。「儺」は「鬼やらい」という意味で、あの節分の鬼を追い払う豆まきのことだ。「宿儺」は、「人に宿る悪いものを追い払う」という意味になるのだそうだが、なんともはや、野菜の名前としては変わっている。
 これは、飛騨高山市が、同市丹生川町に残る伝説「両面宿儺」にちなんで名づけたという。それで、その昔、SF作家の豊田有恒さんが『両面宿儺』という小説を書いていたのを思い出した。読んだはずだし、今でも本棚のどこかにあるはずなのだが、物語がちっとも思い出せない。それで、調べてみたら……
 二つの顔を持ち、手も足も4本、身長3メートルにも達する「飛騨の妖怪」と紹介している資料があった。なるほど、これはすごい。だが、『日本書紀』には、仁徳天皇のころ、飛騨の国を支配している両面宿儺が朝廷の命に従わないので、兵を遣わして滅ぼしたと記されているそうだ。とすると、これは、大和朝廷の全国統一伝説の一つなのだろう。『古事記』や『日本書紀』には、出雲族とか隼人族とか、地方の豪族を大和朝廷が従えて行った過程が、史実をオブラートで包んだような形で、いろいろ記されている。
 顔が二つ、手も足も4本という「両面宿儺」の姿は、「飛騨を支配していた豪族が双子だったからだ」という人もいる。真実はわからないけれど、敵対した豪族を「妖怪」に仕立ててしまったということは、十分に考えられる。
 旧丹生川村には、古刹千光寺があり、これが「両面宿儺」の開創だとされている。それは1500年も前のことで、ちゃんとしたお寺が創建されたのは、1200年前らしい。弘法大師の弟子が建てたといい、今も真言宗の寺院として信仰を集めている。
 そこに、江戸時代、円空がしばらく滞在して数多くの仏像を作った。「両面宿儺像」というのもあるそうで、これは、一度、見に行かなければならないと思っている。
 ところで、私が1998年に主婦と生活社から出した『おいしい野菜は自分でつくる』という本をご存知の方はいらっしゃるだろうか。
 その本で、当時は福島県霊山町に住んでいた両親を訪ねたとき、父親が細長い形のカボチャを作っていた、という話を書いた。親戚からタネをもらって育てたそうだ。今にして思うと、これは「すくなカボチャ」だったのだ。
 ただ、翌年は同じようなカボチャが実ったものの、その次の年には、ずんぐりした形になってしまったという。たぶん、別の品種のカボチャと交配したのだろう。種を保持するのは、なかなか面倒なのである。

もう一つ面白野菜
 8月末に、外房の家へ帰ったら、ペピーノが実っていた。

これでナスの仲間、ペピーノ
 春に、父親が苗を買ってきて植えたのが、実ったのである。でも、苗を植えた時「これ、なあに?」ときくと、父親は「わからないけど、うまい、と言われたから」といい、ナス科の植物という説明はあったが、正体は不明だった。
 ところが、熟して表面が黄色っぽくなり、紫色のシマが少し入ったのを食べたら、みずみずしく、スモモのような味で、おいしかった。ナスの仲間なので、歯にあたるようなタネもなく、むしゃむしゃ食べられた。
 アンデス山脈辺りが原産地と言われ、日本には、1982年にニュージーランドから輸入されて、「ペピーノブーム」が起きたそうだ。しかし、人気は長続きしなかったらしい。
 完熟させて、タネを採取できないかと私は思っているのだが……まだ品種も固定せず、栽培方法も確立されていないらしいから、素人が増やすのは難しいんだろうなぁ。

越前のハス
 8月29、30日の2日間、いま勤めているNEXCO中日本(中日本高速道路)の社内報に連載している「インターから20分紀行」の取材で、福井県の武生(現在は越前市)周辺を訪ねた。武生は、平安時代には越前国府が置かれたところで、藤原為時が国守に任じられた時、娘の紫式部も同行して、ここに一年余を過ごしたそうだ。が、まあ、今回はその話ではない。
 北陸自動車道の武生インターから一つ敦賀寄りの今庄インターで降りて、東の方へ10分ほど走った所に「花はす公園」がある。2000年の眠りから覚めたことで知られる「大賀ハス」をはじめとして、世界中から集めた108種類のハスが栽培されている公園だ。8月末では、盛りは過ぎたが、まだかなりの数の花が咲いていた。

8月末でもまだ花が咲いていた「花はす公園」

美しいピンクのハスの花
 黄色の花もあると聞いたが、残念ながら、今回は見られなかった。ハスの花は7月下旬から8月中旬が見ごろらしいので、その時は、さぞ見事だろうと思われた。
 さて、そこから、今庄インター方向へ少し戻り、鵜甘神社というのを探した。ここは、南北朝のころ、南朝の武将・新田義貞が戦勝を祈願した神社と聞いたからだ。しかし義貞はそのあと、現在の福井市中心部にちかい辺りで戦死してしまうのである。
 その道筋、両側には水田が広がり、そのあちこちにハス田もあって、まだたくさんの花が咲いていた。案内してくれた、会社の福井事務所の人に聞くと、「あれはみんな、お盆に使うための花」だという。これはたぶん、この地方が今でも浄土真宗(一向宗)の門徒が多いためだろうと推測できた。
 浄土真宗には、本家とされる西本願寺のほかに、東本願寺(大谷派)、高田派、出雲派など9系統の分派があるが、そのうち福井県には4か所(4派)の本山がある。いずれも巨大な寺院だ。かつては大変な浄土真宗王国で、戦国時代、一向一揆に武将たちが悩まされた歴史もある。
 そんな伝統がいまに引き継がれ、盆供養にハスの花は欠かせないものなのだろう。
 私が住んでいる、千葉県いすみ市の家の近くにも何か所かハス田があるが、それはレンコンを栽培しているものだ。しかし、この今庄付近では「レンコンを収穫する人はいませんよ」という。
 「ところ変われば」ということではあるが、食いしん坊の私としては、「なんともったいない」と思えてしかたなかった。
(2007年9月9日記)



ヨーロッパ軒

仰天! 大カツどん
 9月18、19日、また福井へ出かけた。やはり社内報に連載している「インターから20分紀行」の取材だ。前回(8月29、30日)は、今庄(南越前町)、武生(越前市)周辺だったが、今回は、鯖江市、福井市である。
 で、福井市に行ったら、ぜひ食べたいものがあった。それが「ヨーロッパ軒」のソースカツどん。
 ドイツで料理の修業をした高畠増太郎さん(1889〜1977)が、大正2(1913)年に、東京の早稲田大学正門前に「ヨーロッパ軒」を開いて、ソースカツどんを創案したのが最初という。大正12年の関東大震災で被災した高畠さんが、故郷の福井市に戻って再びヨーロッパ軒ののれんを出した。以来、ここで修行した人たちがのれん分けして各地に店を出し、今では福井県内に19店舗がある。おかげで、福井県内で「カツどん」というとソースカツどんを指すようになったとか(ちなみに、卵とじのカツどんは、「玉子かつどん」とか「上カツどん」と呼ばれている)。
 県庁近くの「総本店」は駐車場がないので、ちょっと郊外の分店へ行った。私は「普通の」カツどん(820円)を注文したが、年末に結婚するという若い同行者は「大カツどん」(1120円)を頼んだ。それが、これ。

山のごとくにカツが載った「大カツどん」

「ヨーロッパ軒」ののれん
 いやはや、まあ、大変な迫力!
 豚のロース肉をたたいて薄くし、カツに揚げて、ウスターソースをベースにした「秘伝のたれ」をくぐらせ、どんぶり飯に載せただけ、という食べ物だが……私が頼んだ「普通の」カツどんはカツが3枚なのに対して、「大カツどん」はカツが4枚。ご飯の盛りも多いらしく、出てきたカツどんは、どんぶりのふたがちょこんと乗っているくらいだった。
 ふたをしてくる、というのがミソで、カツを1枚どんぶりに残し、あとのカツはふたの方に置いて食べ始めるのだそうだ。私はそれを知らなくて、カツの合間からソースがしみたご飯を掘り出しながら食べたが、ちょっと甘めのソースは、けっこううまかった。
 2001年に、無明舎編集長の鐙(あぶみ)さんと二人、北前船の取材で瀬戸内、日本海沿岸、そして北海道の納沙布岬まで走り回ったときに、佐渡の小木で「カツどん」を注文したら、ソースカツどんが出て来て驚いたことがある。福井発祥のこの食べ物は、北陸地方に広がっているのである。が、福井市の人に聞いたら、「ソースカツどんは、いろいろな店で出し、それぞれにソースの味を工夫している。でも、ヨーロッパ軒は、本店の味と同じだよ」という。
 実は、ヨーロッパ軒には、前にも入ったことがある。それは、昭和14年に最初ののれん分けをしたという敦賀の店だった。これも、鐙さんとの旅の途中。
 しかしそこで私は、「スカロップ」なるものを食べた。厚切りのトンカツに、甘いドミグラスソース(ケチャップも入ったような赤い色のソースだった)をかけたもの。これは、敦賀の店にしかないらしい。
 だが、北海道の根室市には、「エスカロップ」という類似の食べ物がある。そしてこれは根室市なら多くの店にあるが、根室からちょっと離れると誰も知らない、根室市民しか知らないものだそうだ。ところが私は、敦賀のヨーロッパ軒で、なんの迷いもなく「スカロップ」を頼んだ。ということは、根室の「エスカロップ」を知っていたからだと思うのだが……根室で、それを食べた記憶がない。手もとに鐙さんが書いた『北前船 おっかけ旅日記』(無明舎出版)がないので、確かめられないでいる。
 根室では、鐙さんと居酒屋に入り、酔っ払って、民謡「秋田田の草取り唄」を歌った覚えはあるのだが……しらふの時の記憶がないのは、情けない。

福井では、おろしそば
 前回の「20分紀行」の取材では、「今庄に行ったら、おろしそばでしょう」という人がいて、JR北陸本線今庄駅のすぐそばにある「ふる里」という店に案内してもらった。
 福井県は、実はそばどころで、今「越前そば」というブランドを宣伝している。今回訪ねたら、至るところで白いソバの花が咲いている季節だった。
 特に今庄周辺は、辛味のある夏大根をすりおろした「おろしそば」が人気なのだそうだ。前回、「ふる里」のそれがおいしかったので、今回も「食べたい」と言ったら、鯖江市の郊外にある「聴琴亭」(ちょうきんてい)という店に連れていかれた。
 江戸時代の庄屋さんの屋敷をそのまま使っている建物だそうだ。幕末の藩主・間部詮勝つ(まなべ・あきかつ)がしばしば保養に訪れ、松の枝を吹き渡る風の音が琴の音のように聞こえる、というので殿様が「聴琴亭」という名をつけた、と案内書にあった。

江戸時代の庄屋屋敷である「聴琴亭」
 観光バスが何台も駐車する観光スポットでもあるらしく、メニューには、何種類ものそばを竹の器に盛り分けた「道中そば」(3300円)というものまであって、550円の「おろしそば」を注文するのは、ちょっと気が引けたが、これはこれでおいしかった。

つゆと薬味をかけて食べる、おろしそば
 しかし福井県では、「そばがうまい」という宣伝はよくやっているが、「大根おろし」の方は、どうなっているのだろうか。「おろしそば」には、そばの風味と大根の辛味が渾然一体となったうまさがある。以前に、岩手県の北上の近くで食べたおろしそばは、大根おろしではなく、遠野市暮坪地区で作られているカブ、「暮坪カブ」をおろしたものだった。江戸時代に、信州から江戸へ出てきた人が蕎麦屋を開き、故郷の「ねずみ大根」でおろしそばを出したら大評判になった、という話もある。
 小ぶりで辛い夏大根は、各地に伝統野菜がある。福井のそばはおいしかったけれど、大根の方にもスポットライトを当ててほしいと、家庭菜園主としては思っている。

お彼岸だんご
 いろいろな都合があって、秋の彼岸には、房総半島、千葉県いすみ市の家に帰れなかった。母親の墓掃除も、かみさんに頼んだ。
 9月22日の土曜日、単身赴任宅がある愛知県稲沢市のスーパーに行ったら、「彼岸だんご」を売っていた。大手チェーンではなく、地元資本のスーパーである。

白玉だんごのような「彼岸だんご」
 「だんご」と言っても球形ではなく、球を押しつぶした、よくあん蜜に入っている白玉だんごのような形をしている。まあ、形はどうでもよく、私は「お彼岸に、だんごを供えたかなぁ」と思い、かみさんに電話できくと、「福島では、おはぎは作ったけど、だんごは記憶にない」と言う。こういうことは土地柄があるから、この辺では、だんごを墓前に供えるのだろう。スーパーではもちろん、おはぎも売っていた。
 このだんごに味はないそうで、通りかかった客に聞くと、「餅と同じように、焼いて、砂糖醤油をつけて食べる」とか。もう一人に聞くと、「私はきな粉で食べる」という。要するに、お供えしたあと、硬くなっただんごをどうやって食べるか、という話だ。
 隣には、「月見だんご」も売っていた。そういえば、その季節である。
 それは、いい。
 だが、その隣には、柏餅が置いてあった。柏餅だけのパックもあれば、「月見だんご」と一緒にしたパックもある。「この辺りでは、お月見に柏餅も食べるのだろうか」。柏餅の材料は年中手に入るから、そういう風習があってもおかしくはないのだが……和菓子は季節感を大事にする、と思っていた私は悩んだ。
 店の女性店員に、「なぜ、五月の節句の柏餅を、今、売っているの?」ときくと、彼女は答えられず、主任の「おじさん」を連れてきた。
 「ああ、市場で年中売っていますからね。いろんなお客さんがいるんで、ウチでは何でも仕入れてるんですよ」
 主任の「おじさん」はニコニコしながら、こともなげに言った。
 真冬でも生のトマトを食べるのは当たり前、と思っているのが現在の日本人だから、秋に柏餅を食べるのも、不思議なことでなくなって来ているのかもしれない。
(2007年9月24日記)


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