んだんだ劇場2007年11月号 vol.107
No41
『ネコジャラシのポップコーン』

エノコログサはアワのご先祖?
 やっと秋らしくなってきた。房総半島、千葉県いすみ市の我が家の花壇でも、ホウキグサが真っ赤になっていた。
 ストーブにくべる薪(まき)を積んでいる、隣の空き地に、今年はネコジャラシ(本当の名前はエノコログサ)がたくさん生えていた。なんだか、いつもの年より穂が大きいように思えた。

日本中、どこにでもある雑草ネコジャラシ
 よく見ると、ここには2種類のネコジャラシがある。黄色っぽく見えるのが「キンエノコロ」。光の加減では、金色に輝いて見える。もう一つ、白っぽい、ただの緑色のやつは単にエノコログサと呼ばれている。この茎を折って、先端のふさふさした穂で猫を遊ばせることから「ネコジャラシ」とも言うのだが、これが、作物のアワ(粟)のご先祖だということを、ご存知だろうか。
 私だって、『ネコジャラシのポップコーン』(木魂社)という本を読むまでは、知らなかった。発行は1997年9月だから、ちょうど10年前だ。書いたのは、盛口満(もりぐち・みつる)さんといって、「自由の森学園中・高校」の理科の先生である。

『ネコジャラシのポップコーン』
 盛口先生は散歩中、近所の農家のアワ畑のそばに、とても大きなネコジャラシがあるのに気づいた。その後、図鑑で「アワは、エノコログサから作り出された」ということを知る。そして、この大きなネコジャラシは、アワと、普通のネコジャラシの交雑種であるらしいこともわかった。そこで「なるほど」と納得してしまえば、話はそこでおしまいなのだが……「ネコジャラシを食べてみよう!」と、盛口先生は、教室で提案したのである。
 「ほんとに、食べられるの?」と半信半疑の生徒たちを連れて、近所のネコジャラシ採取に出かけるところから、この本は始まる。
 穂から実を落とし、手でもんで殻を取り、鍋で煮る。
 「ジャリ。ダメだ。まずい。てんで食べられない。手でもんだだけでは、殻はちっともとれていなかったのだ」
 最初は大失敗だったのだが、女生徒の一人が、炒ってみたらと提案する。そこで、生の粒をフライパンで炒ってみたら……「するとどうだろう。彼女の言うように、ネコジャラシの粒のいくつかが、はじけてポップコーンのようになるではないか」。
 「ポップコーン、いやポップネコジャラシ」は、香ばしくておいしかったようだ。
 ネコジャラシが食べられることはわかったが、アワと同じように、穀物として食べられるまでには、その後数年かかった。殻を取るのに、すり鉢で少しすって、はずれた殻を息で吹き飛ばす方法がみつかって、実だけを煮て食べられるようになったことや、効率的にネコジャラシの実を集めるのに、傘を逆さにして、そこに実をふるい落とす方法を考案するなど、先生も先生なら、代々の教え子の方も「なかなかの連中」なのである。
 盛口先生と生徒たちは、さらに「ドングリを食べよう」というプロジェクトにも挑戦する。縄文人がドングリを食べていたことはわかっているが、さて、具体的にはどういう方法で食べていたのだろう、という探求である。
 ハト麦はジュズダマを改良したものだし、ヒエはイヌビエという雑草から作り出した作物である、ということも、この本で教えられた。
 そして、そういうことは、人類の祖先が、野草から作物を作り出して行った過程を想像させるのである。
 その辺は、盛口先生が調べ、書いていることなのだが、ネコジャラシやドングリを工夫して食べるという授業は、生きた学問なんだと、とても感心した。
 まあ、私自身は、空き地のネコジャラシを食べようとは思っていないけれど、久しぶりにこの本を読み返して、家の周囲のイネ科の雑草を見て、なんだかうれしくなった。

モモの大活躍
 10月12日の金曜、仕事を終えてから新幹線に乗り、名古屋から房総半島の家に帰った。外房線大原駅に着いたのは、午後9時半過ぎである。駅から家まで、かみさんの運転する車中で、「モモは元気か?」と聞いたら、「元気よ。大活躍よ」と言う。なにが大活躍なのかと聞いても、「それは、お父さんが話すから、今は言えない」のだそうだ。
 翌日、朝食の時に、かみさんが「お父さん、いつ話すの?」と言うと、父親は「めしのあとだな」と言う。
 なにをもったいぶっているのだろう。
 で、朝食後、父親が、「芝生に、黒い、長いのが見えるだろう」という。
 東側の庭の芝生に、たしかに、そういうのが横たわっていた。
 「ヤマカガシだ」
 毒蛇であるヤマカガシは、ここに越してきた当時から、家の周囲でたくさん見た。住んで10年たつ間に、周囲を整地したせいもあって、数は少なくなったが、まだいる。
 「モモが、やっつけたんだ」
 父親は、うれしそうに言った。
 東側を流れる落合川の河川改修が終わり、我が家と堤防の間が平地になったので(以前は自然の地形だったので、家のすぐわきから川まではでこぼこだった)、昨年末ごろ、父親が芝生を900枚も買ってきて(芝生は、A4の紙の大きさくらいに切ったのを、10枚1束で売っている)、1人で全部敷き詰めた。だから、ヘビが動いているのもよく見える。
 「モモは、じっと待っていて、目の前に来たヘビの首のところを一撃したんだ」
 よほどうれしかったのだろう、私に見せるために、ヘビをそのままにしておいたのだという。長さは30pくらいだろうか。ヤマカガシとしては、普通の大きさだと思う。芝生の上では、モモもよく見えたに違いない。

ヘビをやっつけたモモ
 父親も、私も、ヘビは大嫌いだ。こちらが近づくのをじっと待っているマムシと違って、ヤマカガシは人間の気配を感じるとスルスルと逃げてしまうので、噛み付かれる心配はほとんどないのだけれど、やはり、気味悪い。だから、ヘビを見ると、父親も私も、柄のついた草けずりを持ち出して退治してしまう。
 そのことを、サカタのタネの月刊誌「園芸通信」に書いたら、何人かから抗議の手紙がきたそうだ。「ヘビは、ノネズミなどを取ってくれる動物で、農家にはありがたい。殺してはいけない」というのが、共通した意見だった。
 ごもっとも、である。ヘビなんか怖くない、というひともたくさんいて、亡くなった母親もそうだった。
 でも、父親も私も、ヘビを近くで見たら、「ワッ!」と言って、まず逃げ出してしまう。こればかりはしかたない。
 だから、「モモは偉い!」。
 ところで、この芝生、とても元気がいい。だから、しばしば刈らないと、草丈が伸びすぎてしまう。それで今年になって、「おじいさんは、庭へ芝刈りに」よく出かける。
(2007年10月14日記)


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