んだんだ劇場2008年5月号 vol.113
No19
二つの顔のベートーヴェン(2)

 この間、交響曲第三番「エロイカ」以降、一八〇六年にいたるまでの間に彼が作曲した主な作品は、作品五三ピアノソナタ「ヴァルトシュタイン」、作品五六三重協奏曲、作品五七ピアノソナタ第二三番「熱情」、作品七二歌劇「レオノーレ」(フィデリオ)、作品五八ピアノ協奏曲第四番、作品五九弦楽四重奏曲「ラズモフスキー」の三曲というようにいずれもずらりと傑作が並ぶ。そしてこの年の後半には作品六一ヴァイオリン協奏曲ニ長調が加わる。これに続く作品六二「コリオラン序曲」も佳品である。このように眺めてみるとこの交響曲第四番は、傑作の森といわれる時期を前期と後期に分けると、その中点に位置して、分水嶺に立つ作品のように見えてくるのである。
 このうち作品七二歌劇「レオノーレ」(フィデリオ)は、その第一作を三幕物のオペラとして一八〇五年一一月二〇日の上演にこぎ着けた。しかしナポレオン軍のヴィーン占拠による混乱のため、公演は三日間で打ち切られ不首尾に終わっている。情況の悪化に原因があったのだが、関係者は作品の冗長さにも問題があったとして、その改作をベートーヴェンに勧めている。あらたに序曲を作曲し三幕を二幕に改め再度上演することになり、この第二作は一八〇六年三月二九日に上演された。そして二回目の四月一〇日の公演も好評であったが、劇場を取り仕切るブラウン男爵との確執と、ベートーヴェンの誤解が生じて公演を二回で打ち切ることになる。その後一八一四年の改訂第三作の公演まで、この作品はお蔵入りとなってしまうのである。
 この歌劇の台本は、一七九八年にジャン・ニコラ・ブイイが書いた「レオノーレ、または夫婦の愛」によるもので、フランス革命の時に実際にあった出来事を、十六世紀のスペインに舞台を移したものといわれる。ベートーヴェンは歌劇に意欲を燃やし構想に一致する台本を探していた。妻レオノーレの献身的な行為により夫フロレスタンを救出するという筋立てのなかに、女性像の理想的な姿を見い出して創作を進めたのである。
 崇高なものへの憧れを、英雄的な行為のなかに求めたという点では交響曲第三番「エロイカ」と共通している。その交響曲第三番「エロイカ」で、野心が崇高な理念に昇華した姿を一人の人物に仮託して描いたが、ナポレオンの挙動に俗物的な支配者の偶像を発見したとき、ベートーヴェンは他者への仮託を捨てた。けれども神性の持つ崇高な理念を人間性に求める志向を諦めたわけではなく、芸術をつうじて自己陶冶を遂げる必要を益々深めていった。ボン時代に育まれた啓蒙の精神は、ベートーヴェンのなかで醸成され続け、各々の作品の随所に顔を出すのである。
 ベートーヴェンの外部に向けた訴えには、人々が引き継いできた伝統主義や、貴族階級の価値観に含まれる誤謬への抑え難い憤りがあり、当時の社会にたいする不条理を告発するという一面を捉えていた。このような内面的発露を、音楽をつうじてどのように表現すれば無形の表象である音楽を聴衆の心に届けることができるかということに、ベートーヴェンは心を砕いていたのである。日々の生活でなかば無意識的に営んでいる日常性は、放っておけば惰性に流され伝統主義に陥りやすい。伝統主義というのは、伝統の持つ善い部分を大切にするという考え方ではない。過去から続いてきたことを、絶対的な価値基準として無意識のうちに持ち込む人間の行動様式を指している。いままでそうであったという理由だけで容認し、踏襲しようとする価値観である。それはベートーヴェンが最も嫌う価値基準であった。
 彼にとって対象となるものは、人間の内面や観念への接近であり、近代的な自己のありように欠けるものを音楽をつうじてつけ加え、あるいは打ち破ることであった。人間は、生命の危険から身を守るために社会化しただけではなく、自分が存在することの意味を問うことのできる生き物として自覚し、個体としての自己認識を持つことができるようになったということである。
 先人たちが築き上げてきたソナタ形式という様式を踏襲しながら、ベートーヴェンはソナタ形式の性格を革新していった。ベートーヴェンにはその発火点となるような、内的衝動が爆発する強力なエネルギーを秘めたモチーフが必要だったのである。したがってそのようなモチーフを発見するための思索は、彼が創作する上でゆるがせにできない最も重要な行為であった。ベートーヴェンはスケッチ帳を携えて、散策することを好んだ。散策は日常からの脱出であり、彼にとって思惟することは、歩行のリズムやテンポと軌を一にする身体の律動と変わらなかった。精神と身体を、相反する二つのものというように分けるのではなく、一体不可分のものとして捉えるのである。
 ベートーヴェンに旋律の枯渇があってひとつのモチーフを変容させたのではない。最初に内なる深層に潜む根源的で、形象化できないイデアからモチーフの原形が現われる。これを永遠不変の原理あるいは真理と呼んでもよいものかもしれないが、この朦朧としたモチーフが、各々の主題にふさわしいモチーフに鍛え上げて分け与えると、彼の文体とでも呼ぶべき個性と特徴が鮮やかに浮かび上がってくるのである。一つ一つの作品の主題が異なっていながら、近似するモチーフが活躍するのは、ベートーヴェンが綴る一貫した観念の脈絡なのである。
 観念と云えばひとりよがりで排他的な心性を想像したり、経験や現実を無視した主観的な思惟に片寄った独断的な言説を思い浮かべてしまう。しかし観念を抜きにして私たちは事物を認識することは難しい。認識するためには、理性によって対象を捉えることが大切であるが、その理性も観念の助けを必要としているのである。近代にいたって主観的な思惟や表象を、実在性を拒むものの総称として観念的と呼ぶようになった。科学による実証的な論理と較べると、その信憑性が曖昧で非論理的であるとして、理性を損ねる障碍とみなすようになる。そして弁証法的唯物論の登場が論理的合理性の優位を認め、観念を形而上的な思惟と合わせて、論理の明晰性から斥けたのである。
 フランソワ・シャトレ(1925〜1985)によれば、観念とは「存在の代理として思惟がもつ表象」であるという。真理の問題が、思惟が描いた存在の観念と、存在そのものとの合致の問題であるとすれば、その際思惟と存在とは別ものである。しかし両者は折り合いがつくことを想定できるという。「一方の側に思惟が、他方の側には存在がという具合にまるで互いに向き合う二つの実在を前にしているかのようである。この二つの実在の媒介として役立てるべく哲学によって編み出されたのがある存在物、理性的な或るもの、すなわち『観念』なのです。」とフランソワ・シャトレは述べる。
 デカルト以来、人間を自然の主人公にして、その所有者に据えようという企ては、形而上的な思惟を科学的に実証しようとする経験の認識に転換した。事実を観念に捉え、具体的な事実を離れて思惟すれば思い込みになってしまう。したがって「真であると私が明証的に認識しないうちは、いかなるものも真だとは認めない」というデカルトの立場に立てば、一八世紀の啓蒙思想はこれを迷信や蒙昧や陋習から救い出そうとしたのである。
 科学の世界では、経験し得るという枠を越えて認識することはできない。だがこれを徹底すれば狭量な経験主義に陥ってしまう虞がある。また人間には、科学的に証明された経験からは推し量ることのできない、生得的な情念の迸りがある。ベートーヴェンの企図するものは、こうしたことへの懐疑をつうじて求める真理への到達なのである。私たちは生得的な観念とともに、習得的に組み合わせられた各人の固有の観念の体系を持っている。理性などというのは、後天的に躾けられた思考の作法のようなもので、こうした規矩に規定されて、他者と区別する固有の自己を発見できないことに苛立つのである。理性や秩序が強制的に働くと、私たちは世界というものがひどく退屈でうっとうしいものに映る。主観的な思惟や表象が、規矩のなかに閉じ込められてしまうと、創造的な世界を知覚する感性が狭められる息苦しさを感じる。生気に満ちた情念の暗闇から爆発する衝動に、自己の本来的な正体を確かめてみたいという欲求が私たちを唆す。日常の軛を断ち切って、本能的で神秘的でありたいと願う始原世界への憧憬もまた捨て難いのである。
 こうした破滅の妄想に苛まれながら、私たちは不満はあっても秩序の整った平穏な毎日に安定を見い出す。そして蛮性と放埒を封印して、節度のある安寧の世界に服する己に、自己の在りかを再確認できないものかと願っている。理性的なものへの服従と、それが育てた秩序のメカニズムから脱出したいという狭間に身を委ねながら、私たちの心は揺れ動くのである。ベートーヴェンの思い込みによる直情径行な性格は、しばしば他者との諍いを引き起こすが、それは日常性に埋没する人間への苛立ちからきていたのかもしれない。ベートーヴェンが求めるモチーフは、旧来の観念を打ち破り蘇生した心・体の合一を表わすものでなければならなかった。彼の音楽に聴こえる即決と潔さは、そうした人間の本質に関わるものが、彼の身体機能と一体を成すのである。
 この作者が発見したモチーフというのは、本人の認識能力の働きである。認識は刺激によって触発されるが、触発されるには刺激を受け入れる感性が必要であり、それは生得的なものと習得的な経験によって与えられる。この感性は、情報収拾の触角の役割を果たしている。私たちは外部世界の情報を、感性によって受け止め認識する。十八世紀末から十九世紀初頭は外部世界が激変した時代であり、ベートーヴェンの感性は、この時代思潮に先行する形で逸早く反応していたのである。
 ベートーヴェンの呈示した音楽を今日的な感性で捉えながら、演奏者たちが全く同じ認識に立つとは限らないのは、明らかに個々人の経験と感性の違いによるからである。受け取る入口である感性の違いや、認識にいたる組み立て方には各人の仕方がある。演奏者はスコアから受け取ったものを各々の感性で取捨選択し仕分けながら解釈している。
 私たちはこれこそ真理であるというものを確実に手にすることは難しい。しかし捉えた対象が真理か否かを問うことはできる。思惟したものと、その対象となったものが一致するか否かを問うことによって、真理に近づいていくことは可能である。ここでのカルロス・クライバーとイッセルシュテットの演奏は、たとえ解釈の違いから表現した二つの演奏であっても、この作品の本質を捉えており、ベートーヴェンの意図するところに一致を見ている。結局一つの実在を表わすことになる。
 私たちはこうしたスコアを解釈した演奏者の認識したものを、芸術作品として鑑賞していることになる。そして聴き手の方でも各々の感性で演奏を受け取っている。私がカルロス・クライバーとイッセルシュテットの演奏を、私の解釈を加えながら観賞するという行為もその一つの現われである。理屈から言えば、演奏者と聴き手を掛け合わせた数だけ作品の解釈が成り立つことになる。そのため作曲者は意図したものをできるだけ共通の心性として一致できるように、発見したモチーフに共通する意味を注ぎ、ひとつの観念の脈略に集合させるために、モチーフを吟味し検証して形式に整えるのである。ベートーヴェンという作曲家はこのような過程と作業を、徹底的に追及し掘り下げ練り上げた音楽家であった。
 ベートーヴェンはモチーフに意味を与え、主題にイデアを持ち込み、それを音楽様式に表わした作曲家だったのである。外部世界から受け取ったものを、感性の入口で論理的なものと非論理的なものに選り分けるのではなく、受け取ったすべてのものを一旦内部で咀嚼してモチーフに捉え、それを鍛え上げて論理的な形式に収める。感性の入口から取り込まれた混沌は創造となって蘇ると、形式に整えられて外部へ飛び立っていく。
 楽曲の中心となる「主題」は作品の性格を表わしている。「モチーフ」は主題の性格を表現する最小単位を表わした小節である。しかし同じ性格を持つ主題だからといって必ず同じモチーフで表わされるとは限らないし、同じモチーフで表現したからといって主題の性格が一致することはない。ベートーヴェンの音楽は一つのモチーフを変容させながら様々な主題に表わしている。一つのものから多様なものを生みだし、多様なものをひとつのものに収斂させることはベートーヴェンの音楽の持つ特徴である。交響曲第三番「エロイカ」、同第六番「田園」、ヴァイオリン協奏曲のそれぞれの第一楽章の冒頭に現れる主題と、この交響曲第四番第一楽章序奏に聴こえる旋律は、私には兄弟姉妹に感じられる。ピアノ協奏曲第四番ももちろん家族の一員なのである。相似する旋律を用いながら、それを性格の違う作品に作り分けるベートーヴェンの手腕が、最も簡潔に凝縮したのが交響曲第五番第一楽章冒頭のモチーフであった。
 三十歳のベートーヴェンが手を染めた交響曲第一番には、未来に向かう青年の自負がまっすぐに伸びやかに満ち溢れ、その視線は紺碧の宙空を見上げるように、清新な眼差しが注がれていた。交響曲第一番と第二番には輝く前途を確信するかのように、未来というものが肯定的に外部に向かって放射されていたのである。人間に持っている人間性が、崇高なものを実現する道に繋がっていることに、何の疑いも持っていなかった。だが歳月は、第一交響曲を手がけてから六年が過ぎていた。ベートーヴェンにも壮年の熟成の時期が訪れていたのである。
 ヴィーンでの生活もすでに十年の歳月を優に越えている。この間ハイリゲンシュタットでの危機から生還し、交響曲第三番「エロイカ」という転機に応しい大きな作品を手に入れることができた。しかし天啓とも思える音楽に注ぐ情熱だけで、世間をわたり歩くことの悲哀も味わってきた。芸術を生活に売り渡す処世の巧みさも身に付けなければならなかった。壮年の分別は世間のしがらみを無視するわけにもいかなくなる。恋愛の熱い嵐に身を焦がしながら、その破局も経験する。
 この作品六〇を書きながら、いまベートーヴェンはひとつのモチーフから多様なものを創り出そうとしている。あるいは多様なものの助けを借りながら、一つのものに収斂させようとしている。それは宇宙の生成のメカニズムに似て、たとえば太陽の膨大なエネルギーから私たちの地球をはじめとする惑星が生まれたように、彼の作品も一つの種から生まれながら、その果実は個性的で多様性に満ちている。しかも共通している要素をたくさん含みながら独創的であり、それぞれが独立して存在する作品として生まれようとしている。それらが落ち着くところに収まれば、安定した彼の小宇宙を形成することになるのである。
 この交響曲第四番はそうした混沌のなかをさまよっていながら、しかしその前途にはすこぶる楽天的である。生成に向かって進みながら、いまだ姿を現わさない太陽を発見する旅の途中に不安はない。第一楽章冒頭の鬱蒼たる森のなかを霧に視界を遮られながら、ベートーヴェンは創造の根源となるものを尋ね、発見すべくその過程を愉しみながら彷徨するのである。
 そしてこの交響曲第四番前後の作品から、ベートーヴェンはそれまでのような外部に向けた開放と合わせて、人間の内陣へ深く立ち入るようになるのである。それは自分自身を内視するという個人的な営みに止まるものではない。精神の深奥に肉薄しながら、人間の心に持つ普遍の心性を作品に取り出そうとするのである。内面から発する情念の導きが、外部世界と反応して普遍に繋がっていくのか、普遍を求める情念の働きが、内なるものを捉えることができるのか、この間を行ったり来りしながら、混沌のなかにベートーヴェンは何かを掴みかけていたのである。
 こうした音楽が本来持っていた内面の吐露を表わすという可能性を、究極的に示したのがベートーヴェンだったのである。彼が新たな聴衆を創造したと云われるのは、教会の礼拝や貴族の娯楽に供給してきた音楽を、人間の持つ尊厳の何たるかを呼び起こして、聴き手の内面に訴え聴き手のいまを問いかけ、それが未来の聴き手にも感動を呼び起こし、新たな聴衆を次々と獲得し続けたからにほかならない。
 ヴィーンでの生活と創作活動を通じて、ベートーヴェンは音楽がひとつの啓示になりうることの確信を深めていった。彼は音楽に潜在するこうした可能性を、混沌のなかにその手掛かりを掴みかけていた。模糊としたものを追いかけながら、その確たるモチーフを掴み切れないでいるうちに、この交響曲第四番を先に仕上げてしまったのである。このように見てくるとこの作品は、シューマンが評したような北国の二人の巨人に挟まれたギリシアの乙女というような形容に収まるだけではない。仁王像と彌勒菩薩という二つの顔に象徴されるこの作品には、様々な要素が孕んでいるのである。この作品の前後を挟んで彼の作品は、葛飾北斎の富獄三十六景に見るような大胆な構図と、東州斎写楽の役者絵の極端な誇張を連想したとしても、たいして的外れとは云えない作品を生み出している。本質的なものを捉えた者の核心は、内面の吐露をデフォルメして描けるのである。
 この交響曲第四番に漂う混沌は、交響曲第三番の世界が構成していた一つ一つの要素を取り出して陶冶し直しながら、世界を再構築するための新たな布石であった。再び崇高なものの達成を目指す過程である。はからずも交響曲第三番から浴びたとてつもない白光は、人間の情念にうごめく心の闇をあぶり出した。交響曲第三番に仮託した世界は、自由、平等、人民主権という理念に支えられて、人間の尊厳を擁護する社会を建設することであった。だが個の利害を主張する多数の個が集まり、自己実現の欲求を主張して、かえって連帯の絆を破壊してしまったのである。
 しかしあれほど人々を駆り立てた熱狂も、この作品に聴くような内面の平穏を再び取り戻していたのである。人々が生得的な情念と習得的な理性が衝突して争うのではなく、ともに手を携えて歩む道は残されていないものだろうか。ベートーヴェンはみずからに問いかけ応答しながら、この作品を観照するうちに歩むべき道を再び模索するのである。それは作品二一交響曲第一番に現われた未来に続く道ではなかった。彼の前に道はなく、未踏の荒野にみずからが挑む独創の道だったのである。
 情念の持つ心の闇は、悪の支配によって征服されているというだけではなく、ふくよかな情感に溢れた彼岸の世界を合わせ持っていた。ピアノソナタ第二三番「熱情」とヴァイオリン協奏曲ニ長調に対比される情念や、作品六七に現われる人間の心にうごめく奥深い世界と、作品六八から聴こえてくる自然への眼差し、こうした二つの系を交響曲第四番は混沌のなかに孕んでいたのである。
 この作品六〇交響曲第四番は、スコアを解釈したときに現われた一つなるものに統合される二つの演奏であった。同時にそれは仁王像と彌勒菩薩に例えられるような二つの作品の誕生を待っていたのである。ベートーヴェンはこのような創造を孕んだ二つの懐胎を、この作品をつうじて聴く者に垣間見せた。それは鑑賞する聴衆の緊張と、音楽の持つ厳しい形式や造形性を、この作品の寛ぎのなかに開放し、作品の創作過程を聴衆にその手の内を明かすことだというように聴こえてきたのである。仁王像と彌勒菩薩という二つの顔が、二つの個体として区別され対照されながら、柔軟にして強靭な根源的一者へ集合されていくのである。
 一定の時と場所に固定され、演奏者や聴き手の感性によって二重に変形されるという音楽の持つ性質を追及し、その情動に導かれながら個を突き抜けて、すべてのものが一つになる感動をもたらすのが音楽芸術である。個人が個の呪縛から解放されて、歓喜にあふれる陶酔のなかに放り出されながら、その陶酔が連帯感情を呼び起こし、全体のなかで個が肯定され自己を認識する。歓喜にあふれた陶酔は、個人を集団のなかに無名の群れのように埋没させてしまうのではなく、一人一人が捉えた美の世界に隠されている根源的で普遍の真理を表現する一員を担うのである。
 名演の感動は、演奏者の解釈や聴き手の受け止め方がどのように変形しても、ひとつのものにたどり着く。聴き手の意識を呼び醒まし、演奏者の解釈や個性を突き抜け、個体化の原理を越えて作曲者の心の裡を直接聴き手に届ける。この作品六〇はこのように個人の感動や陶酔を、全一感情に融合させてしまう力が音楽にあることをあらためて示したのである。だがそれは瞑想する芸術家のイメージであるとともに、衝動の刃を懐に忍ばせる危険な存在としてのベートーヴェンである。創造する詩人と思索する哲学者は、まだ心の闇と和平を結んだわけではない。迸る情念は五線紙の規矩に従いながら、その爆発の機会を窺っているのである。
 その一方にある美と節度に導かれるイデアの世界は、つぎの作品六一ヴァイオリン協奏曲ニ長調に現われる。この作品はヨゼフィーネとの愛の絆を、彼の心象風景として切り取ったものである。作品五七ピアノソナタ第二三番「熱情」のような、狂おしい情動が切り裂く肉体的な衝動を感じながら、しかしそれとは異なる厳かな愛の絆をベートーヴェンが感じたからである。恋愛感情に潜む二つの要素を対照的に描きながら、それは狂おしいまでの情動と、愛しいまでの共感を後世の私たちに呼び起こすのである。


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