んだんだ劇場2008年10月号 vol.118
No23
いざなう自然│始原世界への郷愁、母なる大地への憧憬

 「どんな場面を思い浮かべるかは、聴くものの自由にまかせる。性格交響曲│あるいは田園生活の思い出。あらゆる光景は器楽曲であまりに忠実に再現しようとすると失われてしまう。パストラーレラ交響曲。田園生活の思い出をもっている人は、だれでも、たくさんの注釈をつけなくとも、作者が意図するところは自然にわかる。描写がなくとも、音の絵というより感覚というにふさわしい全体はわかる」(「ベートーヴェンの手紙」小松雄一郎編訳岩波文庫)と一八〇七年のスケッチ帳にベートーヴェンは記している。また一八〇八年一二月二二日の演奏会にあたって「パストラール交響曲は絵画ではない。田園での喜びが人の心によびおこすいろいろな感じが現わされており、それに伴って田園生活のいくつかの感情が画かれている」(同上)と簡単なことわりを述べている。
 標準音楽辞典(音楽之友社)によると、標題音楽とは「曲の内容を暗示する題や、筋書ふうに説明する文がつけられていて、文学的・絵画的・劇的などの内容を強く暗示しようとする音楽で、絶対音楽と区別され」る。しかし「標題音楽の標題や、それにつけられている説明は、たしかに曲の内容を示そうとするものであるが、そのような言葉がその音楽の究極的な内容でないことは、絵画や文学で題材がそのまま作品の本質的な内容でないのと同様であり、標題は、作曲者の創作のひとつの機縁となったものを示している」のである。標題音楽が、曲の内容を暗示する題や、筋書ふうな説明が付けられていても、その音楽の究極的な内容でないと断わりながら、作品の内容を暗示的に誘導してしまうことに変わりはない。聴き手の無制限な作品解釈を、一定の傾向に限定するという点で効果があるのは確かであり、曲そのものから受け取る自由な想起が、標題によって一つの枠に規定されることは避けられない。
 同じ辞典から絶対音楽の項を見てみると「絶対音楽は標題音楽の対立概念で、詩や絵画などの他の芸術や、音楽以外の表象や観念と直接結びつかないで音の構成面に集中しようとする音楽」で「器楽曲は絶対音楽と標題音楽の両分野に截然と区別されるのではなく、絶対性ないし純粋性と標題性とにはさまざまな濃度があり、また聞く態度の問題もこれに関係してくる」ので、「絶対音楽もけっして無内容な音の戯れではなく、純音楽的な、あるいは音楽を超えた内容を有し、一方標題音楽も音の構成面をもち、ソナタ形式や変奏形式をとるものもある」ことになる。絶対音楽が無内容な音の戯れではないことは、これまで五曲のベートーヴェンの交響曲を聴いてきた私たちにはよく理解できる。
 楽器の機能性と演奏技術の卓越した技巧を表現する作品は、ベートーヴェン以前にも以降にも数多く生み出されている。それが曲芸的な面白さに終ってしまい、田園生活の思い出を単に巧みな写実的描写というように受け取られることを、ベートーヴェンは避けたのだ。それでも自然から感じ取ったものを人間の情感に映すために、小川のせせらぎとか小鳥のさえずりなどを折り込み、自然の厳しい一面を雷雨やあらしに語らせる必要があったのである。だが五曲の交響曲によって鍛えられた私たちの感性からすれば、今日ではこうした聴衆への配慮は、ベートーヴェンの杞憂でありむしろ蛇足である。標題が付されているか否かや、明らかな音の写実的描写を取り入れたからといって、それが本来的な音楽の本質にかかわる問題ではないことは、ベートーヴェンには勿論のこと私たちにも分かる。
 作品六八交響曲第六番ヘ長調「田園」、この作品は第一楽章冒頭の開始からして、いかにものどかな気分に浸ることができる。悠々自適なのは人間の方ではなく、自然が醸し出す悠久の流れに身を任せたときに感じる感興であった。ベートーヴェンに語りかけた自然は、機械論的自然観からは汲み取ることのできない自然への憧憬だったのである。作品六七と並行して作られたが、それだけの理由で双生児とされるのではない。向けた対象に人間の内部と外部の自然という違いはあるが、楽想を感覚に集中しようとする点や、楽曲の構造は共通している。
 第一楽章は冒頭に八分休符一拍を置いて、上下向する四小節が第一主題を奏でる。そして二曲とも四分の二拍子である。この音形は第二小節と第三小節に音符を五つ挿入しているだけで、第五番の冒頭と同じ導入と開始である。四小節目の末尾にフェルマータを付けて、モチーフを容易に意識させる方法も、第五番第一楽章冒頭と同じ扱い方である。彼の九つの交響曲で冒頭から主題を呈示するのは、この二曲とあとの第八番の三曲である。この主題が呈示されるとこれを引き受けたあとの小節が、上向しながら発展していく形をとっていることも二曲に共通している。テンポは第五番よりはだいぶゆるやかだが、たたみかけるように駆動しながら発展していく音形は共通のものだ(譜例1)。
 交響曲第五番の駆り立てるような鼓動は消えて、この作品では寛いだ日常が自然のなかに溶け込んでいる。耳の疾病が進んでいたベートーヴェンが、当時の自然のなかに感じたものは、至福の感覚に溢れたものだったに違いない。眼で眺め肌に受け止めた音や空気に、ベートーヴェンは生き生きとした生命の躍動を感じていたのである。交響曲第四番で混沌のうちに未分化であったものが、ついに二つに現われ出たのである。それはベートーヴェンがみずから述べたように、田園での喜びが人の心によびおこすいろいろな感じであり、感覚というにふさわしい全体を表わす自然への憧憬であった。これを第五番に書き直すと、人間の情念が人の心によびおこすいろいろな感じであり、感覚というにふさわしい全体を表わす人間への洞察だったということになる。一方が内向への肉迫であり、この作品では外部に開放する。同じ形式と構造を用いながら、性格の違いを使い分けて見せるベートーヴェンの手腕が見事に発揮されている。
 第三楽章から第五楽章を切れ目なく演奏する構成も、交響曲第五番の第三楽章と第四楽章の連続性と同じである。第三楽章「農夫たちの楽しい集まり」は、交響曲第三番第三楽章と相似をなす引っ掛けるようなリズムの音形から開始する(譜例2)。このざわめきに似た楽しい気分は、聴く者の心を浮き立たせるとともに、ベートーヴェンの上機嫌を表わしたものだ。のちの交響曲第八番の第四楽章にも、このような上機嫌な様子がみられる。村人たちの陽気な踊りは自然と一体になり、その踊りがたけなわとなった頃、急に雲行きが怪しくなってきて、突然の驟雨は雷鳴や稲妻を呼び人々を慌てさせる。自然は穏やかな顔で居続けるだけではなく、ときおり厳しい一面ものぞかせるのである。だがこの作品の第四楽章に聴く荒々しい自然は、人間に仇なす敵対的なものではない。干天の慈雨ともいうべき生命の発露を含み、人間に豊穰の恵みをもたらすものであった。
 あらしが収まり第四楽章から第五楽章への移行は、まさに七色の虹が架け橋となっているかのようである。この冒頭の九小節目から奏でる美しい旋律(譜例3)はそのすべてを懐に抱き、慈しみに満ちた自然を映し出す白眉ともいうべき旋律である。しかもこの旋律は、交響曲第三番第四楽章の希望の旋律を受け継いだものだ。いわば猛々しい自然をあらしや雷雨に語らせながら、ベートーヴェンは自然を如何ともしがたいものとして闘いを挑んだり、恐れをなして避けるのではない。雨上がりを想起させるクラリネットやホルンが奏でるほのぼのとした情景は、あるがままの自然を友好的に受け入れたものだ。この作品には理不尽なものに躍りかかるような闘争的な衝動はない。寛ぎに溢れたベートーヴェンの穏やかな眼差しに満ちているのである。
 けれどもベートーヴェンの向けた眼差しはそれだけではなかった。生き物たちがその大地から糧を得るように、ベートーヴェンもまた創造の源泉を、自然から汲み取っていたのである。彼の創造の糧となる自然への感謝は、農耕や牧畜から生まれる労働の喜びと何ら変わるものではなかった。この第五楽章に付けられた「牧人の歌│あらしの後の喜びと感謝の感情」は、あらしが去った喜びと感謝を表わしただけではない。まさしく芸術を生み出す源泉へ、ベートーヴェンの率直で敬虔な祈りを捧げたものだったのである。この楽章の主題となる譜例3の優美で清らかな旋律は、自然の深淵を聴き取った者でなければ表現できないものだ。誰にも真似のできない唯一無二の旋律を創造するベートーヴェンは、メロディメーカーとしても秀逸な作曲家であったことが分かる。
 古代の人々が大地を耕す肉体労働に励みながら、収穫の喜びと生きていくことの術を習得したように、ベートーヴェンには、散策は大地を耕す労働に代わる収穫と、喜びを導き出すものであった。それは人間の持つ始原的な世界へのなつかしい記憶を想起させるものであった。人間を人間たらしめている根源的なものへ得心のゆくまで接近したいという思いである。この願望を支えているのは、人間に受け継がれてきた太古の記憶が無意識のうちに突き動かす衝動であった。からだを動かす身体的律動は、代謝や循環を刺激する。そうした刺激が無意識の世界を活性化させ、内部から湧き起こる衝動が彼の創造を促していたのである。
 私たちを取り囲む世界には、様々な厄難が待ち構えている。生きていかなければならない人間がこれを克服していくには、そういうものと闘う力が必要であることを作品六七は暗示していた。それは新たな創造につながる力であり、困難にひるむことなく勇気を奮い立たせ、達成に向かう力であった。だがこうした作品六七の持つ闘争原理ともいうべき世界は、解放をめざしながら極度の緊張と精神の集中をもたらした。そのこと自体が解放と創造につながるものであったのだが、一方では過度に覚醒させられた意識の世界から解放された空間と、やすらぎの場も必要だったのである。
 けれどもどのような完成度の高い創造も、それが達成されてしまうと、その創造自体は一つの限定をもたらすことになる。あらたに生み出した創造が規定する世界にとどまり切れず、ベートーヴェンは広々とした世界を求めて、再び創造へ向かうのである。こうした創造のパトスについて、のちに彼はベッティーナに語っている。「わたしは自分の作品で目的を達したと感じた時でも、いつも永遠に満たされることのない飢えを感じます。しかも、最後のティンパニーの響きでわたしの喜びを、わたしの音楽的な信念に叩き込んで力を出し尽したと感じた時にそうなのです。そしてまた子供のように新しく始めるのです。」
 振り返ってみれば交響曲第三番第一楽章冒頭の切断する二つの和音は、パンドラの甕が弾く警鐘の一撃であった。しかしその甕には、希望につながるモチーフが隠されていたのである。それが証拠に第四楽章の冒頭でおどけるように現われる主題は、先の第三章で述べたように第一楽章の主題が申し送りしたものであった。それが変奏を経てプロメテウスの主題でもある希望の旋律と結ばれるのである。先の交響曲第四番第一楽章冒頭の、何かを求めてさまよい歩くベートーヴェンの姿は、パンドラの甕に残された希望を探し求める始まりだったかもしれない。人間は崇高な志を持ちながら、悲惨な結果を招く。だがそれでもめげずに私たちが歴史を紡いできたのは、希望を失わなかったからである。
 ノッテボームによると交響曲第三番のスケッチ帳に、すでに交響曲第五番の曲想の断片が書きとめられていたというが、それはまだ混沌としていた。それでもベートーヴェンは作品五五を書き上げたあと、運命のモチーフに共通するモチーフを頻繁に投入して、次々と佳作を生み出していく。そしてついにその核心となる強力なモチーフを作品六七につかみ取ったのである。交響曲第三番「エロイカ」に、理想に燃えながらその実現に向かった隣人どうしが、争い、いがみ合う人間社会の悲惨さを目のあたりにしたベートーヴェンは、その救世主を一人の英雄に仮託しようとした。だがその虚飾が剥がれると、ベートーヴェンは英雄への偶像を捨てた。それでもなおベートーヴェンはペシミズムに陥ることなく、交響曲第四番にパンドラの甕を探しに出かけたのである。交響曲第四番に聴く愉悦に満ちた楽天的な気分は、いまだ前途に希望をもたらしていたのである。
 プロメテウスの火は、その因果がパンドラの甕に現われ、人類に禍をもたらすことになったが、人間が生きていくための希望の灯でもあった。のちの一八一二年二月一九日にズメシュカルに宛てた手紙で「おお、天よ、この重荷を担うわれを助けて下さい。僕はヘラクレスではない。アトラスを助けて世界を背負わせたり、また彼に代わって世界を背負えるような者ではない」とため息をつくことになるが、まだこの時点では、気概に燃え情熱がたぎるベートーヴェンであった。みずからの裡にヘラクレスを引き受け、その格闘の成果が作品六七と六八の二つのモチーフとなって結実したのである。
 ギリシア神話では人類受難のそもそもの発端は、プロメテウスの企みに怒ったゼウスが、人間から命の糧を隠し、火の精をトネリコの木から取り上げ、人間が火を使えないようにしてしまったことから始まる。それでプロメテウスはゼウスが隠した火を盗み、人間に与える。プロメテウスの策略の報復として、ゼウスはパンドラを送り込み、地上の人間世界に災厄を及ぼすのである。いわば人間の立場で見れば、プロメテウスの奸計が原因で、ゼウスの当てこすりが人間界に及んで、以後人間はあらゆる災禍に晒されることになったのだ。だが先見の明を持つプロメテウスは、火が人間の未来に繁栄をもたらすことを知っていた。こうして人間は消えるべき運命にある火を絶やさないようにしながら、技術を身に付けパンドラの災厄と闘い、自然を貪り、人間の圏域を徐々に築いていくのである。
 だがベートーヴェンはさらに起源を遡り、自然のなかに放り出された人間がようやく歩み始めた太古の昔にまで、その洞察が届いていた。人口密度が低く、共存原理に立つ棲み分けなどという知恵の助けを借りなくても、荒大な大地を相手に格闘していた時代である。人間どうしが争う前に、大いなる自然と対峙した人類は、その能力のすべてを全力で注がなければならなかったはずだ。当時にあって四足動物の方が適応に優位だった時代である。
 またプラトンの「プロタゴラス」によるプロメテウス神話では、プロメテウスの弟エピメテウスが各々の生き物に、その本性にふさわしい能力を配分した。いかなる種属も滅びることがないように異なる能力を授け、糧となる食物も違うものを与えた。ゼウスはエピメテウスのやり方に異義を挟まなかったから、人間以外の生き物たちは、エピメテウスが与えたものを最大限に活用し、与えられた本性にふさわしい生き方を貫いてきたのである。動物や昆虫は狩猟や採集によって生命を維持し、その糧となる植物は水と二酸化炭素と光合成から有機物を生み出した。こうして生き物たちは食物の連なりに棲み分けをして、生物圏に秩序をもたらしてきたのである。この生物圏は、地球の物質代謝によって保たれていたという点で、地球の流れに添うものであった。
 だがエピメテウスは、最後に登場した人間に与えるものが無くなってしまうと、人間は裸のまま自然のなかに無力な存在として残された。これを見かねたプロメテウスが、火と機織の技術を盗み取って人間に与えたのである。人間はこれを契機にしてみずからの知恵で、獣の爪や牙を鋤や鍬や武器に代え、さまざまに道具を工夫して、積極的に自然へ働きかけることになった。人間には他の生き物たちとは違い、その本性を知脳に生かす試練が与えられたのである。
 人間はその知脳を働かせて、地球の創生に始まって、気の遠くなるような歳月に蓄積された物質を、地球から奪うのである。こうした人間の生き方を可能にしたのは、プロメテウスの火があったればこそであった。人類が食物に加熱を発見したことは、食材の幅を広げ加工や保存や殺菌にも役立ち、寿命の向上にもつながった。その火は寒さをしのぐ熱源となり、また肉食獣から身を守る武器にもなり、闇を照らす照明にもなった。やがて道具を加工する熱エネルギーとなり、後世には人間の駆動力を飛躍的に高める動力源となる。こうして人間は火というものを神話の世界に持ち込むほど、それは画期的でその後の生き方を決定するもっとも重要な物質の一つと考えたのである。プロメテウスが契機となり、人間は生きていくための糧を自然から与えられるだけではなく、自然の制約に逆らって人為的に環境を作り変え、道具を使って適応できるようになった。人類は、他の生き物たちが創り出すことができなかった文明を手に入れ、生物圏からはみ出し、地球システムの流れをも変えて、人間圏という独立した領域で生き始めることになったのである。
 人間は火と技術が与えられるとともに、社会を形成しようとしたが、人々はあい争い再びバラバラになって滅亡しかける。政治的技術知はゼウスの許にあり、これを見たゼウスは使神ヘルメスを遣わして、人間に「つつしみ」と「いましめ」を与えた。ゼウスはこれをすべての人間に分け与えたのである。そしてこれを破る者は死刑に処すことを付け加えた。だが人間は「つつしみ」と「いましめ」を受け取ったあとも、パンドラの呪縛から逃れることができなかった。生物社会というシステムは自然への適応に必要な機能であったが、人間は人間社会という人為のシステムを作り出して生物圏から離脱した以上、自然の淘汰を怖れることなく、人間社会のなかで人間的性向を押し進めていく。人間圏を形成した人類は、動物的性向の限界を突破し、自然への適応を人間の主体性に移管することによって、生物社会の一員から脱退して自然を支配する道を歩み出したのである。
 時代は下りギリシアの自然哲学の時代になると、その自然観は変化する。宇宙の根源的な物質をタレスは「水」と云い、アナクシメネスは「空気」と云った。ヘラクレイトスはそこに「火」を見い出し、エンペドクレスがこれに「土」を加えて四原素として説明されるようになる。のちにアリストテレスは、空気と火を天へ上るものとし、水と土は大地に潜むものとして、月を隔てて天上界と地上界の二つの世界に分けた。こうして二つの世界は、異質の原理が支配するものとして長い間人々に信じられてきたのである。


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