んだんだ劇場2008年2月号 vol.110
遠田耕平

No79 樹氷のジジババ

お正月
 カンボジアの人たちは年末年始の休みを取らない。というのも彼らのお正月は、クメール正月で4月である。僕は、「えー、日本のお正月は古来1月1日でして…、えー、とても大切な行事で…。」とカンボジアの保健省の仲間にたっぷり言い訳をしていつも2週間休む。
 大切な行事とは言ったものの、やっと帰り着いた年の瀬の日本は慌しいばかりで、すでに「古来の」日本のお正月の影は薄い。家族大勢で集まることは少なくなり、年末の大掃除、正月のおせちの支度、正月のあいさつは簡略され、門松や獅子舞、正月の遊びは外ではあまり見かけなくなった。僕もそんな一人である。
 女房は自分の実家に子供たちが全員揃ったのも束の間、一人一人、次々と帰ってしまい、みんなでお正月のカルタ取りができなかったと最後にポツリとぼやいた。息子曰く、我慢強いあの人がぼやくのであるから、よほど落胆したんだろうと冷静に分析した。「それぐらいわかっているんなら早く言えよ、カルタぐらいしてやったのに…。」と言いかけて、ああ、僕も鈍かったと気づく。この辺がさらに鈍い。女房が作ったお雑煮とスーパーで買ってきたおせちを親戚家族10人で食べて、記念写真を撮り、簡略な正月が終わった。
 栃木に居る義父母はもう80歳を超えた。半年前は一瞬ボケたんじゃないかと心配したが、さにあらず、今回の再会では大いに元気であった。どちらも元教師で、なかなか癖の強い人たちである。糖尿の義母は元気さ余って、食欲百倍。楽しみは動かないで食べること。胃を全摘されている義父は元気さ余って好きな酒を飲みすぎて、肝機能が低下した。女房は最近日本に帰るとこの二人の世話でてんやわんやである。元気がないのも心配だが、元気すぎるのも心配だと女房は今度は少し嬉しそうにぼやいた。

「おばQ 」でよろしく
 中学と高校時代の幼友達で親友ある男と再会した。大手の鉄鋼会社にいる彼はパイプラインの仕事を任せられて、4年以上もサハリンに単身赴任をしていた。その彼がやっと目黒の実家に戻ってきた。「しめた、これでまたいつものようにあいつの家に泊まれる。」と思った。
 彼の家と僕の実家は歩いて10分足らずである。母が死んでから、実家には弟家族がいる。弟も奥さんも中学校の教師で、母が生きていた時は彼らの一人息子の面倒を見てもらって少し余裕があったようだが、母が死んでからは本当に忙しくしている。実家ではあるが、泊まれば迷惑がかかるし、自然と足が遠のいた。しかし親友の家には深い考えもなく足が向く。そんなわけで目黒に泊まる時はあいつの家に直行してしまう。
 実は彼の奥さんとも小、中学校の同級生なのである。中学校で一緒だった彼らがまさか一緒になるとは当時想像だにしなかったが、不思議なものだ。当たり前だが僕の知らないところで再会して意気投合したらしい。僕は中学校の時に彼女と学級委員をやったのだが、口では絶対にかなわず、いつもたじたじだった。今は、立派に3人の子供の良妻賢母であるから女性はすごい。でも今もやっぱり口ではかなわない。僕ら3人が集まるとそれだけで小さな同窓会になる。
 晩飯をご馳走になりながら、最近開いたという同窓会の写真を見せてもらった。なんと集まった50人の半分くらいの同窓生の顔がはっきり思い出せない。引っ張り出してきた中学校の卒業写真と見比べて、彼女の説明を聞いてやっとわかるのであるから情けない。
 僕はカンボジアにいたおかげで出席できなかったが、それでよかったと胸を撫で下ろした。40年も経てば容姿もずいぶんと変わる。頭の薄くなった人もいれば、随分と太ってしまった人もいる。当時随分と神秘的で魅力的に見えた女の子はとても普通のオバサンの顔をしている。「げ、あんなにかっこよかった奴が、げ、あんなにかわいかった人が…。」と自分のことは棚に上げて言葉が勝手に出てくる。自分らはと言えば、親友はかなりごま塩頭になったが、目の大きな童顔はさほど変わらない。奥さんは小柄だが、もともと大人っぽい顔立ちだったので、今は却って若くさえ見える。卒業写真の僕はと言うと、少し面長で色白でふっくらとして、ニコニコしている。今は、頬骨が張り、浅黒く、皺も増え、ずいぶんと野蛮な顔だ。昔の色白の美少年の面影はどこにもない。自分も判別不明になったわけだ。
 都立高校に通っている親友の末息子が、僕らの卒業写真に首を突っ込んできた。僕ら3人の顔を写真と見比べては、変わり果てた姿に腹を抱えて笑う。「この人は美人だとか、この人は趣味じゃない。」とか、すっかり同級生になりきっている。「まあ、全体に美人が多かったんだね。」という母を気遣った一言で、親友の奥さんはご満悦である。ふと目を移すと、そこに死んだ友達の顔があった。4人の仲の良かった友達がすでに死んだ。生きていたら今頃どうしているだろう。今はもう居ないというその事が心の底にポッカリ空いた穴のようで、どう塞いでいいのか今もわからない。禿げてもオバサンになっても生きていてくれたらいいのであると写真に向かって心でつぶやいた。
 親友の奥さんが何を思ったか突然携帯を手に取った。「もっと人を呼ぼうよ。」となんと忙しい年の瀬の夜にも拘らず電話を掛け始めた。近くに住む4人が元学級委員の命令に逆らえずに突然呼び出された。僕の実家の弟までが、学年が一つ下ということで呼ばれた。みんなあだ名で呼び合うものだから気持ちが小中学校時代にたちまち戻ってしまう。すると多少非常識でも、多少大人らしくない発想でも許されるような気になるから困る。
 ちなみに僕のあだ名は「おばQ」である。ドラエモンで有名な不二子藤夫の人気漫画の主人公の名前だ。これと僕の旧姓の「オバタ」が似ていたので小学校の時からそう呼ばれた。「キュー、キュー、キュー、おばけのQ、…、頭に毛が3本、毛が3本…。」という主題歌にあるように「おばQ」は毛が3本しかない。大人になったら本当に毛が3本になるのではないかと不安な夜を過ごしたこともあったが、今のところ吹流しのような白髪が混じってはいるが、何とか3本以上はある。
 当時の僕はひたすらひょうきんであった。暗い家庭の事情を隠したい気持ちも作用したのであるが、根がひょうきんだった。当時世間はコント55号、ドリフターズなどお笑いの大ブームで、同級生たちはお笑いにあこがれた。したがって笑わせ上手はクラスにたくさんいて、競争も厳しかったのである。クラスの笑いをいかに取るか、毎日そんなことばかり考えていた。そのせいで、その夜集まった4人の一人は50歳を過ぎた今も未だに駄洒落の癖が治らない。僕も医者になってからも患者さんや学生からも笑いを取りたがる癖は治らず、その悪癖はやっぱりその頃染み付いたのだなと幼友達を見ていて納得した。
 それにしても、卒業写真を見ていると、子供だったあの頃、地味だった自分とは正反対に、かっこいい奴やかわいい人はなんとたくさんいたことだろうと、眩暈がしそうな思いになる。なんとも甘美な時間である。二度と帰れないあの頃の話しで幼友達はいくらでも盛り上がる。そして誰もがその時間に二度と帰れないことを誰よりもわかっている。そしてたっぷりと話した後はここまで来た道のりに後悔はしませんよ。今の現実に泣き言も言いませんよ。とでも言うかのように大人びた明るい笑いをふっと見せるのである。
 時間を一気にさかのぼる非現実的な瞬間。そして心の起伏をジェットコースターのように滑りぬけるその刹那。気がつくと優しい幼友達の顔がそばにある。次に会う時もやっぱり「おばQ」でよろしく。

自然体、山の木々と秋田のジジババ
 秋田に10日ほど戻った。街にはほとんど雪がない。2年前の豪雪が嘘のようである。みんな口々に地球温暖化と不安そうにささやく。しかし誰もその意味もどうしたらいいのかもよくわからず、余計に不安になる。僕はスキーをする目的で帰ったのだから、山の雪が気がかりだ。女房は寒さが苦手な自分がわざわざ帰らなくてもいいのだと、ぼやく。スキーのついでに田沢湖の温泉に連れて行き、お湯に入れておくと、少し機嫌が直る。
夕日に沈む秋田駒ケ岳と田沢湖スキーゲレンデ
夕日に沈む田沢湖を高原からのぞむ
 大学に立ち寄ると、「秋田は元気がない、大変だ。」とぼやく声ばかりが耳に入る。年に数回秋田に帰ることを心から楽しみにし、秋田を天国に一番近いところだと確信している僕には、ショックである。つまりは、景気が悪い、自殺が多い、借金だらけ、ジジババだらけ、童(わらし=子供)はいね、仕事もね、医者っこも足りね、、、、ああ、おらこんなの嫌だ、ああ、おら東京さ行くだ、、、と、誰かの歌のようになってしまっているということらしい。
 本当だとすると、ジジババとカモシカだけの国になってしまうのか…。そう言えば、散歩の途中、畑の上に積もった雪の上に久しぶりにカモシカとウサギの足跡を見つけたことを思い出した。やっぱり…。ま、取りあえず、おら、山にスキーさいくだ…。
 田沢湖に行ってみると、確かに一昔前はスキー客で溢れていた山は静かだ。昔からあったゲレンデが閉鎖されて、ホテルもいくつか潰れている。でも山は昔の静けさに戻ったようにも見える。一時の温泉ブームで大混雑していた「秘湯」も今はひっそりとしている。元の秘湯に戻ったわけだ。無責任な言い方を許してもらえれば、どうも一時の流行はもともと秋田には縁がないというか、似合わないと思えてくる。
 人気の少ない真っ白なゲレンデのスピーカーから流れる最近の日本の歌を遠くに聴きながら、田沢湖を背に、山頂に向かうリフトに乗った。リフトのケーブルが擦れる低い音が山肌を覆う白い新雪に吸収されると、カタカタと乾いた軽い音になって跳ね返ってくる。その乾いた音のせいで山はますます重厚な静寂に沈んでいくように感じる。すると両側に真っ白な木々が現れてきた。急な斜面に並んで立つ木々は重い雪を枝一杯に積もらせ、たわわにその枝をしならせている。樹氷だ。凍り付いているのに生き生きしている。凍り付いているのに堂々として見える。なぜだろう。強風と雪の重みで、太い幹を田沢湖に倒さんばかりしながらも斜面に深くおろした根を踏ん張って立っている。じっと立って生きている。その静かで堂々たる木々の姿を見ていると、興奮で自分の胸の鼓動が耳元にドクドクと響いてきた。
 しなった木々の枝ぶりに見とれていたら、なんだか腰の曲がった秋田のジジババに見えてきた。寒さのせいで視覚が狂ったかと思ったが、次の瞬間、「これだな。」と思った。風雪に耐え、暗く重い秋田の空の下でじっと雪解けの春を待つ口下手な秋田の人。短い新緑の春と濃緑の夏を汗だくで働いて、刈り入れの秋を越え、再び厳冬を迎える秋田の人たち。なんだかこの木々に似ていませんか?
 与えられた自然を精一杯に生きて、泣き言は言わない。すごいエネルギー。強風や雪の重みに耐えて枝を一杯にしならせる自然体の木々の姿と黙々と日々を生きる自然体の秋田の人の姿がぴったりと重なった。
 ところで、木々に見とれてスキーを忘れたわけじゃない。僕のスキーの腕は誰も褒めてくれないので、自分で言うのだが、飛躍的に進歩した。簡単に言ってしまうと、上半身をうまく使うことで下半身が自然についてくることを体感したのである。すると、かなり滑っても、かなりの斜面でも、足も腰も痛くならないことを初めて実感したのである。これも「自然体」のなせる技らしい。
 帰りの東京の街角でたまたま僕の好きなギタリストの押尾コータローの新しいアルバムをみつけた。その題がなんと「Nature Spirit ネイチャースピリット (自然体)」。なんとなく繋がったぞ。今年はこれで行きましょう。「自然体」


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