んだんだ劇場2008年3月号 vol.111
遠田耕平

No80 最高の暇つぶしとお産

英語嫌いの伝達の優しさ
 今年は自然体で行きましょうと決めた僕であるが、心はつまらないことですぐにつまずき、不快な雑音でざわざわと揺れる。不自然体…。
 事務所での話である。最近、所内のミーティングがあまりに多いので閉口している。僕はフィールドでの仕事が忙しいので、緊急性がない時はできるだけ出ないようにしている。まあ、いろんな国のいろんな人間の寄せ集めだから、ミーティング好きがいてもいいのだが、そんな連中の話ばかりが多いので困る。僕は脳みそが小さいので、知らなくていいことはなるべく知らないようにしている。すると僕はずれているということになる。僕にちゃんと話さないあの連中も悪いのだが、話を聞けばきりがない。
 みんなの意見を聞くと称してやたらとミーティングを開く。その実、ミーティングはひたすら英語を母国語とする同じ顔ぶれの連中が自分の意見だけを言い続ける。あまりにつまらなく、時に聞き捨てならないことを言うので、たまに反論してみる。ところが、その何倍も婉曲なわかりにくい英語を返してくるので、僕は肩をすくめて天井を見つめ、結局どうでもよくなってしまう。仮に僕が彼らと同じくらい流暢に英語を話せたら大変なことになるだろうと想像してしまう。間違いなくやり込めるだろう。これがいわゆるディベート(討論)で、これも時間の無駄である。英語が下手なのは幸いかもしれない。
 確かに今の世界の言語は一時的に英語が席巻している。一見流暢に話せたほうが得することも多く見える。ところが、英語を母国語としない現地の人たちに話をするときは、意外にも簡単で明瞭で平易な表現を使う方がよく伝わることが多いのである。カンボジアではよそ者でしかない外国人の僕らがカンボジアの人に他言語で話す時には一つ注意が要る。それは伝達したいことが、ちゃんと彼らに伝わったかどうかをしっかりと確かめる謙虚さと優しさである。
 幸か不幸か、英語も含め未だに人類の共通の伝達手段は登場していない。ところがこれも幸か不幸か人間の感情はほとんど共通しているのである。だから話すときは謙虚さと優しさが一番大事になるのである。もちろん現地の言葉を話すことは最良の伝達手段であることは言わずもがなである。一方、他言語を使うときは極力伝達の優しさを考えた謙虚なものでないといけない。僕は今日も不快な英語でまくし立てられながら、後ずさりしながらも、自分の襟を正すのである。そして「英語が下手でよかったなー。」とこじつけるのである。

がばいばあさんの言葉
 それにしても、ああ、俺はなんて馬鹿なんだ。こんなことでぶつぶつ言っている事がそもそもアホである。なんで、事務所のイライラなんかをさらりと自然体で流せないのかな。ああー、と、ひっくり返って、日本で買ってきた「佐賀のがばいばあさん」(島田陽七著)の本を開いた。ばあちゃんが言う。
「人生は死ぬまでの暇つぶしだぞ。いろんな仕事をして死ぬまで暇をつぶせ。仕事はいいぞ。お金がもらえる最高の暇つぶしばい。」
 どんな仕事でもいいじゃないの。文句を言わないでやりなさい。人がなんといってもいいじゃないの。世間に見栄を張るな。仕事があるだけでいいじゃない。人生は死ぬまでの暇つぶし。暇がつぶせるだけいいじゃないの。どんな仕事でも文句を言わないでやりなさいよ。ばあちゃんの声が聞こえてきそうだ。
 仕事はお金がもらえる最高の暇つぶし…か。ばあちゃんは80歳になるまで学校の清掃の仕事を一日も休まずやっていたという。ばあちゃんは偉いなー。ばあちゃんは自然体の達人だな。僕は不自然体の自分を恥ずかしく思った。

産後の苦行「アンプルーン」
 ここで何度か登場した新生児破傷風の話を読者の皆さんは覚えておいでだろうか。生まれたばかりの赤ちゃんのへその緒が汚く切られたり、汚く処置されるために産まれてすぐの赤ちゃんに感染する病気である。破傷風菌というばい菌が傷口から入り、生後3日から10日のうちに発症して、全身の痙攣を繰り返して半分近い赤ん坊たちが数日で死んでしまう。この病気は妊婦に破傷風のワクチンを2回接種することで、母親の抗体が胎児に移行し、赤ちゃんを守ることができる。その新生児破傷風を追いかけて村を回る旅は今も続いている。
 子供を亡くしたお母さんの話を聞くときはつらい。でも、時間をかけてお母さんの話を聞き、お産婆さんや、保健所の助産婦の話を聞いて村を訪ね歩く仕事は楽しいのである。どうしてお母さんがワクチンを受けられなかったのか、どうして家でお産をせざるを得なかったのか、どうしてお産婆さんが頼りにされるのか、どうして保健所が嫌われるのか。何キロも田んぼのあぜ道を歩きながら、全てにわけがあるんだと思う。そして歩く。そう、全てにわけがある。そうしているうちに、お産の瞬間にどうしても立ち会ってみたくなったのである。
 学生時代、産科の実習もろくにせず、医者になっても外科の仕事にかまけて自分の3人の子供のお産に一度も立ち会わなかった僕がこんなことを言うのであるから恥ずかしい。実は、その昔、「4人目は僕がこの手でとりあげるからね。」と、3人目を3年連続で産み終えた女房に言ったら、次の瞬間ピシャリと平手打ちを食らった。当然の仕打ちだろうが、それからお産の話は禁句となった。でも今、カンボジアのお産の実態を、この目で見たい。その想いが僕を駆りたてた。
 さあ、お産を見るぞと思ってはみたものの、意外に見れないものである。そもそもお産がそんな都合のいいタイミングで村に転がっているわけがない。そんな時、親切な助産婦さんが、ある村で3日前に子供が産まれた家があるよ、と教えてくれた。家に行ってみると、高床の茅葺の家の中でお母さんと生まれたばかりの赤ちゃんが横になっている。お母さんは少しやつれた顔をしているが元気だ。赤ちゃんもお母さんのおっぱいを一生懸命に飲んでいる。村のお産婆さんに介助してもらって家で産んだという。
家ごと「アンプルーン」のお母さんと赤ちゃん
へその緒、お産婆さんは4箇所で紐で結んだ
 話をしている時からどうも家の中がひどく暑い。お母さんも額に汗をかいているし、赤ちゃんの皮膚も脱水で皺がよっている。僕もシャツが汗でグッショリ濡れてきた。その上なんだか、パチパチと木を燃やすような音はするし、ひどく煙いのである。煙にしみる目を凝らして見ると床の板の隙間から煙が上がってくる。たまらず外に出てみると、なんと高床の家の下で焚き火をしているではありませんか。よく見ると高床の下から家ごといぶし出している。家の中の人は本当に燻製になってしまう。
 実はカンボジアの田舎では産後の数日から数週間、お母さんを竹で作ったベッドに寝かせ、そのベッドを床から少し持ち上げた下に日本でいう七輪を入れて、炭火でいぶす、「アンプルーン」という習慣がある。ところが僕らが訪ねた家はなんと、家ごと「アンプルーン」だったわけだ。暑かったわけです。
 80歳を過ぎたお産婆さんが顔を見せた。「わしゃ、ポルポト時代の前(1960年代)からずっとお産婆をやっているんだよ。このナイフで何百人もへその緒を切ったのさ。」と何百回研いだか知れないすり減った刃のナイフを僕の目の前に突き出した。へその緒を縛った麻紐もお産婆さんの手作りで消毒はしていない。灰や蜂の巣を付けたの?と訊くと首を振りながらニヤニヤしている。幸いこの村の予防接種率は高く、お母さんもワクチンを十分に受けていたので、たとえ汚い処置がされたとしても、破傷風には感染しないとわかり、少しほっとする。
 なぜ「アンプルーン」をするのかはどうもよくわからない。ただ、話を聞くところでは、アンプルーンをすると母親の産後のひだちがよく、赤ちゃんが丈夫に育つという。でも赤ちゃんの脱水がどうしても気になって、そのお産婆さんに、「赤っちゃんにはアンプルーンは要らないんじゃない?」と訊いてみた。すると、目をむいて「じゃ、もし将来この子の体が弱くなって、病気でもしたらどうするんだ。お前が責任とってくれるんかい?」と言われ、沈黙…。ただ、この脱水はやっぱりまずい…、なんと言ったらいいのか、、、。

お産、逞しいカンボジアのお母さんたち
 お産がたくさんあるという郡の保健所にいってみた。ここでは村のお産婆さんが高齢でいなくなり、住民はほとんど保健所でお産をするようになっているという。80%が未だに自宅分娩のカンボジアでは珍しい所だ。僕が行ったときには日中にすでに一件お産があり、これから産まれそうな妊婦が3人待機していた。
 一人目の初産の若いお母さんは時間がかかった。付き添いのおばあちゃんとお母さんに励まされ、彼女は分娩台の縁をぎゅっと握って、いきむ。唇を真一文字に結んで、うめき声一つ上げない。クメールの女性は強い、いや女性は強い。
 数時間待ってやっとお産がはじまった。黒いお椀を伏せたような赤ん坊の頭のてっぺんの黒髪がいきむ母親の股間に見えてきた。ところが、そこから先がまた出てこない。そこで助産婦が、皮膚と膣壁に鋏で切開を入れて、出口を広げる(会陰切開)。ところがこの鋏が切れない。切れない鋏で皮膚と膣壁をちぎられた母親は痛みに耐えられず、初めて「チュー、チュー(痛い、痛い)」と声を上げた。僕も見ていられず思わず目をそらした。
 その時だ。グーっと、横向きに頭が少し回転したと思うや、赤ん坊の濡れた青黒い体全体がスッポリと母親の両脚の間に現れた。母体と赤ん坊の間には青白いへその緒がだらりと垂れ下がる。助産婦は手早くへその緒にカンシを二つかけてその間を鋏で切った。急いで赤ん坊を寝かせて口の中をゴムの吸引器で吸い取ると、赤ちゃんがはじめて大きな声で泣きはじめた。この世に生まれ出でたものの雄たけびだ。
 助産婦は濡れた赤ちゃんの体をサロン(布)で拭き取り、体重を計り、残ったへその緒をもう一度赤ちゃんに近いところで消毒された紐で結び切り落とす。切った断面には消毒液を塗り、ガーゼで包む。ここまではきれいである。家に帰っておばあちゃんが余計なものを塗り込まなければ…。
さあ、もう少し、がんばって
さあ、出るよ。新しい世界に
 それから胎盤が残ったへその緒に導かれてゆっくりと出てくる。それから切開した出口の部分を縫合するのであるが、それがなんとも痛々しい。局所麻酔を使わないである。深く針をかけるから、痛みは分娩の痛みどころではない。分娩で一度も声を上げなかったお母さんが「チュー、チュー(痛い、痛い)」と泣く。
 後で、どうして局所麻酔を使わないの?と助産婦に訊いてみた。すると、学校でそう習ったからだという。麻酔をすると縫合が難しく、感染を起こすこともあるから麻酔しないほうがいいと習ったという。どうやら戦前のフランスの古い教科書で勉強した教官のせいらしい。
 保健所のスタッフたち、そして助産婦さんたちは夜も寝ないで淡々と分娩をこなしていく。安い給料と限られた設備の中で、本当によくやっていると感心する。一方、お母さんたちの清潔な分娩に対する感覚も確実に変わってきているようだ。ワクチンの接種率も高くなっている。お産婆さんが老齢化し、物価が高騰する中で、開業の助産婦に高額を支払うより、保健所のほうがいいと理解されてきているのも嬉しい。カンボジアの中のゆっくりとしたうれしい変化である。
 翌朝、まだうずくお腹を抱えながら若いお母さんたちは家族に支えられ、バイクの後ろに腰掛けて、でこぼこ道を村に帰っていく。家では苦行の「アンプルーン」が待っているのです。今度は村でお産婆さんの分娩をこの目で見てみたくなってしまった。ベテランのお産婆さんの技というのを一度見てみたい。僕の暇つぶしはまだまだ種が尽きないのである。
出ました。雄たけびを聞いてください


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