遠田耕平
カンボジア再婚事情 カンボジアは今が乾期のピーク。一年で一番暑い。4月のクメール正月に向かってさらに気温は上がる。そのピークを超えると待ちに待った雨が降り始め、いわゆる雨期に入る。雨期と言ってもカンボジアの雨期はそれほど雨が降らない。それでも、クメールの人たちは、雨が降る前のこのくそ暑い時期に結婚式をよくするのである。塗り壁のように厚い化粧がドロドロと解けて流れそうだ。 僕の手元に一通の招待状が届いた。送り主は小柄で童顔、漫画の「こまわり君」のような顔をした40歳近い僕のオフィスの秘書のピセスからである。僕は驚いた。というのも彼には、7歳の男の子がいる。少し不躾だとは思ったが、「え、結婚していたんじゃないの?奥さんはどうしたの?」ときいてみた。すると、照れくさそうに「実は結婚していたんです。7年前に。でも妻は子供を産むとすぐに、アメリカにいる親戚に会いに行くと言って失踪。アメリカに行き、それきり戻ってこなかったのです」と…。7年間彼は待ったが事実上離婚ということになったらしい。一人での子育てに疲れた彼は親戚の勧めで14歳年下の20代半ばの女性と結婚する。今度こそは…。 この類の話、カンボジアの僕の周りの知人に多い。以前の僕のオフィスのドライバーも4人の子供がいるのに奥さんが博打に熱中して金を使い込んで家出した。もう一人、以前僕の秘書をしていて、今は保健省のスタッフのナリンもそうだ。ナリンは僕の一番のカンボジア人の親友である。彼も4人子供がいる。やっぱり奥さんがギャンブルに手を出して、家出をし、失踪してしまった。彼は背も高く、なかなかの美男子であるが、やっぱり逃げられた。 ところが、最近突然結婚するという。相手は同じ保健省で働く美人とは言いがたい大柄の女性だ。彼女も再婚で、以前から男性問題のいろいろあった人らしい。僕らは大反対したのであるが、これだけは本人のことであるから仕方がない。その女性は、嫉妬深いというか、世話好きというか、いつも彼の携帯に電話をかけてくる。僕らは失礼とは知りつつ、彼女をジャングルのトラに、彼をネズミに例えて、「またタイガーから電話だ!」と彼をからかうのである。でも、彼はニヤニヤしながらまんざらでもない。ナリンには嫉妬深いタイガーがいいのかもしれない。人の幸せはわからないものだ。 かあちゃんに逃げられた男はつらい。でも泣いちゃいけない。いいこともある。 ゴミの山の中で泣く人 カンボジアで唯一海岸のある観光地、シアヌークビルにやってきた。といってもビーチに遊びに来たわけではない。先週もお話した新生児破傷風に罹った子供をゴミの集積場の中に住む家族に見つけたのである。シアヌークビルは今プノンペン同様バブルである。新しいリゾートビーチがどんどんできている。ゴミもどんどん増える。ゴミは国道から少し外れた丘に投棄され小高い山になっている。そこでは積もったゴミが自然発火して煙が立ち上り、ハエの大群が飛び交い、鼻をつく異臭が立ち込める。このゴミの中に30家族が住んで鉄くずやビニールを拾い集めて生活をしているのである。 仕事柄、僕はスラムやゴミの山を歩くのは慣れているほうであるが、足を入れるとやはり立ち込める強い臭でしばらく頭がクラクラする。スラムは犯罪の温床だという人もいるが、多くの人たちは生きることが不器用で、優しい目をした真面目な人たちである。いろんな理由で家を失い、家族を抱え、必死で生きている。かっぱらいや盗みをするでもなく、乞食になるでもなく、リヤカーを引きながら売れるゴミを集めて、ぎりぎりに生活するこの人たちは僕には時に真面目すぎるほど真面目に見えてしまう。
傍にいたボロをまとったもう一人の母親が、一ヶ月前に自分の8歳になる子供がひどい下痢で死んだという。貧乏な家族は村長の一筆があれば病院でただで診て貰えると知って、頼みに行った。すると村長は、「お前の名前は村の名簿にないから帰れ。」と断ったという。病院の医者に直接頼み込むと、「金が払えないなら診れない。」と追い返された。目の前で子供が死んだ。この母親は息を引き取る子供をどんな想いで見つめたのだろう。 僕はゴミの山から立ち上る煙と鼻をつく臭いで涙目になっていたのだが、突然胸がグッと詰まったと思ったら本当の熱い涙が出て来た。「煙のせいで目が痛いよ。」とごまかしながら、タオルでぬぐった。実は無性に腹が立って、どうしようもなく腹が立って、涙が溢れてきた。感情をうまくコントロールできない、いい年の自分が恥ずかしいが、これが僕だから仕方がない。この人たちを無視し、蔑視し、貧しくてお金がないというだけで、手を差し伸べなかった保健婦に、医者に、県に、国のスタッフに腹が立った。この国の人たちの手で、この国の一番弱い立場の人たちの命を救って欲しかった。 この国には国連や欧米や日本から政策に関するアドバイスが、レポートになって天井に届くほど積み上げられている。そこにはシステムを良くしなさい、貧しい人たちをサポートしなさいと、山のように書かれているが、絵に描いた餅だ。この国の人たちが自分たちの心でその問題を実感し、自分たちの力で手を差し伸べて初めてこの国の政策が動く。 陽が当たっている明るい場所から暗い場所は見えないものだ。ところが暗い場所に入ると明るい場所はもちろん、暗い場所もよく見えてくる。暗いところに長くいたこの国の人たちは実は暗いところがよく見えているはずだ。陽の当たらない暗い場所にいる人たちをしっかりと見て欲しい、と僕は医療の一線に関わる人たち、そして行政に携わる人たちに切に望む。 お金を多く払える人がいい医療を受けれられるのは当たり前だという。お金を払わない奴が悪いんだという。本当だろうか。日本でもお金の額で手術のやり方を変える外科医までいるというから本当かもしれない。治療方法もお金で変わってくるらしい。先端技術も大事だろうし、進んだ治療方法も必要だろう。医療費の問題や、経営の問題もあるだろう。でも、お金が払えないというだけで、ちゃんとした医療が受けられず、お金を払える人だけがより多く医療の恩恵を受けられるというはおかしくないだろうか?
医療は本来一人の命も粗末にしてはならない。一人一人の命の重さは同じだ。プノンペンでトヨタレクサスを乗り回す政治家のバカ息子の命も、ゴミの山で生まれ、休みなく働きながらひどい下痢で今死にそうな子供の命も、まったく同じなのである。医療は一人一人の命の重さを同じに診て、同じに大事にして、初めて理屈が合う。 泣いてたまるか、月光仮面 数日後、僕はプノンペンの中心にあるスラムにいた。ここは保健省の目の前である。しかも市の保健所と市立病院も目の前でもある。ところがここでも新生児破傷風で初めての子供を亡くした17歳の若い母親がいた。若い母親は妊産婦検診に何度も保健所に出向いたが、保健婦は破傷風予防のワクチンを勧めなかった。病院の医者もお金をちゃんと払えないスラムの貧乏人のお産は断った。結局スラムに住むお産婆さんに頼んで自宅で産んだ。4日目から赤ちゃんは痙攣を起こし死んだ。プノンペンの保健省と病院の前で、今も赤ちゃんが破傷風で亡くなる。なんとも口惜しい。
そして今日も本当に貧乏な家族に会った。家がない。お寺の軒先で雨露をしのいでいる。子供が7人いるが、2人は死んだ。その一人が新生児破傷風だった。お父さんが結核で市の病院に入院していたのでうまく家族を見つけることができた。お父さんはかき氷屋さんだったが、結核に罹り、一年前から仕事がない。帰り際に僕はポケットを探って10ドル紙幣をつかみ、子供たちがまとわりつくお母さんの手に握らせた。 僕はこんなことしかできないのかと、暗くなった。「こんなことがあってはいけません。腹が立ちます。」なんて涼しい顔で言っている僕はほんとうにバカじゃないだろうか。正義の味方の月光仮面のおじさんか鞍馬天狗のようなセリフを言うくせに、やれることはなんにもないじゃないか。 その時だ。ふと子供の頃に口ずさんだテレビの主題歌を思い出した。 「上を向いたらきりがない。 下を向いたらあとがない。 俺が泣いてもなんにも出ない。 空が泣いたら雨になる。 山が泣いたら川になる。 俺が泣いてもなんにも出ない。…」 あの寅さんの渥美清が主演したテレビドラマ「泣いてたまるか」の主題歌だ。ああ、本当に僕が泣いてもなんにも出ない。 でも、確かこの歌はこんなふうに続いた。 「意地が涙を、 泣いて、泣いて、 泣いてたまるかよー。…」 …泣いてたまるか。 |