んだんだ劇場2008年5月号 vol.113
遠田耕平

No82 アジアンマネーウェー

バブルのプノンペン
 カンボジアはまだまだ暑い。通いつけのプールの水が、緑色になった。暑さで藻が発生したのだ。泳いでいても一寸先がまったく見えない。夜は夜で、首筋から流れる汗で夜中に一度は目が覚める。喉がカラカラに渇いて、水をがぶがぶ飲んでからまた寝るのである。
 暑さで十分ぐったりしているのに、大家がさらにぐったりするような話を持ち込んできた。「家賃を50%上げます。嫌なら出て行ってちょうだい。」とニコニコしながら言ってきた。「そんな理不尽な事を言うなら出て行きますよ。」と、啖呵を切ったのであるが、適当な家が見つからない。噂には聞いていたがプノンペンはバブルである。僕の住んでいる地域はプノンペンの中心にありながら閑静な住宅地だった。ところが最近のバブル景気で土地の高騰が止まらない。突然2倍から3倍に家賃を上げる大家までいる。僕の親友で、プノンペンに10年も住んでいる日本人の家族も突然大家が「家を売ったから出ていってくれないか。」と言われた。契約の法整備もないようなものだから大変だ。土地の値段は5年前の10倍以上になり、東京の土地価格と変わらない。
 10階建ての高層のアパートもどんどん建ち始めた。韓国や中国、台湾のビジネスマンたちがどんどんやって来て、どんどん借り上げているらしい。竹の脚組みとレンガで危なっかしく積み上げていく工法を見ていると、カンボジアでは10階以上の建物は必ず崩壊すると信じている。だが、40階建てのビルを建てるという業者まで現れたから驚いた。広かったカンボジアの空が消えていく。
 借りる身は悲しい。言うなりである。強制立ち退きを強いられ、翌日から路頭に迷うスラムの人たちの気持ちがわかる。バブルの崩壊を待つか・・・。いずれ、適当な場所が見つからない僕らは言い値でしばらく居る事になりそうだ。途上国に住むのも楽ではない。

森林消失と森の人たち
 カンボジアの北東部、ラオスとベトナムと国境を接する辺境で森林地帯で有名なラタナキリ県。そこで新生児破傷風で亡くなった赤ちゃんが何件も村から報告された。早速行ってみることにした。数年前までは一泊しないと行けなかったのであるが、今は道路が良くなった。と言っても、9時間走って一日がかりでたどり着くのである。
 車がラタナキリに近づくにつれて、外の風景が以前とは違うのに気がついた。森林が突然途切れるのである。広大な空き地がいくつも現れる。大きな木はすでに持ち去られ、小さな木はブルドーザーで集められて火がつけられ、昼夜燃え続けている。目の前で消失している森林の広大さに驚くくらいであるから、空のずっと上の衛星から見たらさぞかしよくわかるだろうなと想像する。あるところでは地平線までゴムの苗木が植えられ、あるところではカシューナッツの苗木がどこまでも広がっている。みんな政府の利権に絡んだ個人の所有だいう。まだ何も植わっていない広大な空き地は、これから値段の上がるバイオエネルギーのビジネスで、大豆やトウモロコシ、ヤシ油の椰子のプランテーションになるのかもしれない。
森林消失
 山の中では今、山を崩し、大きな道路工事をしている。メコン川流域開発というアセアン諸国の共同事業で、「アジアンハイウェー」を造っているのだと言う。どこを結ぶかと思えば人気が一番少ないベトナムの中部高原地帯と、カンボジアとラオスの森林部を貫通してタイ北東部につなげると言う。「ははーーん、なるほどな。」と納得した。カンボジアとラオスの森林部のプランテーションの原材料を効率よくタイとベトナムに流すルートになるのである。金持ちは頭がいい。この道も衛星からは、さぞかしよく見えることだろう。
 カンボジアとラオスでは今、この道路用地の周りの土地の値段が高騰していると聞いた。商売にたけた一部の人は大いにはぶりがいいらしい。政府にコネのある金持ちはここを買い上げる。土地を売り渡してしまった森の人たちは一時のお金を手にしても地元で小作人になるか、都会に流れ込むかである。「みんな商売をやればいいんだ。」と言う人がいる。でも、森の人たちの多くはどう見ても商売が得意そうには見えないのである。
 森の村に住む少数民族のおじさんが話しをしてくれた。「昔は森の動物も一杯いてよかったけど、今はほとんどいないよ。」と言う。「それでも小さな田んぼが作れたらそれでいいんだ。もうすぐ雨が降る。」と空を見上げた。自分で森林を切り開いて、根を起こし、木を焼いて、土地を作る。でも、土地所有を証明するものは何も持っていない。ある日きれいな服を着た人がやって来て、「僕はあなたの友達です。もっと森を焼いて切り開いてください。」と、お金や道具を置いていく。森を一生懸命焼いていると、しばらくしてから、政府の役人という人が来て、「その土地の所有は政府の決まりできれいな服を着た人のものですよ。お金をもらって立ち退くか、小作人になるか決めてください。」と言う。おじさんはさらに深い森を探して移動する。何の文句も言わず・・・。
 まったく人間の欲というのはすごい。衛星からも見える森林消失の跡が「欲」という字に見えてしまうのは僕だけだろうか。僕の目の前にあるこの光景だけを見ても木が伐採された跡にそう書いてある様で僕は思わず自分の目をこすった。

森の村の新生児破傷風
 新生児破傷風の話はここで何度も紹介したが、お母さんのへその緒を切る時やその後の汚い処置で、へその緒の切り口からばい菌が入り、全身の痙攣を起こす感染症だ。多く赤ちゃんが生後一ヶ月以内に死んでしまう。この病気で亡くなったという赤ん坊が3人も同じ村から報告された。
初めての子供を亡くしたラオ族の若いお母さん
この炭の上でへその緒を切る
 保健所まで車で二時間、そこからボートで川を渡り、さらに一時間バイクにまたがって森の中の小径を走ってやっと森の中のその村にたどり着いた。村は少数民族のラオ族の人たちの村である。ラタナキリには15の少数民族がいると言われ、ラオ族はラオス語を話す人たちだ。
 もちろん僕を含めて保健省の仲間はラオ語を話せない。ラオ語がかなりわかると言う数少ない保健所のスタッフに通訳をしてもらう。17歳の若いお母さんが初めての子供を亡くした。この村ではへその緒は外で焚き火をした後に残る木の炭の上に置いて切るのである。他の二人のお母さんたちも同じようにへその緒を切ってもらったと言う。ラオ族の習慣らしい。
 お母さんたちはみんな破傷風のワクチンを受けていない。保健所のスタッフが毎月苦労して村までやってくるにもかかわらずである。みんな注射が怖いのである。ちゃんとお話をしてあげれば、お母さんたちもわかるだろうと思う。ところが保健所のスタッフがラオ語を話せない。保健所のスタッフにラオ族の人がいてくれたらどれほど助かるだろうか。でも、政府はクメール人の就職が優先でまだ少数民族の人たちを雇うまでの余裕がない。
 お産婆さんがこれまたお年寄りだ。保健所の助産婦とは会ったこともない。保健所の助産婦はお産婆さんと話したこともない。ここでも言葉が通じない。保健所の人が村の人と話そうとする気持ちがないことも問題だ。ラタナキリのほとんどがこんな村である。村のお産婆さんが大事である。この人たちと助産婦がちゃんとお話をしないというのは致命的だ。
 ラタナキリは「カシューナッツ(スバイチャンティー)」の産地である。村の中にはスバイチャンティーの木が実をつけて一杯に植わっている。木には甘い匂いを放つ赤と黄色の大きなピーマンのような果実がつく。その先っぽに種ができる。それがカシューナッツになるのだ。大きな果実がだんだん萎んでくると、先っぽの種は「まが玉」のような形をしていて、成長する。これを収穫して茹で、殻を取り、さらに加工して僕たちの口に入るカシューナッツになる。カンボジアには大きな加工工場がない。原材料は安く買い叩かれ、大きな麻袋に入れられ、全てベトナムとタイに向かうのである。そこで建設中のアジアンハイウェーが使われるわけだ。金持ちは頭がいい。

森のお産婆さん
 工事中のアジアンハイウェーの土ぼこりだらけの道路を走った。鼻の穴の中まで赤土の埃で赤くなる。すっかりプランテーションに変わった山を越えてもう一つの村にたどり着いた。ここは別の少数民族トムプーン族の村である。ここでも生まれたばかりの赤ちゃんが破傷風で亡くなっている。事情はラオ族の村と似ている。やっぱりクメール語が通じない。保健所の人も言葉がわからないので数少ないクメール語のわかる村人を探す。
カシュウーの木の果実とナッツ
森の長老、お産婆さん
 お産婆さんの話を聞いてみようと、訪ねた家から出てきたおばあちゃんにたまげた。上半身素っ裸、しなびたおっぱいをブラブラ揺さぶりながら、口には葉っぱで包んだタバコをくわえ、しかめっ面で現れた。75歳になると言うこのかくしゃくとしたおばあちゃんが、二つの村の子供たち全てを取り上げてきたと言う。

「誰から助産のやり方を教わったんですか?」と訊くと、
「神様がやって来て教えてくれたんじゃ。」という。
「あそこの家の生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなったの知っていますか?」と訊くと、
「知ってるわい。あの家は昔から一人生まれたら一人死ぬことになっているんじゃ。神様がそう決めておるんじゃ。」
「…。すごい…。」

 こんな森の村でも今、お産婆さんの世代交代が進んでいる。大先輩のお産婆さんから薫陶を受けた若いお産婆さんがいると言う。保健所の助産婦がどのようにその若いお産婆さんとコミュニケーションを取るかが大事なのである。
 年老いても彼らは村の人たちと一緒に好きなタバコをふかし、昼間から老人仲間と地酒を一杯やる。子供たちは森に流れる澄んだ川の水で戯れ、男たちは作付けの雨が降る日を待っている。何十年も何百年も祖先の人たちがしてきたように。そんなこの村の人たちが僕には決して不幸せには見えない。いや、なぜか幸せに見える。そしていろんなことを教えてくれる人たちに見えるのである。もし森の人たちが今プノンペンに行ったとして、都会のバブルで踊る人たちを見てどう思うだろうか?多分わからないだろう、なぜプノンペンの金持ちが踊っているのかが。誰も自分だけ得をしなさいとは村では教えていないのだろうから。
 「罰が当たるぞ。」と言うあのおばあちゃんの声が聞こえたような気がした。


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