んだんだ劇場2008年9月号 vol.117
遠田耕平

No86 子供らしい大人になる為に

夏休みボケ
  遊び過ぎた。完璧な休みボケである。日本で働いている人に怒られるが、たっぷり3週間の休暇をとって一時帰国したのにそれでも足りない。ながーい休みはグータラな僕には大事である。 
 車で秋田市にやっと辿り着くと思ったところで高速警察にスピード違反で捕まった。気分転換にと、スキー仲間と秋田市を見下ろす太平山に登ったら山蛭に刺された。その他は順調であった。自転車で田沢湖高原までの往復180kmを秋田の原風景の部落を抜け、山を越え、オンボロのマウンテンバイクで走りきった。大学のプールでも毎日泳いだ。ひとしきり泳いだ後、コースロープに寄りかかるのが楽しい。自分の影がプールの青い水底に映る。揺らぐ青い影からは小さな同心半円の波紋が次々に出てくる。同心円は放射状に広がって、水面に映る青い空と白い雲の陰影と混ざり合って消えていく。まるで僕の後ろから後光が差しているようでおかしいのである。水面を渡る風を頬に受けながら、コースロープに寄りかかって、満ち足りた時間が過ぎる。
 休みが終わりに近づいてきた。この時ばかりは夏休み明けの新学期に「学校に行きたくなーい。」と泣く子供の気持ちがよくわかる。「お友達に会えるから楽しいでーす。」なんて心にもないことを言うたわけた子供もいるが、好きなように時間を使い、好きな友達と、好きなように遊んでいる夏休みのほうが楽しいに決まっている。
秋田の原風景と僕のマウンテンバイク
ブナ林の太平山

大人の流儀
 それにしても学校のように決められたことをみんなと同じように、みんなと同じくらいにやるというのはまったく大変なことであるなーとこの歳になってつくづく思う。ましてや当事者である子供にあっては、どれほど大変であろうかと同情を禁じえない。
 子供の頃は好きな事と嫌いな事を体ではっきり感じている。なんで?どうして?という疑問も湧き水のように溢れてくる。それをはっきりと口に出して言う。ところが親はそれではまずいと思う。親は子供を大人にしてやるのが義務だと感じる。「大人の社会」の流儀を感情が泉のように溢れる子供に必死で教え込む。
 思えば子供には厳しい試練である。いったい親が子供の将来を困らないようにしてやることができるのだろうか、と思うと首を傾げてしまう。どうも人生というのは最後までわからない。言ってみれば、何がいいか何が悪いのかも今もってよくわからないのである。わからないから生きてみるようなものである。
 親の思う「大人の社会」で困らない術とは? 決められたことを守る。周りを見ながらみんなと同じようにやる。周りに迷惑をかけないようにする。それから競争が始まり、テストが一杯やってくる。頑張りなさい、負けてはいけないと言われる。人のことを思いやりなさいと言いながら、自分のことをしっかり考えなさいと言う。そのうち「落ちこぼれ」という言葉が周りから聞こえ始める。周りと必死で比べている自分がいる。落ちこぼれなかったと信じている人たちがピラミッドの頂点を作るのだとわかった頃には社会はこういうものだと自分で納得している。 
 「大変だろうけど、頑張りなさいね。」子供たちは大きくなるまでにいったい何回そんな大人の「頑張りなさい。」を聞くのだろう。子供たちは、「頑張ります。」と答える。多分、自分を育ててくれる大人をがっかりさせないために。


僕の子供の頃
 自分の子供の頃を思う。やはり小さい頃からどうもうまく立ち回る事ができなかったらしい。幼稚園を中退。理由を聞こうと思った頃に母親が死んでしまったので未だによくわからない。
 小学生の中ごろ、父親が家を出て、毎日家の中がめちゃめちゃだった頃、僕は朝起きると決まって激しい頭痛と吐き気に見舞われて学校に行けなくなった。自覚していなかったが、家が心配で自然に登校拒否になったらしい。その時の担任が「子供は風の子」だと信じている半ズボン少年が大好きの「日教組」バリバリのオバサンだった。その人がやっと学校に出てきた僕を「この子はずる休みよ。」とみんなの前で笑った。
 作文の時間に僕は、「もし、みんな学校に来ないことにしたら、授業はできなくなる。嫌な授業も出ないで済む。」というようなことを作文に書いた。要するに授業ボイコットである。担任はその作文を読み、目を点にして激怒し、みんなの前で僕を「こんな恥ずかしいことを書く子がいるのよ。」とののしった。不思議なことに、その教師に同調して僕をののしるクラスメートもいた。
 大人の社会はもう始まっていたのかもしれない。すぐに親が呼び出された。教師であった親はよほど恥ずかしかったらしいが、自分たちにも原因があることを知ってか、「恥ずかしいかったわ。」の一言で、別にひどくも咎めなかった。子供の気持ちを思う余裕もない毎日だったのだろう。 

孤独な競争
 「長男のアン太郎」なんて呼ばれるほどのんびりで、物分りも遅かった僕の競争は高校進学の頃からだった。それは周りとの競争というよりも、大人の社会への挑戦だった。大袈裟だが、僕の中ではそうだった。母子家庭で母親も僕も毎日が必死だったように記憶している。大黒柱の母親に何かあったら簡単に踏み潰されてしまう、社会の中では、そんな虫けらのようにちっぽけな母子家庭だった。
 3人兄弟の長男の自分がなんとかしなければと思った。大人の社会から潰されないように。そして僕が家族を守れるような何かに。そうやって無理やり頭のスイッチを切り替えたような気がする。そのせいで今でも、組織が力で押さえ込もうとするのを見たり感じたりすると猛烈に反発してしまう。小さなものが自分と重なる。生前母親はこんな僕の性格を見抜いて「じゃあんたが大きく偉くなりなさい。」といったものである。その母親も、よく上司と喧嘩をしていたらしい。どちらも大きくも偉くもなれなかった。
お腹一杯の山蛭
山頂のオニヤンマ、女房はこれを見て「あら、仮面ライダー」と言った。

忘れてきた自分探し
 それでも僕の家族を思っての競争は、それほど難しいことではなかった。家族を思えば我慢できたからだ。でも、何かを忘れてきた、そんな気が大学を出て「大人の社会」に出てから強くなる。苛立ちと過ちと混乱の連続がやってくる。ふと気がつくと、患者さんに向かってファミレスのマニュアルにあるような無味乾燥で意味のない言葉を口にしている自分に気がついた。
 こいつは自分らしくないなと思ったが、自分らしいというのがよくわからなくなっていた。それから自分探しが始まった気がする。結婚と子育て、多くの人たちに支えられた30台、40台を経て、50代になった今、やっと少し、これがあまり嘘のない自分かなと、ぼんやり見えてきた気もする。その程度である。
 一生が競争だと考える人には頂点があって、到達点があるらしい。でも僕にはない。人生の折り返し点から10年以上も来た今、どうやらそんなものはないらしいとはっきりわかる。それほどに不完全な自分であるわけで、人間という生き物自体もそんな不完全なものであると理解してきた。
 学生の人たちに「到達点なんてどこにもないぜ。」と話すとビックリした顔をする。「そんなもの、わからないほうが本当なんだ。目の前にいる50を過ぎたおっさんもやっぱりよく見えない。だから生きるしかないんだ。」というと、少しほっとした顔をする。あるといわれたものが見えず、自分だけが取り残されていると思う。不安でたまらない。怖い。でも実はあると言われたものはないし、本当の物はよく見えないである。大人はどうして言ってあげないのかな。「裸の王様」を見つめる民衆のように、大人は「見えないわ。」と言えないのである。
 もしかすると誰もが「大人の社会」に入ったといわれる頃からもう一つの旅が始まるのかもしれない。これは親が手を貸せない自分だけの旅である。競争や、社会的な地位やお金では測りきれないものがあると知る旅。外からは見えないところに実はたくさんの大事な話があると感じはじめる旅。教え込まれた「大人の社会」はどうやら人間の全てではなさそうだ思う頃、その社会が目を逸らし、見ないようにしているものの中に本当に見るべきものがあると感じる。そしてそれが自分にとって大事な人たちや事柄であるとわかりはじめる。そこに自分の残りの時間をどう使ったらいいのかというヒントがあるように僕は今思えている。 
 長ったらしく言ったが、つまり、夏休みが終わって、学校に行けないお子さんを見かけたら、責めないで欲しいというお話である。それはきっと自分なのだから。

カンボジアの繰り返される毎日
 それにしてもいつも休みから帰ってきて驚くのは、自分がいなくても物事はそれなりにちゃんと動いていているということである。「当たり前でしょ。」と言われそうだが、大人の社会はさすがである。
 カンボジアの保健省の仲間たちは、暖かく休みボケの僕を迎えてくれる。「よく休んだかい?」 なんて冗談交じりで言う。 国政選挙が終わって、保健省の内部もバタバタして、いろいろ忙しかったのだろう。予定していたことはそれほど進んでいないようだが、それでも毎日がそれなりに忙しそうだ。 僕がいなくても基本的に何も問題はないのである。人間の営みは基本的にそういうものであるらしい。自分が何かをしたと思うのは余程に勝手で傲慢な思い込みらしい。毎日が見事にちゃんと繰り返される。その事がとても大事である。 お手伝いさんも運転手さんも、愛犬も、事務所のスタッフも保健省のスタッフも、みんな変わらず元気でいた。これ以上に有難いことはないと何かに感謝し、手を合わせたくなるのである。「オックン(ありがとう)」 さて、次の休暇を楽しみにして、今日も大人の社会を子供らしくやっていこう。


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