んだんだ劇場2008年10月号 vol.118
遠田耕平

No87 コンディア!

シロアリ騒動
 「コンディア!」台所からお手伝いのリエップさんの大声が聞こえてきた。「コンディア?」 聞き慣れないカンボジア語である。 「まあ、いいや。」と無視しようと思ったら、大家のおばちゃんが血相を変えて飛び込んできた。
 「大変!シロアリがこの家の高価な台所セットをみんな食べているのよ。」そうか、コンディアはシロアリのことだったらしい。 そういえば随分前から台所の棚から変な臭いがしていたなと思い当たる。一部変形して、棚の扉がうまく開かないところもあったが、僕はてっきり安い材木のせいだろうと思っていた。どうやらシロアリのせいだったらしい。
 リエップさんが興奮する大家のおばちゃんと僕の間に入って複雑なカンボジア語を簡単なカンボジア語に通訳してくれた。その話によると、台所だけでなく一階部分の土台から天井までやられている。「シロアリ退治をするので、今すぐ、一ヶ月くらい家から出て行ってくれ。」というのである。
 「おいおい、ちょっと待ってよ。」と思わず日本語で絶句。 「一ヶ月って言われてもね。僕たちここで毎日生活しているんだし…。」大家はシロアリ退治ではなく、僕らを退治したいの? もっと金払いのいい外国人に貸そうという魂胆なの?と疑ってしまう。 両親の世話で数ヶ月間日本に帰って、しばらくぶりで戻った女房。カンボジアに戻るなり連日の停電、隣家の工事の凄まじい騒音、断水、熱帯の雨期のむっとする暑さと、たっぷりウンザリしていた女房であるが、シロアリ騒動はまさに必殺パンチである。むっとした顔がそのまま固まってしまった。
 こいつはまずいと、大家のおばちゃんと交渉。なんとか工事が始まる数日は家の二階に立てもこり、薬を撒く間の一週間くらいは近所のゲストハウスを探して移ることにした。さあ、それからが大変だー。業者が大挙乗り込んできて、家のタイル張りの床に何十個もの穴をぼんぼん開ける。その騒音と埃のすごいこと。(と女房が話す。僕は仕事場に逃げているのでわからない。)天井の板も剥がす。それから、薬を一斉に散布。それから開けた無数の穴を埋めて、表面を磨いて、元に戻すのである。
 ゲストハウス探しがまたひと苦労。
 「チカエ、ニュークネア、バーン テー?(犬も一緒に泊まってもいい?)」と訊くと、みんな首を横に振る。大らかなカンボジア人だから犬くらい数日一緒に泊めてくれるだろう思っていたが甘かった。幸いにも犬好きのタイ人の女性オーナーの小さなゲストハウスに辿り着き、数日泊めてもらえることになった。それでも、犬には災難である。家には不審者が入り込み、ドンドン、ガンガンやるし、吼えるなと部屋に閉じ込められ、さらにまた別な家に移され、もうフラフラ。家と犬の世話をする女房もフラフラ。たまりかねた女房は二晩だけ動物病院に預けた。これまた災難。病院に引き取りに行っても、またどこかに連れて行かれるのかと戦々恐々、憔悴しきって僕にべったりとくっついて離れない。トラウマか、お漏らしはするし、寝ながら「ウー、プー」と、うなされているし、なんとも哀れなのである。 
 一週間の放浪生活も終わり、まだ薬臭い家にやっと戻れることになったその日。くたくたに疲れ果てた女房が「マッサージしてもらおうか。」と珍しく提案した。僕は見知らぬ人に強く体を触られるのは大の苦手である。痛いというか、くすぐったいと言うか、かえって体に力が入って疲れてしまう。でも女房の気分転換に悪くないなと思い、同意した。それが間違いだった。細く見えたマッサージ屋のお姉さんはすごい握力の持ち主。僕の背中に馬乗りするや、肩も背中もバキバキ、ボキボキ、ゴリゴリとやりまくってくれた。
 「チュー、(痛い)、チョップ、(やめて!)、ギャー」
と叫びたい衝動を必死でこらえ、なんとか地獄のマッサージを終えた。隣の部屋の女房は気持ちよくマッサージされているのだろうと思い、ふらつく足元で部屋を出た。女房と目を合わせて噴き出した。彼女もなんと馬乗りされて、あの華奢な体をバラバラ寸前までバキバキ、ボキボキ、ゴリゴリやられ、目に涙を浮かべ、放心状態で僕の目の前に立っている。最後の必殺パンチを食らった不運な女房であった。 シロアリが殺られるかこっちが殺られるかの戦いは、フラフラしながら一件落着、一見…。

地味なお仕事
 シロアリが何千、何万と我が家を襲おうとも僕が家と女房を守って見せる。というのは真っ赤な嘘。必殺パンチを食らっている女房に申し訳ないと、両手を合わせつつ、ついつい、いつもの自分の仕事をしてしまう男のつまらぬ性である。 
 今回向かうのは実は村ではなく県と郡の病院である。病院といっても患者さんを診るわけではない。かび臭い病院の入院、退院簿を引っ張り出し、隅から隅まで見るのである。その帳簿から「脳炎、髄膜炎」の患者数を洗い出す仕事である。
 「お医者さんが、何でそんなことをするの?」と訊かれるかもしれない。まったくごもっとも。カンボジアの保健省では今、日本脳炎と細菌性髄膜炎のワクチンの導入を近い将来に睨んで、その病気の実態を調査している。病気の診断や報告システムの不備な途上国では病気の実態はわかりにくい。そこで実際に病院を回って治療された患者の数を数えるのである。
 日本脳炎はコダカアカイエカという蚊が媒介し、脳に深刻な障害を起こすウイルスの病気である。豚や渡り鳥との間で循環しているのだが、そこに人間が入り込んで、感染してしまう。感染すると2〜300人は無症状で終わるが、一人は激しい脳炎の症状を呈して10−20%が死亡、助かっても重い後遺症が残る。日本は1960年代まで年間1000人以上の患者数が報告されたが、1960年代後半にワクチンが開発され、日本での患者数は激減した。ところが中国、インドを含む広大なアジア地域ではワクチンが高価なため普及せず、今も多くの子供たちが毎年犠牲になっている。
 僕はあまりに高価なワクチンは、理屈の上でいくら子供の病気を予防できるからといっても借金だらけの途上国にはそぐわないと考えている。もしそのお金があれば優先すべき課題は他に一杯ある。高価なワクチンを勧める欧米の圧力と、その影にワクチン製造会社が見え隠れする。初めはただでくれてやると言いながらその後は借金地獄になってしまうのがわかっているのに、僕はいいですねとは言えない。僕は抵抗してきた。ところが最近安価で安全なワクチンができたのである。嬉しい話だ。 そうなると次には病気がどの年齢層に、どの地域にどの程度広がっているかを知る必要がある。
 「そんなこと知らなくていいだろ。ワクチンなんだからただやればいいだろ。」と乱暴なことを言う人もいるが、それを鵜呑みにするほどカンボジアの人は単純じゃない。「根拠なしに高価なワクチンを導入するほどカンボジア人はバカではありませんよ。」と欧米のグループに皮肉って見せたカンボジア責任者は痛快である。
 もう一つ、細菌のインフルエンザ菌による髄膜炎がある。乳児の細菌性髄膜炎の一番の原因で、肺炎の原因でもある。髄膜炎は高熱や嘔吐で発症し、激しい頭痛や意識障害から細菌が体内に広がる敗血症になって、治療が遅れると死亡する。日本はワクチンの導入が先進国の中で最も遅れている。最近、子供を亡くした母親を中心に市民運動が起こり、話題になっているワクチンでもある。 まだ高価なワクチンであるが、乳児によく効く優れたワクチンでもある。カンボジア政府は欧米の支援を受けて数年後の導入を表明した。カンボジア政府のワクチン予算は事実上3倍以上に跳ね上がる。外のお金の支援を受けるんだからいいだろう、と言うのが欧米の理屈である。僕はやっと政府が自力で定期接種のワクチンを購入できるようになってきた矢先に、また外に頼ることを奨励する欧米の支援のやり方に首を傾げる。傾け過ぎて首が疲れてしまう。 
 いい事が一つある。5つのワクチンが一つになったワクチン(ジフテリア、百日咳、破傷風、B型肝炎、インフルエンザ菌)なのである。これはいい。注射の数を増やさないで済む。こういう技術の進歩は大いに現場を助ける。ところが、この病気ももしかり、病気の実態がカンボジアではまったくわかっていない。それなのにWHOの本部は「実態はさておいて、早くワクチンを導入するように」という報告書を出したものだから欧米のグループは大いに勢いづいた。僕は「WHOも間違える事がある。これはWHOの間違いですね。」とはっきり言った。ここでもまた傾け過ぎた首が疲れてしまう。外の騒音はともあれ、カンボジアの人たちは冷静に何が自国の得になるかを見ているようだ。
病院の入退院簿の調査
入院時の「急性髄膜炎」や「ウイルス性感染」が、退院時には「疑い」や「髄膜炎」になっている。
 そんなわけで、新しいワクチンの導入に向けての病気の実態調査は大変である。いくつかの病院を指定して、疑わしい患者さんからの病原菌の検査もする。そこで大切なのが、いったい国全体としてはどのくらい患者さんいるのかということである。カンボジア保健省には一応髄膜炎の患者数の報告が毎年ある。ただこの数が本当に実態を反映しているかと言うと誰もが首を横に振る。つまり、病院に入院して登録されても、行政に報告されない髄膜炎の患者がいる。このギャップを見つけ出すのが今回の病院の入退院簿の調査の目的である。そして、全国では何%くらい見落とされているのかを推定する。さらには病院に来る前に亡くなってしまう子供たちもいるはずで、これも推定する。
 実は僕は、この入退院簿調べのプロである。ベトナム、バングラ、ミャンマー、ネパール、インド、インドネシアと過去10年以上も各地の病院を回り、入退院簿をめくったのである。それはポリオ(小児麻痺)の根絶を確認するための仕事だった。ポリオ疑いの患者を探し続ける地味な仕事である。それが、ポリオ根絶の確認の手法であり、この地味な仕事を3年間続けてWHOはポリオ根絶の裏づけにしたのである。これは科学でも何でもない。論証でもなく、ひたすら足で稼いだ事実の積み重ねである。
 今回は地方の20の病院を回る。小児科、内科、救急病棟の2006年と2007年の2年間分の入退院簿を見せてもらい、1月から12月までの記録を逐一辿って「脳炎、髄膜炎疑い」の診断名を探す。厄介なのは書かれている診断名が全てフランス語であることだ。ここの医学教育はフランス植民地時代のままで、未だにフランス語である。僕はフランス語がわからない。助かったことは、皮肉にも診断名の数が限られていて、下痢、肺炎、マラリア、デング熱、腸チフスなど、20程度しかない。そのフランス語を覚えてしまえばいい。ウーン、でもやっぱりフランス語は苦手。
 その次が患者さんのカルテ(患者記録)である。カルテを倉庫から引っ張り出し、その診断が正しそうかどうかを見る。これが大変。まずカルテがなかなか見つからない。日本もコンピュータを導入する以前はカルテは地下の倉庫にあって、カルテを探すのは大変だった。その次はそのカルテを読むことである。フランス語で書かれたドシエー(カルテ)が読めない。日本語ですら医者のへたくそな字を読むのは至難の業なのだから他の言語は言わずもがな。保健省の仲間に助けてもらいながらゆっくりなんとか読んではみるが…。
「ラ マラディー…ドゥジュール…、アメリオレ…(この病状は…2日間…改善…)ああ、読めねー。おい、ケスクセ?(これなーに?)、え?ケツクセー??(ケツ臭せー?)」僕のフランス語は…この程度です。
「トーダ、オチェ、ピアサ、バラン(トーダはフランス語を知らないんだな。)」とからかわれながら助けてもらう。
 検査もろくにできないカンボジアの地方病院では確定診断はなくて、症状だけによる臨床診断になってしまう。限られた情報、限られた治療薬、限られた医者、限られた給料。それでも今日もカンボジアの日常の診療は続いている。そして患者記録は予想以上にきちんと保存され、カンボジア人の几帳面さを物語る。カンボジアの臨床医療の実態はひどいという批判も多い。が、それでもこの国の臨床は全然ダメだと、軽々しく言う権利は僕ら外国人にはないだろうな、と、読めないカルテをめくりながら外国人の僕は思うのである。
倉庫に積まれたカルテ(患者記録)の山
水路を作って干上がるとマングローブが枯れ、広大な空き地になる

コッコンのマングローブ再び
 病院調査で、海岸線をタイに繋ぐ南の僻地の県コッコンを3年半ぶりで訪ねた。当時は8時間かかった悪路であったが、フェリーで渡った3つの川に今は橋が架かり、道路も舗装され、なんと4時間で辿り着くのであるから驚いた。
 もう一つ驚いたのはタイ国境近くの広大なマングローブの林が、水路が縦横無尽に掘られ、干上がり、枯れ木の山となっていたことだ。 この地域にはタイ資本が入り、土地の買収が進んでいるとは聞いていたが目の当たりにすると絶句する。 聞くところによる漁民たちが不動産業者に土地を売ってしまった結果だと言う。そのバブル経済も最近のタイの内政の乱れで頓挫しているらしい。それにしても死んだマングローブを見るのは悲しい。
海のそばの元気なマングローブの林
脚のように高く長く伸びたマングローブの根
 マングローブは海水と真水のぶつかる場所に生息する。潮の干満で水が上下する場所で根を高く水面から持ち上げ、長い脚のように無数に伸ばす。そこは、たくさんの魚や蟹たちが安全に卵を産み、大きく育つ天然の棲家なのである。3年半前に来た時、すでに一部のマングローブ林は伐採され、養殖場になったり、小さな蟹をタイへの輸出用に取り過ぎて漁民の生活が圧迫され始めていたと思い出した。
 予防接種の状況を知りたくて、海岸線に近い僻地の村に入った時だ。田んぼがなく、タロ芋やマンゴやバナナの木がまばらに植えてある程度の村。どうやって暮らしているのか不思議だった。訊くと、海まで降りていってマングローブの根元に籠を仕掛ければ十分暮らせる程度の蟹や魚が取れるんだと教えてくれた。
 生きているマングローブが見たい。僕の好奇心は抑えきれず、近くの川に泊めてあった小さなボートに乗せてと村の人に頼んだ。やさしい村の人はOK してくれたのであるが、なんと小さなボートに大人5人が乗ってしまった。揺れるたびに舟に入ってくる水をかき出しながらなんとか海の近くまで川を下った。
 驚いた。周囲は見渡す限り常緑のマングローブの林である。水面から立ち上がる無数の根がみえる。木の根元では魚が跳ねる。村の人はマングローブのお陰で魚を取れる。陸からでも網や籠を仕掛けられるから簡単なんだと教えてくれる。この村ではマングローブをみんなで守っている。植林もしていると言う。僕は嬉しくなった。 この次ぎ、この見渡す限りの元気なマングローブに会えるのはいつだろう。僕はマングローブに声をかけた。手を振ると本当に舟が転覆するので、心の中で「バイバイ、また会おう」


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