んだんだ劇場2008年12月号 vol.120
遠田耕平

No89 アプサラの美女と魚屋保健所

アプサラの美女たち
 義理の姉と姪っこがフラッとカンボジアにやってきた。日本の連休を使ってきたらしいが、2日半でカンボジアを思いっきり見てやろうという痩せっぽちで一見おっとりした姪っこの欲張りな意気込みで決まったらしい。韓国航空で夜遅くに着いた二人を、女房が独断と偏見で連れまわった。一日目は博物館、王宮、マッサージ、カンボジア料理、二日目はアンコールワットの日帰りツアーにカンボジア料理、最終日は、マッサージ、買い物とカンボジア料理…と、しっかりカンボジアを楽しんで、また深夜便で帰っていった。
 慌しい訪問とはいえ、隣家の工事の騒音、シロアリ騒動…とかなり煮詰まっていた女房にはいい気分転換になったようだ。遠い昔、女房と付き合い始めた頃、彼女を実家で見た最初の姿が、赤ちゃんをあやしている姿だった。その赤ん坊がこの姪っ子で、もうすぐ30歳になる。いつの間にかすっかり女っぽくなった姪っ子と、仲のいい元気な中年姉妹の3人女に僕もお付き合いした。
 観光が苦手な僕だが、今回のお付き合いでカンボジアの観光名所の再発見をいくつかした。その一つが国立博物館である。今までにも何度か見たはずなのにちゃんと見ていなかった。この博物館は面白い。展示物が何の隔たりもなくすぐそこにあるのだ。石像がごろごろとある。柵もガラスケースもなく、無造作にそして所狭しと置いてある。仏陀の石像の横には、お花を供えろと、花売りの婆さんたちまでいる。何でもありな所は、15年前からあまり変わらない。資金難で、設備が貧弱なのであるが、それが幸いしているのかもしれない。入り口を入るなり中央にドンと置いてあるのが、コッケーの遺跡から持ってきたガルーダの巨大な石造である。すごい重量感でそこにある。地雷処理が最近終わったコッケーの遺跡を偶然にも見てきた僕には感慨が深い。
 そして何よりも圧倒的に存在感を示すのがジャヤバルマン七世の石の坐像である。あぐらをかき、上半身を少し前に傾け、頭部を物思いにやや下を向けた姿の静かな存在感は息を呑む。目は閉じてあくまでも静かである。体の線の滑らかさと重量感はギリシャの彫刻にも似る感じがする。もう一つ楽しいことは、その姿を360度好きなだけどの方向からも鼻先で見る事ができることである。背中の滑らかな線をたどりながらふくよかなお腹の辺りまで視線をつなげると艶かしく、体のぬくもりさえ感じる。読者にはまたいつか写真をお見せしながらお話をしよう。
アプサラ(天女)
日本の3人女とアプサラたち
 アンコールワットはなんと日帰りコース。つまり朝の6時半の便で行って、夕方5時の便で戻る。正味6時間の超忙しいコース。それでも、見れるものだと感心した。3人女はなんと早足で歩きまくり、見事に見てまわった。最後のアンコールワット見下ろす丘に辿り着いたときは時間も迫っていたのだが、エアロビクスのように早足でズンズン駆け上がったのであるから、まわりの観光客も現地の人も風のように過ぎていく集団に驚いた。
 実は僕はこの3人女のペースにいつも出遅れた。体力で負けていることも事実であるが、別の3人女にはまった。アプサラ(天女)の彫像である。アンコールの遺跡群には何百、いや何千というアプサラが外壁、内壁のいたるところに掘り込まれている。上半身は裸で、乳房を露出し、長い髪を肩にかけ、手には水がめや花を抱き、顔は唇をやさしく結んで、微笑をたたえて立っている。一人で立っていることもあれば3人で腕を組みながら立っていることもある。気がついたのはその表情や立ち姿が全て一人一人違うということだ。掘り込まれた時代や作者によっても違ったのだろうが、実に個性豊かに見える。
 僕は思わずアプサラたちに向けてシャッターを切った。すると、建造物の陰になり、観光客の目には届かず、苔むしたり、一部が剥がれたりしながら佇んでいるアプサラが予想以上にたくさんあることに気づいた。1000年の時間を人目を避けるように静かに佇んでいるアプサラがたくさんあった。シャッターを向けるたびに横に結んだ唇の端に笑みをたたえる表情が僅かに緩むような錯覚に陥ったのである。どうか影に佇むアプサラにご注目あれ。
アプサラ 3人組
アプサラ

めざせ魚屋保健所
 少しお仕事のお話をしましょう。この紙面で何年か前に人気のない空っぽの保健所のお話をした事があったと思う。僕が5年前に来た頃、僕にはカンボジアの保健所のお仕事がどうしてもうまくいっているようには見えなかった。カンボジアの保健所は建物は立派だが、いつ行っても空っぽで暇そうな留守番のおっちゃんが一人いるだけ。お母さんも子供もやってこない。不思議に思って「みんなどこにいるの?」とそのおっちゃんに訊くと、5~10人いる職員はみんな村に行っているという。そいつはたいしたもんだと思ったのであるが、どうも実情は違うらしかった。
 村に行く理由は出張費稼ぎである。結核、マラリア、予防接種のどれでも、とにかく村に行けば金になる、保健所にいなければいいのである。月給が30ドル前後とあまりに安いので、出張費で稼いで何とか100ドル近くにして生計を立てているのである。その出張費を出すのは全て外の援助団体である。
 ここ一二年、公務員の給与の改善にあまりに消極的な政府に業を煮やした援助団体が、一部の地域にさまざまな名目で給与補填を始めた。政府がやるべきこと、そしてやれることを外国の団体がやるというのはよくないのであるが、保健所の職員にしてみれば助かる。給料が増えて、さぞかし仕事はうまく行くようになっただろうと思っていたら、ある会合で田舎の保健所の所長さんが「保健所に人が来れば来るほど保健所のお金のやりくりが大変になる。」と不満を漏らした。人が来てくれるようになって診療報酬が増えれば、保健所のやりくりは楽になるはずなのに、どうして?
 その保健所の所長さん曰く、職員がきちんと仕事時間中に保健所にいるようになると妊婦さんも含め患者さんが増える。診療報酬も増える。ところがそれ以上に薬の不足、水の不足、電気の不足、出産の部屋の不足、ガーゼや脱脂綿やガス代の不足等、不足ばかりだという。その都度、利益分を切り崩して、市場で薬を買い足し、水汲みポンプのガソリン代を払い、バッテリーの充電代を払う。全て持ち出しだという。さらに正職員でない、昔からいるいわゆる「幽霊職員」の給料もそこから捻出しないとならないから本当に大変だという。
 やればやるほどダメになるとは本当なのか。真面目に働く人ほどバカを見るのだろうか。僕は現場を見にいって確かめることにした。田舎のその保健所まで行って、スタッフたちに話を訊くと確かにやりくりが大変らしいことはわかった。ただ、ほかの事もいろいろ見えてきたのである。
 外の援助を受けた保健所は正職員の給与が3−4倍も増えて150ドル近くもらえるようになった。これはいいことだと思うが、保健所の運営経費は政府からも援助団体からも出てこない。儲け分を運営経費に当てられるかと思ったが、出費が増え、さらに幽霊職員の給与にも当てるからとても足りない。足りないからといっても、自分のがもらった給与を分ける気にもならない。こいつは政府が悪い、仕組みが悪いとまた言い続ける。それなら、いっそのこと安給料でも保健所で数時間いい加減な仕事をして、あとは今まで通り別なアルバイトをしているほうがよっぽどお金になると。
 自分の増えた分の給与は一銭も出したくない、自分だけのものにしたいという気持ちは自然な人の心の動きだ。僕も職員ならそう思うだろう。でも、もし保健所の所長だとしたらどう考えるだろうか。増えた給与の一部でもうまくプールして、少しでもスタッフが納得するように分配し、さらに運営費を捻出できるように考えるかもしれない。「お前は現実を知らない、そんなお人好しはいない。」と言われそうだ。「誰もが自分のことだけで精一杯なんだ。」と。それはわかる。でも自分のことで精一杯というだけで、仕事はうまくいくのだろうか。どうも先進国も途上国すらも自分のことで精一杯という人が多すぎるように感じる。お金と効率に走れば必ずそうなる。他人のために何かをすることは効率が低いことになるからだ。でもへそ曲がりの僕は思う。自分の事が多少おぼつかなくても、他人のことをやれる人の方が本当はまともじゃないだろうかと。
 僕は給料の増えたいくつかの保健所を見て、村のお産婆さんが減ってくる中、保健所の役割が次第に村の人たちに理解されてきていることを実感した。これはいいことであるが、保健所の本当の努力というわけではない。保健所のスタッフがかなりの割合で保健所にいるようになったその裏では、村に行っても出張費が援助団体の都合で出なくなったことも一因にある。村の人とのミーティングもお金がつくときだけにやる。どうも保健所の主体性がない。
 政府のポリシーが弱いと言えばそれまでだが、保健所の第一線の医療を担う人としての誇りやポリシーが見えてこない。県や郡の衛生部の緩みきった体制を正すのは保健省の大きな仕事だ、県や郡が、率先して保健所を支えるようになるよう国の行政が導かないとならない。ただ、最前線の保健所、その一番の苦労をしている保健所の所長がなぜ一丸となって声を出さないのか。僕は大いに不満である。その理由は、僕には彼らの無力感、自信の喪失、誇りの欠如だと思えるのである。
 保健所の中を見渡すと、実はお金を使わないでも改善できることがまだまだあることに気が付く。圧力釜の消毒機材がありながら、未だにお湯をかけるだけの不衛生な出産機材の消毒しかしない。それで平気でお産を介助する。所長が消毒の意味を知らないのである。器具が足りないと思ったら、器具や機材を自分の家に持っていってしまうスタッフがいる。所長は見てみぬフリをする。妊産婦検診でお母さんが保健所に来ても、何も話さず、予防接種を含めた保健所のサービスを教えてあげない。肝炎ワクチンの接種の為に新生児を連れてやっとお母さんが来ても、接種に最適な一日を過ぎたからダメだと追い返してしまうスタッフまでいる。所長はスタッフの対応を見ていない。村に行くのは接種目標が下回りそうだと思ったときだけで、村長とも保健ボランティアとも一切話し合わない。所長のやる気がない。
 保健所で仕事をするようになったという意味が、単に出張しなくても給与補填があるし、出張費が出なくなったから、保健所にいるだけだとしたら。これは怠慢の裏返しである。
悩める保健所の所長(右)と若い助産師(中)、保健省の責任者のスーン先生も実態を見にやって来てくれた。(左)
埃をかぶった消毒用の圧力釜(中国製)
 僕はよく保健所を魚屋さんや八百屋さんに重ねて想像してみるのである。子供の頃、嫌だったが、買い物籠を下げてよく行かされた目黒の不動尊の商店街にあった魚屋さん。いつも大きな声で人を呼び込んで、いつも主婦が黒山の人だかりだった。繁盛している魚屋さんのように、活きのいい魚があって、安くてサービスがよくて、活気があって楽しくて、いろんな人とコミュニケーションもできるそんな保健所? 清潔で、家まで配達するし、安売りのチラシも配る。いつも買ってくれる人の気持ちになれる、そんな「魚屋保健所?」を僕は想像してしまうのである。
 僕が保健所長なら、外に出て「へーい、いらっしゃーい。」なんて呼び込みをやりたくなる。「今日は目玉のサービスがありますよ。」なんて、「今日は、無料診療の日ですよ。」なんて。そんな日を作ってもいいんじゃないかな。
 保健省の仲間に保健所のスタッフたちを魚屋さんに弟子入りさせると言ったらやっぱり怒るだろうか。でも、スタッフの中にはアルバイトで薬屋や商売をやっている連中もいるのだから、本業の保健所でもっと派手に楽しく、誇りを持ってやってくれてもいい。僕の保健所を見てまわる旅は続く。


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