んだんだ劇場2008年5月号 vol.113

No24− ソコにある危機−

ゆっくり歩き続けます
 年度末のあわただしさから一転、静かな1週間でした。
 仕事もヒマ、来客もなく、電話も少ない、この時期でなければ考えられない一年の谷間のような時期ですね。
 30日(日)の稲倉岳(1554メートル)雪上登山で、5時間登りっぱなしなのに頂上はまだ先、という得がたい体験をしてきました。その附録(疲労)なのか右ひざが猛烈に痛みだし、この1週間、外に出ることもなく、おとなしく自宅と事務所の往復で過ぎてしまいました。
 これを書いている今も右ひざがジンジン悲鳴をあげ、これから近所の整骨院に行ってマッサージしてもらいます。打撲や捻挫といった原因のある痛みではなく、過度の疲労が局部に集中してしまった痛みなので、全身マッサージで身体のゆがみや疲労をとるのが効果的、と整骨院のTさんに言われました。

 さて、なにもかもが新しく生まれ変わる4月です。山のほうも雪を卒業、春の花山行になります。それはそれでうれしいのですが、今年の冬、雪山の楽しさをはじめて知ったせいもあり、花よりも雪、というのが今の正直な気持です。雪との相性がいいのかもしれませんね。
 新年度になったからといって、仕事のほうは何か目新しくなることはありません。もう30数年やってきたことが、粛々と繰り返されるだけなのですが、出版界そのものは、大きな岐路にさしかかっているのは間違いないようです。
 大きな岐路というのは言葉のあやではなく、文字通り、活字の存亡や流通、印刷までもふくめた、革命的な「危機」のことです。この数年の試行錯誤で未来の活字産業の形が決まっていくという重要な時期にさしかかっているような気がします。まあ、満身創痍になろうとも路地裏を止まることなく、ゆっくりですが1歩1歩、歩き続けたいと思っています。
後ろに見えるのが鳥海山・稲倉岳で
近所(といっても御野場)にできたログハウスの日本蕎麦屋です。なんかヘンだけど美味しい
市内で一番高いビルの青空・都会っぽいイメージで


右ひざ・アーカイブ・本屋大賞
ぶつけたり、ねじったりしたわけでもないのに、寝て起きたら右ひざが痛み出した。4日前に雪の稲倉岳(秋田側からは冬しか登れない)を5時間も登り続けたので、その筋肉疲労だろう(それにしては4日後というのが腑に落ちないが)とタカをくくっていたが、痛みは止むどころか日を追って激しくなり、10日以上経ついまも、猛烈に痛い。そのおかげで今週はどこにも出かけず、ずっと事務所に閉じこもっていた。調べものをしたり、来客の応対をしたり、原稿を書いたり、ゲラのチェックをしたり、いつも繰り返していることをやっただけだが、一昔前に比べて一日にこなせる仕事量が半分くらいに減っていることに気がつき愕然。さらに根詰めて仕事をすると午後の五時前にヘトヘトになってしまう。以前なら二日あれば決着をつけられた仕事が4日以上かかってしまうのだから衰えは否定しようがない。
出版業界も激しく動き続けているようだ。驚いたのは雑誌『広告批評』が40周年を迎えたのを期に、廃刊だそうだ。いい読者ではなかったのだが、編集長が秋田出身の島森路子さんだったこともあり、気になる雑誌ではあった。経営的に破綻したわけではなさそうなので、役割を果たしたので消えていく、ということなのだろう。これは「時代」を感じてしまうなあ。
もうひとつ気になるのは、国の知的財産戦略本部で検討されている「国会図書館のアーカイブ化」。国会図書館に納本された出版物をデジタル写真にとって保存し、提供しようというものだが、これはちょっと驚きましたね。私たちのつくる小部数の本は図書館がある程度購入してくれることを前提に出版されている。それがこのシステムが成立すれば、ほとんど図書館での購入が見込めなくなる可能性がある。だから、あんまり認めたくないシステムではあるが、これが時代の流れ、といわれると、う〜んと考えこんでしまう。まあ、現段階ではいろんな問題が山積しているので、これから議論になっていくことだろうが、無関心ではいられない話題だ。
いまや直木賞よりも注目度が高く、書店の売れ行きもいい、といわれている「本屋さん大賞」、今回の受賞作は伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』に決まった。たまたまだが、伊坂の本と同時に、今年の大宅賞をとった城戸久枝著『あの戦争から遠く離れて』も買って読んでいた。自分の買った本が賞に選ばれると悪い気はしないが、伊坂の本はルンルン気分で楽しく読了したわけではない。正直言ってあまり意味がよくわからず、よく最後まで読み通せた、とおもったほどである。前作の『アヒルと鴨のコインロッカー』も実は題名の意味すらわからず読了した。同名の映画を観て「あれ、こんな面白いストーリだったんだ」と感心する始末で、いわば見栄で読了したようなもの。たぶん『ゴールデン〜』も面白いストーリーなのだろうが、寝る前に読む読書の集中力が散漫になっている結果である。さらに老いて理解力が確実に衰えているのも間違いない。 悲しいけれど、現実だからしょうがない。


半生紀ぶりに観た「十六羅漢」は……
 酒粕の匂いが町全体にただよう県南部の穀倉地帯に育ったので、海をはじめて見たのは小学5年生になってからだ。
 中学生になっても海を見た事ないのはかわいそう、という理由なのか、小学校では「希望者」を募って社会見学の名目で、にかほ市(小砂川)に1泊2日の研修バス旅行を企画、それに参加した。裕福な家庭でなかったのに旅行に行けたのは、「海を見せてやりたい」という親心からだったのだろうか。
 このときの旅行のディテールはもちろんほとんど覚えていない。が、印象的な一枚の写真が残っている。何人もの人間の顔が彫られている岩場を背景に海辺で遊んでいるものだ。
 この写真のインパクトが強く、同じ場所にもう一度行ってみたい、と実は社会人になってから30年以上も思い続けていた。いくら同じ秋田県内といっても、そのチャンスはなかなかないのが実情だ。
 だから、このあたりを通り過ぎるたび、「今回もダメか」とため息が漏れていたのだが、先日(12日)、ようやく「夢」が実現した。場所はてっきり小砂川と信じていたのだが山形県遊佐町。いちおう観光名所になっている「十六羅漢」という場所だった。そうか山形県側の名所だったために情報量も少なかったわけだ。当時はたぶん小砂川の海水浴場で遊び、そこからこの観光スポットに足を伸ばしたのだろう。
 おそるおそる、というかドキドキしながら十六羅漢像のある岩場に下りた。が、いくら探しても羅漢像らしきものがみあたらない。あまりに小さくて見逃していたが最初は場所を間違えた、と思ったほどだ。
 子どものころの印象とはまるで違って、「小さく、汚い」ことに、少々落胆した。
 写真と同じ場所に立って見上げても、今ひとつ実感がわかない。まあ50年近くも前のことだから、勝手なイメージが膨らみすぎてしまっているのだろう。でも、これで「あそこに行かなくちゃ」という脅迫観念から、ようやく解放された気分である。
ここが遊佐町の十六羅漢の海辺
こんな岩場です
いつもみている酒田の町並みと鳥海山


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