鳥海山のふもとで……
私の親族のなかでは異質のキャラクターをもっていた旧六郷町のAさんが亡くなった。82歳。弟の仲人でもあり、うちの著者でもあった。冷静で、穏やかで、学者肌の知的な、親戚のなかでも尊敬のできる文化人のひとりだった。2ヶ月前に「入退院を繰り返したが小康状態にあり、でも頼まれている原稿は書けそうもない」といった内容の手紙をもらったばかりだった。だから、こんなに早い訃報を聞くとは思ってもみなかったので驚いた。喪主であるご長男にもはじめてお会いした。父親のいい血を受け継いだようで、ある有名大学の大学教授になっておられた。
Aさんの葬儀から1週間後、今度はにかほ市に住むKさんの奥さんから、「夫が脳梗塞で亡くなった」と言う電話。そのあまりにあっけない言い方に「えっ!?」と何度も聞き返してしまったほど。Kさんはまだ62歳。健康に絶大な自信を持ち、森林伐採の力仕事を先頭に立って監督する人だった。彼もうちの著者で5冊ほどの著作がある。ほかにも何冊かペンネームやゴーストライターとしての著作もあるから、わが舎の功労者である。独身時代は秋田に拠点を置きながら、沖縄・鳩間島や長崎の五島列島に住んで漁師をしたりで、放浪癖のある人だった。彼に原稿依頼をするという名目で、そうした南の島々を訪ね歩いたのも懐かしい思い出だ。20年ほど前から鳥海山のふもとで自給自足の生活を始めた。そこにキャンプ(遠足です)に出かけたわが舎の社員G子さんと結婚、3人の娘さんをもうけた。ここ数年は音信不通だったのだが、唐突の訃報に、うろたえてしまった。
鳥海山のふもとに居を構えたKさんが倒れてから亡くなるまでの2日間、私も偶然にその鳥海山にいた。4合目の大清水小屋登山口を出発し、8合目の唐獅子平避難小屋で1泊した。小屋に着いてから食欲がなく寒気までするので早めに寝袋にもぐりこんだ。昔、ペルーのマチュピチュに行くためクスコに2日間投宿した時、突然何の前触れもなく食欲がなくなったときのことを思い出した。あれと同じ症状……高度障害だ。朝になると気分はよくなっていた。天気予報は大荒れの風雨だったが、朝方、奇跡のように晴れ渡り、きれいなご来光が拝めた。七高山目指して登りはじめたら、とたんに天候は崩れ出しガスがかかった。風がひどく前に進めなくなり、山頂200メートルを前に引き返してきた。この山行の間に、同じ鳥海山で、予想だにしなかった友人のドラマが進行していたわけだ。合掌。
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