んだんだ劇場2008年8月号 vol.116

No27− 登ったり、落ち込んだり、伸ばしたり−

梅雨・原稿・ストレッチ
 梅雨といっても、「雨が降る日々」という雰囲気ではなくなりましたね。なんとなく雨が多いかな、と言うぐらいの感じでしょうか。
 6月もあっという間に終わってしまいました。山は「高松岳」、地震で中止になった「焼石岳」にかわって一人で登った「太平山」、「岩手山」は不動平小屋泊まりで3山。
 本は新刊が1点、増刷が2点ほど。最近この増刷が増えて困っています。新刊が予想以上に売れて増刷するわけではなく、10年以上前につくった本の在庫がなくなり、注文が途切れずあるため「やむなく」、というケースがほとんどです。これでは採算がまったく取れません。でも版元の責任ですので、版を切らすわけにはいきません。むずかしいところです。
 持ち込まれる原稿も多くなりました。なかには素晴らしいものもあるのですが、10本中9本は「ボツ」。大手自費出版社の倒産の余波もあるのでしょうが、行き場のなくなった原稿が回りまわって小舎にたどり着くケースもあるようです。どんな宝物が埋まっているかもしれないので、編集者の性で目を通してしまいます。それでなくとも6月は来客や友人たちと外で飲む機会が多く内臓がくたびれているのですが、とにかく目がクタクタに疲れました。7月以降に出す本もなぜかブログものが多く、プリントアウトした膨大な原稿を読み続けたせいもあるようです。身体の中で一番早く老化現象があらわれるのは、小生の場合、まちがいなく「眼」でしょうな。
 忙しい、というのはありがたいことですね。これはもちろん景気がいい、というニュアンスとは違うのですが、とりあえずは目の前の仕事を手一杯かたづけながら前に進んでいる、と思えるのは幸せです。何もやることがなくてボーっとするだけの日々というのも、今年前半には何日かあったのですが5月以降はほとんどありません。7月は5点近い新刊が出る予定です。新聞広告掲載も4社(魁・山新・東奥・北海道新聞など)、山は4つほど計画しています。
 調子に乗って疲れを残さないよう、細心の注意を払っています。毎日入念なストレッチをしているのですが、これはお勧めです。疲労回復が早いし、特上の栄養ドリンクを飲んでいるような感じです。登山中やその後に、疲労による足の痙攣に悩まされていたのですが、ストレッチ効果でいまはまったくゼロ。いやストレッチはすごい。
太平山山頂で
払田の柵をじっくり散歩してきました
岩手山は素晴らしい山でした


バクとした不安・新聞広告・山歩き小説
 なんとなく、人並みに、「将来のバクとした不安」を抱えて、先週はずっと落ち込んでいた。柄にもなく……。
 突然、ネガティブな考えにとらわれてしまった原因は、ここ10日間で秋田県内の書店廃業が3軒も連続したことに、ある。書店がつぶれること自体はニュースにすらならないのだが、こうも矢継ぎ早に身辺から書店が消えていくと、やはりいろんなことを考えてしまう。書店が消えても出版社は存続可能なのだろうか。
 そのことと連動しているのだが、秋田や青森、山形や北海道の地元紙の1面に大きな広告を打つ準備をしている。しかしこの新聞広告も10年前に比べれば、もうほとんどといっていいほど広告効果は、ない。以前であれば1面全3段の新聞特等席スペースは書籍広告だけの定位置で、それなりに値段は高くても絶大な効果が期待できた。今は秋田の地元紙ですら掲載日に2,3の電話と翌日ハガキで2,3人から直接注文が入る程度である。もちろん書籍内容の責任もあるのだが、新聞の権威はほとんど失墜(というか低下)してると言っても過言ではないだろう。せめて広告代を半額にすべき時期にきているのでは。しばらく新聞広告出稿はペンディングしようか、と思っている。このへんも落ち込む原因になっているなァ。
 救いは飛び切り感動的な本を読んだこと、かな。南木佳士『草すべり』(文藝春秋)は、山歩き小説とでもいうべきもので4本の短編からなっている。表題作「草すべり」は、高校の同級生だった女性から手紙が届き、40年ぶりに再会、浅間山に登る、というだけの話だが、山を歩きながら、少しずつ互いの人生の断片がいぶりだされ浮上してくる仕掛けが凝らされている。人生の復路でしかわからない、過ぎ行く時をいとおしく、哀切をもって切り取った傑作だと思う。「旧盆」は、北欧製のバーべキューセットを買って、今は誰も住んでいない浅間山の見える実家の庭で、肉を焼き、ビールを飲む、それだけの話だ。「バカ尾根」は、山であった不思議なオバサンと、病院の上司だった「上医」の思い出を交錯させながら、山ではじめて飲んだ燗酒の酔いのなかで語られる。「穂高山」は、涸沢カールで会ったガンに侵された高校教師との会話がメーンだ。表題作がやはり一頭地を抜いている印象で、久しぶりに何度も読み返したくなる小説を読んだ満足感に浸っている。


体調不良・飛島の森・カモメの話
この一週間、かなり体調が悪かった。疲れとか食当たりとか、夏バテとか飲みすぎとか、いろんな「要因」を考えてみたのだが(原因を考えるのが好きなのだ)、わからない。
 ショックだったのは楽しみにしている週末の山歩き(鳥海山・笙ヶ岳)に出かける車の中で気分が悪くなったこと。その不快感は山頂付近まで続き、やめるべきだったかなあ、と後悔が先にたった。下山時にはだいぶ気分がよくなったが、原因はわからない。数日後、今度は朝の起きぬけに吐き気。こんな経験もこれまでになかったことで、なにやら身体の中で不吉なことが起きているような……。よくよく考えてみたら、この症状は25年も前、十二指腸潰瘍で入院した時とそっくり同じ。そうか、潰瘍かも……。
 この半年あまり、やっかいな親族の問題で胃がキリキリする思いをしてきた。それに誘発され、仕事への情熱が失せたり、将来の不安といった ところまで悩みは被さってきてストレスの戦場のような精神状態になっていたのは事実だ。
 これが原因だったのか。原因がわかるといくぶん楽になった。楽にはなったが、胃カメラを飲むのはイヤだなあ。
 笙ヶ岳に登った後、ひとり別行動で酒田泊。翌朝早く飛島に渡った。海の飛島ばかりが観光的に喧伝されるが、飛島の森はけっこう奥深い。半日、海とは関係なく柏木山(57メートル)に登り、小物忌神社を訪ね、巨木の森を散策、島を2時間半かけて南北にゆっくり横断してきた。船には多くの観光客が乗っていたが、森の中では誰とも会わなかった。飛島の森はまちがいなく穴場。こんなに森が深いとは思わず油断して飲料水を持っていくのを忘れ、船着場にもどってきたらヘロヘロになったが、コンビニは無論、お店がほとんどないのもこの島の魅力だ。ふだん飲まないビールと飛魚で出汁をとったラーメンの昼食にも大満足。これで宿に帰って新鮮な魚で一杯やりたいところだが、そうも行かず最終便(2便しかない)で帰ってきた。
 その飛島の船着場で、ターミナルの床を掃除しているオバさんと親しくなり、話していたら面白い話を聞かせてくれた。あの宮城・岩手内陸地震の直後から、カモメの糞が急に粘っこくなって、洗っても落ちなくなった、というのだ。糞の量もいきなり増え、「地震を予知して、カモメの体調がヘンになったせいでは」とオバさんは言う。その粘っこくて大量の糞の異常現象は約一週間続き、今はピタリともとにもどったそうだ。このオバさんは船着場ターミナル掃除歴6年で「こんなことは初めて」だそうだ。う〜ん、面白い話だなあ。
笙ヶ岳はニッコウキスゲ繚乱
飛島の森の中は廃車がゴロゴロ
飛島名物トビウオ出汁のラーメン


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