んだんだ劇場2008年11月号 vol.119

No30− 勝負本−

週末雑感
連日の好天続きで、本当に大丈夫なの、と空に向かってつぶやきたくなる。秋田の秋って、いつもこんなに晴れ渡っていたっけ。久しぶりに東京に行ったら、逆にけっこう寒かったりして、どうなっているの。

都内を歩いている人たちがいやにゆっくりなので、息子に「東京も不景気のせいかセカセカしなくなったね」と振ったら、「今日は日曜日だから」と言われてしまった。東京では生まれてはじめて九州居酒屋で「もつ鍋」を食べた。だし汁でもつとキャベツを煮てポン酢で食べるものだが、うまかった。

杉江由次著「『本の雑誌』炎の営業日誌」という本が10月10日に出る。日本全国の書店から予約注文のファックスがはいってくる。秋田や東北の本を中心に出版してきた田舎出版社にはめったにない珍しい現象だが、本の内容がいわば全国の書店員たちへのオマージュでありリスペクトなので、そのことに書店員たちも反応してくれているのだろう。うれしいし、ありがたい。

出版パーティーという「慣習」はすっかり影を潜めてしまった。先週行われた「秋田おそがけ新聞」の出版パーティーは、本当に久しぶりの出版パーティーだった。著者が妄想家を自認する「変人」だけに、超ユニークなパーティーで、いつもは主催者なので楽しむことは二の次だったのだが、笑いっぱなしの楽しい一夜だった。さすがに出席者もヘンな人が多く、いろんな人と知り合いになることができた。後は本が売れてくれるのを祈るだけ。

それにしても最近は30代や40代の活きのいい若い人たちと知り合う機会が増えた。いいことだ。彼らからエネルギーをもらい、すこしでもこちらの枯渇を糊塗したい、という切ない願望もある。平均年齢の高いうちの事務所に、こうした若い人たちが自由に出入りし、議論し、企画提案し、イキのいい情報をもたらしてくれれば、もう10年は無明舎も生き延びれるのでは、などと都合いいことを考えてしまった。


なんとなく大きな山は越えられそう……です
もう1週間が過ぎたのか。早いのか、遅いのか、さっぱりわからない。
1週間前、紅葉真っ盛りの秋田駒ケ岳―乳頭山の縦走をした。約7時間の山歩きで、「もっと歩き続けていたい」と思うほど楽しかった。それがわずか1週間前の出来事なのに、もう遠い過去のことのように感じている自分がいる。

遊びはともかく、一日でこなせる仕事の量が、はっきりと減少している。10年前だったら半日でできたことが2日はたっぷりかかる。そのぶん仕事は丁寧になってはいるのだが、時間がかかりすぎはまちがいない。これは改善できるような問題ではないので、現実として認めていくしかない問題なのだろう。

今週末に「『本の雑誌』炎の営業日誌」(杉江由次著)ができてきて、どうにか大きな山はこえた感じ。もうひとつ塩野米松さんの長編小説『ふたつの川』が残っているが、これも山はこえて月末までには刊行できる予定だ。どちらも編集段階から入れ込んで製作してきたものなので、ここが終われば少しは気を抜いて、フラフラ遊びにいけるかも。

11月は今のところ、全国登山口情報会『東北登山口情報500』と深野捻生『栗駒山紀行』の大冊2本と、これもけっこう大部な大坂高昭『日めくり秋田歳時記』の出版を予定している。いずれもA5判やB5の大きな本でページ数も400ページ前後、値段もけっこうする。いろんなタイプの本を出しながら、これからの時代に対応できる本造りを模索しているところです。

そんなわけで中旬から大きな山を抜け、少し余裕ができる予定なので、山歩きだけでなく、知らない街をフラフラしたり、お世話になっている人といっぱいやったり、ひさしぶりに東京にも出てみたいと思っています。


タイトル(書名)には苦労してます
10月に出る(出た)本は力作ぞろいだ。編集者であるこちらもついつい力が入り、書名(タイトル)に並々ならぬ時間をかけました。でも終わってみると、すべて、その本に最初につけられていたもの(仮題)を、そのまま使う結果に。『「本の雑誌」炎の営業日誌』はWEB版の連載時そのままだし、塩野米松さんの長編小説『ふたつの川』(伝・炭焼き常次郎)も新聞連載時と同じ。東北の登山口だけの情報ガイドブックも仮題のまま進行し、最後まで斬新なアイデアなしで『東北登山口情報500』と、味も素っ気もないところに着地。
いや、いろいろと努力はしたんです。したんですが最初の題名のインパクトをこえるタイトルが最後まで出てこなかった。無理やりヘンなタイトル付けて内容を台無しにするのよりはマシかな、とも思っているのですが。

本のタイトルについてくどくど書いたのは、今読んでいる新潮文庫の佐藤雅美著『将軍たちの金庫番』がものすごく面白かったため。文庫本なのでカバーは漫画風のイラストで、千両箱から小判を取り出す侍が描かれている。徳川幕府の経済をお金の流れでわかりやすく解説した「江戸の経済通史」なのだが、学者的な論文でもなければ論考でもない。あくまで読者側に立って難解なことを面白く読ませるエッセイだから、このタイトルはピッタリだ。
ところがこの本の書名は20年間で3回変わっている。初版は太陽企画出版という版元から『江戸の税と通貨』という書名で刊行された。5年後に徳間文庫から改題されて『江戸の経済官僚』というタイトルで刊行されている。そして今年、『将軍たちの金庫番』として刊行されたわけである。
たぶん、内容が抜群に面白いと評判になったとしても、前二冊の書名では買おうという気にならなかったのは明白だ。3度目の改名で、私のような歴史音痴にも「読んでみよう」という気を起こさせたのだ。書名は大事なのである。

わが舎で、ここ数ヶ月間に出た本だけに限っても、人気ブログを本にした『秋田おそがけ新聞』もそのまんま、4コマ漫画『村に生きる』もブログ題名と同じ。書き下ろしの定年後の日々を綴ったズッコケエッセイも『定年! 徘徊親父日記』、ブラジル移民の赤ひげ先生といわれた医師の伝記は『高岡専太郎』と名前を書名にしているシンプルさ。なんとなく編集者として努力を怠っているような気分にすらなる。でも、けっこう真剣に悩みまくっているんです、ホント。


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