んだんだ劇場2008年12月号 vol.120

No31− まったなし−

本を出しながら考えること
いやはやもう11月になってしまった。よくよく考えれば8月9月10月とずっとあわただしい日々だった。それも11月でほぼ一段落する予定。中旬に恒例の「冬のDM」を発送すれば今年は店じまい、といいたいところだが、この経済の冷え込みで、本はさっぱり売れない。こんどは本を売る仕事のほうに全精力を注がなければならない。本造りから販促へ、である。造るだけなら楽しくて、こんないい商売はないんだけどね。

8月からここまで、毎月3,4冊の本を出してきた。けっこう疲れは溜まっているのだが、週末の山歩きでリフレッシュして、どうにか持ちこたえてきた。この息抜きがなかったら胃か肝臓をやられていたかも。しんどいことがあっても酒に逃げたり、夜の巷を徘徊するなんてことはなくなったが、山歩きがなかったら、ストレスは発散の場所を失って確実に身体の内部を蝕んでいたはず。

30年以上、同じように目の前の仕事を淡々とこなす日々を送ってきた。サボらず、あきらめず、地道に、丁寧に、才能のないぶん時間をかけ、仕事をしてきたつもりだが、そんな仕事への倫理感など、たいした価値を置くべきものではない、と「今」はせせら笑う。デジタルの波が押し寄せ、金融経済が大手を振るうようになって、活字文化の価値は相対的に下がり続けている。本を読むことになんの価値を置かない世界が現出したといっていいだろう。秋田からはほとんど街の本屋が消えた。こんななかで出版は可能なのか、本を出しながら考えていくしかない。


散歩・ポスター・映画館
仕事が一段落したこともあり、積極的に外に出ています。といってもなにか目的があってのことではなくブラブラ街を散策するだけ。天気もよかったしね。たいした仕事もないのに1日中机の前(というかパソコンの前)に垂れ込めていると暗くなり、ひとりで勝手に落ち込んでしまいます。これは身体によくない。それでなくとも小心でクヨクヨ考えてしまう性質なので、ま、散歩は予防策のようなもの。ちょうど見ごろの市街地の紅葉をめでながら2,3時間街をぶらついて、疲れて帰って来るだけですが、この疲れがけっこう気持ちいい。

その街で見かける選挙用ポスターに笑いました。多額の借金で自己破産したのに(いや「だからこそ」なのか)、ヨレヨレで議員にしがみついているF衆院議員のコピーは「まったなし! 秋田」って、「まったなし」はあんただろう。こんなツッコミを予想して考えたコピーならユーモアのセンスに脱帽だが、こんなのに限って「まじめ」に考えたものだから手に負えない。その政党の親分のポスターコピーも笑える、というか食えない。「麻生は、やりぬきます!」。これって安倍、福田の「放り出し首相たち」を意識して、「私は、放り出しません」って言いたいんだろうけど、もともと前二人の首相の放り出しが異常で、普通、国のトップって「やりぬくし、放り出さない」のは当たり前というか前提。もっともハードルの低いところに目標をおいた低次元コピーだろう、これは。漫画好きは一向に構わないが、「漫画しか読んだことがない総理大臣」というのは、かなり怖い。あの薄笑いを見ていると、背後からなんとなくハンザツにミゾウユウのフシュウが漂っているような……。
 
外に出るようになって、映画館にも2度入った。話題になっている『おくりびと』と、アラスカの山中で暮らした若者の物語『イントゥ・ザ・ワイルド』。どちらもけっこう楽しめたが、映画館で映画を観ることには実は若干の躊躇がある。きまってそばにオバサンの二人連れや若いカップルがいて、こいつらが映画の最中におしゃべりを続けるのだ。それが気になって映画に集中できなかったことが再三あった。これがトラウマになって、なかなか映画館に行く気が起きなかったのだが、今回おしゃべりはなかったものの、映画館の隣の部屋で大工仕事、そのドリル音がすごかった。楽しい時間を過ごそうと思って金を払っているのに、見知らぬ人間に声荒らげ、けっか、不快な時間を過ごすことになるのでは割に合わない。


音楽とお茶
 冬のDM発送も終わり、なんとなく気の抜けた1週間。
 どこへも出かけずジッと机の前に垂れ込めている。事務所の大型テレビはつけっぱなし。
 テレビは、静かなドキュメンタリーの多いBShIを観ることが多い。BS日テレ「イタリア 小さな村の物語」がお気に入り。この番組で最初と最後に流れるカンツォーネが、いい。ネットで検索してCDを買った。歌っているのはオルネラ・ヴァノーニという女性で「L`APPUNTMENTO」(ラ・プンタメント)というCDに入っている。
 テレビを観てないときは、CDやFMラジオを流しっぱなしにしている。静かだと仕事ができないタイプである。でも集中力がそがれる日本語の歌や落語はご法度、もっぱらクラッシック音楽である。これなら右から左へすんなり抜けていく。小沢征爾とボストン交響楽団のマーラーの交響曲を繰り返し聴いているのだが、ちゃんと聴きたいときにはボリュームをあげ、BGMの時は低く流している。
 日本の歌を聴くのは車の中だ。車でクラッシクを聴くと眠くなってしまうので、耳に引っかかる日本語の歌のほうがいいようだ。カーステレオ(今のは便利でCDを1回聴くと自動的に録音、以後CDは必要ない)でよく聴くのは「UA」。最近はUAとよく似ている「エゴ・ラッピン」という男女のグループの歌がおもしろい。旅先にはIpod。これには「桂枝雀全集」や「立川志の輔」などの落語が入っている。旅先の慣れない枕で眠りにつく前に聴いている。電車の中でもよく聴く。
 こうしてみると、音楽は暮らしの中でかなり重要な位置を占めているのを感じる。そのくせ家の書斎ではほとんど、最近は音楽を聴かないのはどうしてだろう。

 音楽と同じように、毎日いやになるほどお茶を飲んでいる。これもここ最近の傾向だ。750mlの登山用のテルモス(魔法瓶)に熱いお茶をつめて午前中に飲みきる。午後からはそのテルモスに白湯をいれ、チビチビ。毎日テルモス2本分の水分をとっているわけだが、このせいだろうかおしっこはいつも透明、夜中に一度おしっこに起きるようになった。こちらはいささかシンドイ。


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