んだんだ劇場2008年5月号 vol.113
No9
ごちゃごちゃの背負い投げ

賭け事とは無縁な私
私はこれまで賭け事というものをほとんどやったことがない。そもそも、そうしたもので儲かるはずがないと思っている。賭け事で儲けようとする欲がない。欲がないというより、損をするのがイヤというのが本音かもしれない。会社勤めの頃、よく「賭けマージャン」の話を聞いたが、私はそのマージャンさえやったことがない。金のやりとりを前提にマージャンをして、それが楽しいとはどうしても思えない。なにより、毎日顔を合わせる人間に自分の金を取られて、平然としていられるはずがないと思っている。それに、こういう場合、自分が勝つということはまず念頭にない。まれに勝つことがあったとしても、いつかは負けるだろうから、その時が悔しい。そういうことなら、最初からやらない方が心も落ち着く。悲しいかな、みんなが楽しいというトランプにも興奮することがない。実をいえば、そういうことが面倒に思えて、夢中になれない。
ラスベガスの空港にて
ましてや、金を賭ける競馬や競輪といったギャンブルなど、問題外。ラスベガスのカジノの光景など、想像力が豊かな(?)私は、その後のことを考えると、身ぶるいが止まらない。あのようなことで、簡単に自分の金が消えていくことには耐えられない。パチンコも同様。これで儲かるということが、まずありえない(と思っている)。たとえ一瞬、いい思いをすることがあっても、調子に乗って、泥沼に入り込んで、やがてどんどん自分の金が消えていくことを想像してしまう。結局、そういう状態に耐えられないのだ。同様の理由で、宝くじにも興味がない。たとえ100円であっても、宝くじへの出費がもったいない。

利殖の才もなし
そんな私だから、株などで儲ける利殖の才があるとも思えない。才能以前に、そういうことが面倒だから、どうしようもない。これまで、そんな人生を送ってきて、自分には商売の才覚がないことも自覚している。基本的に人間が甘くて、そういう日々の厳しい現実には向かないのだ。

話変わって、(賭け)ゴルフというものも、いまだかってやったことがない。そんなこんな、誰かと連れ立って、酒を飲み歩くということも含めて、サラリーマン的人づきあいがよかったともいえない私が、よくぞ会社勤めを続けられたものだと、いまさらながらに思う。ただ、たまの酒の席でのパフォーマンスには、ちょっとの自信はある。酒は朗らかに飲みたいし、そういう場面ばかりを選んできた結果、楽しくなれば、車座になっての唄も歌える。ただ、そのために飲み歩くほどのことはなかった。ひとつには、金が惜しかった。限られた金なら、ほかに使いたいことがあった。ともかく、ほろ酔いに始まる一攫千金のドラマを信じることもなく、これまでの人生を送ってきて、おそらくこれからもそうなのだろうと思っている。

マネーゲーム
ところが、そんな私が、ここのとこ、ちょっとした「マネーゲーム」を楽しんでいる。新聞を見て、「今日のポンドはいくらか」と確かめている。毎日といいたいところだが、しばらく忘れていることもある。ただ、新聞を開けば、たいていは経済欄の外国為替の項目をみて、今日のポンドがいくらかをみる。最初の年(2005年)は1ポンドを208.56円で購入した。でかける前に買って、そんなものだと思っていたら、二年目(2006年)は222.22円。そして、昨年(2007年)は253.53円にはね上がってしまい、待てよと思った。この違いは結構大きい。そこで、今年は早い時期からポンドの値段に注目することになった。
ある街角にて
イギリスへ行くたび、だんだんカードで決済することも増えてきているのだが、今年は最初の宿が現金のみということで、宿代だけでも、最低600ポンドは必要となる。これに加え、日々の細々とした支払いのための現金も持参する予定だから、過去3年の反省から、その現金をできるだけ安く買う方法はないかと考えるようになった。そこで、ある目安を決めて、それより安くなったら、100ポンドか200ポンド単位で買いに行くことにした。最初は1月30日、新聞では210円を少し越えたところで、1ポンド224.03円で、100ポンド購入した。

(注)私たちが行く銀行では、11時半頃その日の仲値というのが決まる。聞けば翌日新聞に載る金額に1ポンドあたり12円の手数料を加算したものがその日の仲値とか。

次に210円を切ったら、買いにいくことにして、3月6日は218.77円で購入。ところが、この頃からサブプライムローンの関連でポンドが下がり始め、突然197円になった。心はおおいに浮き立ったのだが、この日は体も疲れていて、ほかに用事もあって、街へは出かけられなかったのだが、その後2日ばかり、まだ200円前後のままなので、やっと3月21日にでかけてみた。この時は11時半を過ぎて、どうかと思ったが、そのおかげで、この日は209.48円で買えた。

グランド・キャニオンにて

グランド・キャニオンの岩場でのバランス
こうして、今年は着実にポンドを安く(?)買えている。さて、いつが一番安いポンドなのか、たかだか***ポンドでの差など、そんなに大きなはずもなく、かわいいものだと思いながら、今度はまた新聞で195円あたりになったら、100ポンドを買いに行こうかと思っているのだが、あれ以来もう200円を切ることはなくなった。こんな具合に、7月の出発まで何ヶ月もかけて揃えていく、これがいま、私(たち)の初めて経験するマネーゲーム。

近くにスーパーマーケットがあること
今年のイギリスの宿は、早々と一月に決めてしまったのだが、その宿を選ぶ時の基準のひとつが、近く(ちょっと譲って、歩いて数分のところ)にスーパーマーケットがあること。町に滞在している間、そのスーパーへは毎日のようにでかけていくから。理由は食料品の調達。朝食は宿(Bed&Breakfast)の料金に含まれているので、これは絶対に欠かさないのだが、日中行動するときの食料や、夕食に添えるおかず・デザート(夕食は中華料理のTAKE AWAYがほとんどという話は前に書いた)、旅行中不足気味になる野菜、その他のものを調達するのに、どうしてもスーパーマーケットという感じの店が必要になってくる。

ある町のスーパー・マーケット

ヒル・トップでみかけた小さな店
なぜか以前から、私はレストランで食事をするというのが苦手。自分でもおかしいのだが、レストランの料金をみて、この料金ではもったいないという思いが先にきて、気持ちが落ち着かないのだ。それなら、自分たちなりに調達したものを、ゆっくり部屋で食べた方がいいという、これはキャンプ(テント)の旅の余韻がいまだに尾を引いている。これまで長い間の、そういう成り行きのせいもあってか、一応妻とも息子とも、これでいいのだという暗黙の了解がある。なにより、お互いにこの方が気楽なのだ。

スーパーの買い物は旅のリズム
そんなわけで、毎日食べ物を調達するため、スーパーへ出かけることになる。部屋にたまたま冷蔵庫があれば、いくらか買い置きはできるのだが、そうでない場合がほとんどなので、牛乳や生鮮食料品、野菜などは、その日か翌日に必要なものだけを買うことになる。これは面倒なようだが、私たちの旅の中では、意外に一日の旅のリズムになっていて、楽しみなところもある。お土産などはほとんど買うことがない、これが私たちの旅の買い物の楽しみともいえる。それに、お決まりの店へ毎日でかけていると、お馴染みができてくることもあるし、ゆっくりとその町での旅生活のリズムというものができてくる。
豪華な夕食
買い物にでかけるのは、その時々の手持ち食料の具合によって、歩きにでかける前の時もあるし、歩き終えて、宿へ戻る途中、あるいは夕食(中華料理のTAKE AWAY)を買いに行った帰りのこともある。これが、意外に楽しい。食べるものを買うというのは楽しい。
もちろん、調理が必要なものは対象外。だから、買うものは大体決まってくる。数え上げてみると、毎度お決まりのものばかりなのだが、それでも今夜の豪華な夕食のためと思って、空腹の状態でする買い物は楽しい。旅先で、いつも我が家でやっている買い物が楽しいというのも妙な話なのだが、異国人気分の中、こうして3人で買い物をすることで、知らずに心が和んでいるのかもしれない。

毎日の買い物
必ず買うのは水のペットボトル。これは、宿に戻っても、また翌日の行動にも必要。大きなものを買って、行動用には小さなペットボトル(頑丈な日本から持参のもの)に移して使う。息子が喜ぶのは牛乳。私はワイン。翌日の昼食のためには、ミカン・リンゴ・プラムといった果物とパンの類。夕食用にはカット野菜。これは少々割高だが、旅行中の野菜欠乏に敏感な私たちには結構貴重なもの。適当な量のマヨネーズやドレッシングも購入。これにハムを加えたりする。ソーセージの類は、朝で十分だから、決して買ったりはしない。
夕食用の果物にはイチゴを1パックというのが多い。昨年おいしかったのは青ぶどう。洗えば、皮をむかず、そのまま食べられる。疲れている時でも、すんなり口に入って、さっぱりした心地いい甘さがある。保存食として、コーンの缶詰はいつもそろえておく。これも、程よい甘さがいい。ほかにジャガイモの缶詰とか、ビーンズとか、あれこれ試してみたが、これらはあまりおいしいとはいえない。これにチーズ各種を加える。

息子好物の牛乳

水分補給となるミカン

今日の買い物
夕食はこんな感じでやりくりすれば、いつも豪華になる。もう一度の食事、宿で出るイングリッシュ・ブレックファーストは、これが今日一日のエネルギー源、新たな一日を迎えた旅のリズムとして、息子が一番楽しみにしているから、私たちもそれに便乗して、朝早い私たちには少し遅めなのだが、それが幸いして、たいていは空腹状態で食べられる。これは定番、いつも決まった内容なのだが、これが飽きたとは決して言わない。宿の料金に入っている食事は、もちろんいただく。これが旅なのだし、旅だからこそ、朝食は一日の始まりの旅のリズム。それに、なぜか、いつも朝のコーヒーがおいしい。朝、満腹に近いまで食べるので、このエネルギー源が午後3時くらいまで持つ感じなので、昼は手軽にパンか果物で済ませて、十分。こうして、一ヶ月を過ごす。意外に飽きない。もしかしたら、そう思い込んでいるだけなのかもしれない。

スーパーに行くと、妙に元気が出る。日によっては、疲れていて、やっとの思いで買い物を済ませることもあるのだが、我が家で毎日のように買い物に行くときのように、旅なりの生活のリズムを感じるせいだろうか。

旅の小銭
こうして、毎日の買い物をすると、知らずに小銭がたまっていく。イギリスの硬貨は1ペンス(p)、2p、5p、10p、20p、50p、1ポンド(£)、2£といろいろ。これらの識別、1£、2£、50pは問題ないとして、その他の識別がとっさにできないので、たいていは紙幣を出してしまう。結果、お釣りでもらう小銭がたまることになる。そうした小銭で財布がふくらんでくると、いつかどこかで、そんなことをしてくれそうな小さな店に入った時、小銭入れの中身を全部出して、そこから代金を拾ってもらうこともある。
イギリスのスーパーで、たいていの客はクレジットカードで支払っている。ある時、買い物の品が多かった時、試しにVISAカードを出してみた。このクレジットカードを本格的に使い始めたのは、昨年(2007年)あたりから。それまでは、どこかで拒否反応もあったのだが、いまは決して積極的にではないが、まあ私たちらしく使うようになったと思う。それにしても、どっさりと買う人が多い。乳母車を大きくしたようなワゴンを押しながら、その中にどんどん品物を入れていく。その多さには、いつもびっくりする。そんな買物ができるのは、車で来ているからだろう。

マンチェスターのスーパーでの自動会計

町の移動チーズ屋さん
マンチェスターのスーパーで
びっくりするものを見た。宿の近くのスーパーには、客以外の姿がなく、その客が自分の買った品を、自分で機械に読み取らせて、会計を済ませるシステムになっていた。日本でも、あるところにはあるのだろうか。そして、時代はやがてこんな変わり方をすることになるのだろうか。前の人のやり方を、何度かじっくりと眺めた後、見よう見まねでやれば、なんとかできるものなのだが、旅の途中の人間としては、なんともわびしい感じがした。こうした流行ものには、できるだけゆっくりと遅れを取りながら、生きていきたいと思った。

コイン・ランドリー (Launderette)
旅行中、大体4〜5日に一回の割合で、町のコイン・ランドリーを利用する。2007年は一ヶ月の滞在で6回利用している。イギリスではコイン・ランドリーを Launderette と呼ぶ。一回に3〜4£(ポンド)が普通。日本円にして、700円前後。町によって、Wash料金が高く、5£以上かかったこともある。そのWash(洗濯)料金、ドラムの大きさによって違うが、2.5£前後が多く、安くて1.5£、高くて3.0£。店で購入する洗剤が0.3〜0.7£。なにかの都合で、店で手に入らない時は宿から少し分けていただくこともある。旅行中に使う分として、洗剤を最初に購入しておいて、それを使ったら、少しは出費を抑えることができるだろうか。まだ試してはいないが、果たして少量(数回分)でも売っているのか、今年は探してみよう。

洗濯は私の担当
日本では、コイン・ランドリーなど使ったことがないから、最初は店の人か、客の誰かに聞いて、なんとかできるようになった。まず洗濯物をドラムの中に入れ、購入した洗剤を上の指定された場所に入れ、Wash(洗濯)マシンに必要なコインを入れ、ドラムの蓋を閉めれば、ドラムが回り始め、洗濯開始。所要時間はおよそ35分前後。一度大失敗。洗剤を入れ、コイン(3ポンド)を入れ、洗濯物を入れる前にドラムの蓋をしめてしまったら、洗濯物の入っていないドラムが回り始めた。私はその止め方を知らず、まわりには誰もいなくて、私は35分間待つしかなかった。ともかく、一度ドラムが回り始めれば、それが終わるまでは待つだけの時間。その間、近くに誰か相手をしてくれそうな人がみつかれば、それとなく折り紙をしていたこともあるし、そうでなければ、その間買い物に行くこともあった。

洗濯が終わるのを待つ男性

店のおばさんと話をすることもある
イギリスでは、自宅に洗濯機を持っていない人も多いのか、コイン・ランドリー(Launderette)には結構人の出入りがある。シーツなどの乾燥だけにくるホテルの従業員のような人もいる。洗濯はたいていの場合、私の役目。妻たちが部屋で休んでいる間、私は洗濯男として、リュックや手提げ袋に入れた洗濯物をかついで、Launderette へいく。生活に必須の Launderette はたいていの町にあって、町に着けば、まずこの Launderette を探しておくことが大切。宿から近い時も、比較的遠い場合もある。まあ、町の中に宿を取れば、そこそこの距離に Launderette はあって、場所によっては、帰りに夕食を買ってくることもある。

20ペンス硬貨
Washが終われば、次はDry(乾燥)。このDryには、20ペンス硬貨が必要。店の人がいるところでは交換してもらえるが、無人の Launderette のこともあるから、20ペンス硬貨はある程度用意しておかなければならない。20ペンスで、乾燥機は2分間回っている。できれば、持ち帰って、そのまま着られる状態にしたいから、最初20ペンス硬貨を3枚ほど入れた後、乾燥機が止まるたび、ドラムの中の洗濯物の乾燥状態をチェックし、乾いたものを取り出し、また20ペンス硬貨を入れる。乾燥機に入れる前、Spin Machine があるところでは、これに洗濯物を入れて、回しておくと乾燥が早い。こちらも一回20ペンス。この乾燥、洗濯物の量にもよるが、20ペンス硬貨が10枚もあれば十分。たいてい8枚(1.6ポンド)くらいで、終わることが多い。

速乾性の衣類
できるだけ早く乾くよう、衣類は旅の間下着も兼ねるTシャツや、長袖シャツ、ズボンなど、山用の速乾性のものが多い。パジャマにも、それらを併用する。小さなもの(靴下やバンダナ等)は、宿で洗うこともできるのだが、実際のところ、年々そういう元気がなくなってきた。そこで、宿のクローゼットのようなところに「洗濯物用の袋」を置いて、これに詰めておいて、頃合になったら、Launderette にでかけていく。そのタイミングは、洗濯物のたまり具合にもよるし、次の宿への移動との兼ね合いもある。使える衣類がそろそろなくなりかけている時には、少しあわてて出かける。ほかに、私の元気度合い(疲れ具合)にもよる。雨でほかにすることがなく、部屋にしばらくこもっている時の気分転換に使うこともある。

リポン郊外を歩く

ベットが物干し場
気分転換というなら、旅が長引いてきた時、Launderette へ出かけることで、汚れ物が一気になくなり、同時にさっぱりした気分になるという効果もある。また Launderette にはそれなりの雰囲気があって、たいていの場合、私はどこかよその人という感じでもあるのだが、Washing Machine の使い方を聞いたり、乾燥機の要領を教えてもらったりしているうち、一言二言話すようになり、そこから折り紙へと展開していくこともあるので、私は Launderette へ行く時、洗濯物のほか、必ず折り紙用の一式を持っていくことにしている。

イギリスを感じる
その Launderette で、つかの間、イギリスを感じることがある。当然ながら、ここには自宅に洗濯機を持たない人たちがやってくる。そういう人たちを眺めていると、これも旅の味わいかなと思えてくる。ここには、自分で洗濯機を使う人のほか、いろいろな洗濯を頼んでいく人たちもいて、そんな洗濯物で一杯の店もある。そんな店で、仕上がったものにアイロンをかけているおばさんの後姿の向こうに町の通りの様子を眺めながら、時間を過ごすこともある。私は旅の人で、いろんなものが目新しいし、興味を引くので、結構こういう時間を楽しんでいるのだが、日々の洗濯はそうでもないのだろう。

スピン・マシーン

アイロンおばさんの向こうに町の通り
洗濯は面倒だけど、これだけはしておかなければいけないもの。時間はかかるけれど、仕方のないものという感じで、ぼんやりと退屈そうな時間を過ごしている人が多い。私には初めての人たちばかりだから、みんなそっけない感じなのだが、その店のやり方がわからず、尋ねると、まあまあそれなりには教えてくれる。時に、親切に手伝ってくれる人もいるし、逆にうさんくさい感じで眺められていることもある。一通りが終わるまで、ここで待っている人もいれば、外へ出かけている人もいる。こんなところで、移民が多いというイギリスを感じていたりする。店によって、雰囲気はがらりと違う。やはり、店の人が誰かいる方がいい。無人の場合、一人でいるのはこわいところもあるし、がらんとしていると無性にわびしくなる。ともかく、このLaunderetteがなかったら、私たちのイギリスの旅は成り立たない。

3種類の靴(はきもの)
私たちがイギリスに持っていく靴は3種類。まず、家からはいていく、通常は町を歩くためのウォーキングシューズ。次にフットパスを歩くための軽登山靴。これは、イギリスの雨を考え、防水加工のよく効いたもの。そして、もうひとつは機内や宿の室内、あるいは宿の近くを歩く時に利用する軽めのサンダル。

軽登山靴とウォーキングシューズ

モンサル・トレイル
このサンダル、フットパスを歩くために外出した時は、必ずリュックに入れておく。宿に戻った時、軽登山靴のまま入るのは気が引けるからだ。たいていは玄関先で、このサンダルに履き替える。これはイギリスの人にとって、奇妙な光景かもしれないのだが、一応私たちのマナー。写真のように、登山靴やウォーキングシューズはそのまま室内に並べておくわけだが、この時期、外が乾燥しているせいか、意外に快適な状態に保てている気もするのだが、登山靴の底には草原のいろんなものがくっついているはず。困りものは一応落としているつもりなのだが、雨でそれなり濡れたりもしているわけだから、室内ではそれ相応の匂いをさせているのかもしれない。ただ、その匂いを日々はいている私たちは意外に感じていない。

マンチェスターの街で
そんな感じではき分けていた靴。なぜか、妻と息子の軽登山靴は、私のものにくらべ、雨のしみる度合いが大きいようで、こちらの靴下はそんなに濡れていなくても、二人のものはビッチョリのことが多い。買って、まだ一年くらいで、そんなに雨の中で使ったわけでもない。2年目の2006年はこれまでになく雨が多く、靴では散々苦い思いをした妻は、最後の最後、マンチェスターの街のゴミ箱に、その登山靴を捨てた。快適さを失った靴は、帰国の途に着いた彼女にとって、重いだけの荷物になってしまった。

イギリスのバス (私たちの交通手段)
フットパスを歩く、私たちのイギリス旅行、交通手段としてはバスが圧倒的に多い。鉄道が走っているところでは、列車も利用するが、いくつかのフットパスをつなぐコースを選んだ時、結構うまいこと、その近くに小回りの利くバスがみつかることが多い。いや、そういうバスをみつけてから、フットパスのコースを探し始めるといった方が正確だろうか。そんな私たちがフットパスを歩くためになくてはならないバスの便、幹線道路を除けば、一日の本数が少ない。日曜にはさらに少なくなる。これとは反対に、週末を利用してウォーカーたちが行きそうな場所では、週末だけ走るというバスもある。そんなバスを利用して、あちこちのフットパスへでかけていると、つくづく日本との違いを感じる。

お得チケット
まず料金のこと。乗り慣れてくると、安く乗れる方法がだんだんに見えてくる。料金で一番びっくりしたのは、片道(シングル)の場合も、往復(リターン)の場合もたいして差がないこと。だから、行きで降りた地点から、乗車した場所へ戻ってくる場合は文句なしに往復(リターン)チケット。どうやら料金というのは、往復を前提に考えられているような気がする。ただ、帰りの乗車が同じ地点ではない時、そこが往復コースに含まれた途中なら問題はないのだろうが、外れてしまった場合は難しい。それに、リターンチケットを買ってしまうと、コースが限定され、途中の心変わりに対応できないことがある。従って、これはその時々の状況判断になる。

便利なバス(アンブルサイドにて)

セトル駅にて
とても便利だったのは、湖水地方で購入できたExplorer Ticket。7日間乗り放題で26.5ポンド。これは、私たちのようにバスを主たる交通手段にした場合、断然お得。しかし、こうしたチケットがイギリスのどこにでもあるのかというと、そうでもない。バス会社がいろいろあって、利用できるバスが制限される地域では、元々そんなチケットはない。そんな時は、一日乗車券のようなものを探す。これが往復(リターン)チケットより、得な場合もある。ほかにいろいろあるかもしれない「お得」チケット。私たちがもっと英語を駆使できたら、違った「お得」をほかにもみつけられていたのかもしれないが、かろうじてなんとかなっている程度(?)の私たち英語力では、時として、逆に頭を使いすぎて、判断を誤ることもある。それはそれ、旅の一興。

運転手の対応
時には、バスに乗って、思い切って運転手に「今日はこういう具合に乗りたいのだが、なにか便利な(お得な)チケットはないだろうか」と尋ねることがある。すると、たいていの運転手は時間を取って、あれこれ教えてくれる。時には、面倒な乗り方をしたいと思っていることもある。また、私たちが持っているExplorer Mapで場所を示しただけでは、一体どこまでのチケットを買ったらいいものか、すぐにはわからないことがある。そんな場合、私たちのたどたどしい質問に、運転手は時間をかけて、つきあってくれることが多い。
私たちと一緒に地図を眺めながら、こちらの内容がなかなか理解されず、後ろにずらりと客が並んでしまうことがある。そんな時でも、こちらが恐縮するくらい、ていねいに相手をしてくれる。もちろん、そうではなく、こちらが得体の知れない東洋人だと、軽々しく(?)扱われて、内心腹の立つことも全くないわけではないが、これまで出会った運転手のほとんどは、たいていの場合ていねいに応対してくれた。

乗車する時、運転手からチケットを買う

週末のバス
そもそも、バスのチケットは、バスに乗る時、それぞれが運転手から買うことになっており、そのために結構な時間が取られることがある。つまり、乗車する全員がチケットを買い終えるまで、バスはそのまま停車していることになる。しかし、運転手はそのことに焦れたりすることはない。それを当然のことと、乗客一人一人に対応する。日本のどちらかというと、スムースな降車時の料金支払いのリズムに慣れているせいか、最初じれったく思えたのだが、少し間延びしたようなイギリス風なやりとりにも、しばらくすると慣れてくる。そして、私たちの「心配」はまもなく、あっさりと解消する。

高速バス
停車していた間、乗客のチケット購入のためにかなりの時間を費やし、それなりに遅れたはずのバスは、まもなく猛スピードで走り出す。この尋常ではないスピードに、最初はびっくりした。普通の道路を、少々の狭い道であっても、まるで高速道路のようなスピードで飛ばす。車がすれ違いできるような道なら、時速は100キロに近いのではないだろうか。一年目は、握り棒にしっかりとつかまり、足を前の座席に突っ張るようにして身構え、ハラハラの連続だったが、これも慣れてくると、そのうち気にならなくなる。

眠っている間も握り棒をつかんでいる息子

スタンレイのフットパス
最初は、たまたま、そういう(やばい)気質の運転手にめぐりあってしまったのだろうと思っていた。ところが、わずかの例外を除いて、ほとんどの運転手が似たような運転をすることに気づく。そしてなにより、乗り合わせた老婦人(レディー)たちは、そんな高速運転のバスの中で、悠然とおしゃべりをしている。そんなのを見ていると、私たちもいつのまにか慣れてしまった。こうして、バスは結果として、たいていの場合、時刻表通りに動くことになる。

バスの遅れ
いや、そうでもないことがあった。ベイクウェルからバクストンへ戻る時のバス。これは、ノッティンガムとマンチェスターを3時間35分で結ぶ長距離バスで、一時間に一本の比較的便利なバスだった。ところが、マンチェスター行きのバスがいくら待っても来ない。向こう側のニューカッスルへ行きのバスも遅れているらしいのだが、向こうがきても、こちらは来ない。結局、一度は34分の遅れ、二度目は1時間10分の遅れ、途中の町から乗った時は40分の遅れ。しかし、そういう場合でも、悠然と待つのがイギリスの人たち。途中で雨が降ってきても、あわてる様子もなく、雨に濡れながら待つその姿は見事、絵になっていた。

悠然とバスを待つ人たち

セトルのフットパス
道路に羊の群れ
バスが遅れるには、ほかにも理由がある。それまで快調に走っていたバスが突然止まって動かなくなった。みれば、道路の向こうから羊の群れがやってくる。バス道路を堂々のお通りに、こちらはただただ羊たちが通り過ぎるのを待つしかない。もちろん、運転手がクラクションなど鳴らすはずもない。こちらは、そんな光景が珍しい。先を急いでいるわけでもないから、もっとこのままでもいいような気分で、羊たちが通り過ぎるのを待つ。こんな場合、バスの中だから、こわくはないのだが、一度両側に石が積み上げられた道路を歩いていて、いきなり向こうから牛の群れがやってきた時は心底びびった。もうほかへ逃げるわけにもいかず、のそりのそり迫ってくる牛をできるだけ興奮させないよう、壁にぴたりと身を寄せたまま、ただただ牛たちが通り過ぎるのを待っていた。

道路にいきなり羊たちの群れ

目の前に牛たちがずらり
フットパスを歩いている時なら、いたる所で牛たちに出会う。なにしろ、フットパスのある草原は牛たちの自由なフィールド、そこを私たちが通らせてもらっている。時に牛たちが群れをなし、怒涛のように駆け回っていることがある。こんなところは、とても歩けない。機を見て、さっと通り抜けることもある。ゆっくり、ゆっくり、牛たちを刺激しないように、小さく回り道をすれば済むこともたくさんある。牛はこわいのだが、羊たちはこちらが近づいていくと、向こうから逃げてくれる。そんな時、なんだか邪魔をしているようで、これもできるだけ驚かせないように、静かに歩く。それでも、羊たちは私たちが近づくと、四方八方に散っていく。
まれに、そうでない羊たちに出会うことがある。逃げるはずが、向こうから近づいてくる。私たちが腰を下ろして、一休みしていると、食べているものが目当てなのか、なにかおねだりをするような感じで近づいてくる。それが数匹になってくると、こちらも少し怖くなって、あわてる。こんな時は逃げるのがいい。ところで、またバスの話。

犬も自由なバスの中
イギリスでも、乗客が犬を連れて、バスの中に入ってくる。日本ではほとんどみかけない光景だから、これにも最初はびっくりした。そのうち、何度か見慣れてくると、これも不思議とは思えなくなってくる。犬には決して親しいとはいえない私のそばに、その犬たちが座ったりする。電車の中でも、犬を連れた乗客をみかける。トイレへいく途中、ねそべっているその犬の脇を通るのが、私はちょっとこわい。もちろん、たいていは大丈夫。犬のマナーがしっかりしていて、静かに座っている。もし、それが守れないなら、犬を連れてなど、バスには乗れない。まわりの人たちが一斉に犬の飼い主を責め立てるのだろう。そういうルールがしっかりしているから、当たり前になっている光景なのだろう。

犬も自由なバスの中

犬のしつけはさすが
幹線道路のバスをのぞけば、バスの利用者は決して多いとはいえない。時に私たちの貸切りになったりすることもある。ほかに適当な移動手段がないと思っているから、私たちは可能な限りのバスの便を探し、それを利用する。そのために、時間を合わせたりもする。歩くことが一日の一番大きな出来事なので、バス時間にはいろんなことを合わせる。歩く時間もそれにあわせることが多い。それで物足りない時もあるにはあるのだが、幸か不幸か、だんだんそれくらいで体は十分満足できるようになってきた。なにもそんなに一日びっちり行動することもない。いや、もうそんなことはできなくなってきた。

リポンの周回バスは神のご加護
帰りのバスに合わせて、一度だけ焦るほど急いだことがあった。泊まっているリポンに戻るには、たった一本のバスをつかまえるしかないのだが、随分寄り道をして、もしかしたら間に合わないかもしれない。困ったのは、いまいる場所がわからなくなったことだ。目安となる道路になかなかでない。聞くにも、そばにいるのは羊たちだけ。なあに、日は長いのだから、なんとかなるとは思うのだが、できればあらかじめ考えていたそのバスに乗りたい。こんな具合に、焦って歩くのは、決して楽しいことではない。
しかし、これは神のご加護なのか。すっかり、あきらめていた道で、随分遅れた時間のバスが向こうからやってきた時は本当に嬉しかった。しかも、そのバスは、小さな村々をぐるぐる巡るように走り、私たちにとってはまるで観光ツアーバスのようだ。先の時間を急ぐわけでもないし、乗ってしまえば、こちらのもの。歩いた後のバスほど嬉しいものはない。昨日たっぷり楽しんだファウンテン・アビィのまわりもぐるぐる回って、実はこれが正規のバスルートだったのだが、貸切りとなった私たちのために、サービスで走ってくれているのではないかと思えるぐるぐる回りで、料金がかさむこともない。時には、こんなバスもある。

タクシーの魅力
そのバスではどうにもならない時がある。バス時間がこちらの予定と大幅にずれている時、3年目にして、やっと気楽にタクシーを使えるようになった。利用するのは、行きの場合が多い。その日、どこでフットパスを歩き終えることになるのか。それはその日の成り行きしだい。たどり着いた先でタクシーがみつかる保証もない。そこで、使うなら、朝でかける時にする。私たちにとって、かなり遅めのバス時刻を待つのがもったいない時、あるいはまったくバスがない時、私たちには、いまもって「タクシーはお金がかかる(贅沢な)もの」という頭はあるのだが、使ってみると、意外にそれほどでもない。3人のバス代の合計とくらべて、まあまあ納得できる1.5倍くらいの料金を目安に利用する。
タクシーはあっという間に着くのが魅力。一度だけ、ボルトン・アビーからの帰り、観光センターのようなところで、タクシーを呼んでもらったことがあった。この時は、長い時間歩いたご褒美のような感じだったが、こういう具合にうまくいくことはそんなにない。ただ、これからの私たちの体力のことを考えると、このタクシーをいかにうまく使うかも、イギリスのフットパスを歩くのには案外大事なことに思えてきた。なにしろ、ピンポイントで望みの場所まで、一気に行ける。おかげで、それからの時間をのんびり過ごすことができる。

秩父サイクルトレイン
新聞をみていたら、西武鉄道で、自転車をたたまず、そのまま乗せることができる電車が一日だけ運行されるという記事があった。5月18日(日)池袋を7時出発、西武秩父まで走る8両編成の「サイクルスポーツ号」。秩父駅からは30`〜60`の4コースに分かれ、それぞれ一緒にサイクリングを楽しむという企画。定員250名。日本ではきわめて珍しい、自転車をそのまま積み込める電車、ドイツでもイギリスでも当たり前のことだったので、初めて見た時、これもびっくりした。かつての自転車旅行、もう20年以上も昔の話を思い出した。

輪行袋の旅
もちろん、その頃も自転車をそのまま電車や汽車へ乗せることはできず、輪行袋なるものに入る程度に分解して、うまく収め、これを肩に担いで、乗っていた。こいでいる時の自転車は軽やか(?)なのだが、荷物となった自転車は、旅行に必要なものも含め、担ぐとかなりの重さになった。当然、自転車分はチッキとして金を取られ、車内の込み具合によっては、肩身の狭い思いをしながら、それでも当時は図太く旅をしていた。面倒はいろいろあっても、この方法を使えば、あちこちへでかけられたことは確かで、高速バスに積み込んででかけたこともあった。

カンブリア・コーストウエィのサイクリング

ドイツにて(2003年)
しかし、いずれの場合も、乗車する所までは自転車をこぎ、そこで分解し、輪行袋に収め、着いたら今度は組み立てる。帰りも同様のことをする。状況によっては、途中で汽車を利用する区間があったりして、そのたび同じことを繰り返していた。自転車となれば、他に方法がなかったし、なにより行きたい気持ちが強かったから、これはこれでよかったのだが、正直言うと、機械をいじることが苦手な私は、毎度の自転車の分解や組み立てが面倒だった。だから、自転車をたたまず、そのまま乗れる世界があることだけでも驚きだった。とても、うらやましかった。

一年に一度だけ
イギリスでは、近距離の電車にはほとんど、長距離のものにもそんな電車があるのをみた。ホームでは、自転車を押して歩く人たちをごく当たり前の光景としてみる。この辺の事情(歴史)について、詳しくは知らないが、やはり文化の違いなのだろうか。これは私の感覚なのだが、イギリスの歩く道が権利として確保されているのと同様、こうした移動手段も権利のひとつ、選択肢のひとつとして、確保されているような気がする。一年に一度しかそれができない日本の「秩父サイクルトレイン」には、昨年250人の定員に対し、1000人の申し込みがあったとか。

手軽な自転車の旅
ドイツやイギリスで私の心を引いたのは、たくさんの人たちがそれぞれの形で自転車旅行を楽しんでいる光景。その中でも、私と同じ年代、あるいはそれ以上の人たちの姿が目につく。おそらく、私の関心が、若い人たちより、私がこれから迎えるに違いない年代の人たちがどんな楽しみ方をしているのか知りたいせいもあるのだろう。それにしても、お年寄り(?)が自転車旅行をエンジョイしている姿が目につく。しかも、夫婦がそろって旅をしている姿も多い。

あれは、一人ドイツを旅していて、ツール・シュピッツという山へ登りたいと思って乗った特急電車で一緒になった老夫婦。途中、ここからお互い別方向になったのだが、一緒に降りた老夫婦はそろって写真のような自転車を押していた。たまたま向かい合わせの席となり、折り紙などをしていたせいで、彼らが電車をうまく乗り継いで、自転車の旅をしていることを聞かせてもらった。同じ年代(?)になりかけている自分ができないでいることを、彼らはなんだかあっさり楽しんでいるような気がして、羨ましかった。どうしてこんなことができるのか。もちろん、彼らの旅の楽しみ方もあるのだろうが、身近にこうして、自転車をたたまずに手軽な旅ができる環境というものがあるからではないだろうか。

ドイツ・アウグスブルグにて(2003年)

ドイツ・ローテンブルグにて(2004年)
ドイツ、ローテンブルグの宿で出会った、自転車旅行中の4人家族。その自転車はいわゆるママチャリに似たもの。この自転車を積んできた車を別の場所に駐車させたまま、彼らはこれらの自転車で動き回り、何日かして車へ戻るという形の旅をしていて、なるほどと思えた。ドイツの友人宅に泊めてもらっていた時、近くの老夫婦(?)は日曜の朝、やはりママチャリの後ろにピクニック用のバスケットをくっつけて、でかけていった。そういえば、この町(デュッセルドルフ)の道路は、歩道にも人が歩く部分と自転車用の部分が色分けされていた。うらやましいのは、そういういろんな選択肢のどれかを選べるという環境かもしれない。

もうひとつはイギリス、ホートン・イン・リブルズヘッド駅でのこと。イングルボロウ山からの帰り、雨に降られ、それなりに濡れて、駅で一時間後の汽車を待っていた時、ずぶぬれの青年が入ってきた。そういえば、彼を駅のホームで、朝みかけている。彼は、自転車を外においたまま、やがてバッグの中から取り出したパンをかじりながら、本を読み始めた。私も、かつてはこういうことをしていたのかと、懐かしい思いで眺めていたのだが、決定的な違いがある。こんな時、私は雨を避ける形で、自転車の分解にせわしなくしていたのだろうが、彼はやがてやってきた電車にそのまま自転車を乗せるだけだった。

遠く、空の向こうに
その方が気分のいいせいもあるのだが、我が家から散歩に出る時は、遠く空の向こうにイギリスのフットパスの光景を思い描きながら、歩き始める。最初、目の前はいつも見慣れた光景なのだが、そのうちあちらこちらに(いまの季節なら)木々の芽生えの色をみつけ、そんなところから、比較的簡単にイギリスの草原を歩いている気分になることができる。最近、岩だらけ、砂だらけの道を歩く旅行をしたせいもあって、一層イギリスの夏の緑あふれた中を歩いている自分を想像することが嬉しい。これまで3回のイギリスの旅で、私(たち)はイギリスのいろんな形の散歩の光景を眺めている。時に私たちもその中に入っていたりするのだが、そんな光景を遠く、空の向こうに思い浮かべられるのは、いまの私の心の潤いのようなものかもしれない。
バーデン・タワーからの川沿いのフットパス
イギリス最初の年の最後の頃、少し疲れていたこともあって、泊まっているバースの町からそんなに離れていない場所で歩けそうな道を探していた。地図(Explorer Map)を見ていると、そういう感じの道はなんとなくみつかるもの。みつけるのは、たいてい妻。バスステーションから20分ほどバスに乗って、降りたところでその道をみつけるのはちょっと厄介だったが、公園の芝生の向こうに見える小高い丘を上っていったら、その先に草原が広がっていた。地図に記されている道は、そこからいろんな方向に伸びていて、どこへでも行ける感じではあったが、帰りのバスの便のことも考えながら、歩いていた。
そんな私たちの前を、長いスカートをはいた老婦人が二人連れ立って、話をしながら、草原を上っていく。私たちは完全なウォーキング・スタイルなのだが、彼女たちは午後のティータイムの前の散歩に出てきたという感じで、それはまるで映画のシーンをみているようだった。
リポン郊外のフットパスにて
30代あたりに見える男性二人が、いかにもイギリスという感じの長い傘を持って、牧場のわきの道を話しながら、歩いていく。時おり、パラパラくる雨のせいで傘を持っているのだろう。さっきまでのおしゃべりの続きを、今度は歩きながら・・・という感じで歩いている。あるいは、車を降りた父親と高校生のような娘と息子がフットパスに入ってくる。この日は日曜日、おそらく散歩なのだろう。そういえば、車でやってきて、その車をそこら辺にとめたまま、そこが我が家の近くのような感じで、散歩を始める人も多い。その車に犬を乗せてくる人も多い。日本の見慣れた道を歩きながら、心のどこかに、イギリスのそんな光景が何度もめぐってくる。

私たちの英語力
ところで、私と妻の英語力はどれくらいなのか。英語圏へでかけ、自分たちで行き先を決めて行動する旅をしているから、まったくできないわけではない。しかし、決して堪能というわけでもない。中学から大学まで学び、勉強した、かすかに身についた学校英語が基本。これに、会社で仕事用語として、継続して英語に触れてきた経緯があるくらいで、英会話を勉強したことはない。第一、そういう面倒なことは続けられない。いまは、英会話の勉強に時間を使う(くらい)なら、体力的に限られてきた時間をほかのことに使いたいというのが、私の本音であって、積極的に英語をどうにかしたいという気持ちはやはりない。
ハドリアンズ・ウォールパス
だから、旅行中こちらのしたいこと、思うことを十分に伝えられず、残念な思いをしたことは何度もある。その時だけは、今度こそなんとかしようと思うのだが、日本へ戻ってきてしまうと、その思いはあっけなくどこかへ消えてしまう。おそらく、たとえ思い通りにいかない場面がたくさんあったにしても、まあまあ、それなりになんとかなっていたからではないか。それに、自分たちで動いているといっても、自分たちの目の前の状況を次々に解決しなければ、先へ進めないという、せっぱつまった冒険の旅をしているわけではない。

なんといっても、学校英語
英語の成績ということなら、間違いなく妻の方がいい。かつて赤ペン先生をやっていたくらいだから、英語の基本というものが身についていて、その分頼りにはなるが、おおよそが紙の上で勉強した日本英語であって、話す場面になると、彼女の控えめな面がでてしまうこともある。私はといえば、大学に入ってから、急に勉強がイヤになり、かつての学校英語の蓄積(?)など減っていくばかりだが、代わりに度胸だけはふくらんできた。そこで、自分の英語力のなさを自覚しながら、いざとなれば、恥ずかしげもなく、自分のもっているものでなんとかしようとする。それが時に空回りして、滑稽な状況になったこともある。
時として失敗するのは、変に格好をつけ、わかったふりをして、そのまま相づちを打っていたため、相手がどんどん早口でしゃべってきて、どうにもならなくなるパターン。いい格好をしたいだけの英語など、決して長続きはしない。まもなく謙虚な自分に戻り、ゆっくりと質問を繰り返し、相手の話す内容を確認しながら、なんとかこちらの思っていることを伝えようとする雰囲気が相手に伝わってくれば、やっと私のレベルの会話ができるようになる。極意(?)は、私の英語はたいしたことないと思われながらも、めげず、臆せず、わからないことがあったら、そのたび質問して、もやもやをクリアにして、先へ進むことかもしれない。

ファウンテン・アベィ(リポン)

突然の雨に大きな水たまり
もうひとつ、自分がどうしてもこうしたいという時は、自分の知っている限りの単語を駆使して、繰り返し自分を主張し続けることだろうか。旅をしていると、そういう機会は何度かめぐってくるもので、そういう追い込まれた状況で、なんとかしようと四苦八苦していると、それでもどうにもならないことはもちろんあったが、まあまあなんとかなる、なんとかできるものだという、空自信のようなものだけはつく。

映画館で実感できた英語力
先日、映画館で自分の英語力を試してみた。イギリス映画『いつか眠りにつく前に』(英語のタイトル/EVENING)を見ながら、何度か字幕を外し、耳に聞こえてくる英語だけで、スクリーンを見ようとしてみた。私は、字幕の日本語を読んでいると、耳の方が英語の音声をシャットアウトしてしまう。だから、音声の内容を理解することなど、もとより不可能。もちろんのこと、日本語の字幕を見ながら、映画についていくことはできる。ただ、字幕が長くなると、それをみながら、映画についていくだけで精一杯。いや、遅れてしまうことも多くて、あせる。当然ながら、字幕を読んでいる間、英語に耳を傾け、その世界にひたるなどということは完全にあきらめている。

試しに、耳を映画の英語音声に集中させてみた。案の定、とたんに字幕が見えなくなってしまった。それでも、その耳でかろうじて英語を理解できているうちはよかった。そのうち内容がごちゃごちゃになりかけ、スクリーンの情景でも理解できなくなってきて、これではせっかくお金を払ってみている映画がもったいないと、やはり字幕に戻ってしまうのだった。要するに、私の英語力はこんな程度。映画の内容に少しまではついていけるが、それを長くは続けることができない、そんな程度。

リポン郊外のフットパス

グラスミアのフットパス
ただ、時おり、映画の会話が意外に短いシンプルな単語で成り立っていることは感じる。そのたび、映画ではうまいこと日本語に直しているものだと感心する。そして、実際の会話でもそうだったことを思い出す。だから、そんな形で続いている会話なら、なんとかわかった気分でいられる。ところが、そのうち意味不明な単語が入ってきて、それをつかまえようとして、ひょいと頼りなげな触覚を伸ばしたとたん、それが蜘蛛の巣にでもひっかかった状態になって、その先身動きがとれなくなってしまう。やはり、映画は字幕なしでは無理。

実際の会話では・・・
その場の相手の雰囲気やしぐさから想像する手が残っている。そして、前にも書いたように、その内容がわからず、それをどうしても理解したいと思った時、私はわからないなりに粘る。こうなると、もはや見栄とかそういうものを超えて、精一杯の自分を出すしかない。実は今まで、それで、なんとかなってきたところがある。知らず知らず、一番奮闘していたのは、ここはどうしても譲れないという場面だったろうか。その時は、これまでの人生で身につけたものを総動員させて、とことん自分を主張し、自分(たち)がしたいことの表現に全神経を集中させる。
ケズイックにて
この場合、電子辞書の例文集をのぞくより、自分の知っている英語、その時浮かんできてくれた英語でなんとかする。実は電子辞書というもの、持って行くには持っていくのだが、意外に取り出すのが面倒で、しかも取り出すタイミングが遅れ、お荷物になることが多い。それに、私の場合、結果が良くても悪くても、奮闘したことで満足してしまうことが多い。そういう時の私は、覚束ない英語で、見るに耐えない一人芝居をしているに違いない。きっとおぼれかけて、必死に手足をばたつかせている状態に近いのだろう。そして、しみじみ思う。もっと英語ができたらいいなあと。さらには現地で生活し、毎日こんな奮闘をしていたら、必ずや英語も身についてくるはずだと。しかし、日本に戻ってしまえば、とたんにそれっきり。

ありがたいのは、こうした中途半端な、不十分な英語でもなんとかなっていたこと。そして、一番ラッキーなのは、それで、これまで生死に関わる状況に陥ることがなかったこと。そういう状況になるまで追い込まれたことがなかったこと。また、そういう状況には、自分たちからなるべく入らないようにしていたこと。

先延ばし、後回し(明日でいいことは明日にしよう)
最近、いろんなことを先延ばし、後回しにしている。この一年で、その傾向がますます強くなってきた。三年前、会社へでかけることがなくなってから、こうなり始めた。それでも、最初のうちは会社勤めの名残りもあって、頭に浮かぶ用事のあれこれにやりくりをつけ、それらをいかに効率的にこなすかを考えていた。私は、以前から基本的に「おりこうさん」(?)にできているから、会社をやめた後も、できるだけまわりから悪く思われないよう、そして自分でも納得できる形で日々を送ろうとしていた。
モンサル・トレイルにて
ひとつの転機は、いろんな無理がきかなくなったことだろう。それに、あちこちの機能が衰えてきた。以前にはなかった(?)物忘れ、記憶が飛んでいってしまう現象とか、異常に疲れやすくなったとか、疲れが思いのほか抜けにくくなったとか、じわりじわりとわが身に迫ってくるものが増えてきた。もはや、以前のようなやりくりなど無理になってきた。そこで思った。なにも、そんなに焦ることはない。目の前のことで、そんなにキリキリする必要もない。そんなことから、積極的に「明日で済むことは明日に延ばす」ようになってきた。

自分から背負い込む癖
会社へ行く必要がなくなって、時間はたっぷりあるはずだが、気持ちの上では、以前と変わらず、いつもなにかに追われている気がする。いまだに、私は自分でいろいろ背負いこむことが多いせいだ。その時々の成り行きで、つい「それ」を背負い込んでしまい、いつのまにかやらなければいけないことが増えている。
それは、まだまだなにかができる、なにかをしたいという気持ちがあるからなのだろうが、悲しいことに、そのひとつひとつの処理時間が、以前にくらべて目に見えて長くなってきた。だから、たとえ数が少なくなっても、いつも目の前には、しなければならないことがぶらさがっている。そのしなければならない(?)こととは、実を言うと、決してイヤなことでもなく、できればやってみたいことだから、なんともしょうがない。それがイヤなことなら、もうとっくにやめている。

代わりにすること
イヤなことはしない。したくないことはしない。これは、最近いろんな面ではっきりしている。ところが、最近イヤではないことも、平気で先送り、後回しするようになった。代わってすることとは、「いましたい」いろいろなこと。それが、妻との散歩や毎日の買い物であったり、いましか見られないスポーツのテレビ中継だったり、これからでかけることができるスポーツ観戦だったり、映画だったり、息子が休みの日なら、どこかへ出かけることだったり、まれに本を読むことだったり、要するに「いまのいま、したいこと」がひょいと目の前に現われると、そしてそれがやっぱり「いましたい」ことなら、簡単にそれをやってしまうようになった。

セトル郊外のフットパス

マーラムのフットパス
その一番大きなものが、一年に一度の「イギリス旅行」ということなのだが、そのほかにも、どこかへでかけたいという気持ちがひょいとわいてくることがある。そうなれば、私は簡単にその気持ちに従うようになった。日々の小さなひとつひとつなら、そんなに誰かに迷惑をかけるということもなく、自分の問題として考えればいい。ほかに、それなりに時間がかかりそうなものについては、数少ない誰かとの約束は大丈夫かと考えつつ、可能なら(それができるのなら)、時にそうした予定を変更してでも、いましたいことを優先させるようになった。

残された時間
これは、どこかで「自分に残された時間」のようなものを意識してのことかもしれない。その残された時間については、「いましたい」という気持ちを自分の体に納得させて、以前のように動くことがだんだん難しくなりつつあることを感じるようになって、余計意識し始めた。そのこと(だけ)を考えると、ある意味、他人の目はそんなに気にならなくなった。
どこかに、自分のしたいことで、できることがだんだん少なくなってきて、それをするための力も限られてきて、いつかはなくなってしまうはずだという予感がある。人にそんなサマをあからさまにみせることはないと思うのだが、内心なりふり構わなくなっているのはそのせいだろう。要するに、いま自分がしたいこと、できることを、いましたいという、ただそれだけのこと。いま、私にめぐってくる状況は状況として、一番基本的なことはこれなのだと思う。

身のまわりの整理
ところが、そうしたおかげで、いまだ手付かずのもの、中途半端になっているものがある。退職した時、ひそかに心に誓ったことがある。その中のひとつが身のまわりを整理すること。今迄、私のまわりに積み重なっていたいろんなものを捨てて、身軽になって、自分がいま(これから)できることをみつけていこうと考えた。まずは、そこから始めようと思った。ところが・・・
自分がどうしたいか、頭の中ではちゃんとわかっている。静かにこれからのことを考えてみると、今迄いろんなことで集めてきたもののほとんどは要らないのだと思える。それらを思い切って整理できたら、どんなにすっきりして、逆にこれからのかすかな可能性が見えてくるのではないかと思う。ところが、それがなかなかできない。できないすべては、私のどうにもならない整理能力のなさにある。自慢するほどのことではないが、私は身のまわりをすっきりさせることが大の苦手なのだ。

宿の窓から(午後9時40分)

ハドリアンズ・ウォールパス
いま、こうしてこれを打っているパソコンのまわりだって、いろんなものでごちゃごちゃしている。
頭の中ではわかっている。ひとつひとつを元の場所へ戻せば、それで済む話なのだ。すべてはそうなのだが、それができない。それを元へ戻す前に、次のものを持ち込んでしまっている。これが重なれば、当然ごちゃごちゃが始まるわけで、時間が経てば、それらは山となっていく。それでも、その状況に我慢できているのだから、この性癖はこれからも直らないのだろう(と思う)。片付ける以上に次のことがしたいから、いつまで経っても、状況はよくならない。

今度こそは・・・
退職を機に、今度こそはと思った。時間だけはたっぷりある。それで、今迄になく精力的に整理を始めた時期があった。あれほどあった(?)本の類はほとんど捨てた。写真の類も、最低必要なものだけを残し、ほかは捨てるという準備段階は終えた。思い出の品も、第一段階の選別を終えたのだが、さて最終的にどうしようかというところで、いつもの優柔不断、挙句の果てが面倒くさくなって、そのままになってしまった。かなりの数の写真についても同様。最終選別のところで、動けなくなってしまった。そのうちに、次にしたいことが次々と頭に浮かんできた。

キャットベルにて

ハドリアンズ・ウィールパス
「片付ける以上に次のことがしたい」というこれまでの私に、さっきの状況変化が起こってきた。それで、いつか動けなくなってしまうと思うから、動けるうちに動いておきたいという気持ちがふくらんできて、またまわりにいろんなものが積み上がるようになった。まわりだけなら、なんとか収拾もつくが、まわりに収まりきらないものはほかの場所へそっくり移動するという、逃げの手を使うから、状況はますます悪化してくる。加えて、もうひとつ、都合の悪いことが起こってきた。体力のほかに、記憶力までもがどんどん衰えてきて、どこになにがあるかということがぼんやりし始めてきた。だからこそ、身のまわりの整理が必要だったのだ。おそらく、もっと追い込まれてきたら、きっと動くはずだと思う。なにかのきっかけで、大胆に動けるはずだと思う。そう信じながら、私はまた次にしたいことを考えている。

記念切手
実は、これも身のまわりの整理のひとつかもしれない。集めていた記念切手を思い切って使うようになった。記念切手を集めるのは小さな頃からの趣味だった。子どもの頃はお金もないから、集めるといっても、たかが知れていた。果たして、その時の切手がいまどこにあるのか、それをどうしたのか記憶がない。会社勤めになって、記念切手収集を再開した。今度はこれらを使いながら、同時に集めるようになった。同じ料金の切手なら、きれいな記念切手の方が断然いいというこだわりのせいで、今迄手紙に貼っていたのは、ほとんどが記念切手。それでも、保存用として別にしておいたものが、ストックブックにかなりの数残っている。
勤めをやめてから、できるだけ出費を抑える気持ちも出てきて、これらを使うようになった。最初、きれいに並べていたそれらを使うのには抵抗もあったが、これを残しておいて、どうなるものでもないと思ったら、ふっきれた。各種、いろいろな思い出の切手がある。おかげで、その時の気分で、あるいは相手を考えて、その中から自分なりの切手を選ぶことができる。
80円、50円切手はもちろんだが、その前に62円や41円というのもある。さらには20円、15円、10円、7円、5円と古いものも残っている。これらを組み合わせて使うため、1円、2円、3円の切手も用意した。気持ちは吹っ切れたから、おおらかに使っているが、決してこれは目に見えて減るものではない。

パソコンメールより手紙
ただ、惜しげもなく使う快感はある。もしかしたら、価値がある(かもしれない)切手だってあるはず。しかし、そんなことはどうでもいいと最近思うようになった。そしてまた、これはその時の気分にもよるのだが、パソコンのメールより手紙がいいと、また思うようになった。携帯電話は持っていないから、これに関わるメールに煩わされることはないのだが、パソコンのメールは時々利用する。ボランティアに関することや、どちらかという事務的なことが多いだろうか。もうひとつは海外にいる娘との交信に使う。それ以外は、どちらかというとパソコンのメールは避けているところがある。これにはまってしまうと、大変なことになると思っているからだ。

トップ・ウィズンズ(ハワーズ)にて

ハワーズのフットパス
メールを打てば、(私も)その返信が気になる。どうして返事がこないのだろうと、つい思ってしまう。そのことについて、あれこれ憶測をしてしまう。だから、そういう時間はできるだけ少なくしていいと思っている。その代わり、手紙を書く。あるいは葉書を書く。これは、書いて送ってしまえば、あとは忘れてしまえる。この感じがいい。それと、手書きのインパクトって、この時代だからこそ、結構大きいものだとひそかに思っている。それにしても、記念切手はなかなか減らない。もしかしたら、手紙を書けなくなるくらいの時までの切手は十分にあるかもしれないと思ったりする。もちろん、最近切手を買うことはほとんどない。


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