んだんだ劇場2008年2月号 vol.110
No54
秋田撤収

 「あなたの場合、ただ荷物をまとめるだけでないわね」と母。「どうして?」と僕は聞くと,「だって,あなたが生活しやすいように取り付けた手すり,そのままで良いのか…それとも,元通りにするのか,確認しないとね。あと,駐車場に立てた電動車イス置き場を撤去してくれる業者を探さないとね」と母は思いつくままに言いました。(いろいろとあるんだなぁ)と,僕はしみじみと実感しました。
 早速,電動車イス置き場の撤去は,知り合いの建設会社のAさんに頼みました。「三戸先生,新屋に来て,3年しか経っていないのに…寂しいね。この地域で,先生の転勤が噂になっていましたよ。先生,引っ越しの業者,頼みましたか」とAさん。「いいえ,まだですけど」と答えると,「なんだったら,私たちがやりましょうか。私たちなら,先生の都合で動けますよ。小屋の解体作業と合わせて,4万2千円でいかがでしょうか」とAさん。こういう場合の相場はいくらなのか分からないけど,引っ越し業者への依頼の手間も省けるので,Aさんに頼みました。
 僕は部屋の手すりのことを不動産屋に相談しました。「分かりました。大家さんに確認を取ったら,連絡します」と。約1時間後,僕の携帯電話が鳴りました。不動産屋の担当者からでした。「大家さんと確認を取れました。取り付けた手すりなどは,"そのままでも良い"と言っています。三戸さんが退去した後,バリアフリールームとして,売り出すそうですよ」と担当者。(大家さんも,上手い商売をやっているなぁ)と思いつつ,その気持ちを母に伝えると,「良かったね。これら全てを取り外して,取り付けた後も無くして,元通りにするとしたら,たぶん,かなりの費用が掛かると思うよ」と言っていました。
 3月29日午前中,離任式。午後から,友人の車で由利本荘市へ行きました。アパートの契約と,住民票を由利本荘市役所へ提出するためでした。最初に不動産屋で,アパート契約をしました。契約には連帯保証人が必要なので,母と叔母が待っていました。署名以外の箇所は窓口の担当者に代筆を頼みましたが,署名は自分が書きました。僕は細かい欄に書くことが困難で,きれいで見やすい字が良いのかなぁと思っていました。その気持ちを伝えると,「やはり,ご本人様がサインした方が…」と担当者は勧めてくれました。契約書のサインは,契約した本人が書いたかどうかが一番大切なのだと知らされました。そして,担当者から新しい部屋の鍵を渡されました。母と叔母に鍵を渡しました。「引っ越しの前に,部屋に絨毯を敷く」と母が言いました。
 僕と友人は,由利本荘市役所へ行きました。住民票を移した後,福祉課に行きました。先日,校長室でお会いした方が窓口で対応しました。「たった今,由利本荘市民になりました。秋田市から『障害区分認定証明書』を取り寄せて,持ってきましたよ」と言うと,「では,手続きをしますね」と担当者。しばらく,僕は腰かけて待ちました。「三戸さん,できましたよ。介護給付費支給決定通知書,障害福祉サービス受給者証,移動支援事業利用決定通知書の3つです。これで,行政上の手続きは終わりました。福祉サービスが受けられますよ。細かい点は,社会福祉協議会のホームヘルパーや介護タクシーの運転手に伝えてくださいな。何か困ったことがありましたら,いつでも相談してくださいね」。時計を見ると,午後3時ころ。午後4時から,理学療法士のリハビリを予約していたので,友人の車で秋田市に戻りました。友人は病院前まで届けてくれました。
 4年前,突然,腰と首が痛くなりました。そのとき,初めて腰と首のMRIを撮りました。「写真を見る限りでは正常だけど,脳性マヒという障害は不随意運動が伴って,加齢とともに腰や首の骨が変形して,神経を圧迫する場合があるから,定期的に理学療法士の指導を受けた方が良いよ」と整形外科の先生が勧めてくれました。理学療法士の先生とは,このときからの付き合い。2ヶ月に1回ぐらいのペースで,仕事の都合がついたときに通院して,身体の凝りを揉んでもらっていました。基本的にリハビリは気持ちよく,終わった後は身体が軽くなったような気がしました。自分の身体の特性を知っているので,「このようなストレッチをした方がよい…気分転換に,姿勢を変えた方がよい」と指導をしてくれました。だから,"いざ,何かあった場合"も安心でした。
 今回の転勤の話も,伝えていました。「今度,アパートを見に行きたいなぁ…あと,由利本荘の近くの病院で,あなたのリハビリをしてくれるところを探さないとなぁ。生活が落ち着いたら,近くの病院を教えてください。紹介状を書くので…」と理学療法士。(赴任する本荘東中の学区内へ引っ越すことで,生活が一変するのだなぁ)と改めて実感しました。でも,いろいろな方と知り合うことができると思っていました。
 その日の夜は送別会。3年間,お世話になった同僚と楽しい時間を過ごしました。気を張っていたので,お酒はかなりの量を飲んでいたけど,意識は冴えていました。
 翌日,電動車イスのメンテナンスを頼んでいる業者は,屋外用と学校内で使用している電動車イスをアパートと本荘東中に届けてくれました。また,その業者から購入した介護用ベットも運んでくれました。
 3月31日。引っ越しの前日。近くの建築会社のAさんが「小屋を解体するよ」と訪れました。(どのように,解体するのかなぁ)と僕は興味があり,解体作業を見ていました。10分くらいで,作業は終わりました。
「早いですね」と言うと,「いいえ,普通ですよ。取り外したものは全部捨てておきますよ。良いですよね」とAさん。僕は快く頼みました。
 母は29日,30日と休みを取っていました。僕の転勤は僕一人でなく,家族や友人など,いろいろな人の支援が必要と感じました。気づいたら,いろいろな人を巻き込んでいる感じでした。自分でできることは自分でやりますが,できないことは人に頼んでいくことで人の協力を得ることができる…何でも一人で抱え込まないコツなのかなぁ。
 31日の夜,友人・知人が壮行会を開いてくれました。その日のミクシィの日記に,こんなことを書きました。
壮行会があった。 何が寂しいというと、 飲み友だちがいないということ。
明日から,本荘での生活が始まる。
不安でもあり,新しい生活に期待もある。
今日は酔っ払っているけど,3年間,住み慣れたアパートの最後の日を満喫しよう


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