「昨年に引き続き、今年度も秋田県の学力が全国でトップだね」
インターネットを見ていた同僚の一人が呟きました。その結果を聞いて、職員室にいた他の同僚は一喜一憂するわけでなく、冷静に仕事をしていました。僕も、その一人でした。
翌朝の新聞には、全国学力・学習状況調査の分析が載っていました。仕事柄、僕は記事に目を通しました。今年度も含めて、3年連続で2年生の担当をしています。僕が教えた2年生の生徒が全国学力・学習状況調査を受けているので、僕にはその結果は人ごとでないような気がします。昨年度の結果も、今年度の結果も、好成績を修めた秋田県の中学3年生のなかに、僕が教えた生徒も含まれていることは喜ばしいことです。これも、生徒の活躍の1つでは・・・と思っています。
昨年度の全国学力・学習状況調査の結果は、予想もしていなかった好成績に、僕は素直に驚きました。たぶん、驚いた人は僕だけではないでしょう。昨年度の結果が公表されて、数は多くありませんが、全国各地から僕のところに問い合わせがありました。
「秋田県が全国トップの結果。秋田県では、どのような教育実践を行っているのか、三戸さんが知る範囲で教えてください」
「平均点を落としたくないために、普通学級で学ぶ障害児や学力底辺の子どもたちを受験させなかった学校もあると聞きます。秋田県では、そのような学校はありませんか」
「なぜ、秋田県がトップレベルなのか、三戸さんの考えを聞かせてください」
本人も分からずに悩んでいることについて、同じような質問を何度か聞かれました。僕は一人の教師として、思うところや考えることを話しました。しかし、(どうして、トップの成績なのか)分かりませんでした。自分自身の授業を振り返ってみても、"この学習指導をしているからだ"という確たる信念もありませんでした。全国学力・学習状況調査の結果を問わず、目の前の生徒の力を高めていきたい…そのための手だてを考えていました。他県の教師仲間が僕にこんなことを言いました。
「次回の調査結果が気になりますね。プレッシャーがかかるでしょう」
そういうものを、僕は全く感じませんでした。《全国学力・学習調査の点数を上げたくて教師になったわけでなく、中学生に数学を教えたくて、教師になったのだ》と、自分の初心を忘れないで教師生活を送ろうと改めて決意しました。僕に数学を習う生徒たちが「三戸先生と出会えて、三戸先生から数学を教わって、良かった」と思うような教師を目指しています。一人の人間に、一人の教師が及ぼす影響は大きいと思っています。その影響力を十分に理解して、僕は生徒に数学を教えているつもりです。
数学教師として、僕は【教える】という行為を客観的に考えた場合、いくつかのハンディキャップがあるように思います。僕は言語に障害があります。慣れると聞き取ることはできますが、授業は普通の会話とは違います。僕の説明を聞いて、生徒は数学の内容を理解する必要があります。僕の言葉を聞き取ることができなかったら、生徒は数学の内容を理解できません。僕の説明を聞いて、数学の内容を理解していることは、ひょっとしたら、ものすごい力を生徒は身につけているのかなぁと考えています。
また、僕は定規を使って、直線を引くことができません。何度も練習をしましたが、右手で三角定規を固定して、左手で直線を引く行為が難しいです。だから、一層のこと、僕は定規を使うことをやめました。直線をフリーハンドでかきます。当然、直線でなく曲線になりますが、生徒に「みなさんは定規を使って、キレイな直線を書いてね」と話して、生徒に納得してもらっています。ときどき、「先生、キレイな直線って、どんな直線ですか。書いて見せてよ」と生徒に突っ込まれるときがあります。問題練習をするときは、生徒に直線を引いてもらうこともあります。数年前まで、直線は全て生徒にかいてもらっていました。
でも、講演会などで「ありのままで生きていこう」と呼びかけている僕が生徒にありのままの姿を見せているのかなぁと疑問に思いました。僕がかく直線で、生徒が分かりにくかったら、そのときに考えれば良いと思いました。それから、図形の学習でもフリーハンドで黒板に図をかいています。「この正方形を見てください」と言う僕自身が、どう見ても正方形でない図形で説明します。生徒が「分からない」と言わない限り、良いのかなぁと思っています。(本当は、いけないのかもしれませんね・・・)
円はフリーハンドでかくことが困難でした。円を描く道具はコンパス。授業で、僕は普通のコンパスを使うことはできません。「すみません。僕の代わりに、円を書いてくれる人は、いませんか」と呼びかけて、生徒に円を書いてもらっていました。これが僕の授業と思っていました。でも、僕も円を書いてみたいなぁ…生徒をビックリさせたいなぁ…。あるとき、数学の教材カタログを見ていたら、あるコンパスに僕の心が釘付けになりました。『自分で円を書くことができるかも…』と、うっすらと期待を抱きました。早速、「普通のコンパスなら、自分で円を書くことはできないけど…このコンパスだと」と同僚の数学科の先生にカタログを見せると、「そうだね。使えるか試してみたら…」と言ってくれました。僕の心を奪ったコンパスは、コンパスの針に磁石がついていて、黒板にくっつきます。コンパスの幅を調節して、チョークを持ち、腕を一回転すれば、円がかくことができます。
初めて、授業で僕のコンパスを使った日のこと。生徒は物珍しそうに、僕のコンパスに近寄ってきました。
生徒「先生、これなあに?」
僕 「僕のコンパスだよ」
生徒「先生が円を書くの?」
僕 「そうだよ」
生徒「へぇ〜」
授業で、僕のコンパスを初めて使いました。コンパスの針を黒板にあてて、チョークを持ち、腕を一回転すると、円がかけました。その瞬間、僕は数学教師として、1つの壁を乗り越えたように思い、ものすごい自信に満ちたことを覚えています。生徒は自分のことのように喜んでくれました。
大切な重要語句は、パソコンで印字して、ラミネートをかけて、裏に細切れ磁石を貼る学習カードを使用しています。授業のまとめや前の時間の復習などに使用しています。以前は画用紙で学習カードを作っていましたが、使用頻度が多くなると、画用紙がヨレヨレになります。だから、少しでも長持ちすれば…と思い、ラミネートをかけることにしました。
このような姿勢が評価されたのでしょうか。今年の8月に、NPO法人日本教育再興連盟から「第1回 日本教育再興連盟賞」を受賞しました。「教育夏まつり2008」(NPO法人日本教育再興連盟主催/横浜市教育委員会後援)の開会式において,表彰式が行われ、僕を含めた3人の方が表彰されました。日本教育再興連盟の理事である陰山英男先生から,賞状とトロフィーを頂きました。陰山英男は「あなたのような教師が,ますます教育現場で活躍してほしい。期待していますよ」と言ってくれました。今回の表彰理由は,次の3点です。
- 身体に障害を抱えながらも、そのハンデを克服して、独自の教材、独自の授業を創意工夫し、教師並びに教育の在り方に希望を与えたこと。
- 障害者の体育大会に参加して優秀な成績を収め、社会的活動の面でも、生徒にひとつの教育的指針を与えたこと。
- 上記のことを、『がんばれ学ちゃん先生』(小学館刊)『マイ・ベクトル 夢をあきらめないで』(グラフ社刊)の2冊の著書で報告。出版活動を通して、教育的メッセージの普及に努めたこと。
僕の背中を後押ししてくれるような表彰理由でした。僕の教育方針を高くかってくれている方がいると思えば,少し自分に自信が持てたような気がしました。「数学の授業を通して,生徒に伝えたい」「僕の生きる姿を通して,生徒に伝えたい」との僕の姿勢がぶれないことが大切と実感しました。そして,何よりも一人の教師として,評価されたことが喜びでした。
「教育夏まつり2008」の出演者に,2人の秋田県出身がいました。オリンピック・スイマーの長崎宏子さんと,小児科医で障害者医療に従事する武田洋子さんと挨拶を交わしてきました。「同郷」と聞いて,妙な親近感を抱いてしまうのは不思議ですね。
8月下旬に,今年度の全国学力・学習状況調査の結果が公表となりました。
「秋田県の小・中学生は2年連続,トップレベルの学力ですね。秋田県の教育力が実証されましたね…秋田県の子どもたちは問題の無回答率が低いようだけど,思い当たる指導とか,ありますか」と知人。
「分からないよ。授業で,間違っても良いから,自分の考えを発表しようと言っていることが良い方につながっているのかなぁ」と僕。知人は首を縦に振りながら,僕の話を聞いていました。
「それよりも,学力的に優秀な人材を秋田県内で受け入れる企業は少ないから,県外に出て行く人もいるし。また,全国的にフリーターやニートが増えてきているよね。この現状を踏まえたとき,目の前の中学生に何を伝えていくのか,どのように接していけばよいか…毎日,生徒との関わりで悩んでいます。悩みは,尽きませんね」
知人は「三戸さんは,何事にも積極的に行動しているので、とても悩んでいるように感じませんよ」とのこと。意外と、僕はソンをしているのかなぁと思いました。