んだんだ劇場2008年11月号 vol.119
No61
酔って候

 週末の金曜日に、晩酌をしています。夏はビールと焼酎のウーロン茶割、最近は寒くなってきたので、焼酎のお湯割りを一人で飲んでいます。ホームヘルパーが午後7時から午後8時30分まで、夕食を作ります。「ヘルパーさんが仕事をしているときに、失礼かなぁと思って晩酌はできないよ」と僕は同僚に話すと、「そうだよな。三戸の気持ちは分かるよ」と言う同僚もいれば、「そんなこと、気にしないで、飲みたければ飲めばイイよ」と言う同僚もいます。ホームヘルパーが僕の生活支援を終わって帰ると、僕は電動車椅子で近くの《MaxValu》にお酒を買いに行きます。今、住んでいるアパートは《MaxValu》の裏にあり、電動車椅子で往復5分もかかりません。しかも、24時間営業の《MaxValu》です。買いたいときに買いに行くことができます。いつも、350mlの缶ビールを3本くらい買ってきます。そして、家でチビチビと飲み始めます。飲みながら、新聞を読んだり、メールを書いたり、授業のプリントを作ったり、原稿を書いたり…リラックスして取り組んでいます。僕のささやかな楽しみです。
 僕は飲み物を飲むとき、ストローを使います。ソフトドリンクを飲んでいるときは、何も言われませんが、ビールのジョッキにストローを入れると、初対面の方は「ストローでビールを飲むのですか。酔いませんか」と、ほぼ必ず聞いてきます。「ストロー以外で、ビールを飲んだことがないから、酔うのかどうか分かりません」と、僕は答えています。それにしても、最近の社会状況の反映なのか、「ストローでビールを飲むと、早く酔いが回るから、経済的でイイですね」と言われたことがあります。「そんなことないですよ。僕はジョッキを手で持つと、こぼす場合があるので…」と僕は自分のことを必死に説明しようとしましたが、何だか空しくなりました。また、世の中が世知辛くなってきたのか、電動車椅子に乗っている僕に「酔っぱらい運転ではないの?」と聞いてくる方がいます。初めは冗談かなぁと笑いとばそうと思っていましたが、どうやら本気で思っている様子。「電動車椅子に乗っていても、一人の人が歩いているのと同じです。酔っぱらって、電動車椅子が蛇行しても、足元がおぼつかなく歩いているのと同じこと」と話すと、「自転車も酔っ払い運転はダメなので、電動車椅子は・・・と不思議に思って」とさらに聞いてくるので、「例えば、自転車に乗ったままスーパーに入れないでしょ。だけど、電動車椅子に乗ったままスーパーに入れます。それと同じことですよ。自転車は軽車両で、電動車椅子は歩行者扱いですよ」と説明をして、納得してもらいました。
 お酒の味は、学生のときのコンパで覚えました。子どものとき、冷蔵庫にあるビンビールを興味本位で隠れて一口飲んだとき、(こんな苦いものを、大人は良く飲むなぁ)と思ったことがあります。その苦さが美味しいと感じるようになって、(これが大人になるということなのかなぁ)と妙な感動を覚えました。学生の頃から、いろいろな人が僕を酒場に連れて行ってくれました。人生の先輩の奢りで、お酒を飲んだことが何度もありました。僕は興味をもった市民活動などに積極的に参加していたので、自然と飲み会に僕を誘ってくれました。酒場で出会った方と語り合ったり、名刺交換をしたりして、人と人とがつながっていく様子を見てきました。このような様子を見せることで、人生の先輩は僕に社会勉強をさせてくれているのかなぁと思っていました。周りから《ストローでお酒を飲むガクちゃん》と、可愛がられていました。学生の頃、僕は周りから"ザル"と呼ばれていました。ビール、焼酎、ウイスキー、日本酒など、いくら飲んでも顔色がポッと赤くなるだけで、酔いつぶれることはありませんでした。深夜の午前2時、午前3時まで飲んでいても、翌朝に二日酔いで苦しむことはありませんでした。ウイスキーの水割りを水のように飲んでいました。(お酒が強いのかなぁ)と思ったほど。「昼の街をバリアフリーにして、夜の街もバリアフリーにしよう」と、僕は豪語していました。『若気のいたり』でした。
 教師になって、お酒の飲み方が少しずつ変わってきました。翌日に仕事があると、時間を気にして飲むようになりました。翌朝にお酒が残らないよう気をつけようと心がけています。でも、お酒に関して、僕の意志は弱く、ほろ酔い気分になると、『明日のことは明日に聞いてくれ…』というノリで、とことんまでお酒を飲むことがあります。さすがに、お酒の種類を混ぜて飲むことはなく、ビールの後は焼酎を飲み続けます。一応、僕なりに気を遣っているつもりです。「三戸さんは、お酒が好きなのですね」と、今まで多くの方が聞かれました。「お酒が好きと言うより、飲み会の雰囲気が好きですよ」と、僕は応えてきました。「三戸さんは、いつも楽しそうにお酒を飲んでいますね」と良く言われます。お酒を飲むと、僕はいつも楽しい気持ちになり、誰かと話したくなります。自分の話だけでなく、相手の話にも興味あります。お酒を飲むと、僕は『話し上手に、聞き上手』といった感じ。「三戸に絡まれたり、三戸に暴力を振るわれたり…」と言われたことがないから、飲み会での僕の振る舞いは大丈夫と信じています。
 数年前から、飲み会の翌朝は二日酔いで苦しむことが多くなってきました。さらに、記憶が飛んでいることもあります。昨日、どのようにして帰ってきたのか、自分でも良く分からないときがあります。いくら思い出しても、途中から記憶がありません。(朝、目覚めると、ベットの上でパジャマを着て寝ていた…)ということは、昨日の夜はしっかりと意識があったんだなぁと安心していると、「ガクちゃん、大丈夫?昨日はベロンベロンに酔っぱらって,一人で歩くこともできなくて,俺らが抱えて,ガクちゃんの部屋まで届けたよ」と,友だちの電話で驚くこともあります。また,翌朝に目覚めたとき,ほとんど何も覚えていないことに不安になり,友人・知人に電話で昨日の状況を聞くことがあります。
「普通でしたよ。帰りも,一人でタクシーに乗って帰ったよ」
「飲み過ぎて、立てなくなって、お店の人に抱えられて、タクシーに乗りました。タクシーの運転手に自分の住所が言えたので、運転手に三戸さんのことを任せました」
 その度に、僕は「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えています。お酒を飲み過ぎて、苦い思い出が2つあります。1つは、飲み過ぎて寝てしまい、友人が起こしても起きなかったので、友人が僕の携帯電話から母に電話をかけて、迎えに来てもらったことです。翌朝、母に「あまり飲み過ぎないように…人の迷惑を考えなさい」と、こっぴどく怒られました。もう1つは、たまたま通りかかった人に家まで運んでもらったことです。いつもなら、アパートの目の前までタクシーに乗りますが、その日はアパートの手前で降りました。そこからアパートまで歩こうとしたら、雪道で滑って転んでしまいました。(一人で立ち上がることは困難だから、通りすがりの人に助けてもらわないと…だけど、午後10時過ぎに通りすがる人はいるのかなぁ)と思いました。僕は身の危険を感じて、意識がはっきりとしてきました。地面に黙ってうずくまっていても寒いので、地面を這って、アパートに辿り着こうとしました。背後から「どうしたんですか」と女性の声。(助かった〜)と、僕は内心ホッとしました。「雪道で転んでしまい、すぐそこがアパートなので、僕を起こしてください」とお願いすると、3人の女性は「立ち上がることができないほど怪我をしているようなので、救急車を呼んだ方が良いかも…」と話していました。「救急車は自分で呼べるので、すぐそこのアパートまで連れて行ってください」と頼み、3人の女性に抱えられて、事なきを得ました。
 僕はふらっと一人で飲みに行くときがあります。行き付けのお店になると、ビールのジョッキにストローを挿してもってきたり、僕が食べやすいように料理を細かく刻んだりしてくれます。「障害のあるなしは関係ないですよ。うちのお店に来て、楽しんでもらえたら」とママさん。共に生きることの本質に迫る言葉と感じました。僕は酒場を選ぶとき、そのお店の雰囲気と客層を見ます。僕が一人で行く場合、カラオケを歌って騒ぐお店でなく、カウンターに座り、ママさんや同じくカウンターに座っている人と語り合える雰囲気のお店に行きます。飲み過ぎて、苦い思い出のことを話すと、「誰にでも、1つや2つあるから、気にしなくても良いよ」と。
 僕の場合、酒場で語り合った内容は原稿を書くときの視点になることがあります。先日は、今の子どもたちが携帯電話やインターネットの使用について、僕が感じていることを話しました。
「中学生でも携帯電話をもつようになって、僕が中学生のころ、友だちと長電話をしていると、母に怒られた経験を今の中学生はしているのかなぁ…何かを調べたいとき、僕が中学生のころ、図書館に行き、本を1冊ずつ手に取り、必要な情報を探したけど、今の中学生はインターネットで検索する。自分の足で調べた経験が乏しいのでは…僕が中学生のころ、人目を気にしながら、書店でエロ本を見たり買ったりしていました。友だちとエロ本の回し読みをしていたけど、今の中学生はそんな経験をしているのかなぁ。インターネットにはアダルトサイトが溢れているからね」
 翌朝、目が覚めると、男性、女性、それぞれの立場で語り合い、楽しかったことは覚えていますが、肝心の内容は覚えていませんでした。


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