んだんだ劇場2008年1月号 vol.109
No43
モモの大脱走

年老いてまるくなる
 昨年の今ごろ、愛知県豊橋市で、見事に咲き誇った花の木に出会った。高さはそれほどでもないが、丸みをおびた樹形全体を白い花が覆っていて、遠くからでも目立った。巨木とは言えないが、かなりの大きさだ。

全体に無数の白い花を咲かせた巨木
 それは、市役所の隣の、豊橋公園(吉田城跡)にあった。城跡の写真を撮りに行き、市役所の方へ抜けようとして見かけたのである。「これは見事な……」と、木の写真を撮ったのだが、しかし「何の木だろう?」。
 樹木の名前がわからない。花だけを見れば、柊(ヒイラギ)そっくりである。香りもよい。しかし、葉にトゲがない。月桂樹に似た厚みと、形の葉だった。

花そのものは、柊そっくり
 で、何かに使おうと撮影したわけではないので、そのまま、忘れていた。
 それが最近、写真の整理を始めて、この花を思い出した。思い出したら、どうしても木の名前を知りたくなって、写真をプリントし、会社のYさんにきいてみた。
 私は今、NEXCO中日本(中日本高速道路)という会社の本社(名古屋市)広報室にいる。旧日本道路公団を3分割して民営化したうちの1社で、東名、中央、名神などの高速道路を管理運営している会社だ。第2東名とか、新名神など、建設中の高速道路もある。
 技術者がたくさんいるが、全員が土木工学ではなく、植物の専門家もいる。道路わきの斜面に樹木や草を植える仕事があるからだ。山を削って道路を造るのに、そこにもともとあった樹木のタネ(ドングリの場合もある)を採取したり、挿し木にしたりして育て、道路ができたらそれを植えてやる。自然環境をできるだけ変えないために、そんなことをしているのは、この会社に入って知ったことである。その専門家の一人が、Yさんだ。
「香りは、ありましたか?」
「はい」
「だったら、間違いなく、柊ですよ」
 Yさんは、こともなげに答えた。
 私は驚いた。柊と言えば、節分のときにイワシの頭を茎に通して門口に挿しておく、という風習が日本各地に伝承されている木だ。そのトゲで邪気を払うという意味があり、「鬼の目さし」という別名もあるくらいだ。だが、この木の葉は、周囲がスベスベだった。
 「柊は、老木になると、葉のトゲが無くなるんです」
 そしてYさんは、写真の葉の1枚を指し示し、「ほら、この葉は、先端がごくわずかにとがっているでしょ。これは、トゲの名残なんですよ」と言った。
 12月1日の土曜日、房総半島、千葉県いすみ市の家に帰っていた私は、かみさんが庭の片隅に植えた柊を見てみた。植えて1年。今年は、ほんとうに小さいが、花を咲かせていた。

とげとげしいわが家の柊
 「年老いてまるくなる」なんて、柊は人生みたいな木だ。そう思うと、わが家の柊は、やんちゃざかりのように見えた。

モモは力持ち
 愛犬モモが、立ち往生している。改修が終わった川の堤防沿いに張った、朝顔ネットの向こうである。向かってちょっと左側に、モモがネットを食い破った跡がある。外に出たのはいいけれど、鎖はついたままだし、その先には、重さ3〜4sはあるコンクリートブロックが結び付けられている。「これから、どうしよう」という顔に見えた。

「どうしていいかわからない」顔のモモ
 庭の東側に朝顔ネットを張ったのは、今年の春だった。庭を歩いていて、間違って川の方に落ちたら、堤防がとても急斜面なので危ないからと、父親が堤防に沿って鉄パイプを打ち込み始めたのは、その直前の寒いころだった。しかし、鉄パイプに、ハウスに使う細いスチールパイプを渡して柵にするというので、それではちょっと格好悪いから、「ネットを張って、朝顔を咲かせてみたら」と、私が提案したのだ。今年の夏は、朝顔がたくさん咲いた。
 9月の末ごろ、父親が突然、玄関前の芝生に、スチールパイプで柵を作り始めた。
 「モモが、鎖でつながれたままではかわいそうだから、走り回れる場所を作ってやる」と言う。たまたまやってきた私の弟も手伝わされて、「ドッグラン」は完成した。東側の一角は朝顔ネットだ。
 「よし、いいぞ」と父親が言い、私はモモの首輪から鎖をはずした。モモは、一瞬キョトンとしたが、すぐに猛然と走り出した……が、玄関前で急ブレーキ。柵があるのに気づいたのだ。それから、柵に沿ってうろうろと歩き回り、やがてあきらめて、かみさんの花壇の真ん中で寝そべってしまった。
 芝生は広いし、これで思いっきり走り回れる。よかった、と思ったのは1時間くらいで、私が家の中でお茶を飲みながらモモを見ていると、モモは、川べりの朝顔ネットの下の方をしきりに嗅ぎまわっていたが、やがて、ネットのゆるいところを見つけて持ち上げ、逃げ出した。
 モモはこれまで、何度も脱走している。腹が減れば戻って来るから、どこかに行ってしまう心配はないのだけれど、ほかの家に出没して、そこの猫をからかったりするのが困る。以前に一度、そういうことで苦情を言われたことがある。
 今回は、100mほど離れた家に行って、そこでつかまえていてもらった。
 さて、それから……父親は、新しいネットを買ってきて、地面に接するところもしっかり固定し……と、いろいろやったのだが、モモはなんとか脱出口を見つけてしまう。
 一か月ほどして、かみさんから「お父さんは、とうとう、柵をぜんぶ取り払っちゃったよ」という電話がきた。父親は「ドッグラン」をあきらめて、長い鎖の端を、コンクリートブロックにつないで、その範囲で動き回らせるだけにしたのだ。
 モモは体重10sの中型犬だから、それなら大丈夫と思っていたら、12月1日の夜、父親が「いや、まあ、モモの力持ちには驚いた」と言った。
 その何日か前に、モモがコンクリートブロックを引きずって、道路向かいの家まで脱走したというのである。芝生にブロックを置いてある場所から家の玄関まで約10m、さらにそこから道路までは15mほどあって、来客が駐車できるようにコンクリートをはってある。道路の幅は4m。ブロックも完全に道路を横断させたようだから、加えて3m。だから、30m以上ブロックをひきずって、モモは逃げ出したのだ。
モモが道路を横断中に車が来なくてよかった、と言うしかない。
 モモは、生後4か月くらいの時に、わが家へ迷い込んで来た。その「ノラ生活の自由」が忘れられないのかどうかは知らないけれど、いつまでたっても「脱走癖」は衰えない。
 まるでスティーヴ・マックィーン主演の名画、「大脱走」(1963年)じゃないか。
 翌朝、モモがちゃんとお座りして、どこか遠くを見ていた。

どこか遠くを見ているモモ
 なあ、モモよ、お前は鎖をはずされれば自由だと思っているかもしれないけれど、人間はいつも、なんだか見えないものに囲まれていて、なかなか心底から自由にはなれないもんなんだぜ。
 そんなことを言ってやりたくなる、後ろ姿だった。
(2007年12月8日)



師走は霜月

関東の霜柱
 12月14日、金曜の夜、名古屋から房総半島、千葉県いすみ市の家に帰った。駅まで迎えに来たかみさんが、「今夜は、ふたご座の流星群が見られるよ」と言った。そして、火星が大接近していて、それも、ふたご座の方行に見えるのだという。
 そう言われれば、さっき、午後9時15分ごろ、特急から普通電車に乗り換えたJR外房線上総一宮駅(東京駅発午後8時の特急は、一宮駅が終点)のホームから東の空を見たら、オリオン座の左上に惑星があったのを思い出した。
 太陽と同じ恒星はチカチカまたたくが、惑星は一定の明るさで光るので、簡単に見分けがつくのである。それは、とても明るく、私は木星かと思っていたのだが、思い出してみると、木星にしては赤みが強かった。あれは、火星だったのか。
 でも、こんなにたくさんの星が、はっきり見える夜は、たまらなく寒い。流星群の観察は勘弁してもらって、温かい布団でヌクヌクと寝た。
 で、翌朝、畑は一面、霜でまっ白だった。

霜がおりたホウレンソウ

霜で葉脈がはっきりわかる白菜の先端
 房総半島は温暖の地で、雪はめったに見ないが、霜は降りる。ことに前夜のように、すっきり晴れて、風もない夜が明けると、霜が発生しやすい。そのメカニズムはちょっと不案内だが、一面の霜は美しい。そして、霜にあたると冬菜はおいしくなる。と、そういう食い気で見ると、霜の畑が、いっそう美しく見えてくる。
 畑には、霜柱もできていた。しかも、あらゆる場所から伸びている。

朝日に消える寸前の霜柱
 私が育った福島市では、霜柱はとても珍しかった。ところが、ここでは当たり前のように霜柱が成長する。それは土質の違いで、火山灰が堆積した関東ローム層では霜柱ができやすいと、知識では知っていたが、暮らしてみて初めて実感できた。
 ところで、今は12月。「師走」である。が、旧暦ではまだ11月、「霜月」だ。北国ではとっくに雪の季節だから、新暦の11月がまさしく「霜月」なんだろうけれど、わが家のあたりでは旧暦が似つかわしいな、と感じた朝だった。

箸置きの楽しみ
 先日、国府宮神社の参道で、「全国陶器まつり」が開かれた。私の単身赴任宅は、愛知県稲沢市の名鉄国府宮駅前にあり、毎年2月には盛大に裸祭りが行なわれる神社までは、歩いて5分である。「陶器まつり」は3日間開催だったので、私は最終日の午後2時ごろにでかけてみた。そのころになると、少し安くなるかな、という魂胆もあった。
 備前焼、美濃焼、信楽焼……特定の焼き物ではなく、各地の産地から陶器商が集まって開いている雑器市だから、見て回るだけでも楽しい。
 私は、皿や鉢も買ったが、箸置きは7個も買った。

新しく買った箸置きのいろいろ
 皿は、栃木県下都賀郡藤岡町都賀(東北自動車道・佐野藤岡インターチェンジの近く)に窯がある「つが野焼」である。植物を置いて、上から黒い釉薬をかけて焼くのだと思うが、この皿は、ヤブカラシのつると葉がそっくりそのまま模様になっている。ちょっと面白いなと思って買った。
 箸置きは、右側の上から猫、カワセミ、カツオ、真ん中の3つはウサギ、左端は正月らしい追羽根である。
 単身赴任だから、実用としてはこれほど必要ない。これは、撮影用の小物なのである。
 私は今、NEXCO中日本(中日本高速道路)という会社の本社(名古屋市)広報室にいて、「専門役」という肩書きをもらっている。その仕事の一つとして、毎月、社内報に「単身赴任者のための料理教室」を連載している。そのことは、7月(「んだんだ劇場」のバックナンバーでは8月号)にも書いたので、覚えている方もいらっしゃるだろう。
 その際、料理をうまそうに見せる写真を撮るのに、器、箸、箸置きなどが必要というわけだ。例えば、来年1月号用に作ったのがポトフ。

買ったばかりのウサギの箸置きを添えた「ポトフ」
 ポトフは、野菜をなるべく大きいまま煮込むフランスの家庭料理だから、材料を切り刻むのが面倒というお父さん向きだ。キャベツはさすがに4分の1にしたが、ジャガイモもニンジンも、皮をむいただけで、丸ごと鍋に放り込んだ。
 盛り付けた器も、国府宮の陶器まつりで買った、ちょっと大き目の角鉢。箸置きは、スプーンがネコで、フォークはウサギ。こうやって、1人で料理を作り、1人で撮影し、あとはこれが私の夕食になる、というわけである。ちなみに、右側のパンは、大変なパン好きの方に教えてもらった、「名古屋の名店」のバケット。これも、うまかった。
 ついでに、12月号に載せた「けんちん汁」の写真も見ていただこう。

けんちん汁と炊き込みご飯
 箸置きは木製で、箸を載せる部分の黄色が美しいと思って買っておいた。お盆も箸も、こちらに来てから買ったが、みんな「安物」である。
 陶磁器は、値段がピンキリで、「いいな」と思うと、目の玉が飛び出るほど高いことがしばしばある。その点、箸置きの値段はたかが知れている。私が必要なのは、大きさ、形、色がさまざまな器と小物である。
 箸置きもいろいろあれば便利、というだけだけれど……数が増えてきてみると、なんだか、コレクションにしたくなる誘惑も感じ始めている。
(2007年12月22日)


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