んだんだ劇場2009年1月号 vol.121
No27
二人の芸術家、そして不滅の恋人との出会い

 さて、輝かしい傑作の森を抜け出たベートーヴェンを待ち受けていたものは、フランス軍のヴィーン侵入であった。この時期オーストリアは国民軍を編成し、ナポレオンと対決する姿勢を示していた。一八〇九年五月にヴィーンはフランス軍の侵入を許し、市内は一〇月半ばまで占領状態に置かれた。貴族たちは郊外に逃れたが、ベートーヴェンは市街に止まり弟カールの家に避難する。太鼓と大砲の轟音に戦闘の実際を体験したベートーヴェンには、死をめざして創作しなければならないような時期であった。ベートーヴェンの逸話に、音楽について知っているように戦術を知っていたら、ナポレオンをやっつけてやることができるのにと悔しがったのはこの頃のことである。
 先の一八〇五年一二月二日、アウステルリッツの三帝会戦でロシアとともにナポレオンに破れたオーストリアは、プレスブルグの和議を結んだ。ヴェネツィアの割譲、バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデンの独立を認め、ナポリのブルボン王室の追放も承認せざるを得なかった。さらに五〇〇〇万フランの賠償金が課せられ、オーストリアの経済は停滞し物価は高騰する。皇帝に就いたナポレオンは、その牙を剥き出してきたのである。
 一八〇六年に神聖ローマ帝国皇帝フランツ二世は、王冠を返上し、オーストリア皇帝フランツ一世を名乗っていた。ハプスブルク家の始祖であるルドルフ一世が、一二七三年にローマ王に選ばれて以来、その後ハプスブルク家が輩出してきた神聖ローマ帝国皇帝は、フランツ二世を最後に名実ともに歴史の舞台から消えた。神聖ローマ帝国といっても各時代の版図によってはオランダ、ベルギーをはじめとする西ヨーロッパから、チェコ、スロヴァキアにいたる東ヨーロッパや、イタリア北部まで広大な地域を圏内に抱えていた。そのためこの帝国もまた君臨すること多く実質的権力の及ぶところではなかったのである。
 一八〇七年七月にフランス、ロシア間にそしてフランス、プロイセン間にティルジット条約が調印される。イギリス封じ込めのための「大陸封鎖」が一層強化されると、交易経済の均衡が崩れた。アレクサンドル一世は、ナポレオンとの個人的友好関係では支えきれなくなった国内の貴族たちの圧力から、ついに大陸封鎖の離脱に踏み切ったのである。中立国の船に港を開き、フランスの商品に高い税金を課した。両帝国は戦備を整えはじめると、衝突は不可避なものとなる。
 一八〇九年四月オーストリアは、大陸封鎖のためスペインに大軍を投じていたフランスの間隙を突き、二〇万の兵を擁しバイエルンに侵入した。四月一八日ナポレオン軍はこれをバイエルンのアーベンスブルクで撃破すると、二二日にはエックミュールでカール大公を敗走させた。レーゲンスブルクを占領するとオーストリア軍より先にヴィーンを占拠し、五月八日にはシェーンブルン宮に入城する。しかしオーストリア軍の主力はまだ健在で、フランス軍がドナウ川のロバウ島に後退すると、北側にオーストリア軍が防備を固め、両軍は一ヶ月半にわたって睨み合いを続ける。七月四日夜、フランス軍は電撃的に攻勢をかけ、戦闘はフランス側の勝利に終る。一八〇九年一〇月一四日、ナポレオンとオーストリア皇帝フランツ一世は、シェーンブルン講和条約に調印した。この講和条約によって、フランスはイリリア地方を獲得し賠償金八五〇〇万フランを得たほか、大陸封鎖への協力と一五万人以内の兵力制限をオーストリアは受け入れた。先のプレスブルグの和議と合わせ、オーストリアはこの講和でまたもや莫大な負担を強いられることになったのである。
 こうした騒然とした世情のなかでベートーヴェンは、作品七三ピアノ協奏曲第五番変ホ長調を生み出した。このピアノ協奏曲は降りかかる艱難を吹き飛ばすように、まさにその気概をピアノに叩き込んだような作品である。第一楽章冒頭、管弦楽の強奏で凱歌をあげると、ピアノが壮麗で輝くようなカデンツァを朗々と謳い上げる。得意のピアノでフランス軍を粉砕するかのように、毅然として堂々たる開始である。華やかで英雄的なスケールを持ちながら、品格を具えた洗練された作品であり、音楽の上ではベートーヴェンは、完全にナポレオンを打ちのめしていた。傑作の森を抜け出たベートーヴェンであったが、創造への意欲はいまだみなぎり充溢していたのである。
 その扉を開いたのがこの勇壮にして華麗な作品七三ピアノ協奏曲第五番変ホ長調であった。先の作品五五交響曲第三番変ホ長調と同様に、調性も同じ変ホ長調で始まり、その後の円熟した英雄の姿がこの作品に現われたのである。この変ホ長調という調性は、ベートーヴェンには期待や希望を表わし未来を象徴するものであった。ボン時代からヴィーン初期にもこの調性が度々使われている。続いて作品七四弦楽四重奏曲第七番変ホ長調「ハープ」、そしてテレーゼ・ブルンスヴィックに捧げた作品七八ピアノソナタ第二四番嬰ヘ長調、作品七九ピアノソナタ第二五番ト長調の二つの小品を生む。さらにこれまでの様式や作風にとらわれない作品八一aピアノソナタ第二六番変ホ長調「告別」を作っている。この一八〇九年は、ベートーヴェンの人生の上でも創作の上でも一つの転換点となる年であった。
 ロマン・ロランはベートーヴェンの創作の時期を五つに区分しているが、これを交響曲の創作時期に当てはめるなら、現在通説となっている区分に合わせるのが妥当と思う。さらにロマン・ロランの云う傑作の森は前期と後期に分けられ、通説に区分される一八〇二年から一八〇八年のドラマ的ソナタ期に示されるうち交響曲第三番と四番までを前期、第五番と六番を後期に重ねられる。この四曲の交響曲を仕上げたあと三年の期間を置いて、ベートーヴェンは再び新たな交響曲作品に取り組むのである。
 この作品九二交響曲第七番イ長調は、一八一一年の秋から取りかかり、翌一八一二年の新緑の頃には総譜が仕上げられた。この交響曲は、ベートーヴェンのこれまでの輝かしい創造の過程からすれば、第二期の傑作の森を形成するとともに、その代表的な作品となるはずであった。ここではもう人間の内部世界や外部世界を隔てる境界はなく、あらゆるものを熱狂と陶酔の渦のなかに巻き込んでいく。ディオニュソスの狂信的な世界は、すべてのものが一体となり、歓喜の舞踏となるのである。ここでの歓喜に較べれば、交響曲第九番の歓喜の調べはずっと理性的である。
 ギリシア神話でディオニュソスは、アポロンやヘラクレスと同様にゼウスの大勢の子供たちの一人であった。神々のなかの至高の神ゼウスは、家産、国家、自由の守護神であり救世主であったが、神の王国の繁栄のために子作りも旺盛な神であった。ゼウスは女神や人間の女たちとも交わって多くの子供を作っている。だがゼウスの姉妹でありながら正妻となったヘラは、ほかの女たちがゼウスの子を生むのを許さなかった。その行く先々にあらゆる手を尽くして出産を妨害し、生まれた子を迫害する。ヘラはオリュンポスの女神の中の女神である。彼女は女性たちの守護神なればこそ、夫ゼウスの奔放さを抑制する側にまわる。ヘラは結婚と子供を取り巻く倫理を、禁欲的に戒めるのである。
 ディオニュソスはその誕生にあたって、死と生の甦りを体験していた。ゼウスは大地の母神であるデメテルとの間にペルセポネをもうけると、彼は蛇に変身してこの自分の娘にザグレウスを生ませる。これが正妻ヘラの知るところとなり、彼女に唆かされたティタン神族たちは、ザグレウスを八つ裂きにして喰ってしまう。これを見ていた女神アテナは、残されたザグレウスの心臓を救い出しゼウスに渡すと、彼はこの心臓を飲み込んでしまう。その後ゼウスはカドモスの国王の娘セメレと交わり、セメレはザグレウスの心臓を宿すディオニュソスを孕んだのである。だがディオニュソスの母となるはずのセメレは、ヘラの奸計によって、ゼウスの雷電を浴びて命を落としてしまう。ゼウスはセメレが孕んでいたディオニュソスを、彼女の胎内から取り出すと自分の腿に縫い込んだ。
 こうして生まれたディオニュソスは、ヘラによって狂気を施されていた。使神ヘルメスに託され、ヘラの眼を逃れて成長したディオニュソスは、エジプトやシリアを放浪する。苦難の旅と放浪を重ねるうちに、彼は秘儀を授けられ、これを体得するのである。ディオニュソスは、農耕の神や樹木の神を象徴していた。春に生命を育み、秋に収穫が訪れ来春の再生を待つという、その生と再生による輪廻の世界を表わしていたのである。そして各地を放浪しているうちに葡萄の木を発見すると、これを広めながら世界を遍歴し酒神の代名詞ともなる。やがて酒の酩酊と陶酔をともなう信仰は、冥界とつながる新興宗教として狂信的な信仰を帯びるようになり、祭礼の営みにつながっていく。そして祭礼が演劇の形式を整え劇場に移ると、ディオニュソスは演劇の神ともなるのである。
 ディオニュソスは慈悲や癒しによって人々を救済するのではなく、神酒をふるまい秘儀を施し狂信へ誘う神として、体制側から異端視される。この過激な異端の神は、酒、音楽、舞踏、乱交、流血などの衝撃的な悦楽によって、貧しい人々や女性たちを解放と蘇生に導くのである。彼は、家事と子供の養育と男に隷属し、自由も意志も取り上げられていた女性たちの日常を解放して、非日常へと誘う。ディオニュソスは闇と情念の世界にまつわる不分明な欲望を抱く人間の根源を司り、情念の極みに達する音色を奏でる古代の笛アウロスを携えて、不幸な者の心を呼び起こすのである。
 このディオニュソスに対照されるアポロンは、爽やかで明るい光を想起させる多感な青春を象徴する。端正で気品に満ちたダビデ像を思わせる若者の理想である。このアポロンもまたその誕生にヘラの迫害を受ける。ヘラはゼウスの子アポロンを身ごもったレトのお産場所の提供を禁ずる。レトはゼウスとヘラのあいだに生まれた娘であった。お産の神エイレイテュイアは、お産場所の提供がなければレトを助けることができない。レトは世界中を駆け回って、ようやく浮島のデロス島からお産場所の提供を受けたが、エイレイテュイアが立ち合うことができずに生みの苦しみに苦悶する。このときヘラの眼を盗んで、女神たちがエイレイテュイアをデロス島へ連れていき、ようやく産気付いたレトはアポロンを生んだのである。神酒と不死の食物を与えられたアポロンは、瞬く間に歩き出すことができた。アポロンは弓術、予言、牧畜、医術、音楽の各々の神となり、また光の神として太陽神とも同一視される。彼は弓矢と竪琴キタラを携え、ゼウスの意志を人間に広める役目を担うのである。
 ディオニュソスの秘儀は、男性たちに抑圧された女性や下層民の間に勢力を伸ばしたが、アポロンは正統な男性社会の身分ある者にその秘儀が伝えられる。そしてアポロン神殿の祭司として仕えるオルフェウスが、反ディオニュソス信仰の急先鋒に立つのである。彼はアポロンから授けられた竪琴を弾き語る歌の名手であった。自分の落度で愛妻エウリュディケを喪ったオルフェウスは、その美貌で女性たちの心を惹き付けながらその愛を拒む。身分ある男性に愛と許しを与え、既婚の男性たちに同性愛を奨励する。夫の愛をアポロンに奪われた女たちは、集団で自分たちの夫を皆殺しにし、オルフェウスも彼女たちによって八つ裂きにされてしまう。八つ裂きにされたオルフェウスはヘブロス河に投げ込まれたが、その肉片は音楽の女神が拾い集めて、オリンポス山麓のレイヴェトラに埋葬される。首と竪琴は歌を唄い弾き語りながら、エーゲ海を漂いレスボス島に流れ着く。島の人々がこの二つを拾い上げると、竪琴はアポロン神殿に奉納され、首はディオニュソス神殿またはゆかりのアンディサの洞窟に安置されたという。
 振り返って見れば、青春というものがまだ何の生活基盤も持たない、希望のときめきと引き替えにした禁欲的抑制の態度だとすると、ベートーヴェンが作曲した交響曲第一番は、アポロンの持つ気品と勇気と孤独の陰りを具えた、端正な青春を表わしていた。燦々と降り注ぐ日射しを浴びた若き伝道師が、未来に向かって歩み始めた姿であった。その第三楽章がもうスケルツォとみなしてもいいような熱狂と陶酔を垣間見せていたが、この作品九二でその正体の全貌を現わしたのである。
 この一〇年でベートーヴェンの芸術基盤はゆるぎないものとなり、生活も楽譜の出版や貴族からの年金によって立ちいくようになっていた。だがそれもナポレオンのヴィーン侵入とともに、生活は困窮していくことになる。しかし少なくとも創造上では誰憚ることなく、芸術的信念を貫いてきたベートーヴェンである。ここに至ってベートーヴェンは禁欲的エートスを解放して、作品そのものがスケルツォであるような情念の世界を、ディオニュソス的陶酔に表わしたのである。それは交響曲で奏でる情念の熱狂的昇華とでも云うようなものであった。「芸術は、迫害されれば至る所に避難所を見出すものです。ダイダロスは迷宮に幽閉されたが、それを抜け出して空中に飛翔する翼を発明したではありませんか」とベートーヴェンは苦境の折だからこそ希望を信じ、気力を振り絞る。
 ここにベートーヴェンが挙げたダイダロスは、これもギリシア神話によると、迷宮ラビリントスを建設した建築家である。彼はアテナイの工匠であったが、弟子にしていた甥の才能を妬み、彼を殺してクレタ島に逃れ来ていた。クレタ島の王ミノスが命じて作らせたこの迷宮に、上半身が牛頭で下半身が人間の、怪物ミノタウロス(ミノスの牡牛の意)が封じ込まれ隠れ棲んでいた。このミノタウロスはミノスがポセイドンの怒りに触れ、その計略によってミノスの妻パシパエが牡牛の胤を孕んで生んだのである。ダイダロスがその手引きをしている。
 ミノスはアテナイの王アイゲウスから九年に一度、貢ぎ物として送られたアテナイの若者七人と乙女七人を、この怪物ミノタウロスの生贄にさせていたのである。過去にミノスの息子がアテナイを訪れたとき、アイゲウスから頼まれて、荒し回っていた猛牛退治に出かけたが逆に殺されてしまう。その代償としてアイゲウスは、十四人のアテナイの若い男女をミノスに送っていたのである。そのアイゲウスは以前に南ギリシアのトロイゼンを訪れたとき、当地の王ピッテウスの娘アイトラに子を生ませ、その子に試練を与えて、男児であればその試練を潜り抜けたあかつきには、父子の名乗りを約束していた。その男児がテセウスであった。テセウスは従兄ヘラクレスの数々の冒険に負けないように各地を遍歴し、悪者退治を重ねながらアテナイに凱旋して父子の対面を果たす。そして父の苦境を知ったテセウスは十四人の男女の一人に紛れて、クレタ島へ怪物ミノタウロス退治に出かける。
 ミノスの娘アリアドネは、若きアテナイの英雄テセウスに人目惚れに恋してしまい、彼がアリアドネを妻に迎えアテナイに連れていくことを条件に、迷宮ラビリントスからの脱出方法をダイダロスから聞き出して伝える。見事怪物ミノタウロスを退治したテセウスは、ナクソス島にたどり着いたところでアリアドネとの約束を破り、彼女を置き去りにする。アリアドネは、後にこの島にやってきたディオニュソスと結ばれることになる。リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)がこの島でアリアドネがディオニュソスと結ばれるまでを歌劇にしたのが「ナクソス島のアリアドネ」である。本来はモリエールの「にわか貴族」を題材にした歌劇の劇中劇として作られたものが、独立して上演されるようになった。
 この一連の事態を知ったミノスは怒り、脱出の方法を漏らしたダイダロスとその息子イカロスを、迷宮ラビリントスに幽閉してしまう。だがダイダロスは工人の匠を発揮して空飛ぶ翼を作り、イカロスとともに迷宮を脱出する。ベートーヴェンはこの物語を引用したのである。彼はこうしたギリシア神話によく精通していた。
 さてこの時期、この作品の誕生を予言させるように、ベートーヴェンの女性観に応しい行動的で直観的で洞察力に優れた一人の女性が、突然彗星のごとく彼の前に現われた。ベッティーナ・ブレンターノ(1785〜1859)である。一八一〇年五月八日、彼女は義兄のサヴィニー夫妻とともにヴィーンを訪れていた。彼のピアノソナタでおそらく作品二七の二「月光」を聴いて、感動と衝撃を受けたベッティーナはその月の半ばを過ぎたある日、やもたても堪らずパスクヮラティ・ハウスのベートーヴェンを訪れたのである。そしてベートーヴェンの風貌と呼応するかのような、内面から溢れる彼の精神に引き付けられてしまうのである。この間のベートーヴェンとベッティーナの経緯やゲーテを含めた三人の関係については、青木やよひ氏の著書「ゲーテとベートーヴェン」(平凡社新書)に詳しいのでご参照いただきたいと思う。
 ベッティーナの直感はベートーヴェンの人物像を一遍で見抜いてしまい、ベートーヴェンもまた彼女の媚態に飾らない率直な感性に心を奪われてしまう。ベッティーナの、ゲーテとベートーヴェンの芸術にたいする感動と、二人の芸術家が彼女に抱いた印象には共通する感慨があったと思われる。彼女は、フランクフルトの実業家フランツ・ブレンターノの異母妹である。彼女の母マクシミリアーネ・ラ・ロッシ(1755〜1793)は一七七二年から一七七三年にかけてゲーテの恋人だった女性である。ベッティーナはゲーテが母に宛てた八四通の手紙を読みゲーテに心酔する。そして一八〇七年四月に彼女はゲーテと対面すると、ゲーテも昔の恋人に生き写しのベッティーナに魅入られていくのである。
 意気投合したベートーヴェンは、彼女がヴィーンに滞在したわずかの日々に、一期一会のような充実したひと時を共に過ごした。それはあたかも一一年前のそれも同じ五月、ブルンスヴィック姉妹との出会いを彷彿とさせる光景であった。何か因縁めいた符合の一致を感じさせる状況の近似である。ベッティーナはベートーヴェンの音楽の核心と、その人物を最も的確に理解した一人であった。それはまさにディオニュソスに仕える巫女のごとく、ベートーヴェンの語った芸術観を周囲の人々に広め、推敲を交えながら今日に伝えている。ベートーヴェンはまるで彼女の魔力に導かれるように、鬱積していた音楽への情熱を饒舌に語り出すのである。
 「目が開けば、溜息が出ます。目にはいるものはわたしの信条とは反対のものですから。音楽は総ての知識や哲学よりもずっと高い啓示であることを考えてもみないような世界をわたしは軽蔑しないわけには参りません。音楽は新しい創造を醸し出す葡萄酒です。そしてわたしは人間のためにこの精妙な葡萄酒を搾り出し、人間を酔わすバッカスです。酔いから醒めた時は、彼らはあらゆる獲物を持っており、それを正気の世界に持ち帰るのです。│わたしの芸術においては、神は他の人よりずっとわたしの身近に居られることをよく承知しております。わたしは何ら怖れることなく神と交わり、いつも神の力を感じ、またそれを知っています。自分の芸術には何の不安も懐いておりません。わたしの芸術に悪い運命などあるわけがありません。このことを自分で判った人は、ほかの人々が引きずり廻されているあらゆる不幸から解放されるのです。」とベッティーナの手紙の初めで記される。
 「大抵の人は何か良いものには感動します。しかしそれが芸術家たるの資性ではありません。芸術家は火と燃えています。で、泣くなどしません。」というようにベートーヴェンはこの述解と照応するように、この作品九二でその心情を語っている。
 「ゲーテの詩は、内容だけでなく、その持っているリズムでも大変強い力でわたしを動かします。精霊たちの手によって高い秩序に築き上げられたかのような、またそのなかにハーモニーの秘密を潜ませているような、そうしたゲーテの言葉に合わせ、刺激され作曲をしたい気持になります。わたしは感激の焦点に立ってあらゆる方向にメロディーを放射しなければならぬのです。それを追及し、激情をもって再び抱きしめる。それが遠ざかってゆき、多様な興奮の叢りのなかに消えてゆくのを見ます。間もなく新たな激情がそれを抱きしめ、わたしとそれとが分かち難いものとなる。束の間の恍惚状態にあって、あらゆる転調を行いそれを多様化しなければならぬのです。そしてついに最初の楽想を超え凱歌を上げるのです。御覧なさい。それが交響曲です。実際、音楽は精神生活を感覚的生命として捉えられるようにする正しい媒体です。ゲーテとこのことを話したいのですが、判ってくれるでしょうか。メロディーは韻文の感覚的生命です。一つの詩の精神的な内容を感覚的に掴めるようにしてくれるのはメロディーではないでしょうか?このメロディーは・ミニヨン・の歌の感覚的な情趣をすべて伝えていないでしょうか?この感覚と情趣に刺激され、さらに新しい創造が生み出されるのではないでしょうか?│そうなれば精神は阻むものとてない普遍性をもつものに広がりゆきます。そうなれば単純な音楽的思想をもとにした感情の地盤の上に総てが築き上げられるのです。こうしたことがなされなかったら感情は人知れず消え去って行ってしまうものなのです。それがハーモニーです。そのことはわたしの交響曲で表現され尽くされています。ハーモニーの融合は多面的な形態をとって感情の地盤のなかを最終点まで動いて行きます。そこでは人は永遠なるもの、無限なるもの、決して総て把握しきれぬものが、精神的なもの総てにあるのを感じます。わたしは自分の作品で目的を達したと感じた時でも、いつも永遠に満たされることのない飢えを感じます。しかも、最後のティンパニーの響きでわたしの喜びを、わたしの音楽的な信念に叩き込んで力を出し尽したと感じた時にそうなのです。そしてまた子供のように新しく始めるのです。
 わたしのことをゲーテに話して下さい。彼にわたしの交響曲を聴くよう言って下さい。そうすればきっと、音楽はより高い、智の世界への唯一の形のない入口で、それは人間を包み込んでおりながら、しかも手で捉えようとしてできない世界だ、と言うわたしの意見を正しいとするでしょう。│音楽の本質を捉えるのは精神のリズムのなす技です。音楽は予感、即ち天の如き知恵の霊感を与えるものであり、精神が音楽によって感覚されるものとなったもの、精神的認識の具象化です。│人間が空気によって生きているように、精神は音楽によって生を得ているにもかかわらず、精神が音楽を掴み取るということはさらにまた別のことです。魂が音楽から感覚的な養分を吸い取れば吸い取るほどそれだけ精神は音楽との幸福な結びつきが深く豊かになるのです。│しかし、そこまで行ける人は僅かです。ちょうど幾千という人が恋愛を結婚にまで到達させたいとは思う。そしてこの幾千の人々はあらゆる恋愛の手練手管を尽しはするが、恋愛は決してその真髄をその人に明かしはしません。同じく幾千の人が音楽を嗜みはするが、音楽の啓示を得ることはできません。総ての芸術と同じく音楽の基底には道徳的観念が高い目標となっています。すべての真の感情というものには道徳的進歩があります。│音楽自身は究め尽し得ぬ法則に服しており、これらの法則はまた精神が自ら啓示を表現する上で拘束し制禦するのです。これは芸術独自の原則です。法則から自由になる啓示となるには神の恩寵を待たなければなりません。それは荒れ狂う奔放な力に静かな支配力が働きます。そうなると想像力は最高度に働きます。こうして芸術はいかなる時にも神聖なものの代表者となるのです。神聖なものと、人間のかかわり合いは信仰であるが、われわれがそれを芸術を経て得るものは、神からのもの、神の聖なる啓示であり、人間の能力が到達すべき一目標となるのです。│」


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