んだんだ劇場2009年2月号 vol.122
遠田耕平

No91 みの虫君一号誕生!

 ついに念願を果たした。蚊帳とゴザと米を持参で村の保健所でお泊り会をしたのである。「なーんだ、そんなことか。」と言われそうであるが、確かにそんなことなのである。一週間の予定が4日になってしまったが、それでも村でのお泊り会が嬉しくてたまらず、6年近くもカンボジアにいる僕の念願だったのである。
 僕が地方を出張する時はいつも何かの理由があった。麻疹や百日咳、ポリオの子供たちを追いかけ、村の予防接種率を見て回り、新生児破傷風で子供を亡くした母親を訪ね、冷蔵庫を開け、ワクチンを調べ、衛生局と話し合いをする。なるべく効率よく時間を使う努力はするが、忙しいという理由だけで保健所には長居をしなかった。そして、僕は保健所の本当の一日の生活を自分の目では一度も見ていなかったのである。
 ただボーッと保健所の壁の染みのようになって、保健所に居候したい。そして、スタッフたちの仕事を、お母さんたちの会話を、お産の瞬間を耳を澄まして、ジーっと見ていたい、ずーっとそう思ってきた。これはお仕事ではない。僕のわがままである。
 このパーム椰子の木々に囲まれたカンボジアの原風景のようなタチェス保健所を僕は2年以上前から知っていた。プノンペンから100kmほど離れたコンポンチャナン県にあって、トンレサップ河がトンレサップ湖に注ぐ河口部が近い。住民の半分はクメール人で残りの半分はイスラム教徒のチャム族、川沿いに少数のベトナム人たちが少し住んでいる。
 はじめて来た時、保健所は閑散としていた。奥からやつれた顔の職員が出てきたなと思ったらその人が助産婦のラタナさんだった。「あまり人が居ませんね。」というと、「誰も来ないのよ」とラタナさんは伏目がちにつぶやいた。若い頃は利発で、さぞ美人だったのだろうなと想像させる顔立ちだが、今にその面影はなかった。隣にいた県の職員が「彼女の旦那さんは最近HIVで亡くなったんですよ。」と耳元で教えてくれた。二人の男の子を抱え、彼女にお産を頼む人は途絶え、村八分になった。保健所にさえ誰も来なくなったという。
 次に行ったのは1年半くらい前、政府が保健所でのお産を奨励するようになり、助産婦に助成金が出るようになった頃である。保健所のお産が月に8−10件ほどになり、彼女の顔もいくらか丸みを帯び、明るくなったように見えた。二人の男の子の世話をしながら少しずつ村人の信頼が戻ってきたと話した。幸いなことに彼女も子供たちもHIVは陰性だったようだ。分娩室の中はいつもきれいになっていて、いつお産があってもいいように準備されているさまを見るにつけ、ラタナさんのお産を見てみたいなと思うようになったのである。そして保健所の一日のお仕事も。
 そして今回ラタナさんに会って驚いた。以前の2倍くらい太っているのである。昔美人は完璧なオバサンに変化したが、お産の件数はなんと一月に40件もあるというから驚く。目が回るほど忙しいのに太るのだから随分と生活が安定したのだろう。僕は早速、県と郡の許可をもらい、保健省の仲間からは「またトーダの村好きがはじまった」と笑われながらも、無目的に村に泊まることを許してもらった。保健省の一番の親友ナリンと信頼するドライバーのケンヒムと僕の男3人道中、それに日本政府から派遣されている助産師のSさんに無理に同行をお願いしてお泊り会が始まったのである。

第一日目(Day1)
 午前中に保健所に着くと、今朝方産まれた赤ちゃんが親族に囲まれお母さんとベッドに横たわっていた。ラタナさんに手土産に持参した分娩器具と新生児用の体重計を手渡した。一年前から頼まれていたものである。保健所のスタッフは大喜び。これでなんとか僕らの面倒を見てもらえそうである。放し飼いにされている牛が怠惰な真昼の陽射しの下でムシャムシャと保健所の敷地内の植木を食べている。イケメンの保健所長セインさんが時折物凄い勢いで外に走り出していくので、何をしているのかと思ったら植木を食べる牛を追いかけていた。
手土産の体重計と保健所のスタッフたち(左から所長のセインさん、助産婦のサナイさんとラタナさん、受付のコティーさん)
夜中に家族に連れられてやってきた妊婦さん(中央、向かって右が旦那さん。左に毛布に包まるラタナさん)。
お昼;ラタナさんの指示のもと、町のプサー(市場)に買出しに行く。お米、干し魚、野菜、果物などを買う。昼寝。ぼんやりと保健所の軒先に座っていると眠くなる。午後は本当に患者が来ない。

夕暮れ;ぼんやり空を見ている。西の空が茜色に染まり、椰子の木々が黒いシルエットになる。西の空の上に三日月と宵の明星が輝く。トイレの横に貯めてある井戸の水を使って、小さな容器で水を体につたわせながら水浴びをする。暗いので懐中電灯の光がありがたい。水は結構冷たい。陽が落ちると外気は肌寒いくらいである。それでも、Tシャツの上にトレーナを羽織れば十分。

夕食;ラタナさんの家は保健所のお隣だから都合がいい。ラタナさんの簡素な家に下宿している若い女性教師(ネアッククルー)3人に台所を手伝ってもらい、おいしい夕食が用意された。ろうそくの光に照らされて、暖かいご飯に魚のスープと野菜炒めが土間の古い木のテーブルの上に並ぶ。全ては炭火。魚も一度炭火で焼いてからスープに入れる。クメールの料理は細かい手がかかっている。味は甘すぎず辛すぎず、レストランで食べるクメール料理の何倍もおいしい。レストランで食べ慣れた「味の素」漬けのクメール料理はどうやら嘘物だったらしい。

 食べ終わると、イケメン保健所長のセインさんが焼き魚を抱えて、飲むぞとばかりにやってきた。僕らもそれを予想してしっかり酒を用意してきた。保健所の軒先で小さな蛍光灯(ソーラーの充電で点灯する唯一の光)を頼りに夜の酒盛りの始まりである。クメールの猥談が延々と星空の下で続く。ナリンが笑いのツボを英語で教えてくれる。もっとクメール語がわかったらいいのにな。それにしても、なぜ田舎の人はこんなにお話を知っているのだろう?

深夜11時半;酔っ払って暗闇の中でフラフラする。ゴザを引いて蚊帳をつり、分娩室の隣の部屋に転がった。日本の助産師のSさんはラタナさんのお家に泊めてもらう。ナリンとケンヒムは車の中で寝た。当直のスタッフのおじさんも隣で寝ている。

第2日目(Day2)
深夜1時半;まだ2時間しか眠っていない。誰かが暗がりの頭上の蚊帳の外で動いている。ビックリして蚊帳の中で起き上がると、ラタナさんが妊婦を連れて分娩室に入ってきた。深夜、妊婦さんが家族たちに連れられてやってきたらしい。ラタナさんはテキパキと動いて子宮口の開き具合を調べている。僕は酒が抜けず気分も悪い。フラフラする。飲み過ぎるんじゃなかった。井戸水で顔を洗い、腫れた目にコンタクトレンズを付け直す。寝る前に天空にあった三ツ星のオリオン座は見えなくなり、北に大きな北斗七星がかかっている。その先をたどるとぼんやり光る北極星が見えた。
朝の保健所、赤ちゃんを連れてくるお母さんたちで忙しいコティーさん
なかなか産まれません。翌朝、妊婦さんを診察する助産婦のサナイさん。回りは家族の人たち
 妊婦さんは24歳、二人目の子供だという。お隣の保健所の管轄の10キロ以上離れた村からやって来た。破傷風の予防接種も3回きちんと受けている。管轄のの保健所の経験の長い助産婦さんが4ヶ月前に交通事故で亡くなり、経験の少ない若い助産婦だけになったので、評判のいいこちらの保健所に来たという。お母さんたちの間の評判というのは大事なのである。

朝6時;暁だ。鳥がさえずり出す。鶏がやかましく鳴きたてる。とうとう夜が明けてきた。東の空が白んでくる。久しぶりに徹夜をして見る朝焼け。日本から来た助産師のSさんも付き添ってくれているが、どうも陣痛が弱いらしい。ラタナさんが子宮口を調べる。子宮口は十分開いているが、胎児の頭が十分降りていないらしい。

 井戸水で震えながら水浴びをして、やっと酔いが覚めた。ラタナさんは忙しいにもかかわらず朝粥と干し魚を炭火であぶって朝ごはんを用意してくれた。僕らはなんという迷惑な居候だろう。それにしてもかまどで炊いたお粥はおいしい。

朝7時;保健所にお母さんたちが続々と赤ちゃんを連れてやってくる。ラタナさんはもう一人いるチャム族の助産婦のサナイさんに深夜の妊婦をバトンタッチして所長のセインさんと一緒に県のミーティングに出かけてしまった。サナイさんはいつもイスラム教徒のスカーフを忘れない、ぽっちゃりとした笑顔のかわいい人。助産婦としての経験は20年選手のラタナさんに比べるとまだ数年と浅いが、家族と優しく接してくれる人だ。
「出たぁー」12時間かかって3400gの大きな女児誕生。
冷たいタイルの上で「みの虫君一号誕生」
 残された5人のスタッフは大忙し。受付、風邪の問診、薬局、予防接種、妊産婦検診と六つある小さな部屋は一杯、フル活動である。全ての診察は50円均一。薬は無料。予防接種も正常なお産も無料になっている。

朝9時過ぎ;30人近く来たお母さんたちの足がさっと引いた。保健所は深夜から頑張っている妊婦さんを残して再び静けさが戻る。

朝11時;まだ産まれない。親族が一生懸命にお腹をさすっている。胎児心音を聴診器で計ると120/分と正常。陣痛の間隔は少しずつ短くなってはいるようだが陣痛を誘発するオキシトシンは医師でない助産婦は使えない。郡の病院に運ぼうか、サナイさんが一度着た感染防御用の安いビニールのレインコートを脱いで迷っている。

お昼;役立たずの居候はまたラタナさんの家で、ネアッククルーに用意してもらったご飯と野菜炒めをご馳走になる。ラタナさんは彼女たちにお昼を用意するように伝えていたらしい。保健所に戻ると陣痛が強くなっている。

午後1時37分;来院から12時間、自然分娩で3400gの女児誕生。サナイさんは少しあわて気味にへその緒を器具で挟んで間を鋏で切る。赤ちゃんをタイルの台の上に用意された布の上に移すと、残りのへその緒をプラスチック製の器具で止めてから切る。新しい体重計で体重を計り、それから簡単に体を拭くと、家族が用意したサロンというカンボジアの布であっという間に顔だけを出してぐるぐるに包んでしまった。「みの虫君一号」の誕生である。

 サナイさんは冷たいタイルの台の上に「みの虫君」を残して、母体から出てくる胎盤の世話をしている。寒そうな「みの虫君」を見かねた日本の助産師のSさんは「みの虫君」を抱き上げてお母さんの横に持っていく。「おめでとう(チュンプー)」というとお母さんも家族も本当に嬉しそうな顔する。

 若いお父さんがサナイさんに呼びつけられて、洗面器に入った胎盤を渡された。お父さんは生まれたばかりの「みの虫君」の顔を見る暇もなく、洗面器を持って裏の空き地に出て行った。見ると、鍬で掘り起こして埋めている。お父さんの役目らしい。夜中に僕が用足しをしていた足元には、どうやらいたるところ胎盤が埋まっていたらしい。申し訳なかった。この辺のイスラム教徒の場合は、胎盤を洗って、自宅の庭で焼く習慣がある。その次のお父さんのお仕事は、お母さんを抱き上げて、保健所の軒先のベッドに移すこと。サナイさんはお母さんのお腹を揉んで、子宮の収縮を確かめている。大丈夫そうだ。授乳も始めた。お腹に氷をビニール袋に入れて乗せる。これも習慣らしい。

午後4時半;家族がバイクにお母さんと「みの虫君」を乗せて村に帰っていく。家では「アンプルーン」が3日間待っている。炭火の煙で床の下から燻すのである。以前ここでも紹介したが出産直後の母親に施すカンボジアの伝統医療だ。

 気がつくと保健所の隅にもう一家族が妊婦を連れて来ている。午後2時には来ていたらしい。「みの虫君一号」の誕生で気がつかなかった。26歳のお母さんの初産だという。破傷風の予防接種は5回受けているという。初産のせいかお母さんは「チュー(痛いよー)」と随分と痛がっている。
ろうそくの光で食べる手作りの豪華な夕食
厨房の女性陣(左から日本の助産師Sさん、3人のネアッククルー(女性教師)たちとラタナさん)
夕暮れ;二日目の長い一日が暮れる。眠いのだけど興奮しているせいかあまり眠くない。助産婦さんたちは徹夜をしても嫌な顔一つせずにお母さんやその家族たちと接している。偉いなー。この保健所の人気の秘密はこれだなと思った。優しくて腕の確かな助産婦さん。これ以上に信じられるものがあるだろうか。村のお産婆さんに頼んで、簡便だが危険で不潔な自宅分娩をするよりもバイクを小一時間飛ばしてもこの保健所でのお産を選ぶのである。

 今日も役立たずの居候は井戸水で水浴びをして、台所のカマドから立ち上がる夕食の支度のいい匂いにそわそわしている。ラタナさんとネアッククルーが作る今日の夕食はなんだろう。茜色に染まる西の空を見上げ、少し湿った夜の空気を胸いっぱい吸って、「今日一日ありがとう。」と、心の中で呟いた。

 「みの虫君2号の誕生」は後編を乞うご期待。


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