んだんだ劇場2009年3月号 vol.123
遠田耕平

No92 みの虫君二号、三号誕生!

 前回は、保健所お泊まり会二日目の夕暮れまでお話しました。助産師ラタナさんのおうちの土間から夕餉の匂いが夕闇の中に立ち込めてくるところまででしたね。何もお仕事をしていないのに居候のお腹はペコペコ、ろうそくで照らし出された土間のテーブルに3人のネアッククルー(女性教師)とラタナさんが用意してくれたご馳走が今日も並びます。小魚の燻製、野菜炒め、マッシュルームのスープ、それにラタナさん自家製のもち米から作ったお酒まで出てきました。黄金色に輝くこのお酒がまたおいしい。

 僕と保健省の親友ナリンとドライバーのケンヒムの男3人組が一日で一番楽しみにしている時間。用意していたビールを持ってくると、イケメン保健所長のセインさんが今日も丸ごと一匹の大きな焼き魚をぶら下げてやって来た。今晩は奥さん同伴だ。村の家が暗くて一人でいると怖いから一緒に来たという。村は夜になると本当に真っ暗。クマオイ(霊魂)が一杯飛び交っているそうだ。これは怖い。首が胴体から離れて、その首の下に臓器をぶら下げて飛んでいるのであるから怖い。僕はその絵を保健省に行く途中の映画館の看板でいつも見ているので忘れない。
 でも、僕には奥さんはやっぱり旦那の監視に来たように見える。僕らがタイガーとあだ名しているナリンの奥さんは30分おきに電話をしてくる。ナリンは勘弁してくれとばかり頭を抱えるが、まんざらでもない顔もする。よくわからない。カンボジア人の情念というか、猜疑心と嫉妬心のミックススープのような感情が僕にはいまだによくわらない。一つだけ言える事は、この時だけは僕はカンボジア人でなくてよかったと思うのである。
 話がそれましたが、女性陣もお酒が少し入ると表情が和む。ナリンが「トーダ、ギターを弾いてくれ。」と声をかけた。実は僕は愛用のギターを持ってきたのである。こういう時だけは用意がいい。数曲日本語や英語の歌を歌ったのだが、どうもノリが悪い。静かなギターの曲もうけない。
 カンボジアの人は静かできれいな曲ではまったくのれないのだと、後でカンボジアで音楽を長く教えている友人から聞いた。このままではろうそくの光と暗闇に呑み込まれてしまう。それならと、僕が好きな押尾コータローの激しくノリのいいギターの曲を2曲(「Big Blue Ocean」と「Hard Rain」)弾いてみた。するとこれが大うけ。ハーモニックスというオクターブ高い音を共鳴させるテクニックを連発し、ギターのネックもボディーもボンボン叩きながら弾くのである。眠りについた牛に「モーうるさい!」と言われそうだが、これが楽しいらしい。所長のセインさんがうっとりとした目で僕に擦り寄ってくるほどだ。それなら、「カンボジアの歌も教えて」と言うと、「アラビアン」という簡単でノリのいい歌を教えてくれた。ギターのコードを合わせてみるとみんなですぐ歌える。歌がひとしきり終わると、またもや猥談が始まる。元気な若いネアッククルー(女性教師)の一人が恥ずかしそうにエッチなお話をしてくれるのには驚いた。村の長い夜を過ごすのに退屈という言葉はなさそうだ。
 その間も助産婦のラタナさんは、お昼に来た痛がる妊婦の様子を時折、隣の保健所に見に行っている。日本から来た助産師Sさんも一緒に見てくれる。昨日の深酒に懲りた3人組は今日は少し早めに寝ようと、深夜前に僕は再び保健所の蚊帳の中に、ナリンとケンヒムは車の中で就寝。
午前4時半、ラタナさんの介助で女児誕生
みの虫君2号の誕生

第3日目(Day3)
 午前4時40分;真っ暗な蚊帳の外から誰かがしきりに「ルーククルー(先生)」と呼ぶ声で目が覚めた。一緒に酒盛りをしていた当直のスタッフだ。ラタナさんが僕を起こしなさいといってくれたようだが、なかなか目覚めなかったらしい。分娩室に入ると翌朝になるだろうなと思っていた赤ちゃんが今生まれたばかりのところだった。日本の助産師のS さんも熟睡していて出遅れる。ラタナさんは妊婦を夜中しっかりと観察していて、初産ということも考えて会陰切開をして、出産を早めたようだ。
 体重の2700g女児誕生。ラタナさんの見事な手さばきで、赤ちゃんの口の中の羊水がしっかりと吸引され、その後ゆっくりと臍帯を切断。体重を計った後、台の上で濡れた赤ちゃんの体を十分に拭き、へその緒の消毒をきちんとしてガーゼで包み、最後に体をしっかりとサロンで包んで、みの虫君2号の出来上がりである。もう一人の助産婦さんサナイさんも上手であるが、手際の良さ、正確さ、丁寧さは歴然とした違いがある。胎盤もしっかりと調べ、会陰切開部の縫合も以前他の保健所で見たものより余程しっかりしている。
 言い忘れたが部屋は暗いのである。車のバッテリーにつないだ小さな蛍光灯が一つと薄暗い電球のスタンドが一つ。ソーラーで蓄電したものは家族のいる入り口のスペースを照らす小さな蛍光灯にしか使えない。僕は自分が持っている懐中電灯が少しでも助けになればとラタナさんの手元を照らす。若い父親に洗面器に入った胎盤を渡すと父親はやはり昼間の家族と同様、真っ暗な裏の敷地に行って埋めている。ラタナさんは一通りの処置が終わり、子宮の収縮が正常であることを確かめると、汚れた器具を持って井戸の傍に行く。真っ暗闇の中で井戸の水を汲みながら器具を何度もきれいに洗う。それから汚れた分娩室をきれいに掃除して、またいつ分娩があってもいいように整えて、深夜の彼女の仕事がおわるのである。気がつくと東の空が白み始めていた。

朝午前8時;すでに10人近いお母さんたちが子供を連れやって来ている。今日も保健所の忙しい一日が始まる。その時だ。向かいにある小学校から先生たちが10歳くらいの男の子を抱きかかえて保健所に入ってきた。朝礼の途中で倒れたらしい。診ると、意識も脈もしっかりしている。日本でも朝礼の途中で倒れる子供はいたなと思い出した。朝ごはんを食べてないな、と保健所のスタッフがつぶやくと、どこに用意がしてあったのか、バナナを持ってきてその男の子の口にくわえさせた。すると血色が戻ってくる。さすがだ。それでも先生たちは上半身を脱がせ、スプーンの先で少年の首筋、胸、背中をゴシゴシとしごきはじめる。これが「コークチョール」というカンボジアの伝統療法である。アジアには広く使われていて、皮下出血をさせて毒を取るというようなものである。効くのかもしれないが体中ミミズ腫れで痛そう。でも先生たちは子供を心配して優しい。
 助産婦のラタナさんは昨日生まれた赤ちゃんに24時間以内に接種するB型肝炎と結核予防のBCGの予防接種をきちんとしている。 助産婦のラタナさんとサナイさんは訪れる妊産婦の検診に忙しくなる。絵を見せながら妊産婦教育のための講義もする。そして記録を母親の持つ手帳と台帳へ記入する。避妊のためのピルや、注射の世話もしている。ラタナさんは一睡もしていないのだから本当に大変だ。サナイさんは赤ちゃんにピアスの穴まで開けてあげている。カンボジアではピアスは大事な伝統で、穴を清潔に開けることは大事だ。
 予防接種の部屋も赤ちゃん連れのお母さんたちで賑わっている。スタッフは台帳に名前がないと困っているが、これはよくあること。この保健所は20ある村に毎月一回出向いていく。その時に予防接種台帳に記入するのを忘れるのである。
それでも予防接種カードを家族が持っているので、大抵はなんとかなる。カンボジアの人たちはコンピュータこそないが記録にはかなり真面目だなといつも感心する。生真面目なのである。

昼下がり;今日もやっぱり暇な有難い時間がやってきた。ゴザを敷いた木のベッドの上に仰向けになり、もって来た好きな本を読む贅沢な時間。あまり寝ていないせいかすぐに眠くなる。日中はかなり暑くなるのに風が良く通る。静かである。時折、牛を追いかけて飛び出す所長のセインさんの足音が聞こえるくらいだ。 ふと目が覚めるとラタナさんが冬瓜に似た果物に椰子砂糖を添えて持ってきてくれた。混じり気のない椰子砂糖は本当においしい。さらに自家製の豆乳を作ってご馳走してくれた。本当にうまいのである。極楽、極楽、、、、。

夕暮れ;今日も井戸水の水浴びで汗を流す。三日目ともなると要領が良くなるようだ。水もあまり飛び散らないし、体も少ない水で洗えるようになる。水がめの水は下手に使えばたくさん減るので大切さがよくわかる。日本も水がめにしたらどうかな?
暗闇の井戸で器具を洗うラタナさん
星空の下の夕食会の始まり
午後6時半;31歳の妊婦が4人目のお産で保健所にやってきた。一人目は病院で、二人目と三人目は村のお産婆さんの介助で自宅で産んだという。今回は村のお産婆さんが連れてきてくれた。この70歳くらいのお産婆さんに聞いてみると、以前はよくスズメ蜂の巣をへその緒につけたと言う。「45歳くらいまでは他のお産婆さんの手伝いのようなことをしていたが、血を見るのが怖かった。ところがある日、神様のお告げを受けてお産婆になってからは大丈夫になった。」と言う。トレーニングも夢の中で受けたそうだ。そのお産婆さんが、多少の手数料がもらえるにせよ保健所に妊婦を連れてきてくれるのだから有難い。 

夕食;ラタナさんは妊婦を診ながら夕食の支度。今日は外で食べようということになった。ラタナさんの家の横の草むらににゴザを敷いて星空の下の宴である。外の風は、ろうそくの炎を優しくなでる程度で気持ちさ、蚊や虫も思ったほどいない。外は気持ちがいいのである。所長のセインさんと他の男性スタッフが二人、また大きな川魚の丸焼きを二本持ってくる。前夜の如く、所長はもちろん奥さん同伴、僕の夜空の下のギターも前夜の如くである。ラタナさんは「静かで退屈な村でこんなに賑やかで楽しい夜は久しぶりよ。」と終始上機嫌。ナリンがタイガーのしつこい電話でふてくされている横で恥ずかしがり屋で無口のケンヒムがニヤニヤしているのがおかしい。するとケンヒムが突然ぼそぼそと女性たちに向かって小話を始めた。話の落ちに来るや、ラタナさんが待ってましたとばかり膝を叩いて笑い転げる。もう涙を流して笑い転げるのである。笑いに飢えていたのか、笑いのツボに入ったのか、もともとこういう人なのか、見ているこっちが笑ってしまう。暗闇の中、ろうそくの灯りに照らされて、小話とバカ笑いが続く。

夜11時半;笑いの余韻を暗闇に残して、僕はいつもの蚊帳に入った。ラタナさんは深夜の妊婦の管理をサナイさんに引き継いだ。

 深夜0時半;やっと眠ったと思うやなんと赤ちゃんの声が聞こえて跳ね起きた。2700gの男児出産である。経産婦の出産は早い。サナイさんの見事な手さばきで赤ちゃんの体は瞬く間にサロンに包まれ、みの虫君3号の誕生である。日本の助産師Sさんは、みの虫3号がおっぱいが吸えるように上手に介助してあげている。助産婦は一度にいろんなことをしないとならない。うーん、本当に大変な仕事だなあと居候は実感し、そして再び蚊帳の中へ。

第4日目(Day 4)
朝5時;4人目の妊婦さん来院。20歳で初産の女性だが、サナイさんは状態を見て時間が長くかかりそうだと判断し、一度自宅に帰す。

朝8時;若いお母さんが二人生まれたばかりの赤ちゃんを連れて予防接種のために保健所にやって来た。今日はあいにく週末で保健所は休みのはずだけど、スタッフがちゃんと来ている。すごいな。一人のお母さんは3日前に保健所で産む予定だったが陣痛が弱くて、一度家に戻った人。夜中に突然陣痛が起こり、急遽お産婆さんに頼んで家で産んだ。もう一人のお母さんは始めから家で産むつもりで産んだが、お産婆さんの勧めで生後24時間以内に接種するB型肝炎とBCGの予防接種のために翌朝保健所にやってきたのだ。休みにも拘らず、遠くから来たお母さんたちのために近くに住むスタッフが予防接種をしてあげる。産んだ翌日に赤ちゃんを連れてくるお母さんも偉いが、休みでも嫌な顔せずに出てきて対応する保健所のスタッフも偉い。住民との心の繋がりは多分のこんなことの積み重ねでできていくのだろう。

午後;時間があったので川沿いの近くの村を訪ねた。村の子供たちの接種率の高さと保健所に対する理解の高さに驚く。川沿いにベトナム人の集落があって、村の中ではカンボジア人との住み分けがある。それでもベトナムの人たちの中では保健所に対する理解はあり、お産は保健所にいき、予防接種も受けるものだと考えているようにみえた。
みの虫君3号誕生
昨夜自宅で生まれたばかりの赤ちゃんを予防接種に連れてきたお母さんたち
 居候たちがプノンペンに帰る時が近づいた。ラタナさんに役立たずの居候が礼を言う。ラタナさんは僕らがいなくなるとまた寂しくなると、目にうっすらと涙を浮かべて繰り返し話す。僕らの目頭も少し熱くなる。言葉さえ通じたら助産婦同士の話を幾晩でもしてあげたのにと、前の晩からお腹が緩くなって少しフラフラしているSさんの手をしっかり握って離さない。僕らは「ありがとう。また来るからね。」と言い残して、手を振るラタナさんをあとに別れたのである。
S助産師とラタナさんと二人の息子たち
後日談;実は後日談がある。村に居た時にネアッククル−(女性教師)たちが僕に診察を依頼したひどい栄養失調の子供がいた。その子をラタナさんがプノンペンの病院で診てもらうために家族と連れてきたのである。彼女は早速、僕らと連絡を取り、日本の助産師Sさんの働く母子保健センターも訪ねた。彼女も若い頃ここでトレーニングを受けたことがある。彼女がSさんたちと再会を果たしているところに突然、保健大臣が訪ねてきた。もと産婦人科医の大臣は助産婦が大好き。彼女もみんなに混じって大臣と握手をして大喜び。

 大臣には村の助産婦がどんな苦労をしているかはわからないだろうけど、ラタナさんには小さなご褒美だったかな? というよりは、ラタナさんが僕のフィールドでの自分への小さなご褒美だったのかもしれない。人がいる。その一人一人が作るのが社会だと実感する時、なぜかホッとする。 カンボジアはとてもまともな人たちで支えられた国のように思うのである。 


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