んだんだ劇場2009年6月号 vol.126
遠田耕平

No95 熱帯の作法

 カンボジアにまた雨期がやってきた。日に一度は、空がさっと掻き曇り、一陣の風を巻き起ったかと思うと雨がバケツをひっくり返したようにザアーっと降る。30分ほどしきりに降るとサッと上がって再び熱帯のギラギラ太陽が、立ち上る湿気を吸い込むかのようにカッと照りつけるのである。僕は熱帯の雨期が好きだ。特に雨期の雲が僕は好きだ。灰色のグラディエーションは様々な形になってメコン河の上の空に浮いている。 
 この雨期にカンボジア人の親友のナリンから結婚式をするから絶対来てくれと誘われた。ナリンは最近「タイガー」の異名をとる体格のいい女性と再婚したし、誰の結婚式かと思ったら21歳になる長女の結婚だという。相手の男性の両親に請われて結婚することになったというが、彼女が幸せになれるのかなと少し気がかりだ。
 ナリンの前妻はこれまた体格のいい女性である。10年以上前に博打に手を出し、借金と男を作って家出し、タイに行ってしまった。その後この長女が妹一人と弟二人、それにナリンの世話をして、家事を支えた。最近になって前妻がタイでの商売が安定したから子供たちの世話をしたいと訪ねてきたらしい。家出したとはいえ実の母親だし、タイガーにも馴染めなかった子供たちは、みんなタイの前妻のもとに行ってしまった。子煩悩のナリンがこうも簡単に子供を手放すのかと驚いたのであるが、熱帯の作法というか、子供の自由意志だそうだ。みんなが見事に自由意志である。日本では「どの面下げて帰ってくるか!」と言われそうな前妻の行動であるが、自分の商売の手伝いをさせ、ナリンのプノンペンの家でも商売したいと言っているというからたいしたものだ。ナリンの親戚からはタイガーより受けがよく、しっかりものであるそうだ。熱帯は大らかである。何でもありである。
 結婚式に女房と出席して驚いた。なんと前妻が新婦の母親としてタイから来て、入り口で来賓を迎えているではないか。ナリンは娘を手放す父親の心境のかけらもないかのか、ひたすらニヤニヤとにやけている。「やばい、タイガーはどこだ?」とこっちがハラハラ。いた!タイガーは目をギラギラさせ、来賓のテーブルからテーブルへと自分が本当の母親ですと言わんばかりに徘徊、いや、挨拶に回っている。前妻とタイガーの両方から「母親です。」と挨拶された僕と女房は、どういう顔をしたらいいのか少々戸惑う。早く食べて早く退散しよう。空を見上げるとどうも雲行きが怪しくなってきた。雨を避けて暑い盛りのお昼の披露宴であったが、夜にはどうもナリンの能天気を吹き飛ばす嵐が来そうである。

プレビヒアの森へ
 保健省にプレビヒア県の辺境の村で百日咳の集団発生と新生児破傷風で新生児が亡くなっていると報告が入ってきた。県の担当者に村まで行って確認してもらおうと思ったが、担当者が最近ちゃんと仕事をしていないらしい。県の衛生局の誰に訊いても埒が明かないので、じゃ、行くかということになった。
森に中の空
泥の中を走るバイク
 保健省で病気の報告を取りまとめている明るく気立てのいい女医のヤナレスおばさんと、結婚式の後にひと悶着あったのか少し元気のないナリンと一緒に3バカトリオで現地に向かった。この県は北をタイとラオスと国境を接し、タイ国境の森林地帯にはタイが領有権を主張して国境紛争の火種となっている、最近世界遺産に登録されたプレビヒア宮殿がある。「天空の城」として、以前にここでも紹介した。県の大部分は森林で覆われ、アンコールワットから続く遺跡群と共に豊かな森林資源で有名である。その一方、良質の大木はほとんど伐採され、密輸でタイとベトナムに流れてしまったとも言われている。
 プノンペンからアンコールワットに向かう国道6号を3時間半ほど走り、そこから北上するともう舗装はされていない。赤土のでこぼこ道をさらに3時間半、プノンペンから7時間かけてやっと県の中心のちっぽけな町に着く。県の衛生局長と会って調査の説明をしたあと、さらに1時間再び赤土のでこぼこ道を走ってクーレン保健所を経由し、さらに30分走ってやっと村に着いた。 村を案内してくれた保健所の担当者はマラリアで熱を出し、家で寝てたところを呼び出されてしまった。嫌な顔もせず患者の家を案内してくれる。
 村の家を訪ねて歩くと1歳から7歳位までの子供たちに乾いた喘息様の咳が聞こえてくる。よく訊くと流行は2ヶ月以上前4月のクメール正月の頃から始まっていたらしい。同じ家族でも3種混合ワクチンを受けていた兄弟姉妹には罹っていない。やや遅きに失したかもしれないが、念のために喉から検査のためのサンプルを採取する。遅れた報告ではあるが、こんな僻地からでも報告してくれたことは有難い。ワクチン接種率も予想したほど悪くはない。いずれ、大きな流行ではなさそうである。マラリアに罹っているこの担当者のお陰である。

森を走る。ケツ、イッテェー
 翌日は新生児破傷風が報告されたとっても遠くの村に行くというので、5時半起き。朝飯を食べた飯屋で簡単な弁当まで作ってもらって村に向かった。1時間半、赤土の国道を走って、森の中の保健所に向かう分岐点に来る。ここでバイクを調達するのだが、これがひと苦労。バイクの運ちゃんたちは誰も首を縦に振らない。保健所までの20キロ、森の中の道が悪くて割に合わないという。ヤナレスさんの涙ながらの説得でやっと4台のバイクを借りた。お金を節約するために一台はバイク本体だけ借りてナリンが自分で運転するから任せろという。以前もナリンと二人でバイクで走ったので大丈夫だろうと思ったが、これが災難の始まりであった。
 道が山に入った途端、僕の乗ったナリンのバイクはどんどん遅れる。悪路に慣れた地元のドライバーたちの足は速い。焦るナリンは雨水の流れで真ん中が削れた小径にタイヤを取られ、水溜りで大きく跳ね、泥沼にはまり、とうとう僕を吹っ飛ばしてバイクごとひっくり返った。僕は泥水に落ちて半身ずぶ濡れ。それでも彼は「オーケー , オーケー ,ノープロブレム」を連呼、軍人だったプライドにかけて走り続けるのでした。
泥にはまる
森を走る
 湿気で蒸し風呂のような森の中を4台のバイクを連ねて、でこぼこ道を2時間半近く走ってやっと視界が開ける。森の中とは思えない小奇麗な民家の並ぶ村の中にチャムロン保健所があった。驚くことに木造の保健所の床は埃一つないほどよく掃除が行き届いている。優しい顔の保健所の所長さんの話では保健所の職員たちが交代でちゃんと掃除をしているという。12人の職員のうち5人も助産師がいる。一月のお産は10人前後だというが、器具の消毒もきちんとされ、いつお産があっても大丈夫なように保管されていて、プノンペンの中の保健所よりも余程ちゃんとしているのである。「所長さんはしっかりしているね。」とヤナレスに言うと、彼女はニヤニヤしてこの所長は有名なんだと言う。何かと思ったら森の中で山賊に3度も襲われてバイクを3回盗られたという。うーーん、この人は本当にしっかりしているのかな? 
 3台のバイクの運ちゃんは村まで行ってくれという僕らの頼みも無視して、お金を受け取るとさっさと今来た山道を帰っていった。所長はすぐに保健所のバイクを2台貸してくれた。一台は保健所の予防接種の担当の職員が、もう一台は県の衛生局から来た人が運転する。実は彼のバイクさばきがうまかった。3台目はやっぱりナリンと僕である。11時前に再び28キロ先の村に向かって出発。
 ここでも道は同じだ。地面が粘土のような泥になったかと思うと、砂利やサラサラの砂地になり、さらに固い岩肌のようにもなる。そのたびにタイヤは泥や砂にめり込んでハンドルを取られ、岩に飛ばされて、ナリンはふらつき僕は振り落とされるのである。途中民家もなく、人もほとんどいないが、たまに材木を密輸しているような目つきの悪い人に会う。
 2時間そんな中を走り続け、脱水で頭が朦朧としてきた頃、視界が突然開けた。なんと朽ちかけた遺跡が目の前に現れたのである。予想していなかったから余計に驚く。「象の寺(ワット ドムレイ)」という名前だそうだ。小さな丘の周りにアンコールワットに似た造りの崩れた塀がある。その石塀には崩れたアプサラ(天女)のレリーフがかろうじて残っている。石塀の角には石造りの象が立っている。小高い丘の前には大きな池が広がって、蓮の花が咲いている。1000年以上前は立派な集落だったのだろうなあ、と崩れ、盗掘されたアプサラを見ながら思いを馳せるのである。
崩れた象の寺の石塀と前に広がる大きな蓮の池
象の寺の象
 そこからさらに30分ほど走ってやっとお目当てのタソンチューン村に着いた。すでに午後の1時半。そこには保健所の出張所(ヘルスポスト)がある。そこを管理する助産婦のオバサンの家で弁当を食べ、人心地つく。オバサンは6つの村を担当しているらしい。そのうち4つの村のお母さんたちはオバサンのところでお産をして、月に2-3人はお産を介助する。村のお産婆さんたちも一杯いるが、連絡がよく、お産を知らせてくれると小額を払うので、お産婆さんたちも快くお母さんたちをヘルスポストに連れてきてくれるという。山の中の僻地とは言え、随分きちんとしているなぁと感心する。
 二部屋あるヘルスポストもきれいに管理されている。そこに二ヶ月前にお産した二人の若いお母さんが来た。どちらもこのオバサンが取り上げている。どちらも正常分娩で生まれて5日までは健康だった赤ちゃんが、5日目に大きな痙攣を一度起こしてそのまま昏睡状態となって半日で死んでしまったという。一人は黄色くなって、少し出血したらしい。新生児核黄疸かもしれないが、いずれ新生児破傷風ではなさそうだ。もう一人も臨床的には破傷風ではなさそう。
 どちらのお母さんも妊娠中に破傷風のワクチンをちゃんと受けていない事が気になるが、助産婦のオバサンが不潔にヘソの緒を切ったのではないかと疑っては見るものの、器具も処置もきれいにみえる。念のために今朝お産で生まれたという家を訪ねて赤ちゃんのへその緒を見せてもらった。ちゃんとイソジンで消毒されてガーゼが被せてある。やっぱり破傷風はなさそうである。 こんな遠くまで来て結局、新生児破傷風が見つからなかったことにガッカリするだろうなと思われるかもしれないが、こんな僻地の村でもきちんとした清潔なお産が保健所や助産婦の努力で施されるようになってきたと分かっただけで僕は十分嬉しいのである。
 こんな僻地とは言え、しっかり活動している助産婦がいて、お母さんたちもちゃんとやってくるヘルスポストには冷蔵庫がなく、ワクチンを置けないのは残念だ。破傷風のワクチンもB型肝炎のワクチンも熱には比較的強いワクチンである。僻地のお母さんや新生児のために、氷や冷蔵庫がなくても一ヶ月程度室内で保管できないかテストしてみたいと思っている。
 もう少し村の人たちの話を聞こうと思っていると、ナリンが青い顔をして「トーダ、早く帰らないとまずいぞ。」という。保健所から来たスタッフの携帯に警察から連絡があって、近くの森で民家が数件焼き討ちされたという。材木の密輸グループの仕業か、村同士の小競り合いか、刑務所から脱獄した連中もこの辺にいるらしい。これまた予想していなかった事態である。僅か一時間半の村の訪問で帰り道を急いだ。午後3時。
 帰り道のナリンの運転はさらに激しかった。盗賊に襲われるかもしれないという恐怖心からか、泥や砂にタイヤをとられても無理やりアクセルを回す。木にぶつかっても石にぶつかっても走り続ける。ところが僕はその度に振り落とされるのである。こんな森の中で殺されても誰にもわからないだろうなと嫌な気持ちになりながら、幸いにも保健所に無事に戻った。午後5時。切れかかったバイクのチェーンを交換して、バイクに給油し、今度は保健所長もバイクに加わって、5時半出発。やっぱり僕はナリンと一身同体。。。
 出発するとすぐに暗雲が垂れ込めて激しい風が起こり、激しい雨が降り始めた。森の木の葉に叩きつける雨音の中、体はずぶ濡れ、どろどろである。まずいなあ、と思ったが、ナリンは「オーケー, オーケー ,ノープロブレム」とスピードを緩めない。やっぱり僕はまた飛ばされて泥の中。。。。途中で日が暮れた。不思議なものでここまでずぶ濡れドロドロになるとなんだかワイルドな気分になる。顔に叩きつける雨水は鼻水と一緒になって少し塩味になって喉に流れてくる。国道が近づいてきたのか突然舗装道路になった。舗装の上を走るとバイクはこんなにも快適なのかと納得する。夜7時、国道で待つ車と合流、降りしきる雨の中で保健所のスタッフとバイクに何度もお礼をして別れ、僕らは町に向かった。
村のヘルスポスト
初めての赤ちゃんを亡くした若いお母さんの話を聞くヤナレス先生
 町に戻って、夜の食事にありつけたのは9時を過ぎていた。泥を落として顔はさっぱりしたのだが、下半身がおかしい。ナリンと僕はガニ股歩きでフラフラ、お尻が痛くて椅子にうまく座れない。座るときに「チュー クゥート(ケツ イッテェー)」と叫ぶとヤナレスおばさんが腹を抱えて笑う。彼女は道中、回りの面倒も見ながら優しく明るく元気で疲れを見せない。「お尻痛くないの?」と訊くと、「私のお尻は筋肉だから大丈夫よ。」とまた腹を抱えて笑う。どうやら笑いが彼女の元気の秘訣(ヒ*ケツ)らしい。みんな無事でよかった、食事にありつけてよかった、夜寝るところがあってよかった。そんなたわいもないことが有難かった。
 翌日、保健所長に電話して無事を確認する。案の定、森の中でバイクが壊れ、通りすがりのバイクを一時間以上暗闇の中で待って、修理してから村に辿り着いたそうだ。本当に命懸けだ。この人たちには日常なのかもしれないけど、すごいなぁーと思う。僕にはできない。とてつもない僻地の保健医療はこんな人たちのとてつもない、何気ない力で支えられている。そうそう、8時間以上のバイクの旅を征したナリンさんにもありがとう。それにしても、ケツ、イッテェー。


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