んだんだ劇場2009年8月号 vol.128
遠田耕平

No97 背負う痛み

五十肩
 日本では梅雨明けが宣言されてから各地で豪雨が続いているという。そんな頃カンボジアではメコン川の水位が少しずつ上がってきた。雨期が例年通りの雨を降らせている証である。
 それにしても最近、朝起きるとあちこちが痛い。犬の散歩に朝早く女房に起こされ、夢遊病者の如く近所を歩くのであるが、関節がぽきぽきガクガク音を立てる。
 特に右の肩がある位置に来ると軋むように痛い。 「五十肩」というやつである。 いわゆる肩は肩甲骨と鎖骨と肋骨に付着するさまざまな筋肉の腱が絡み合って上腕を吊り下げている。その腱の一つでも油切れになれば肩の動きに可動制限が加わるわけである。したがって肩の可動域が命の泳ぎもうまく行かない。回らない肩で水をかくことになり、水に乗れない。なんだかぎこちないのである。 
 プールでよく会う僕より少し歳の若い白人がいる。彼に「最近、体のあちこちが痛くて泳ぐのが大変だよ。」と愚痴った。すると「歳をとればみんな、朝起きると体が痛いんだよ。」という。「英語にこんな笑い話があるの知っている? ある朝起きて、体の痛みがなかったら、それは死んでいる時だってさ。」まったくだ。二人で大笑い。 痛みは生きている証らしい。

孤児院の麻疹流行
 そんな頃、麻疹に罹った子供がたくさん病院に入院してきたとプノンペンの隣のカンダール県の衛生部から連絡が入った。早速、保健省の仲間と検体の採取の準備をして、隣のカンダール県に向った。
 カンダール県衛生部の担当者のトーさんと合流して県立病院に向う。古くからある病院らしいが、古い建物に人はまばらである。その中でも新しく見える建物はNGOが援助してHIV の患者や結核の患者専用に建て直したものだという。古い小児病棟の中に入ると中は意外にも清潔で、午後なのに珍しく職員も働いている。よく訊けばここもNGOがやはり支援しているという。入り口にはすでに麻疹疑いの子供たちが20人近くも集まっている。訊くとみんな孤児院から来た子供たちだという。どうやら流行は孤児の施設で起こったらしい。衛生部のトーさんが気を利かせて孤児院に連絡し、施設のスタッフたちが麻疹の疑いの子供たちをみんな連れて来てくれたらしい。
 優しい顔をしたクメール人の職員たちが何人も付き添って孤児の子供たちを見てくれているのでホッとする。
 2日前に発症したという7歳の男の子を診る。丁度熱があって苦しそうだが、我慢強く、よく言うことを聞いてくれる。 どの子供たちも目の充血や鼻水、咳などはなく、幸いあまりひどい症状は呈していない。僕の頭を一瞬、麻疹ではなくて、風疹ではないかという思いがよぎる。去年は一度それで失敗した。カンボジアの国立公衆衛生研究所(NIPH)に送った検体の結果が麻疹だったので、意気込んで現地に出向いて調査をしたのだが、診て行くとどうも麻疹にしては症状が軽い。もう一度検体を取り直していろいろ調べてみると、風疹の流行だったとわかった。 それで今回はNIPH に前日に再検査を頼んでおいた。県の衛生部のトーさんがすでに送った5人の血液の検体が全て麻疹陽性と出たものを、確認のために再検査してもらったのである。早速電話をして担当者に結果を聞いてみると、やはり全て再度麻疹の急性期の抗体価が陽性になったという。間違いなく麻疹だ。よくはないがよかった。
 残念なことは、この子供たちの一人も麻疹ワクチンを受けていなかったことである。孤児たちがワクチンを受ける機会を逸していることはよく知っていた。そこで2年がかりで去年、保健省とユニセフの仲間 と協力して、孤児院の子供たちが定期接種の期間を外れていても接種できるように孤児院の為のガイドラインを作った。そして各県に通知し孤児院での予防接種を実施したばかりであった。ところが、この孤児院では実施されていなかった。ガッカリである。  
 その男の子の皮膚の発疹を調べる。さらに口を大きく開けてもらって、指で押し広げながら口腔内の粘膜に出る麻疹特有の「コプリック班」を診た。「見えたなあ。」と思ったところで、病院のスタッフが「手袋したほうがいいよ。」という。「何で?」と訊くと、「子供たちはみんなHIV 陽性の子供なんだ。」と教えてくれた。指を口の中に突っ込んでから教えてくれるのではちょっと遅い気もするが仕方がない。孤児院のスタッフの人たちは子供たちに抱きつかれても、嫌な顔一つせず優しくスキンシップをしている。マスクをしている人に気がついたが誰も手袋はしていない。この子たちには何の罪もないんだよなあ、と思ったらなんだか気持ちが重くなった。もちろん親たちにも罪はないのだろう。でも、HIV 陽性の親から生まれたこの子達は親にも捨てられ、重い十字架を背負って生きていく。なんで? 選べない人生を歩いていく。 HIV という病気の持つ意味の重さを改めて感じる。そして本当にそんな境遇の子供たちが目の前にいる。  
 実は僕の重い気持ちの出所はもう一つあった。それは麻疹ウイルスの同定をするために血液だけでなく、喉の奥から咽頭ぬぐい液の検体を採取をするつもりでいたのである。ウイルスそのものの同定は感染の極めて初期の検体でないと証明できない。ここ数年間は麻疹の症例が少なく、急性期の検体が取れずに、カンボジアでのウイルスの同定が何年間もできないままでいた。 「ウイルスの同定? 何でそんなに大事なの? 感染の証明なら抗体の証明だけで十分でしょ?」 と思われるのもごもっとも。でもウイルスを同定することで麻疹のRNA遺伝子の一部が解析できる。すると、同じ麻疹ウイルスでも、そのウイルスがどこからやって来たのか、どういう経路で広がってきたのかの推定の助けになるのである。
 確かに便利ではある。例えば、中国、日本、ベトナム、タイ、ヨーロッパ、アメリカと、麻疹ウイルスの顔は少しずつ違うのである。最近のウイルスの遺伝子の解析はウイルスが人から人へと伝播する経路の解明にも役立っている。 最近すでに麻疹の撲滅を宣言しているアメリカ合衆国で数人の感染が報告された。そのウイルスを調べてみたら大リーグの観戦に来た日本人観光客が持ってきたとわかったという。観戦に来て感染? 洒落にもならないが、日本は車だけでなく麻疹も輸出するのかあ?と皮肉を言う。
 それにしても考えれば、ウイルスの遺伝子解析なんていったいこの子と何の関係があるの?と言われれば言葉に詰まる。 本当に関係ない。
 HIVで十分苦しめられているこの子からわざわざ苦しい思いをさせて喉の奥から検体を取らないでもいいだろうという気持ちがある。それでも、悲しい職業病だ。心でごめんなさいと言いながら僕はしっかりと検体を取った。 それにしても、こんなことになるとわかっていたなら、本当にキャンディーでもジュースでもなにか子供たちに喜んでもらえるものを持って来ればよかったなあ、とつくづく後悔した。
 利発そうな若い小児科医がずっと僕等の様子を見守っていた。彼が診断をして報告をしてくれたというので本当にありがたい。県立病院にも、いい医者がいるんだなあ。だから、患者も来るし、NGOも協力してくれるのだろうと納得した。ところが帰り際によく聞くと、彼も看護婦もNGOに雇われているらしく、小児病棟自体がNGOの支援で何とかやり繰りしているらしい。本当の県立病院のお医者さんたちはどこに居るのかなあ?やはり少し情けない。
 横で見ていると、孤児院のクメール人スタッフたちはやっぱり優しい。子供たちがべたべたとまとわりついても嫌な顔をせず好きにさせている。本当に普通にそのままに子供たちと接している。南の国の優しさか、クメールの飾らない気質か、そのまま、いつもの通り(トーマダー)である。これも熱帯の作法なのかなあ。 僕は痛いことだけして、他に何にもしてあげられなくてごめんなさい。
 ふと僕の五十肩の痛みを思い出したが、そんなものはあの子達の背負う痛みに比べれば何のこともない。 痛みにもいろいろある。背負う痛みは大変だ。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次