んだんだ劇場2009年2月号 vol.122

No33− オトナの休日−

仙台散歩――青空だけで丸もうけ
 年末は施設に入っている義母が里帰り、新年になると湯沢の母親を温泉に連れて行った。そんなわけで自分の正月休みはなし、だったので、この3連休(10,11,12)を自分の正月休みだった。

 初日はジュネネス栗駒へ一人ぼっちのスキー行。もちろんゲレンデスキー(というのも最近小生の周りでは「山スキー」ブーム、まだ買わないのか、という意地悪な質問がひっきりなし、なので念のため)。
 朝から吹雪の荒れ模様。スキー場はそれにさらに輪をかけた猛吹雪で、滑るのを断念。吹雪の中を滑っても面白くない。横手駅前の温泉にはいってスゴスゴ帰ってきた。温泉にはいっただけ、という1日だったが、車中、新聞連載のテーマを突然思いついた。何を書こうかずっと悩んでいたので、ま、これだけでも収穫か。
 2日目は仙台。今回初めて会員になった「大人の休日倶楽部」パスを使う(5パーセント電車代安くなる)。吹雪の秋田から青空の仙台へ。「青空だけで丸もうけ」という言葉がなんの脈略もなく浮かぶ。2,3人の方に電話連絡して用事は終了、あとはまったくの自由時間。駅中で昼酒でも飲もう、とうろつくが、どこも満杯ではいれない。ホテルにチェックインして街に出る。昔に比べて仙台には若者が圧倒的に多くなり、美人も目立つようになった(昔はいなかった)。やたら「牛タン」の看板を掲げた店が多いのも気になる。いつも行くアウトドア用品「モンベル」にはいるが何も買わず。エライッぞ、自分。お気に入りの「二十陸」という蕎麦屋は店を閉めていた。駅中にある立ち食い寿司「北辰寿司」も行列で入れなかったし、もうどうでもいいチェーン蕎麦屋に入ると、ジャガバターは半生、蕎麦ミソは氷のように冷たくて、蕎麦を食べずに出てきてしまった。
 3日目、11時間熟睡。このところホテルのほうがよく眠れるのはどうしたわけか。ホテル近くの喫茶店で小1時間、ボーッとする。そこから歩き出し、登りのきつい仙台城址をぐるりと一周し、東北大川内キャンパスに降り、校内を探検、ついでに阿部次郎の「三太郎の径」を歩いて、駅まで戻ってくる。5キロ以上は歩いた勘定だ。朝はサンドイッチにコーヒー、昼はせいろ一枚、夜は電車で牛肉弁当、酒を飲まない旅というのも久しくなかったこと。
 誰とも会わず、口もきかないひとりぼっちの3日間の休みが終わった。


読書家と佐藤信淵
 かなり時間がたったので書いておきますが、ある読者から長い手紙をもらいました。内容は、小舎の本を読み、(社交辞令なのでしょうが)誉めてくださっているのですが、「自分は公務員で、本に割ける金はない。すべて近所の図書館で借り、館になければリクエストを出して買わせています」と得々と述べています。正直なところ不快と諦観のまじった感情が渦巻き、ユーウツな気分になりました。貧しくて本を買えない人がいるのはわかります。図書館で本を借りることにも依存はありません。が、この人は公務員といってもかなり上の部類に属する、普通の生活をしている読書家のようです。そんな人が、本を書いた人(の生活)や街の書店の事情、零細の版元の現実に、まったく考えが及んでいないことに、かなりのショックを受けたました。この人は、ただ単に読んだ本の感想を述べたかっただけなのかもしれませんが、それにしては配慮に欠け、独りよがりで、自慢げな長い手紙に、うがった見方や半畳のひとつも入れたくなってしまいました。
 個人的な興味から「戊辰戦争」のことを調べています。ご存知のように秋田藩は土壇場で奥羽越列藩同盟から離脱、新政府軍につくわけですが、このとき佐竹藩主が選んだ選択には、直接間接にご当地生まれの平田篤胤国学の影響があったとされています。このへんを調べていたのですが、思わぬところで同じ秋田出身、当時の日本思想史に偉大な足跡を記した、といわれる佐藤信淵という人物に興味が移ってしまいました(信淵は平田の弟子でもある)。
 信淵について書かれた小説(たとえば杉浦明平「椿園記」など)を読むと、その多くが、ほら吹き、エゴイスト、頭の粗雑な田舎モノ、といった共通した像が描かれています。わが秋田ではいまも偉人として尊敬されているのですが、評伝を読む限り、かなりいい加減な、行き当たりバッタリ、口八丁手八丁のサギ師です。明治維新後、信淵の思想は明治政府の官僚に注目され、大久保利通などは江戸の改名に際し、信淵が唱えていた「東京」という地名を採用した(という推測)、なども地元では伝聞されているのですが、この人物は思想家や学者といった範疇からははみ出た「異形の人」であるのはまちがいないようです。「日本の名著」(中央公論社)にも平田と同じ巻に信淵の著作「鎔造化育論(抄」も収録されています。これはいわば一種の宇宙論で、その宇宙の中心は日本の天皇、といった内容です(まだちゃんと読んでいないのですが)。
 信淵ファンや生まれ故郷の方々は不快な思いをするかもしれませんが、信淵を「トンデモ男」として激動の時代とともにとらえなおしたら面白いのでは、というあたりが、小生の興味の正体です。


いよいよ雪山ハイキングのシーズン到来!
18日(日)、25日(日)と2週続けてスノーハイクに出かけてきた。
18日は鳥海山のふもとにある中島台・獅子が鼻。真っ青な絵に描いたような好天だったが、ハイキングコースの入口まで除雪しておらず、しょっぱなから車を降りて5キロも歩くハメに。ラッセルは山スキーの人たちが受け持ってくれるが雪が重くてスノーシューもけっこうきつい。入口に着くころにはヘトヘトに疲れてしまう。大きなブナの木の下で昼食。本来の山中ハイク・コースを歩き始めたのだが、すぐに一人がようやく通れる幅の吊り橋。1メートル以上も雪が積もり手すりが雪地面より下になっている。こういうのは大の苦手、スノーシューを脱いで慎重に渡る。これで脚力をずいぶんとロス、歩き出すとケイレンがはじまり皆から遅れだす。どうにかだましだまし車のある場所まで戻って来れたが、本当に疲れた。修行が足りないなあ、と反省しきり。家に帰ったら風呂に入る余裕もなくバタンキュー。10時間熟睡。この日の参加者は5名だったが、後から聞くと他の人もかなりきついハイクだったようだ。なにせ重い雪を15キロも歩いたのだから、普通の道だって疲れるのが当たり前。
25日は森吉山スノーハイク。ゴンドラを使って樹氷コースから歩きはじめる。あいにくの雪で、山スキー組の跡を歩いていくのだが体重が重いせいか小生一人だけズブズブ埋まる。一歩一歩慎重に脚を抜きながら前に進むのだが、しまいには全身から湯気モウモウ。樹氷(アオモリトドマツ)の根元の穴に胸まで埋まったりしながら、ほうほうのていで避難小屋で昼食。そういえば去年もホワイトアウトで樹氷見学どころじゃなかったなあ。
降りるのは山スキーが圧倒的に有利だが、ゲレンデのスキー客を横目に黙々と歩いて降りてくるのも、キライではない。今回も深雪の新雪だったので、距離は短いのに、けっこう往生した。森吉の帰りは定番の「スナック憩」でまずくはない「十割そば」。温泉にも入って、充実した1日でした。


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