んだんだ劇場2009年3月号 vol.123

No34−厄払いと旅恐怖−

山形・会津若松へ週末小旅行
 もう2月か。いやはや「おめでとうございます」もはるか彼方へ、ですね。とにかく月日の経つのが早い。早すぎる。週末に雪山に登ったり、電車で小さな旅行して、月曜日から張り切って仕事をする。ふと気がつくと金曜日。この週刊日誌を書かなければならない。火曜から木曜までの記憶が一気に飛んでいる。いやはや、いやはや。
 何年ぶりかで週末は山形市へ。出版の仕事をはじめた頃から印刷所が山形市にあったので毎月のように出張していたのだが、20年ほど前、秋田支社ができたため来る事がめったになくなった。そのかわり庄内地方(酒田や鶴岡)にはよく出かけるようになったのだが(高速道が出来てすぐ行ける)。
 今回の山形行きは、その印刷所の元常務が入院したためのお見舞い。市街からかなり離れた場所にある県立病院まで往復ともバス。夜はTVドキュメンタリー「ナオキ」の、ご本人と待ち合わせ。撮影ロケ地になった市内の酒場をハシゴする。ホテルに帰ったら3時を回っていた。久しぶりの痛飲。
 翌朝は会津若松へ。このところずっと幕末や戊辰戦争の本を読んでいるので、楽しみだった。市内循環バスで一通り周り、街の概要を頭に入れ、駅から一人で歩き出す。途中、権現亭桐屋という蕎麦屋で酒と「水そば」。たしかに水もいいし、蕎麦もうまい。でも最後はものたらなくてけっきょくお猪口に醤油をたらし、蕎麦をつけて食べた。この蕎麦屋、ニシン類はあったが酒肴にいわゆる江戸前のものが何もない。これはもしかしたら、最後は自分らを裏切った徳川幕府に腹ふくれるものがあったせいかだろうか、なんて想像しながら酒を飲むのも楽しい。それにしてもこの街、すっかり気に入ってしまった。ある程度歴史的知識をもっていたので、多くの史跡や神社仏閣にすばやく反応できたのが、よかった。近々また来よう。


還暦の日に考えたこと
2月11日建国記念日の祝日に近所の三吉神社に「還暦年祝い」に行ってきた。友人のFさんに誘われた。Fさんには42歳の「厄払い」も誘われ、一緒にこの神社でお祓いをしてもらった。同い年で市営バスの運転手である。おもしろいことにFさんはクリスチャンなのだが、全然そんなことを気にしないのがおかしい。42歳の厄払いで「神社初体験」をした時、実は本当に神頼みしたくなるほど仕事も体調も最悪だった。「厄年ってホントにあるんだ」と落ち込み、にっちもさっちも行かないころだった。ところがお祓いを受けて1年後あたりから仕事や体調の運気は劇的に変化、そこから50代前半までの10年間は何をやっても順風満帆、という時期が続いた。厄払いの効果があったのだろうか。このときの強烈なプラス・イメージがあって、Fさんに「還暦年祝いをやりましょう」といわれ、いちもにもなく「はい」とこたえた。
そういえば、「還暦」には別の思い出もある。確か40代終わりごろだったから、今から10年以上前のはなしだ。編集者の津野海太郎さんと装丁家の平野甲賀さんの二人の還暦祝いが京都の梁山泊という料理屋であった。出席者は10名前後の小さな会だが、演出家の高平哲朗さんや俳優の斉藤晴彦さん、建築家の石山修武さんや晶文社の中村勝也社長など錚々たるメンバーで、私はそういったエライ方々の「お世話役」(作家に対する編集者のような役割かな)として呼ばれた若造である。スペシャルゲストには、還暦の二人が敬愛する鶴見俊輔夫妻も見えられ、宴会後半には筑紫哲也さんまで乱入して盛り上がった。翌日はみんなで和気あいあい京都見物、楽しかったなあ。あの時のメンバーである筑紫さんも晶文社の中村さんも、もういない。
三吉神社の神主さんは若い女性だった。女性特有の穏やかな祝詞を聞きながら、10数年前の京都での一夜を思い出した。神社の境内で賽銭を投げ、鈴を鳴らす音がうるさく響き渡って、おだやかな神主の祝詞は聞き取りにくかった。境内には秋田には珍しい街宣車のようなものまで停まっていて、そうか建国記念日か、などとぼんやりと考え、脚の痺れに耐えていた。30分ぐらいで神事は終了、事務所に帰って、借りてきたビデオ映画・黒澤明監督『まあだだよ』を観た。偶然だが、冒頭シーンはいきなり内田百閧フ還暦祝い。そうか昔の60歳というのはこんなに風格があったのか、現代とはエライ違いだなあ、と感じ入った。この夜、大学の恩師と教え子の友愛を描いたこの作品の背景が気になり、百閧ェ実際に教えていた大学名を調べてみたら法政大学だった。内田百閨wノラや』を寝床で読み出し、わが還暦の日は終わった。


このごろチョッピリ旅恐怖症
 先週の高尾山スノーハイキングは暖冬のため中止。皮肉にもその夜からものすごい雪が降り始め、今週は連日の雪。
 春のDM発送準備もようやく終了。気分転換で外に出ようと思い日帰りで弘前へ。ところが最終電車が雪で運行中止、駅前ホテルに泊まる破目に。ま、これは雪国のリスクでグチを言ってもしょうがない。問題はホテル。安くて快適なホテルが乱立しているので便利とはいうものの、やはりホテル泊は「非日常」、健康管理には気を使う。特に冬の乾燥が大敵だ。せっかく日常生活でそれなりに体調管理をしてきたのに、ホテルの1夜はそれを台無しにしてしまう。加湿器を備えたホテルが多くなったというものの、目覚めると喉の奥はいつもヒリヒリ。それに狭い部屋で何時間も過ごすのは苦痛だ。だから外に出る。そして暴飲暴食、悔恨と吐き気にのた打ち回ることになる。
 そんなわけで最近は少々ホテル恐怖症というか旅行恐怖症である。なんでもいいから夜だけは自分の寝台で寝たい、というのが還暦まじかオヤジの正直な気持ち。朝からゆっくりと自分のペースで一日を送らないと、暮らしのリズムが狂い、元のペースに戻るのに数日かかってしまうようになった。

 新幹線は大丈夫なのだが、在来線の「効きすぎる暖房」というのもネックというか、いつも頭にくる。なぜ電車内はあんなに暑いのか。私自身が暑がりなので気になるだけなのか。とにかく苦痛でイライラ、読書にも集中できない。冷静に考えると、仕事場を1階から2階の一人部屋に移したのも、他の人たちと冷暖房適温がまったく違うことから決断したものだ。クーラーやストーブが暑すぎて仕事に集中できない。家でもカミさんのいる部屋の暖房がきつくて、飯がすむとそそくさと自分の書斎に戻ってしまう。そうか、これはやっぱジブンの問題なんだ。


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