んだんだ劇場2009年6月号 vol.126

No37−塩分補給−

後半戦の英気を養うGWです
 GWが来ると、今年も半分が終わった、という気分だ。そして、時が経つのは早いなあと嘆息する。思えばGWはずっと嫌いだった。この時期になると、なぜか「うつ的兆候」が出てきたのだ。いつもいつもこの時期には深く落ち込んでしまうのが常だった。
 それがここ数年、逆に、早く来い来いGW、という感じ、である。
 山歩きをするようになったからだろう。

 GWはいつもシャカリキに仕事をしていた。これからの後半戦に備え、みんなが遊んでいるすきに「後半の予習」をやっておこう、というまさにこずるい優等生だった。一人でモクモクと仕事をしていると、集中力はどんどん研ぎ澄まされていく。能率が上がるのだ。が逆に、孤立感と焦燥感も募っていく。こんなバカなこと、いつまで自分はやっていくの……自己懐疑と自己嫌悪と孤立感のスパイラルがはじまってしまうのだ。

 そんなことから抜け出したくて、3年ほど前からGW中は積極的に「仕事をしない」ことに決めた。極力外に出るようにしたのである。
 前哨戦で「今年のGWはどこに行くか」を決める計画段階から、もうワクワクははじまっている。別に山歩きでなくてもいい。でも山と出会わなければ、頭はともかく身体が付いていけなかっただろう。ようするにフットワークを山歩きで身に着けたのが大きい。身体が軽くなりフットワークが良くなると、例えばホテルが取れなくとも、まったく落胆しない。どこかでキャンプするか、なんて自然に考えてしまうのだ。雨の天気予想でも、カッパと長くつの機能を確かめる絶好の機会だな、とニンマリするし、おにぎりかパンさえあれば食べ物の不平不満は、まったくない。とにかくいろんなことから自由になった。旅先ではipodの音楽と数冊の本さえあれば無聊をかこつこともない。何日でも一人でいれるし、行く先々で設備の整った日帰り温泉に入るのも楽しみだ。

 その昔、GW中はけっこう来客が多かった。それはそうだろう。東京などで働いている人たちが帰省する。懐かしくてずっとこの場所にコケが生えたように居続ける無明舎を訪ねてくる。彼らにとっては年に1度の帰省でハイテンションなのだが、こちらは日常そのものだ。そんなうざったさから逃れたい気持ちも強かったのかもしれない。


GW・庄内・蕎麦屋に死者
 今年のGWは庄内地方に出かけ鳥海山の周辺をウロチョロしてきました。去年と同じです。
 スタートの日は仕事がらみで山形市まで行ったのですが、車でも2時間ほどで着きますから、昔に比べると交通環境はかなり改善されています。
 途中、天童市で、わが祖先の住んでいた山元地区の山城跡を訪ねてきました。もうリンゴ園になっているのですが、1602年、最上氏との抗争に敗れ、秋田に落ちのびるまで小さな城を構えていた場所です。そのリンゴ園の持ち主にご挨拶をして一路山形市へ。夜は印刷所の担当者と会い一献。この夜、食べた物の何かが当たったのかホテルで夜中にゲイゲイ吐き、一睡もできないアクシデントに見舞われました。翌朝早く酒田に移動したのですが、今年のGWはこの時点でアウト、もう諦めよう、と思ったほどの体調不良でした。何とか友人たちとの約束の場所である遊佐町までたどり着いたのですが、いざ「GW庄内山歩き4泊5日」の旅がはじまりと、あら不思議、体調はグングン快方に向かっていき、森を1時間歩くと逆に心身共に冴えわたっていました。森の力です。初日は秋田県側の鳥海山の森を散策でした。ガイドは遊佐町のYさんで、この辺の森を知り尽くしている人、道なき道をグングン山深く入り込んでいきます。その日は海の波音がうるさい古びた旅館で一泊。2日目は鳳来山に登り、「しらい自然館」というなかなかゴージャスな国の補助(林野庁)で建った宿泊所に泊まりました。3日目は月光川周辺で川遊びをしてから酒田市内に出て、土門拳記念館や友人の写真展に顔を出し、夜はまた「しらい自然館」泊まり。4日目は船で「飛島」へ。半日間森歩きを楽しんできました。

 4日間とも全く雨が降らず好天続きでした。森歩きは好天が何よりのごちそうですが、たまには雨の森歩きというのも風情があっていい、というのはないものねだりでしょうか。でも山形といえばなんといっても蕎麦。山形に向かう途中の新庄市にうまい蕎麦屋があるというので、まずはそこで昼食。「いせき」という店なのですが、山形名物「板そば」で、やっぱりうまい。その日の夜も山形市内の蕎麦屋で、印刷所の担当者と夕食です。ここは「梅蕎麦」という名前で山形の店では異例の江戸風の蕎麦屋です。ここも満足。酒田ではいつものように生石にある「大松屋」で蕎麦を食べました。ここは定番です。そういえば想定外だったのですが、飛島で食べた「みはらし食堂」のトビウオラーメンもうまかったなあ。

 ほぼ1週間、テレビも新聞も観ていないので、帰ってきてデザイナーの粟津潔さんと歌手の忌野清志郎さんが亡くなった事を知りました。忌野さんは知らない人ですが、粟津さんはその昔、一度秋田に講演に来てもらったことがあります。1週間もあれば、知っている人が必ず一人は亡くなってしまう、という恐ろしい年齢になってしまいました。

味噌と鳥海山とターニングポイント
パソコンの待ち受け画面に16日に登った鳥海山・七高山頂上での登頂写真を使っている。いい年をして「オイオイ」と自分に半畳も入れたくなるが、「やっと一皮むけた」という安ど感と、自分にとって大きな転換点という意味がある。

祓川ヒュッテから雪の斜面をアイゼンで登りはじめた。登り始め10分で、「こりゃ自分の力量ではムリ……」と不安がもたげた。アイゼンを付けて登るのは2回目、おまけに目の前に頂上が見える。ということはこの斜面を最後まで「直登」することを意味した。前日の寝不足とこれまでの経験上、「かならず足にケイレンがくる」ことを確信した。それでも、みんなの迷惑にならないよう「行けるところまで行こう」と決めた。みんなのペースからは大きく遅れることを了解してもらい、最後尾を休みを入れながら亀の歩みでついて行くことにした。幸いなことに直登なので、遅れても道に迷う恐れはない。こまめに水分を取り、ときおり味噌をなめ、自分の体力と対話しながら、ゆっくり、ゆっくり。

山に登りはじめて3年ほどになるが、ちょっとハードな山だと100パーセント、足にケイレンがくる。これが自分の最大の欠点であり課題でもある。いろんな人に相談してみたが、ストレッチや水分補給ぐらいしか妙案はない。先日、GWで一緒に山歩きした大阪の女性たちに、この「悩み」を打ち明けると、「水分補給の時に、失われた塩分も摂らなくちゃ」とアドバイスされた。水も糖分補給もたっぷり行っているが、そういえば塩分に関しては正直なところそれほど関心がなかった。そこで今回は「飴より味噌」を意識して心がけてみた。

頂上がまじかに見えはじめた最後の急登で、屈強な体力を誇る先輩2名がへたり込んだ。その横を亀の自分がゆっくりと追い越していく。頂上は風が強く、昼ご飯はだいぶ下った雪穴の中。メンバーの中で最も体力のないのが自分なので、いつも泣き言を言っているのだが、今回はケイレンの話題が他のメンバーの口から出た。ケイレンの予兆のように足がピクピクし出した、と何人かが言うのだ。「ケイレン・マニア」の自分の身体にはなんの異変も起きない。下りもみんなから10メートル以上離され、マイペースで無事帰還。最後まで足は悲鳴を上げることなく、下山後のストレッチを入念に行う余裕さえあった。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次