後半戦の英気を養うGWです
GWが来ると、今年も半分が終わった、という気分だ。そして、時が経つのは早いなあと嘆息する。思えばGWはずっと嫌いだった。この時期になると、なぜか「うつ的兆候」が出てきたのだ。いつもいつもこの時期には深く落ち込んでしまうのが常だった。
それがここ数年、逆に、早く来い来いGW、という感じ、である。
山歩きをするようになったからだろう。
GWはいつもシャカリキに仕事をしていた。これからの後半戦に備え、みんなが遊んでいるすきに「後半の予習」をやっておこう、というまさにこずるい優等生だった。一人でモクモクと仕事をしていると、集中力はどんどん研ぎ澄まされていく。能率が上がるのだ。が逆に、孤立感と焦燥感も募っていく。こんなバカなこと、いつまで自分はやっていくの……自己懐疑と自己嫌悪と孤立感のスパイラルがはじまってしまうのだ。
そんなことから抜け出したくて、3年ほど前からGW中は積極的に「仕事をしない」ことに決めた。極力外に出るようにしたのである。
前哨戦で「今年のGWはどこに行くか」を決める計画段階から、もうワクワクははじまっている。別に山歩きでなくてもいい。でも山と出会わなければ、頭はともかく身体が付いていけなかっただろう。ようするにフットワークを山歩きで身に着けたのが大きい。身体が軽くなりフットワークが良くなると、例えばホテルが取れなくとも、まったく落胆しない。どこかでキャンプするか、なんて自然に考えてしまうのだ。雨の天気予想でも、カッパと長くつの機能を確かめる絶好の機会だな、とニンマリするし、おにぎりかパンさえあれば食べ物の不平不満は、まったくない。とにかくいろんなことから自由になった。旅先ではipodの音楽と数冊の本さえあれば無聊をかこつこともない。何日でも一人でいれるし、行く先々で設備の整った日帰り温泉に入るのも楽しみだ。
その昔、GW中はけっこう来客が多かった。それはそうだろう。東京などで働いている人たちが帰省する。懐かしくてずっとこの場所にコケが生えたように居続ける無明舎を訪ねてくる。彼らにとっては年に1度の帰省でハイテンションなのだが、こちらは日常そのものだ。そんなうざったさから逃れたい気持ちも強かったのかもしれない。
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