んだんだ劇場2009年9月号 vol.129

No40−10年目の墓参り−

塩熱飴とクーラーと山歩き
熱いッ、モーレツに熱いッ。でも窓からは隣の家(私の自宅)で屋根修理をする板金工の人たちが炎天下のトタンの上で朝から晩まで仕事をしている光景が眼前にみえる。なんとも申し訳ない気持ちになり、クーラーをキモチ抑え気味に25度に上げた。夏は苦手だ。汗っかきだから暑さにめっぽう弱い。

山歩きの面白さに目覚めて3年。県内の山を中心に年間50座ほど登る。もう初心者という謙遜は無理なのだが、つい最近まで、どんな山に登っても途中で足にケイレンが起きていた。やはり初心者なのである。登りは3時間がメドで、それ以上歩き続けると、かならずといっていいほど足にピクピクが来る。運よく何事もなく下山しても、そのあと温泉に入ったり、就眠中のベッドで、ビクビクッとくるケースが多い。入念にストレッチしてもダメ。水分もしっかりとるし、栄養補給もこまめに行っているのに。
ある日、大阪の山友達(女性たち)にこの悩みを打ち明けたら、「あれ、塩分摂らないの?」と唐突に言われた。水分と糖分ばっかりで、塩分を摂らないのがケイレンの原因であることを指摘されたのだ。翌週から塩熱飴(ミドリ安全)という優れものの飴をなめるようになった。憑きものが落ちたようにケイレンは治まった。以後、見事にケイレンは起きなくなった。汗で失われた塩分を補給してなかっただけなのだ。

ケイレンが起きなくなって山歩きが一層楽しくなった。が、この7月に入ってから4回登った山(鳥海山・焼石岳・森吉山・杢蔵山)はすべて目も当てられないほどへばった。それほど苦労せずにこれまでも登った山なのにヘロヘロになってしまうのだ。まるで熱のある病人がはいつくばってトイレに行くようなあんばいで山頂にたどり着く感じ。年なのか、それとも疲労が蓄積しているのか……いろんなことを考えてみたが、納得がいかない。さらに、もう何年も歩いている夜の散歩コースが7月に入ってから急にきつく感じられるようになって、ようやく気がついた。疲れの原因はクーラーだ、と。犯人はクーラーにちがいない。西日の強い仕事場では「23度」に設定してある。とりあえずこれを26度まで上げることから、暑がりの消極的クーラー対策をはじめている。


お盆・秋田駒・ネット新刊案内
お盆休みは13日から16日まで。まあ普通のお盆休み、です。週明けからは「秋のDM」の印刷や発送作業が始まるので、小生個人はけっきょく、今年のお盆休みなし、ということになりそうです。編集長も青森、北海道でイザベル・バードの撮影があり、同じく休みなし。こればっかりはしょうがない。
また山歩きの話で恐縮だが、先日、秋田駒ケ岳に登ってきた。秋田の山で最も楽に登れるポピュラーな山だ。その駒に登って気がついたのだが、ピークである男女岳や男岳を極め、そこから横岳を通り馬の背から焼森、そして八合目に下りてくるコースは、はじめて経験だった。要するに何を言いたいかと言うと、秋田でもっとも有名な山、秋田駒をまじめにちゃんと登ったのは、実は先日が初めてだったのだ。最初は乳頭縦走コース(6時間)を考えていたのだが、不覚にも登山口行きのバスに乗る直前、登山靴のひもを足に絡めて転び、右ひざと左肩を路上で強打、登る前に「けが人」になってしまった。そこで、楽な秋田駒に急きょ行き先を変更となった次第。ま、ひとり登山の気軽さだが、路面に叩きつけられた肩と膝は、まだ痛い。
今年の秋の新刊は、自分でいうのもなんだが「力の入った」本が目白押しである。愛読者と言われる小舎の年4回のDM通信を受け取っている方々には案内がこの下旬には届きますので、乞うご期待。無料で新刊案内と通信をもらえるのはずっと愛読者の特権(それほどたいそうなものでもありませんが)だったのですが、この秋号からはそっくりそのままネットでも閲覧できるように計画中です。たぶん来週にはアップ出来るでしょうから、そうすれば正規の封書DMよりネット公開のほうが早いということになりそうです。

津軽書房・高橋さんの墓参り
弘前にお墓参りに行ってきました。津軽書房の高橋彰一さんのお墓です。亡くなってもう10年経つのですが、なんとなく今年のお盆に行かずに、いつ行くのだ、という気分になったためで、全くの個人的な理由です。
そういえば、同じころに亡くなった屋久島の詩人、山尾三省さんの墓参りも念願かなって今年の4月に行ったばかりでした。今年は、自分も還暦を迎えるという年のせいなのか、死に対してけっこうナーバスになっているのかもしれません。

還暦になると、「死」はひしひしと身近なものに感じます。死者への哀悼の意が心の中に自然にわき起こってきます。不思議なものですね。あわただしいばかりの悲しみの大合掌に包まれる儀式の中では、「悲しみ」はかなりの部分、外部から強制されたつくられた感情のような気がします。そういったものが時間に風化され、ささくれ立った棘がそぎ落とされ、故人を純粋に哀悼する気持ちが少しずつ膨らんでくるのです。自分の父親に対してもそうでした。三省さんも高橋さんも、そんな気持ちになるまで10年の歳月がかかってしまったということかもしれません。

最勝院というお寺で墓参りをすませ、弘前公園の近くにある津軽書房を訪ねました。ここは高橋さんの実家で、この場所で今も社員だったIさんが津軽書房を一人で続けています。パソコンもない昔の津軽書房そのままの仕事場で、Iさんは年に数本の自費出版と在庫販売で、高橋さんの仕事を、ゆっくりと静かに、仕上げている、という印象でした。

青森は「太宰治生誕100周年」とかでいろんな太宰関連のイベントが目白押しでした。でも「高橋さんはこんな風潮、たぶん絶対いやがったでしょうね」とIさんは笑っていました。夜はIさんを誘って、高橋さんが好きだったという弘前市内の蕎麦屋で、お酒を飲みました。そういえば30代40代と、金魚のウンコのように高橋さんのカバン持ちをしながら、酒の飲み方や蕎麦の食べ方といった、しょうもないことばかり教わっていたような気がします。10年ぶりにお墓参りをして、そうか、自分に仕事や生き方の師匠と呼べる人がいるのなら、高橋さんだったんだ、と改めて痛感しました。


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次