んだんだ劇場2009年12月号 vol.132

No43−幼形成熟−

いやはや世の中どうなってるの?
体調不良が続き、そのため「ひきこもり症状」がでてしまった。暗く鬱屈した10月がようやく過ぎ去ったわけだが、11月になっても、まだ体調も精神も完全回復とは行かない。もしかするとその不調の一番の理由は、「読書の秋」なのに例年のように本が売れてくれないあたりに根本的な理由があるのかもしれない。

どこにも出かけず仕事場に閉じこもっていると仕事はドンドンはかどる。この1週間も11月下旬に出す予定の「冬のDM」作業に没頭、ほとんどケリをつけて印刷所に渡した。短期間に能率的に作業をこなすことができて大満足なのだが、その中身はというと胸を張ってばかりもいられない。今回は「新刊ゼロ」という不名誉な記録を作ってしまったのだ。昔出たものの、ほとんど宣伝の出来なかった本で、いまもコンスタントに売れ続けているものを中心に、どうにかDM販促チラシを作ったのだが、新鮮味はないものの、けっこう懐の深いロングセラーのラインナップが出来た。怪我の功名といったところか。

それにしても金をかけて積極果敢に新聞広告を打ち、販売促進に精力的に取り組んだのだが、まったくといっていいほど世間様は無反応。こうした経験はこれまでの長い編集者生活でも経験したことがない。とにかく球を投げても球が返ってこないのだからキャッチボールが成立しないのだ。戸惑うばかりで、何の有効な対策も打てないのが現状だ。日本人はもう本を読む習慣を放棄したのか、とまで大げさに嘆きたくなる。

とくに、わが地元、秋田県の無反応というのは筋金入りだ。県自体の疲弊というか、ノンリアクション、無気力、諦観は、もうかなりの強度で壁をつくっている。仕事場に来る他の職業の人たちも口をそろえて、「まったく売れない」「注文がほとんど来ない」の大合唱。その気持ちはよくわかるのだが、俗に言う不況の影響という理由だけで納得できない、もっと大きな地殻変動がはじまっているのではないのだろうか。もしかすると民主党政権への移行という「革命」も何か関係があるのかもしれない。よくわからない。


横手と蕎麦屋さん
このごろ県南部に出かけることが多い。湯沢には、母親が施設に入っているので、ご機嫌うかがい。メインはもっぱら横手のほうが多い。横手のホテルに一泊、横手盆地のいろんなところに散らばる友人たちのところに顔を出す。
先週は「秋田ふるさと村」にある県立近代美術館で久しぶりに美術鑑賞。現代作家たちの秀作を集めた「ネオテニー・ジャパン」(高橋コレクション)という美術展だ。実物の村上隆の絵をはじめて観た。秋山さやかさんのオブジェ作品も良かった。新世代のトップアーティストたちといっても奇抜で難解なわけではなく、むしろ同時代人として共感のほうが大きかった。
拾いものだったのは無料で特別展示されていた故・伊藤博次さんの作品展。秋田市出身、元秋田グランドホテルの社長だった人だが、うちの本の愛読者でもあった。まとめて作品を観て圧倒された。こんな力量ある作家だったんだ。
足しげく横手に通うようになった理由の一つは、蕎麦がある。横手ではここ数年、「そばの地産地消を進める」運動が盛んで、地域内にかなりの数の手打ち蕎麦屋さんがオープンした。今回はその横手地方の蕎麦はパス、西馬音内の「ひやがけそば」に足を延ばした。が味にはガッカリ。昔なら蕎麦を食べる習慣のない秋田人にはこの程度で充分だったのだろうが、県内いたるところに蕎麦屋さんが出店している今、これでは笑われてしまうのでは、老婆心ながら。十文字にある「食い道楽」という居酒屋では、月1回、県南の素人蕎麦打ち自慢たちを集め、「蕎麦打ち飲み会」を開催している。ここに集う蕎麦打ち自慢たちの蕎麦はかなりおいしいのだ。
さらに横手には夜の楽しみもある。「日本海」という魚の美味しい居酒屋があるのだ。居酒屋といってもメニューはあってないようなもの。その日に仕入れた魚(酒場の隣で魚屋さんもやっている)と、お客さん自らが持参する銘酒がメニューのメインで、客が勝手に調理場にはいって料理を出したりする、不思議な店だ。

蕎麦の話が出たので、朗報をひとつ。やはり県南の秋の宮で「宅配蕎麦」を売っている栗田さんの「神室そば」がこの11月20日から営業を始めた。5人前つゆ付き2300円で、FAXで注文すると手打ち蕎麦がその日のうちに届く。栗田さんの蕎麦も系列としては「西馬音内系」(つなぎにフノリを使う)だが、本家よりずっと清冽で美味。注文ファックスは0183−56−2554。栗田さんはふだんは農家なので、農作業が終了したこの時期から春先まで蕎麦屋に変身する。

文化暴走族のあんちゃん
秋田駅の東側に秋田大学がある。そこから太平山のみえる方角を目指してまっすぐに歩いていくと秋田大学医学部やノースアジア大学に至る。秋田市駅東はいわば大学街といっていい地域である。その一角にわが無明舎出版も位置している。秋田駅から裏通りを抜けて秋田大学まで歩き、そこから医学部に至るまでの通りを、私は勝手に「手形大学通り」と読んでいるのだが、その大学通りに異変が起きている。

散歩で通るたびに驚くのだが、地方都市のありきたりな風景と化した空き店舗に変わって、猥雑で熱気あふれる小汚い店(失礼!)がやたらと増えつつあるのだ。若者たちが起業した古着屋や喫茶店、アクセサリーや画廊、ラーメン屋やデザイン工房などである。背景には単なる起業ブームだけではなく、不況による就職難も大きく影響しているのだろう。しかし、まあこの時期に、まるで雨後の筍のごとく、大学通りは若者たちの起業店舗だらけなのである。

思い起こせば40年前、私自身もこの大学街で古本屋と企画イベントの店・無明舎を旗揚げした。その当時は起業なんて気の利いた言葉はなかったが、就職しない生き方のはしり、ドロップアウトである。そうした経緯があるので、彼ら起業家には愛着以上のものを感じるのだが、一抹の不安も覚える。少しでも長く持続するお店や、その小さなお店をステップに大きな夢を花咲かせる人が出てほしいのだが、今の若者の共通した特徴なのかもしれないが、「なりふりかまわぬガムシャラさ」は、彼らの店舗からはほとんど感じられない。

失敗してもどうにかなるさ、とか、いつか理想の仕事に巡り合えるまでの準備期間、といった考えなのだろうが、そう簡単に転職やステップアップが待っているわけではない。腰を据えて、その道のスペシャリストになる方途を一途に模索してほしい。とまあ偉そうなことをいってしまったが、40年前の自分を振り返ると、とても若者に説教できるタマではなかったのに思い至った。生意気で傲慢で鼻もちならない自尊心に満ちた、近所からは完全に浮いた、文化暴走族のあんちゃんだった。いやはや赤面の至りである。


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