んだんだ劇場2009年1月号 vol.121
No63
上げ膳・据え膳・転た寝

 年末・年始は、母の実家で、家族と一緒に過ごしました。家族で大晦日の紅白歌合戦を見て、年越しそばを食べました。家族と一緒に新しい年を迎えることができました。「家族と一緒に、たわいなく冗談を交わすことも良いモンだね」と僕が話すと、おばあさんは「家の中が明るくなって、楽しいよ」と。おじいさんも「来年も、家族で紅白が見ることを楽しみに生きていくかなぁ」と笑っていました。
 祖父母の家へ泊まりに行く機会は、1年間に年末・年始、ゴールデンウィーク、お盆の時期です。毎年1年に10日前後、宿泊しています。おじいさんは「マナブがこの家に住むことを考えて、家の中はノンステップにしたのだよ」と、おばあさんは「いつか、家族で生活できるようになればいいなぁ」と言っていますが、僕も母も仕事の関係でなかなか家族一緒に暮らすことができないでいます。「ときどき、近所から笑い声が聞こえてくると、羨ましくなってきます…そして、気づいたら、涙で目が真っ赤になっているときがあるよ」と、おばあさんの言葉がジンワリと僕の心の中に広がっていきました。
 いつも、おじいさんとおばあさんは「元気にやっているか〜」と聞きます。2人一緒に聞いてくれば良いのですが、2人別々にほとんど同じ内容を聞いてきます。僕は「元気にやっているよ。平日はホームヘルパーさんの支援を受けて、生活をしています。通勤は介護タクシーを利用しています。介護タクシーだから、天候に左右されないので、安心ですよ」と話しています。おじいさんとおばあさんは安心した様子で僕の話を聞いています。「これから雪が降るから、気をつけて歩けよ。滑って転んだりすると、人の世話になるからな」と、おじいさんやおばあさんは自分たちのことより、孫のことを心配しています。(孫として、心配されるうちが華なのかなぁ)と思っています。今年で、おじいさんは84歳、おばあさんは78歳になります。老夫婦二人で生活して、2人とも後期高齢者と呼ばれる年齢層ですが、"老いは気から"と思わせるほど…。祖父母の家に行くと、決まって僕の身の回りのサポートはおばあさんがやってくれます。着替えるときも、「いつも母さんだけでなく、この家にいるときくらいはバアさんに頼みなさいよ」と言い、僕に靴下を履かせてくれます。おばあさんが「右の足を出してね」と言ったのに、僕が左の足を出すと、「右の足ですよ。きちんと、人の話を聞くように」とおばあさんは怒ります。僕は「元気だなぁ…ばあさんは」と言うと、「当たり前でしょ。ばあさんが元気でなければ、困るのは貴方たちでしょ」とおばあさん。「それもそうだなぁ」と僕は呟いて、笑っていました。78歳のおばあさんに、僕は自分の足を差し出し、靴下を履かせてもらっています。(普通は反対で、僕がおばあさんの靴下を履かせる立場なのになぁ)と思いましたが、おばあさんは孫の世話をすることに生き甲斐や張り合いを感じているようでした。食事をするときも、僕が食べやすいように肉を一口サイズに切ってくれたり、魚の骨を箸で取ってくれたりします。「おばあさん、ありがとう」と言うと、「あなたが小さい頃から、やっていることですよ」とおばあさんは笑っていました。「最近、腰が痛くて、通院している」と話すと、「ばあさんが腰を揉んでやるから、横になってけれ」と、おばあさん。僕は言われるままに横になり、おばあさんに腰を揉んでもらいました。おばあさんは「どこら辺が痛いの?」と聞いてくるので,僕は「そこ。そこ」と答えていました。
 僕はおじいさんにも世話になっています。段差があるところで、おじいさんは「さぁ、ここに掴まって」と言い、僕に肩を差し出したり、手を差し伸べたりしてくれます。僕は84歳のおじいさんの肩や手を掴んで、段差を乗り越えるときがあります。(年齢的には、立場が反対なのになぁ)と思いながらも、段差を難なく乗り越えて歩くおじいさんと、段差の前で立ち尽くし,サポートを求めてしまう僕。「遠慮をしないで,じいさんにもっと体重をかけてもイイよ」と言われたとき,僕はドキッとしました。腰が曲がっているおじいさんに体重をかけて,おじいさんと一緒に倒れて、ケガでもしまったら…と考えたら、少し遠慮していました。「何を言っているのだ。孫がケガをすることこそ、心配だよ。オレはのんびりと生活しているけど、オマエは仕事をして稼いでいる身だ…」と、おじいさん。その迫力に圧倒され、気兼ねなく寄りかかりました。おじいさんは「先日,庭にある松の木の枝をハシゴを使って,自分で切ったよ」と言うので,僕は「その歳で,家の屋根と同じ高さの松の枝を…」と言い返しました。「庭師に頼めば、お金がかかるからね。自分の庭は、自分で手入れをしたいしね。何事も気持ちの問題だよ」と、おじいさんは笑っていました。
 講演会などで、「三戸さんの話を聞いていて、三戸さんを育てたお母さんも素晴らしい方だなぁと思いました」と言われるときがあります。僕を通して、母親の育て方を感じているんだなぁ…。このことを母に言うと、「私は衣・食・住しか与えてこなかったよ」と笑っています。振り返ってみると、母さんから「ああしなさい。こうしなさい」と言われたことがなかったなぁと思います。高校進学も、大学進学も、教師を目指すときも、母さんが「こっちの道に進みなさい」と言うことはなく、僕が自分で考えた進むべき道を応援してくれていました。おじいさんとおばあさんも同じでした。幼い頃から、僕と妹を町内会の会合や町のイベントなどに連れて行き、「これが孫ですよ」と紹介していました。30年前くらいのことです。障害児が生まれると、世間体を気にして障害児を隠したがる状況があった中で、決して僕の存在を隠そうとしませんでした。おばあさんは僕が生まれてきたときの様子や脳性マヒという障害のことについて、話のネタにしていました。(また、オレのことを話しているよ)と嫌気を挿していたことを覚えています。「将来、この子がどうなるかなぁと思うと、不憫になることもあったけど、それ以上にかわいくてね」と、おじいさん。【この親にこの子あり】と言いますが、【この祖父母にこの孫あり】です。
 「お母さんを大切にしなさい。もしお母さんが倒れたりしたら、あなたも困るでしょ」と、おじいさんとおばあさんは口をそろえて言います。「今の不況で、準社員の私も来年度の契約はないかも…」と母さん。「そうなったとき、あなたが母さんを養うのですよ」とおばあさん。僕は「分かっているよ」と答えると、母さんは「息子の世話には、なりたくないなぁ」と一言。「毎月の給料から、僕は母さんに仕送りをしているけど、こんなことぐらいしか、僕は母さんにすることがないよ」と言うと、「その気持ちだけで、嬉しいよ」と母さん。調子にのり、僕は「いずれは、じいさんとばあさんの面倒を見るからね」と言うと、老夫婦は「孫から面倒を見られたくないな」とバッサリ。親子って、似るんだなぁ。
 正月は上げ膳・据え膳で、たくさんお酒を飲みました。おばあさんは「布団に入らないで、布団の前で寝ていたよ。お母さんと2人で、あんたを布団に寝かせました。もうすぐで80歳になる人に世話をさせるなんて…少し考えなさい」と注意をしました。(孫の世話をしたいと言っていたのに…)と思いながら、話を聞いていました。「夏だと布団に入らなくてもイイけど、冬だと寒くて凍死するかも…マナブが飲み会だと聞く度に、しっかりと布団で寝たのかなぁと心配するよ。いつまで、心配をかけるつもりなんだ」とおばあさん。僕は「少し大げさだよ」と言うと、おばあさんは「年寄りの言うことは、素直に聞くものですよ」と。
 本荘のアパートに戻る日。「また、こいな」が、おじいさんとおばあさんの口癖です。「アパートで、少しずつ飲みなさいね」と言って、おばあさんは350ML×6本入りのビールを手渡してくれました。


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