んだんだ劇場2009年5月号 vol.125
No66
階段、浴槽、ため息

 4月から1ヶ月間,由利本荘の自宅から潟上市にある秋田県総合教育センターに通勤しました。その日の通勤の様子を,仲間にメールで伝えました。駅のホームへの連絡階段の上り下りが困難であると言っているけど,なぜ通勤経路に階段の上り下りをしなければならないだろうと理不尽な気持ちになりました。一人では10pの段差も乗り越えることの困難な僕にとって,通勤に階段の上り下りを強いられていることを知ってほしいと思っていました。
・ やはり,階段の上り下りが辛い。足が痙攣してきた。電車通勤は,身体的に予想以上に厳しい。(4月1日)
・ やはり,階段の上り下りが辛い。仕事をする前に,身体が壊れそう。早く新しいアパートを探さないと。大変なことになる。当面の課題。(4月2日)
このメールを読んだ友人が知り合いに,「三戸さんを支えて,階段の上り下りをサポートするので,屈強な男性を紹介してくれるように」と,ボランティアの依頼をしました。でも,朝の通勤時間帯に屈強な男性は働きに出かけるので,ボランティアを頼むことができる男性はいませんでした。羽後本荘駅の近くに住む主婦の方がボランティアを引き受けてくれました。出勤時は午前6時30分に羽後本荘駅で待ち合わせて,帰宅時に午後6時24分着の電車をプラットホームで迎えてくれました。
・今日,初めて,行きも帰りも電車通勤をしました。やはり,階段の上り下りが辛いです。そして,帰宅時に,1人のボランティアが羽後本荘駅の階段を手伝ってくれました。1人よりも2人で抱え込んでくれた方が助かりました。こんなにも違うものなのかと感じました。 (4月6日)
・ 今日は火曜日。1週間が始まって2日目。まだ,体力があります。羽後本荘駅では駅員とボランティアで,追分駅では駅員が2人体制で,僕の階段の上り下りを支援してくれています。階段は上るよりも,降りる方が怖いです。そのまま下まで,転げ落ちていくような気がするからです。行きは良いけど,仕事帰りはクタクタです。今日の帰りは,膝が動かなくなり,腰が重くなりました。もう,時間の問題かなぁ。僕の身体がもちません。職場に行きたくても,行くことができない状況になりそうです。駅員とボランティアは,僕が転ばないように,必死で支えてくれます。(4月7日)
 僕の通勤状況を障害者仲間に相談しました。東京在住の方は「電動車椅子で通勤できれば,三戸の身体が疲れなくても良いのにね。東京なら,すぐに対応してくれますよ。駅員の電動車椅子利用者への支援は,お客へのサービスの1つと思うよ。秋田のJRは,駅員がお客に合わせるのでなく,お客が駅員の勤務体制に合わせるのか。何だか,本末転倒だね」と言っていました。このような考えを秋田で主張すると,「秋田はライフラインが整備されていないので,秋田で不便を感じているのなら,ライフラインが整備されている地域に住むしかないと思います」と言う方と「この機会に,バリアフリーな社会のあり方を考えましょう。JR秋田支社に要望しましょう」と言う方がいます。みなさんは,僕にどのような言葉をかけますか。
 僕だったら,自分自身にどのような言葉をかけるのだろうと考え込みました。僕は【共生社会は一般論でなく,具体的な事柄で考えること】と一貫して主張してきました。多くの人に自分のことを話して,共生社会を具体的に考えてほしいと願っています。ある方は「三戸さんは良いですよね。困っていることを人に話すので。みなさん,それぞれ苦労して,我慢をしていますよ」と言っていました。安易に僕にも我慢しろと言っているのかなぁと思いました。(本当は電動車椅子に乗って通勤したいのに,駅員が対応できないと言うので我慢して,徒歩で階段の上り下りをしているんだよ)と言いたくなりましたが,言うことを我慢しました。我慢はストレスが溜まります。
 
 やはり、羽後本荘駅と追分駅の階段の上り下りがシンドイ。木曜日にもなると、足が上がらなくなってきました。帰りの羽後本荘駅では、最初から階段昇降機を使いました。時間的な心配がないので、階段昇降機での上り下りは、最適。椅子に座っていればよいので、疲れませんでした。
「一刻も早く,職場の近くに引っ越しましょう。本荘からの通勤は無理です。三戸さんの身体が壊れてしまうと,元も子もない」
 枝葉のように,人づてに,僕のアパート探しが広がりました。紹介してくれた物件は,その都度,見に行きました。
やはり、風呂の幅が狭い。あと5p。膝がぶつかってしまう。不動産と大工さんに、確認しました。浴槽の幅を広げるためには、外壁を壊す必要があります。ユニットバスは、そのまま取り付けているので、新しいユニットバスを取り付けるために、一度、浴室を空洞にするそうです。大よその費用は100万くらい。浴槽の広さは浴室の広さに関係しています。この地域は、浴室の広さは0.7坪タイプが主流でした。1坪タイプは、満室でした。今までの異動では,浴室の大きさを考えたことはありませんでした。偶然に,僕が出入りできる浴室に出会ってきただけのことと思うようになりました。

 母は「仕事を辞めて,あなたの送り迎えをしますよ」と言います。階段の上り下りが大変な息子への母の心配りと感じますが,そこまで母も追い込まれたと考えると,息子として胸が痛くなりました。
 一部の人は「わがまま」「妥協しなさい」と言いました。お風呂にゆっくりと浸かりたい…希望が、どうしてワガママなのか。みなさんは、部屋のお風呂に入られない状況になっていないから、平気で言うのだろう。異動で、ゆっくりとお風呂に浸かることも我慢をしなければならないのか。とても、文化的で豊かな生活とは言えないだろう。また,ある方は「狭い浴槽に入れるよう,努力をしなさい」と言いました。僕は何の努力をするといいの。由利本荘のアパートは,努力をしないで入れるお風呂があるのに…どうして。「福祉用具を使えば良い」と言う方もいました。今の風呂では福祉用具を必要としていないのに、どうして使わなくてはいけないのだろう。機能低下につながるのでは…自分でできるうちは、自分でしたい。僕を思いやっての言葉に傷つけられるときもありました。
 ため息ばかり。


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