んだんだ劇場2009年7月号 vol.126
No67
電車通勤見聞録

 4月からの片道約1時間,往復2時間の電車通勤。最初はipotで好きな音楽を聞いていたけど,すぐに飽きました。学校にいるとき,朝の読書活動で1日の始まりを迎えていたので,読書が僕のリズムに合っていました。朝の読書で,落ち着いた気持ちで1日を迎えることができました。3日で,文庫本1冊を読んでいました。
 下を向いての読書は,首に負担がかかりました。20分くらい,読書に夢中になっていると,少しずつ頚椎に痛みを感じました。僕の首は地球の重力に敏感に反応している証拠でした。その度に,僕は顔を上げて,首を左右前後に振り,凝りをほぐそうとしました。
 午前7時台の電車は通学電車でした。秋田駅に向かう電車でも,乗客の9割ぐらいは高校生や学生で,残りの1割が働く方でした。東京などの首都圏の満員電車と違い,乗客全員が座ることはできないけど,ぎゅうぎゅう詰めでありませんでした。公共交通機関を利用するよりも,車を利用して通勤する人が多いと電車内の様子から感じ,改めて秋田は車社会であることを実感しました。毎日,電車通勤をしていると,乗客の数は天気に影響を受けることが分かりました。晴れの日よりも雨の日が乗客は多いと予想していましたが,むしろ高校生の乗客は減りました。「雨の日は,保護者が送り迎えをしているのでしょう」と駅員は言っていました。中学校でも,晴れた日は歩いてくる生徒も,雨天時は保護者の車で送られてくる生徒が多く,僕はすぐに納得できました。
 10数年前,僕が高校生のとき,保護者の送り迎えで通学することは滅多にありませんでした。「雨ぐらいで…ケガをしているわけでもないのに」と母が言葉をかけてくれて,僕を送りだしてくれました。途中から小雨がぱらついても,傘を届けて貰ったり,「迎えに来て!!」と電話をかけたりしたりすることなく,自分の見通しの甘さを痛感していました。だから,今どきの子どもは過保護かなと思うことがあります。そして,女子生徒の下校風景が社会の象徴と感じています。中学校の教育現場にいると,変質者の出没情報が飛び込んできます。暗闇で女子生徒を狙う変質者がいるからこそ,"取り返しがつかないことになってはいけない"と保護者が自衛的にわが娘の迎えをするのでしょう。何とも生きづらい社会です。
 電車の乗客数は曜日によっても変わります。気のせいか週末に近づけば,働く方の電車利用が増えます。仕事帰りにお酒を飲む機会があるからと察していました。4月は歓迎会の時期なので,毎週金曜日になると,乗客は増えるような気がしました。
 僕は電車に乗ると,必ず優先席に座りました。毎日,駅員が「身体の不自由な方に優先席をお譲りしてくれませんか」と優先席に座っている乗客に呼びかけ,優先席を空けてもらいました。僕にとって,席を譲ってもらうことは必要なことですが,そこに座っていた人から席を譲ってもらうことに少しの忍びなさを感じていました。必ずと言って良いほど,優先席で席を譲る人は一番若そうな人でした。しかも,お互いの顔を見合わせることもなく,一番若そうな人がすぐに立ち上がりました。その咄嗟の状況判断に,僕は感心しました。だけど,高齢者が乗ってきたときはほとんど席を譲る人はいませんでした。他人に感心がないのかなぁと思いました。高齢者はゆっくりと吊り輪に手をかけ,電車に乗っていました。高校生が座って,高齢者が立っている構図に腹が立ちました。高齢者も「席を譲ってくれませんか」と言えば良いのに…と思いました。
 電動車イスを利用するときは,吊り輪を掴んで立っている乗客と同じ状況になります。所用で東京へ行ったとき,通勤電車に乗ったことがありました。僕の目線の位置が立っている乗客の腰の位置になります。普通に座っているだけで,乗客の腰が視界に入ってきました。僕は変な誤解をもたれたくないと思い,頭を下げて,じっと自分の膝を見ていました。また,電車が揺れるたびに乗客の身体が僕の手や腕に当たりました。映画《それでもボクはやっていない》のように痴漢行為と間違えられたら大変と思い,僕は慌てて自分の手をカバンの中に入れました。乗車率が200%越えるような車内の状況では,自分を守るために精一杯でした。
 今までの通勤は,介護タクシー通勤であったので,運転手と私の2人だけの関係でした。電車通勤をして,僕はたくさんの人がいる空間に居心地の良さを感じました。電車の乗り降りは駅員のサポートを受けるので,僕は決まった場所で乗り降りしていました。他の乗客もほとんど同じ位置で乗り降りをしていました。「人間の行動は固定化するようで,ほとんどの乗客は同じ位置で乗り降りしているようですよ」と駅員。
 昨日も今日も同じ人と向かい合ったことが多々ありました。僕だけかもしれないけど,変な仲間意識が芽生えてきました。いつもの人が乗っていたり,停車駅から乗り込んできたりすると,妙な安心感がありました。反対に,いつもの人がいないと,(今日は,どうしたのかな)と気になりました。
 一般の乗客は仮眠か読書か,どちらかでした。高校生はipotを聞いたり,携帯電話を操作したりする姿が見られました。友達同士でも,お互いが干渉せずに自分の携帯電話の画面を見て,操作をしていました。友だちと話をしている高校生もいました。僕は高校生の会話の内容に興味があり,静かに耳を傾けていました。「今日の時間割は?」「宿題をやってきた?」「あの先生さぁ…」など,中学生とあまり変わらない内容に僕は安心しました。唯一,「今日のお昼,どうする?学食にする?それとも…」との会話に高校生らしさを感じました。本を読んでいる高校生を見て,(何の本を読んでいるのだろう)と気になりました。僕は遠目でチラッと見たら,参考書を読んでいました。
 電車通勤の楽しさを仲間に話すと,「人間ウォッチングはいいけど,プラットホームの階段の上り下りは限界だね。三戸さんの身体が壊れてしまいますよ。住める住居を見つけないとね」と口をそろえて言いました。僕が「階段の上り下りは大変だ〜」と言うと,「どんなふうに上り下りをしているの?」と質問する人がいました。口で説明するよりも,目で見た方が分かりやすいと思い,駅員に頼んで写真を撮ってもらいました。基本的に,高校生は素通りするけど,こちらの方を見て,気に留めているような高校生もいました。夕ご飯の話題に「最近,障害をもっている人も同じ電車に乗っているよ」と話してくれるといいなと思いました。
 夕方の帰りの電車内は,通勤電車と雰囲気が違いました。買い物した主婦,街で遊んで帰宅する若者,学校帰りの高校生や学生,仕事帰りの人など…幾分気持ちが緩むようで,会話が弾んで,車内は賑やかでした。
 電車通勤をしてみて,身近に障害者がいることの大切さを実感しました。階段の上り下りをしている姿を見ていれば,すぐにイメージが沸いてきます。見れば,その大変さが分かり,サポートの方法を考えることができます。
「どのくらい大変なの?」
「どのような支援をすればイイの?」
と聞く人がいます。丁寧に説明しますが,実際に見ていないから,実感できないと思います。【百聞は一見にしかず】です。
 駅員は,僕の身体をしっかりと掴んで離しませんでした。駅員の手から駅員の気持ちが伝わりました。
「通勤なので,三戸さんが転倒してケガでもしたら,公務災害になるよね。私たちの責任になりますからね」と駅員。
「駅にエレベータを設置すれば,そのような心配はなくなりますよ」と僕。
「そういうニーズが少ないのよね。エレベータを利用する方がたくさんいればイイけど。今のところ,駅員で対応できるからね」と駅員は物静かに話して,「身体の不自由な方に優先席をお譲りしてくれませんか」と呼びかけてくれ,僕を席に座らせてくれました。


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