んだんだ劇場2009年8月号 vol.127
No68
一山超えて

【障害者への支援は「家族支援」が中心でなく,「社会的な支援」を中心にしていきましょう】
 障害者支援を考えるうえでは,とても大切な視点ですが,現実はどうでしょうか。ホームヘルパーやガイドヘルパーなど障害者の生活支援,移動支援には取り組んでいますが,働く障害者への社会的支援は,ほとんどありません。
 4月の休日は,母とアパート探しをしました。【家族支援でなく,社会的支援】との理屈は分かりますが,母親以外に休日のアパート探しを頼むことができる方はいませんでした。「僕の自宅から車で約1時間30分をかけて,潟上市に行き,不動産屋を回ってくれる支援を希望しています」と,いくつかの機関に相談しましたが,いずれの機関も「そのような支援は,やっていない」とのこと。休日を返上してまで,友人や知人に支援を頼むことに気が引けました。母は休日を返上して,母の自宅から僕の自宅まで50分,僕の自宅から潟上市まで1時間30分,潟上市にある不動産の物件を見て,僕の自宅に戻ることを繰り返しました。休日,母は4時間以上も車の運転をしました。数年後に,退職を迎える母にとり,身体的にも精神的にも消耗していました。「あなたのアパート探しを支援できるのは,私しかいないのよ。最後には,家族が面倒をみるのよ」と母。(いつまで,母の支援に頼らなければならないだろうか)と思うと,僕は胸が苦しくなりました。だからと言って,母以外に頼る宛てはありませんでした。関係機関に相談しても,「家族の方は支援をしてくれないのですか」と言いました。その言葉を聞いて,(障害者の家族は,死ぬまで障害者の支援の対象として,世間から見られる)と僕は強く違和感を抱きました。障害者の支援のため自分の時間を犠牲にするのでなく,家族は自分の人生を大切にするために,障害者を社会的支援していこうと社会の流れはありますが,現実は明らかに僕のアパート探しのために,母は自分の時間を犠牲にしていました。僕は,なんて親不孝な息子なのでしょう。
 職場の近くには,僕が一人で出入りできる浴槽の幅が58p以上ある物件は見つかりませんでした。正確に言えば,僕のニーズを満たす物件はあるけど,満室で退去する予定が分かりませんでした。この頃から,「三戸さんが住むことのできる家を建てたら良いのでは。今度,転勤になったとき,その家を貸家にすれば」と言う友人もいました。(まさか)と思いながらも,「今から家を建てるとしたら,早くてどのくらいかかりますか」と,不動産屋の担当者に聞きました。「早くても,3〜4ヶ月ぐらいはかかりますよ」と教えてくれました。4月の1ヶ月間,アパート探しをして,僕が住むことのできる物件を見つけることができなかったら,いろいろな方法を考えようと思いました。僕はアパート探しの対象を少しずつ広げていきました。
 「"車で10分以内" と条件を外して,浴槽の幅が58p以上のある物件で探してみます」
 僕の要望に応えて,不動産屋はすぐに探してくれました。ある不動産屋から「三戸さんの希望に叶う物件がありそうなので,一度見ませんか」と連絡がありました。母の車で,見に行きました。家族一緒に住むことができる一軒家でした。玄関には手すりが取り付けていました。「この家を建てるとき,大家さんは必要と思って手すりを取り付けました」と不動産屋の話を聞くと,この家に愛着が沸きました。
 早速,お風呂場に案内されました。手すりの代わりに母の手を握りしめて,浴槽に入りました。そして,自分一人で浴槽から出ようと試みました。両膝を左に反転させると,これまでの浴槽では両膝が浴槽の壁にぶつかりました。この浴槽はすんなりと両膝が反転しました。膝が浴槽の底につきました。僕は思わず「ワァ,できた」と叫びました。母も不動産屋も「本当ですね。自分一人でできますね」と喜んでいました。浴槽の底に両膝がつくと,今度は片手を底につき,そこを支点に身体を回すことで,浴槽内で膝立ちができます。すると,浴槽の縁に寄りかかり,浴槽内で立ち上がることができます。最後は,母の手を握りしめ,浴槽から出ることができました。「三戸さんが初めて私のお店を訪れたときに,この物件はありました。ただ,最初に提示された条件に合わないと思って,三戸さんに紹介しなかった物件です」と不動産屋。「もっと早く住む場所が見つかっていたかもしれないね」と僕は呟きました。
 帰りの車の中で,母は「住む場所が決まって,本当に安心しました。これで,あなたも休日にゆっくりと休養できるでしょう」と言いました。僕は「母さんもね」と応えると,2人で笑いました。気が緩んだためか,急に疲れを感じました。
 引っ越し先が見つけたこと,5月のGWに,ゆっくりと引っ越しをすることを友人・知人に伝えました。
 「アパート良かったですよ。通うのは,誰が考えても大変。階段だけでなく,時間的な拘束も苦しいものです」
 「引っ越しが大変ですが,家族で住むということは良かったと思います。お母さんのことは心が痛みます。自分のことより子どものことを心配してしまうのが母親なのです」
 「お疲れさまです。アパートが決まったそうで,一安心ですね。でもなんだかすっきりしない気持ちよくわかります。考えさせられました。前向きに行くしかないですね!
 道は長いけど,応援していますから頑張りましょう。」
 秋田県総合教育センターから自宅まで,車で15分くらいかかります。教師になって初めて,学区外に住むこととなりました。通勤は介護タクシーを利用することを考えていました。母と妹は僕の引っ越しを終わってから,5月下旬に引っ越しをすることになっていました。母と妹が引っ越してくるまでの間,僕はホームヘルパーの生活支援を受けることになりました。潟上市での生活について,福祉課の担当者と相談していました。
 引っ越し先が決まって,本格的な引っ越しの準備をしました。今回は近所の飲み友達のKさんが手伝ってくれました。
 「必ず誰かがあなたの引っ越しを手伝ってくれますね」と母。
 両手に不付随運動がある僕にとって,段ボールに荷物を詰めたり,段ボールを運んだりすることが困難でした。これまでの異動は友人や知人が手伝ってくれて,何とか異動できましたが,(都合がつかず,誰も手伝ってくれなかったらどうしよう)と,不安な気持ちを感じました。この気持ちを校長に話しました。「引っ越し業者に頼むと,全部やってくれますよ。そのために,赴任手当があるのですから」と言うものの,赴任手当で全てを補えるものではありませんでした。
 今回の異動は,引っ越し先が決まって,"万事終了"といきませんでした。次は通勤費の課題が浮上してきました。僕は地元のタクシー会社と介護タクシーの事業所に確認しました。
《地元のタクシーの場合》
自宅から職場まで,片道15分くらい。タクシー料金は片道約2200円となります。1日の往復の料金は,2200円×2=4400円。障害者の1割引で,1日の通勤費は3960円となります。1ヶ月23日出勤と考えて,1ヶ月の通勤費を計算すると,3960円×23日=91080円となります。
《介護タクシーの場合》
1分121円と考えます。片道15分として,片道の料金は,
121円×15分=1815円となります。1日の通勤費は,
1815円×2=3630円から障害者の1割引で,3267円となります。1ヶ月23日出勤と考えて,1ヶ月の通勤費を計算すると,
介護タクシー料金 3267円×23日=75141円
移動支援料金    210円×23日= 4830円
合計 79971円
由利本荘市では,1ヶ月の通勤費は約1万円でした。8倍以上の負担増となる予定でした。
 「通勤費に,8万円も払っている人はいませんよ。通勤手当や福祉制度について,しっかりと調べた方が良いと思うよ。これでは,あんまりですよ」
 人は必要に迫られると、いろいろなことを学習すると実感しました。
「あなたは、タフですね。もう、心労で倒れても不思議でないですよ」
と言う母に、僕はそのときの心の支えを話しました。
 「自分の問題だから、自分がやっていかないと。働く障害者にとって、まだまだ困難な部分があり、その1つ1つを僕は体験しています。それを乗り越えることで、障害者が働きやすい社会になり、障害者が働きやすければ全ての人が働きやすい社会になると信じて、前向きに生きようと思う」


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