んだんだ劇場2009年9月号 vol.129
No69
さらば本荘

 引っ越し先が決まってから,本格的に段ボールの荷作りに取りかかりました。食器などの割れ物は母がやり,僕は書類や書籍,日常雑貨など,壊れないものを段ボールに詰めました。脳性マヒで,両手に不随意運動があるので,とても時間がかかりました。段ボールにきちんと整頓して詰めることができたら良いのに思いましたが,そんなことをしていたら,時間が浪費するばかりでした。「実際にできるかどうかでなく,あなたが手際よく荷作りをしたいと思うことが大切ですよ」と母は言いました。段ボールが重いと,僕は段ボールを積み上げることができないので,僕が持ち上げることができる重さで荷作りをしようとしました。それを見ていた友人は「段ボールがもったいないよ。まだ,詰めることができますよ。積み上げることはオレがやるので,三戸さんは無理しなくてもイイよ」と言いました。自分の引っ越しなのに,なかなか自分の居場所が定まりませんでした。きっと,ボクと一緒にやるより,友人が一人でやった方が早いのであろう。ちょうど,一車線の道路を前の車がトロトロと走っていて,追い越そうと思っても追い越すことができなく,苛立っている状況と同じと思いました。時間的なことを考えたら,僕がやらない方が効率的かなと思いました。「三戸さんの引っ越しなのだから,三戸さんは段ボール詰めが大変でも,三戸さんから指示を出してもらわないと,オレたちは動けないよ」と友人。そう言ってくれると,僕は何となく嬉しくなりました。
 友人「引っ越しが大変なのに,三戸さんは短期間で異動しているね」
 母「家族も大変ですよ。うちの子どもは障害があるので,あなたのように自分で引っ越しの準備ができないので。家族が支援をしていくのよ」
 友人「引っ越し先を探すことも,お母さんの運転ですか」
 母「そうですよ。本人も疲れたと思うけど,私も疲れました。休み返上で,探したのでね。引っ越し先が見つかって,安心しました」
友人「オレの職場だと,転勤になれば,会社の借家を紹介してくれます。だから,住む場所を探さなくてもイイです。まぁ,借家に住みたくなければ,自分で住居を探さないといけませんが…」
 母「働く障害者のほとんどは,本人が望まない限り,職場が固定化されているようですよ。うちの子のように,2〜3年での異動は,珍しいことと思いますよ。親として異動は良いので,職場が全面的にバックアップをしてほしいなぁ。と言うより,人事異動は職務命令なのだから,職場が支援をしてほしいと思います」
 友人「このことは,三戸さんは職場に伝えているんですか?」
 母「上司に相談したら,いろいろと言っているみたい。『できることとできないことがある』『友人や知人,ボランティアや支援団体にサポートしてもらったら』『引越し作業が大変であれば,業者の方にやってもらったら。赴任手当てがつくので』…Kさんは仕事が終わってから,手伝ってくれるのにね」
友人「だって,一人では大変でしょ。自分が負担にならない程度に,三戸さんの支援をしていきたいと思っています」
 母「ありがとう。とても助かります」
 自分の時間を潰してまでも,僕の引っ越しを手伝ってくれる母と友人に感謝の気持ちで 溢れていました。
 引っ越し先が決まって,引っ越し日が決まったら,今までお世話になった方との別れが ありました。2年間,由利本荘での僕の足になってくれた介護タクシーの運転手との別れでした。転勤が決まったと伝えると,「オレたちの稼ぎが少なくなるな」と運転手。10人くらいの運転手が日替わりで,午前7時30分に自宅から学校まで,午後6時30分に学校から自宅まで送り届け,僕の通勤を支えてくれました。乗車時間は僅か10分くらいでしたが,他愛のない会話を楽しみました。ときどき,朝の出勤時に「今日は朝から疲れているね。冴えない表情をしているよ」と運転手。見ていないようで,しっかりと僕のことを気に留めていることを感じました。
 ホームヘルパーとの別れもありました。2年間,僕の母代わりをしてくれました。
 午前6時30分から午前7時30分…朝食作り,身支度の支援
 午後7時00分から午後8時30分…夕食作り,掃除,洗濯など
「三戸さんが希望する時間帯は初めてのケースだったけど,支援を必要とする方に支援をしていこうと話し合ったのよ」と,僕の人事異動が決まってから,ヘルパーが教えてくれました。この話を聞いて,一人一人のヘルパーに支えられて,僕の生活が成り立っていたと実感しました。毎回,ヘルパーが支援したとき,【ヘルパー活動記録票】を記入していました。その中の特記事項に,支援をしたヘルパーがコメントを書いてくれました。

・初めての訪問でした。介護タクシーの時間まで間に合うのか,時間の配分の方を気にかけながらの援助となりました。早く慣れたいと思いますのでよろしくお願いします。
・いつも好き嫌いなく食べていただき感謝です。ご希望のメニューがあったら,教えてください。
・とうとう今日で最後の日となってしまいました。2年間の長い間,本当にありがとうございました。

 由利本荘での2年間の生活は,働く障害者にとって,社会的支援の充実が必要不可欠であると感じました。介護タクシー,ヘルパーの1つでも十分でないと,僕の仕事に影響すると思います。仕事を一番の優先と考えたときの社会的支援の在り方を,みなさんで知恵を集めることが大切です。
 1ヶ月の電車通勤で階段の上り下りの支援をしてくれた羽後本荘駅の駅員に感謝の気持ちを伝えました。
 タクシーの運転手,ヘルパー,駅員は「また,本荘に遊びにこいな」と言いました。2年間の生活は多くの人に支えられたと実感できたら,名残惜しい気持ちで溢れていました。僕は深々と感謝の気持ちを伝えました。「ありがとうございました」


無明舎Top ◆ んだんだ劇場目次