んだんだ劇場2009年11月号 vol.129
No70
意識のモデルチェンジ

「長い距離を歩くことができるように,身体を動かしてみましょう」
「階段を他の人の支援を借りずに,一人で上り下りができるように訓練したら良いと思います」
「何事も,一人でできることを増やしていきましょう」
 ときどき,僕はこのような言葉を言われるときがあります。とても腹が立つ言葉です。本人は僕への思いやりの言葉と思っているかもしれませんが,2つの点から,僕は受け入れることができません。1つは【できないことをできるようになること】に重きを置いている点です。完璧な人間はいなく,必ずできないことがあります。もしかしたら,できることよりできないことの方が多いかもしれません。できないことがあったら,「助けてください」と言って助けてもらうと良いと考えています。
 2つ目は,障害観の捉え方です。2002年に,世界保健機関は障害を社会モデルで捉える視点を提起しました。2002年以前は障害を医学モデルで捉えていました。医学モデルでは,階段の上り下りが困難ならば機能回復訓練をして,階段の上り下りができるようにすることを目的としていました。現在の社会モデルは環境を整えていこうとする視点です。つまり,エレベータやスロープなどがあったら,階段の上り下りが困難であっても自分一人で上り下りはできます。これは【バリアフリー】や【ユニバーサルデザイン】の考え方です。2002年から7年も経っていますが,意識は医学モデルのままの人が多いように思います。しかし,その中でも福祉業者の方は社会モデルの障害観で,障害者を捉えているような気がしています。
 今回の人事異動での引っ越しで,福祉業者の障害観を感じることができました。
 引っ越しは,福祉用具貸与・販売・補装具製作の業者のIさんが手伝いました。Iさんは手すりを取り外しました。僕が使いやすいように,手すりの高さや位置をIさんと一緒に決めました。横手すりに握ったとき,手が滑らないようにゴムを巻き,さらに紐を巻きました。この手すりは,家に出入りするときに使いました。手すりがなくても一人で出入りできるようにするのでなく,一人でも出入りできるように環境を整えていきました。
 手すりは「付ければ良いだろう」と言う人がいます。基本的に,間違っていると思います。手すりが有っても,使う人が使い難い場合もあります。特に,家の中で使う手すりは,基本的に僕以外に使用しないので,僕の使いやすさを考慮に入れます。手すりの形状や材質,太さなど,僕が使いやすいものをIさんは選んでくれました。生活環境を僕に合わせることで,安心で安全な生活を送ることができるようになりました。
 引っ越しは,僕が生活しやすいように生活環境を整えることです。家の造りは違うので,手すりの取り付ける位置も変わってきます。だから,今までと異なる生活動作を覚えることが,新しい生活環境に慣れることになります。「職場の異動が伴う職業なので,しょうがないと思いますよ。逆に,いろいろな所で周囲の人が三戸さんを知る良い機会になっていると思いますよ…」とIさんが励ましてくれました。
 新しい家で,Iさんはトイレに手すりを取り付けました。トイレに取り付ける手すりの位置と高さを確認しました。何度も,便座から立ち上がる行為を繰り返しました。位置と高さにより,全く力の入り方が違います。手すりの位置を1pずれただけでも,微妙に感覚が違ってきました。自分が一番シックリと感じるところが最適の場所であり,「ここなら,大丈夫」と納得する位置を探していきました。また,ただネジで手すりを固定すればよいのでなく,手すりの強度も確認しました。手すりを使用しているうちに,手すりが抜けてくると,ケガをする危険性があります。それを防ぐために,Iさんは手すりを取り付ける壁の材質を調べていました。「最近の家は,外壁は立派に見えても,中は空洞な家の造りが多くなっています。この家は大丈夫だけど,そうでない家は補強材を打ち込み,その上に手すりを取り付けます」とIさん。
 浴槽にも,手すりを取り付けてもらいました。浴槽の壁をドリルで繰り抜いたら,中に断熱材が入っていました。「これでは,手すりは取り付けることができない」とIさんは言いながら,工具を取り出しました。蚤で断熱材を取り除きました。福祉業者と言っても,まるで大工さんのようでした。「それぞれの家の作りによって,取り付け方法が違ってきて,面白いですよ。三戸さんが快適に生活してくれることを願っているので,日曜大工的なことでもしますよ」とIさん。
 浴室に置くすのこの高さも調整してもらいました。すのこは,転倒防止と浴槽への出入りの負担軽減になるため,僕の生活必需品の1つです。浴室は水が流れやすいように,少し傾斜がかかっていました。実際に立ってみると,あまり感じない傾斜でも,浴室に置いたすのこの上に立つと,「ガタン,ガタン」とすのこが傾く音で,浴室の傾きを感じました。すのこが水平となるように,すのこの左右の高さを何度も調節しました。浴室に置いたとき,"だいたい水平"ではなく,"ほとんど水平"になるまで微調整をしました。僕は数oの世界で生きている気がしました。
「すのこが傾いていると,三戸さんが転倒する要因になります。そのような危険性を少なくしていきたい。安全な状況を作りたいと思っています。これが仕事ですから」
僕を取り囲む環境を,Iさんは僕が使いやすいように変えようとしました。僕を環境に合わせるのでなく,環境を僕に合わせようとしました。きっと,医学モデルの障害観であれば,手すりがなくても生活できるように,機能回復訓練を勧められていることでしょう。
 障害観が変わっても,今でも医学モデルで障害者を捉えようとする方がいます。「今は社会モデルの障害観なんですよ」と伝えても,「環境を変えるより,三戸さんができることを増やした方が早いのでは…」と言う人がいます。今から7年前に,障害観がモデルチェンジになりました。今求められているのは,人の意識のモデルチェンジなのです。


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