3本立ての映画館
三軒茶屋のワンタンメン
学生の頃、東京の小田急線・豪徳寺駅から徒歩1分の、おそろしくボロなアパートに住んでいたことがある。窓を開けると、東急世田谷線、通称「玉電」が目の前を走っていて、窓から右上を見ると、高架を小田急線が走っていた。やかましさには馴れるもので、その騒音で眠れないということはなかった。
玉電の山下駅も、徒歩1分。当時、玉電は、全線20円の均一料金で、国鉄の最低料金の30円より安かった。日曜日、よく、それで終点の三軒茶屋まで映画を見に行った。3本立てで300円の映画館があったからだ。3本のうち2本は真面目な映画で、あとの1本はピンク映画という構成だった。だから、黒かばんをひざに置いた紳士が、「私は、この映画ではなく、ほかの2本を見に来たんだ」というような雰囲気で、背筋を伸ばしてピンク映画を見ているのが面白かった。そういう紳士は、何人も見かけた。
そのころ見た映画は、不思議によく覚えている。
例えば、『ひとりぼっちの青春』という映画。1929年に、ニューヨーク、ウォール街で株が大暴落し、世界中を不況が襲ったころ、失業した若い男と、金が欲しい若い女が出会い、マラソンダンスに出場するという話だ。
女は、名優ヘンリー・フォンダの娘、ジェーン・フォンダが演じ、男はマイケル・サラザンという役者だった。2人は、2時間に10分という休みを取りながら、昼も夜もひたすら踊り続ける。最後まで踊り続けたカップルに賞金を出す、というのがマラソンダンスで、不景気でやることもないたくさんのカップルが出場し、ラグタイムに合わせて踊る。踊りの巧拙は問題ではなく、とにかく体力だけの競争である。
出場者は次々に脱落し、中には心臓麻痺で死んでしまうやつも出る。2人は最後まで残るが、主催者の詐欺で、優勝しても1セントにもならないことを知って、絶望する。そして……男が女をピストルで撃ち殺す。
ラグタイム(ragtime)は、シンコペーションが強調された、独特のリズムの音楽で、映画『スティング』の主題曲もラグタイムと言えば、「ああ、あんな曲か」と思い起こす人も多いと思う。1973年のアカデミー賞作品賞に輝いた『スティング』は、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコンビが、ギャングのボスをだまして大金をせしめるという、痛快な映画だった。だまされるギャングのボスを演じたのは、ロバート・ショウ。劣勢に立ったナチス・ドイツが、大戦車部隊で最後の大反攻を策した『バルジ大作戦』という映画で、ドイツ軍の戦車隊長を演じたのが、私には忘れられない精悍な印象の役者である。『スティング』では、こんなやつにインチキがばれたら殺されるだけじゃすまないぞ、と思わせる役柄を演じた。それを、見事にだましてしまうのだから、見ている方は拍手喝采である。
だから『スティング』のラグタイムは、それこそ飛び跳ねたくなる感じだが、『ひとりぼっちの青春』の方は、映画を見ているうちに、だんだん狂気を感じてきて、悲しくなって、倦怠感が漂って来る音楽だった。
この映画は、たしか、原題は「They Shoot Horses, Don't They?」だったと思う。英語は大嫌いな私だが、「あいつら、馬を撃たないのか
?」が、どうして日本では「ひとりぼっちの青春」になってしまうのか、不思議に思って、珍しく英語の原題も記憶に残っている。
あまりヒットしなかった映画だが、ずいぶん後になって、淀川長治さんがラジオのレギュラー番組で、好きな映画音楽のひとつに、この『ひとりぼっちの青春』を挙げ、ラジオから、あのラグタイムが流れてきたのはうれしかった。
なぜ、そんなことを思い出したかと言うと、先日、会社の同僚と一杯やっていて、新宿駅西口辺りの飲み屋のことが話題になり、ついでに小田急ハルクの裏の映画館で3本立てを見たのを話したからだ。しかも、そこで見たのは『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』、『新・夕陽のガンマン』だったと言ったら、「6時間も映画を見ていたのか?」と、あきれられた。
でも、あのころ、3本立ての映画館は普通にあった。クリント・イーストウッドの出世作となった『夕陽のガンマン』は面白かったし、その敵役で出たリー・ヴァン・クリーフは撃たれて死んだはずなのに、『続』でも主役並みの悪役で登場し、『新』では、正義の味方として主役で出ていたのは、3本続けて見たから、とても面白かった。狐目で、カギ鼻のリー・ヴァン・クリーフの顔は、忘れられない。
三軒茶屋では、6時間も映画を見たあと、ごちゃごちゃした街の路地にある中華料理屋で、ワンタンメンをよく食べた。150円だった。
映画が300円で、ワンタンメンが150円、往復の電車賃が40円。計490円。
時間はあったが、金のなかった学生時代の思い出である。
どんどん殖える雪柳
春の彼岸で帰った外房、いすみ市のわが家では雪柳が盛りだった。
咲き誇る雪柳 |
私は雪柳とか、連翹(レンギョウ)、金雀枝(エニシダ)など、群がり咲く小さな花が好きだ。雪柳をどうやって入手したのかは忘れたけれど、庭の片隅に植えておいたら、タネをこぼしてどんどん芽吹いた。雪柳がこれほど殖える植物だとは知らなかった。
わきを流れる落合川の河川改修工事が終わって、川に面した庭のへりに柵を作ったのだが、これが殺風景なので、雪柳を並べたらどうかと言ったら、父親が、あちこちにある苗木を移植して雪柳の垣根を作り始めた。それから今年が、2回目の春で、手前の方の木はだいぶ大きくなった。向こうの方は、まだ植えていない場所もあるが、まあ徐々に苗を植えてやって、10年もすれば生垣になるだろう。
河川改修では、家の裏側にも土手ができた。そこには水仙を並べて植えてある。北向き斜面なので、近所では2月から咲いている場所もあるが、わが家ではようやく、春の彼岸に見ごろを迎えた。
裏側の斜面に咲いた水仙 |
裏の土手は、日照時間が短いし、土にほとんど肥料っけがないから、何を植えても育ちが悪い。けれども、ぼちぼちやっていれば、そのうち花壇らしくなるだろう。植物を育てるのは、それくらいの心持ちでいい。気の長い楽しみは、いつも夢を描きながらやっていけるのが、極上の楽しさなのである
(2009年4月5日)