んだんだ劇場2009年6月号 vol.126
No60
大曲のドイツソーセージ

網焼きで皮がはじけるソーセージ
 夜、東京の、東急東横線沿線に住む娘から、「いいでしょ!」というメールが来た。添付写真を見たら、秋田県大仙市の嶋田ハムの「ドイツソーセージ」だった。

嶋田ハムのドイツソーセージ
 メールには、「久しぶりに嶋田ハムのソーセージ買っちゃった!」と書いてあった。写真を見ただけで、よだれが垂れそうで、私はすぐ電話し、「おい、おい、どこで買って来たんだ」ときいてしまった。
 町村合併で大仙市という名になったが、中心の旧大曲市には、昭和53年(1978)から4年住んでいた。読売新聞の記者時代で、大曲には、記者1人が駐在する通信部があった。
 嶋田耕治さんが大曲でソーセージを作り始めたのは、その前年の秋からだった。西ドイツ(当時)の肉屋さんで9年修行して、本場のソーセージづくりを伝授され、帰国して、故郷の千畑村(現美郷町)に近い大曲市に工房と店を開いたのだ。が、なぜ、嶋田さんがドイツへ行ったのかというと、ヒヨコの鑑定師としてである。孵化したばかりの鶏のヒナは、オス・メスの区別がつきにくい。それを一瞬で見分けるのが鑑定師だ。
 「これは、日本人が非常に優れた能力があると、世界中に認められていてね、それで、オレも呼ばれたんだ」
 嶋田さんは、雛鑑定協会が認定する高等鑑別師だった。ところが、現地(バーデンビュルデンブルグ州のザウルガウ市)で、とんでもない美味に出会った。それが、肉屋のハンスマウラーが作るソーセージだった。嶋田さんは感激し、何度も頼み込んで弟子にしてもらった。
 私が大曲通信部に赴任したころ、嶋田さんのソーセージはほとんど知られていなかった。「こんな面白い人がいる」というので取材に行った私も、それがどれほどの価値のあるものか、見当もつかなかった。しかし、「必ず、弱火で、網焼きにしてくださいよ」と渡されたソーセージを、帰宅して食べて、「今まで、ソーセージと思っていたのは、なんだったのか」という思いにとらわれた。
 網の上で、焦げ付かないようにひっくり返しながら焼いているうちに、ソーセージの表面が乾いて来て……プチン、と、皮がはじけて破れ、肉汁が浸み出してくるのである。
 「ゆでてもいいけど、網で焼いてみてください。皮がはじけて破れるソーセージは、日本には、ほかにないから」
 そのころ、ウィンナーソーセージは、フライパンに油をひいて焼くのが当たり前だった。嶋田さんに言わせると、「それは、多量のでんぷんを混ぜ物にしているから」だそうだ。「私のは豚肉100%だから、ソーセージの中に含まれている脂だけで十分においしくなる」と嶋田さんは言った。でんぷんを混ぜ込んでいるから、外から油を補充してやらなければおいしく食べられないのが、ほとんどソーセージなのである。
 材料を混ぜ合わせて練り上げる作業を見せてもらったら、全体が非常にクリーミーになるまで、嶋田さんは機械を動かす。だからでき上がりは、とても滑らかな肉質になる。
「あらびきソーセージなんてものは、半端職人のすることだよ」
物言いは静かだが、嶋田さんの言葉には、絶対の自信を感じた。
 私は、1985年に東京の本社へ戻って数年して、嶋田ハムを再訪したことがある。「久しぶりだね、一杯やろうよ」と言われて、嶋田さんのレストラン(レストランを開業したのは知らなかった)で、ワインを飲みながら、極上のソーセージを賞味した。
 「昔、嶋田さんに話を聞いた時、これ以上のソーセージをいつでも作れるが、客がそれを望むまでは、このままで続けるとおっしゃっていましたね。今は、どうですか」と私が尋ねると、島田さんは「ドイツソーセージは同じだよ。ほかに新しい商品もある」と答えた。実際、今の商品一覧を見ると、牛肉も入れたソーセージ、ロースハム、ボンレスハムなど、私の知らなかった商品が並んでいる。
 嶋田さんは現在、72歳だが、毎日、深夜に工場へ出て、最も大事な調味作業を1人でやっている。これが最大の企業秘密だからだ。それを知りたくて、大手のハム会社が何度も業務提携の話を持って来たが、嶋田さんはすべて断っている。
「大金を積まれてもいやだね。教えても、絶対にその通りにやり続けるはずがないからね、あの連中は。作り方を変えられたら、ドイツの先生に申し訳ない」
大手企業が手を出せば、コストパフォーマンスなどという言葉が勝手に歩き始めるだろうと、私にも想像できる。
 嶋田さんは律儀で、一徹な人だ。
が、嶋田さんには後継者がいない。
あの技術が途絶えてしまったらと思うと、私は暗い気持ちになる。
 さて、娘に、「どこで買ってきた?」ときいたら、JR上野駅だという。今の上野駅には、駅舎内にたくさんの店があって、その1軒で売っているのを知り、買いに行ったのだそうだ。
 嶋田ハムの製品は、日本橋の高島屋でも売っていて、私も買ったことがある。しかし、それは「ブレーマーソーセージ」というブランドである。これは、デパートの販売戦略でつけた名前だ。
 娘は5歳までしか大曲にいなかったが、その後も「これは、大曲のドイツソーセージだぞ」と、何度も食べさせた。私も、娘も、嶋田ハムのソーセージは、「ドイツソーセージ」なのである。
そして私は、「日本一うまいソーセージ」だと思っている。

この時期だけの味
 先日、房総半島、千葉県いすみ市の家に帰った時、父親が「ほら、採って来たぞ」と言って、畑で栽培している山ウドを持ってきた。太く、みずみずしいウドである。私の弟が来ていたので、「食べさせろ」ということだった。

わが家の山ウド
 山ウドは、畑の南東の隅に植えてある。以前は冬の終わりに、大きな段ボール箱で囲み、中に籾殻をいれて日光をさえぎり、白く育てていた。これを軟白栽培といい、産地の東京・多摩地方では、地面にたて穴を掘り、そこから横穴を伸ばしてウドを植えつける方法で作っている。要するに、日光をあてなければ、ウドは白く育つのである。
 しかしわが家では、3年前の春、雨を籾殻が吸い込んで水浸し状態になり、ウドが腐ってしまったことがあった。その前年までは、上から黒いマルチフィルムで覆って、遮光と雨除けにしていたのが、その年は、父親がそれを忘れてしまったからだ。幸い、別の場所にもウドがあったので、それを移植し、2年かけて株を育てた。
 茎の太い部分は、皮をむいて味噌漬けにした。これは、父親の大好物だ。先の葉の方は、てんぷら。採りたてだから、アクもなく、香りがあってうまい。
 この味が楽しめるのは、4月下旬の一時期だけ。自分で作っているからこそ、たっぷり食べられる。

雑草の生えない庭
 愛知県稲沢市の単身宅には、裏にほんのちょっとした庭スペースがある。と言っても、砂利が敷いてあるだけだ。先日、大家さんが「裏に雑草が生えないようにしたいので、工事をさせてくれ」と言いに来た。
 日曜日の午前9時ごろ、建設会社のトラックが来た。まず、砂利を寄せて地面をむき出しにし、そこに特殊な紙のシートを敷いて、再び砂利を載せるという作業だった。

雑草が生えにくいシートを敷いて、砂利を戻す
 作業に来た人にきくと、「草の根では突き抜けにくいシートなので、雑草が芽生えても育たず、はびこりにくくなります」とのことだった。雑草が絶対に生えない、ということでもないらしい。作業は、昼食休憩をはさんで午後2時ごろ終わった。最後に、新しい砂利を一面にまいてくれたので、見違えるようにきれいになった。
 単身宅の裏は、すぐにコンクリートの建物の背面で、隣は駐車場。空き巣でもない限り侵入者はいないだろうし、覗き込む人もいないだろう。だから、私は全く気にしていなかったのだが、いつだったか、かみさんが衣替えの手伝いに来た時、「あんまり草だらけだから、取っておいたよ」と、私が朝寝している間に草取りをしてくれたことがあった。それじゃぁ、私も年に1度くらいは草取りをしなきゃいけないかと思ったのだが、その後、気づいたら、大家さんが時々草むしりしてくれていた。
 私は雑草でも、これはなんという植物かな、という興味がわくのだが、「雑草を生やしておくのはみっともない」と思うのが世間の常識なのだろう。私にとっては、ちょいと味気ない裏庭スペースになってしまったが、「たまには草取りもしなけりゃ」というプレッシャーから解放されたのは、まあ、ありがたいことではある。 
(2009年5月2日)


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