んだんだ劇場2009年8月号 vol.128
No62
100回目だから「百物語」

杉浦日向子さんの『百物語』
 2004年6月に書き始めた「房総半島スローフード日記」も、100回になった。「んだんだ劇場」のバックナンバーでは、2004年7月号が1回目で、今年の7月号が61回目になっているが、これは「61か月」続いたということ。私は、月に1回か2回書いていて、それだと、今回が100回目になる。1回に、話を2つか3つ書いているから、話の数としては250話くらいになるだろうか。そこまでは面倒で数えていないが、まあ、我ながら、よく書き続けて来たと思う。
 で、100回目には「百物語」の話を書こうと、すぐに思いついた。
 「百物語」というのは江戸時代にはやった遊びで、新月の夜……だから、月のない夜、何人かが集まって、怪談を100話、代わる代わる語るという会である。座敷に100本の蝋燭を灯しておいて、1話終われば、1本消す。そして、100本の蝋燭がすべて消えると、本当に怪異が起きるのだそうだ……が、そうなっては遊びではなくなるので、99話まで行ったら、100番目の話はせずに、朝を待ったという。
 そんなことが、すぐに頭に浮かんだのは、房総半島、千葉県いすみ市のわが家の2階のトイレには本棚があって、そこにいつも、杉浦日向子さんの『百物語』(新潮文庫)が置いてあるからだ。

杉浦日向子さんの『百物語』
 杉浦さんは、NHKのテレビ番組「お江戸でござる」にレギュラー出演していたから、覚えている方も多いと思う。2005年7月に、癌のため46歳で亡くなったが、江戸を題材にしたマンガやエッセイを数多く残した方だ。『百物語』もマンガである。トイレで、私は適当に開いたところを読んでいる。
 全部が全部、怖い話というわけではなく、むしろ「不思議な話」が多い。が、中で、私が「怖い」と感じた話が2つある。
 第41話「地獄に呑まれた話」
 父と男の子が旅の途中、地獄谷という所を通ると、池が煮え立っているようだった。父親が指を池に入れてみると、それほど熱くはない。ところが、指を引き抜くと、猛烈な熱さが襲いかかった。あわてて父親は、手首まで池に入れる。すると、よい気持ちだ。だが、手を抜くと熱くてたまらない。だから、また、手を入れる。次第にその心地よさに誘われ、父親はとうとう肩まで池に身を沈めてしまう。子供が泣き叫んでも、父親はうっとりとしているばかり。通りかかった旅の僧が、みかねて、子供を伴ってその場を去る。
 第65話「絵の女の話」
 越後の酒問屋の旦那からの注文で、赤楽と黒楽の茶碗を届けると、旦那はたいそう喜んで、座敷の掛け軸に描かれた女に「この赤楽は、お前のだよ」と見せてやる。ほかに茶の相手をしてくれる者がいないので、旦那は、絵の女を客にして茶を点てるのだという。その夜、泊めてもらったが、旦那は夜更けまで、絵の女と語らい、上機嫌だった。
 それから20年ほど後、茶碗屋は、また同じ茶碗の注文を受けた。届けると、旦那は「私のが割れたから、あれのも割った」という。それで、全く同じ茶碗が欲しくなったのである。旦那もだいぶ年をとっていた。が、床の間の掛け軸を見ると、絵の女も年老いたように見える。不思議に思ってきくと、旦那は「共に老いようと、徐々に描き加えております。そうでないと、私ばかりが老いていく」と答えた。
 ――鬼も妖怪も出て来ないが、どちらの話にも、寓意が感じられる。そこが怖い。
 あとの方の話は、私の文章では怖さが伝わらないかもしれない。それが、杉浦さんの絵では、生身の女ではなく、絵の女に執着する旦那の、病的な怖さが見えて来るのである。
 杉浦日向子さんの『百物語』も、99話で終わっている。

怪異を容認する精神風土
 私の本棚には、けっこうたくさん、妖怪とか幽霊の本がある。

怪談本のいろいろ

民話にも多い怪談話
 怖い話が好きというわけではなく、不思議な話が昔から好きだった。「怪談本」には、実はそういう話が多い。
 この写真には入れなかったが、半村良の『能登怪異譚』(集英社文庫)にある『箪笥』などは、まさにそういう話で……
 ある家で、夜になると子供の一人が箪笥に上がってしまう。暫くしたら、別の子供も箪笥に上がって夜を過ごすようになる。そのうち、家族全員が、夜、箪笥に上がるようになった。
……ストーリーはそれだけのことなのだが、これが能登の方言で語られ、しかも半村さんの語り口がうまくて、いつの間にか、不思議な空間に引き込まれてしまう短編である。
 この不思議さは、不気味な味わいが伴っている。その不気味さの方が前面に出てきたのが、怪談ということになるだろうか。
 『怪談』という書名で、誰でも思い浮かぶのがラフカディオ・ハーン、日本名・小泉八雲だろう。「雪女」などはよく知られている。しかし、この話は怖いけれど、子供までできた亭主を殺せない雪女の、悲しみが胸を打つ話でもある。彼の作品で、私が心底ぞっとしたのは「幽霊滝の伝説」だった。
 ある夜、囲炉裏を囲んで麻取り(アサの茎から繊維を取る作業)をしていた女たちが、怪談話を始め、そのうち、肝試しをしようということになった。町はずれにある幽霊滝まで行って賽銭箱を持って来たら、ここにある麻を全部やろうというのである。麻がもらえるならと、気の強いお勝という女が、赤子を背負い滝へ行く。賽銭箱に手をかけると、どこからか「おい、お勝さん」という声が聞こえた。お勝は賽銭箱を抱え、夢中で女たちのいる小屋へ走った。女たちは、お勝の勇気を賞賛するのだが、そのうち、1人が「赤ん坊は、どうした」と気づく……ぞっとする結末は、読んでみるといい。
 江戸時代に、上田秋成という人が書いた『雨月物語』、『春雨物語』も、含蓄のある怖い話の宝庫だ。今、手元にないので話を具体的に紹介できないが、現代語訳より、古文で読んだ方が味わい深く思われる。
 写真にある、「江戸怪談集」や「日本怪談集」にも、面白くて怖い話がたくさんある。
 でも今回、「百物語」のような形式の短編集はなかったか、と考えたら、岡本綺堂を思い出した。光文社時代小説文庫から出ている『影を踏まれた女』と、『白髪鬼』は、「青蛙(せいあ)堂主人」なる人が、知人を集めて怪談会をやるという設定で、それぞれが怪談を披露する。綺堂にはもう一冊、やはり同じ文庫で出ている『鎧櫃(よろいびつ)の血』という怪談集があって、こちらは「三浦老人」という人が、怖い話を語って聞かせるという設定になっている。
 明治5年(1872)に生まれた岡本綺堂は、父親が英国大使館に勤めていたことから英語に親しみ、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」などは、原文で読んでいた人だ。病臥したとき、「江戸名所図会」をじっくりと読んで、こういう江戸情緒を書き残したいと思い、「シャーロック・ホームズ」の面白さを取り入れたのが、大正6年(1917)に書き始めた『半七捕物帳』だ。これは昭和12年(1937)まで、68作書かれて、今も読み継がれている。
 それに比べると、怪談の方はあまり話題にならないが、今回、『影を踏まれた女』を読み返してみて、大正13年に書かれたのに、文章がちっとも古びていないことに感心した。「恐怖の本質」にさりげなく、密度の濃い文章で触れているからだろう。
 民話も含めて、昔から語り継がれている怪異の話は、怖いけれど、反面、「そういうこともあるかもしれない」と思わせるところがある。水木しげるさんのマンガのような雰囲気だ。
 いすみ市のわが家は、まったくの田舎で、500メートルほどの田んぼの真ん中まで、時々星を見に行くことがある。そこまで行くと、街灯の光に影響されず、この季節は天の川がはっきり見える。月の光がこれほど明るいものかと、ここに住んで知った。星明り、という言葉も実感できる。
 だが、周囲のあぜ道の暗がりなどは何があるのか、よく見えない。これで月も星もなかったら、と思うと、「狐に鼻をつままれてもわからない」という暗闇が想像でき、それが日常だった時代の人たちは、その闇にいろいろなものを見たのだろうと納得する。それは、迷信というようなものではない。自然が身近だった世界には、そういう怪異を容認する精神があったということだ。
 杉浦日向子さんの『百物語』にも、怪異が起きる寺の住職が、「いつもではありません。たまにです」と、平気な顔をしている話があって、狐や狸が化けるということなども、「たまにはあるだろうな」と思わせるのが、面白い。
 写真で表紙を見せた『山形県怪談百話』には、121も話がある。「百物語」なら99話で終わらなければならないのに……話が集まりすぎると、これまた怪異は起きないのかもしれないと、おかしくなった。
 私もかつて、無明舎出版から『秋田怪異幻想譚』を出したが、「あまり、怖い話はなかったね」と、友人から言われた。私は、「考えると怖い」という話が好きなのである。

この世に、鬼などいないけれど……
 怪談の中には、「四谷怪談」や「牡丹燈籠」のように、最初から怖がらせようとして書かれたものもある。人にとり憑く幽霊は怖いが、怖さの質は単純で、こういう話は、怖がらせる「仕掛け」に工夫がある。鶴屋南北の『東海道四谷怪談』は、四谷に住む御家人、田宮家の婿になった伊右衛門が心変わりして、田宮の娘「お岩」を毒殺し、お岩が幽霊になって怨みをはらす物語だが、歌舞伎の舞台では、毒で顔が崩れたお岩のメーキャップや、川に浮かんだ戸板が一瞬で反転し、お岩の死体が現れるなど、趣向をこらした演出が、観客の肝を冷やした。
 しかし、一度知ってしまった演出は、二度目には怖さが薄らぐものだ。それは「作られた恐怖」だからである。そう思っている私は、ホラー映画を見たり、ホラー小説を読んだりする気にはなれないでいる。そういうものより、例えば、4世紀中ごろに書かれたとされる中国の怪異小説集『捜神記』(そうじんき)などは、繰り返し読んで興味が尽きない。
 私は、平凡社・東洋文庫の現代語訳『捜神記』を、名古屋の単身赴任宅に持ってきていて、ときどき、寝る前に読んでいる。いまから1700年も前に書かれたのに、ここに納められている464篇の話は、不思議に満ちて、しかも、怖いという気持ちのバリエーションが多岐にわたっていて、飽きることがない。
 例えば、日本にもある「ろくろ首」の話。日本では、首が伸びて行灯の油をなめる妖怪の話だが、『捜神記』では、夜中に首が胴体から離れて飛び回る。けれど、それは妖怪ではなく、中国の南方に住む部族の特性だというのである。それを知らずに、三国時代の呉の将軍がその部族の女を女中に雇い、怪異を知って恐ろしくなり、自由の身にして家から出してやる。後に、それが化け物ではなく、その部族の天性だと知る。
 この話で、将軍が、その女を殺してしまわないのが、読後感をすこぶる良いものにしていると、私は思う。「世の中には、そういうこともあるんだろう」という包容力が、怪異な話を陰惨な色に染めないのである。
 中国では、清の時代に書かれた『聊斎志異』という怪談集もよく知られていて、もちろん私も読んだが、こっちは本が大きくて、寝床で読み返すには疲れるから、いすみ市の家に置いたままだ。
 日本では、平安時代初期に書かれた仏教説話集『日本霊異記』に、怖い話がたくさん詰まっている。日本最初の説話集とされているが、最初の怪談本と言ってもいいかもしれない。ただし、仏教の因果応報を説いて、悪いことをすると必ず報いが来るという話ばかりだから、現代の人が読めば、さほど恐ろしくもないだろう。
 でも、その中で、2篇、鬼の出て来る話があって、これは怖かった。
 京の内裏を出てきた数人の若い女官が、満開の桜の前を行き過ぎようとすると、巨木の陰から若い、みめ良い男が、女官の一人を指差して、こちらへおいでと誘う。誘われた女官は男のところへ行って、なかなか帰って来ない。巨木の陰で何かいいことをしているのだろうと思っていたほかの女官たちも心配になって、桜の木の後ろへ行ってみると……そこには、無残な女官の死体があった。女官は、鬼に食われたのである。
 もうひとつは、初夜に、嫁が食われてしまう話。ある家で、婿を迎え、婚礼が終わった夜、娘は婿と寝所に入るが、翌朝、日が高くなっても娘夫婦が起きてこないので、寝所を見に行くと、食い散らかされた娘の体が残っているばかりだった。それで、婿は鬼だったのだと気づくのである。
 「鬼」は本来、霊魂を表わす字である。亡くなることを、「鬼籍に入る」と表現するのもそのためだ。しかし日本で「鬼」は、次第に邪悪の象徴として成長したようだ。この世に未練を残して現れる幽霊と違って、鬼は前後の脈絡なしに出現するのが怖い。転じて鬼は、いろいろな象徴にされてきた。たとえば、節分の「鬼やらい」。「鬼は外」と豆をまくのは、実は、節分の翌日は立春で、寒い冬よ去れという意味なのである。鬼は、冬を象徴している。これは日本だけではなく、スイスでも立春の前日、鬼の面をかぶった人たちが「明日から、春だよ」と言って歩く祭りがある。
 そういうことは、岩手県北上市にある「鬼の博物館」で知った。
 鬼について、もっと知りたければ、歌人の馬場あき子さんが書いた『鬼の研究』(筑摩書房)を読むといい。どうして鬼が、人々の恐怖の象徴として存在するようになったかということが、よくわかる。
 だが鬼は、次第にやさしくなってきた。桃太郎にはやっつけられてしまうし、人間と友達になりたい『泣いた赤鬼』(浜田広介の童話)などは、鬼に同情してしまう。
 もう、現代に、角を生やした鬼が存在できる場所はない。
 しかし……相手は誰でもよかったという人殺し、自分が産んだ子供を殺す母親……鬼などこの世にいないけれど、「鬼のような人間」は間違いなく、いる。そうしたニュースが多くなったように思えて、そちらの方が、よほど恐ろしい。

人面魚は存在する
 怪異な話のついでに、15年ほど前、「人面魚」が話題になったことを思い出した。人の顔をした魚の話である。
 話の出どころは、山形県鶴岡市の古刹、善宝寺である。藤沢周平の小説『龍を見た男』で、龍がひそんでいたのが、この寺の裏手にある「貝喰(かいばみ)ノ池」で、ここに「人面魚」がいると話題になった。北前船に関係する寺で、私も訪ねたことがあるが、わざわざ「人面魚」を見ることもあるまいと、池までは行かなかった。
 「人面魚」が話題になった頃は、私は千葉県佐倉市に住んでいた。国立歴史民俗博物館のすぐ前のマンションで、佐倉の城跡にある博物館にはよく行った。上り口には、城の堀跡の池があって、ある時、「これが人面魚ではないか」というのを見つけた。それは、全身が金色の錦鯉だった。
 人間で言えば額(ひたい)に当たるところに、左右対称の黒い部分があって、それが目のように見える。話題の人面魚も、たぶん、こんなものだろうと思った。
 つい最近、名古屋市の徳川美術館を訪ねて、庭園を散策していたら、池を泳ぐ錦鯉の中に、全身が黄金色のやつがいたので、写真を撮った。

人面魚。実は黄金色の鯉
 もう少し正面から撮れればよかったのだけれど、まあ、この角度でも、人間の顔のように見えるだろう。これは、妖怪でもなんでもなくて、たまたまそう見える、というだけの話である。黄金色の鯉に気がついたら、皆さんも確かめてほしい。
(2009年7月20日)


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