んだんだ劇場2009年10月号 vol.130
No64
1年以上待った新刊

『ピアノの森』16巻
 名古屋から、房総半島、千葉県いすみ市の家に帰る際、必ず立ち寄るJR東京駅構内の書店で、ずっと気になっていた本があった。一色まことのマンガ『ピアノの森』(講談社)である。白地に書名だけを印刷しただけのシンプルな背表紙が並ぶこの本は、ゴテゴテした色合いの表紙が多いマンガの書棚で異彩を放っていた。
 一色まことは、6年前、「これ、絶対に面白いから、読んでみて」と娘に貰った『花田少年史』(講談社)で知っていた。

一色まことの名作『花田少年史』
 手に負えないいたずらっ子の小学3年生、花田一路が、いたずらに怒った母親に追いかけられて逃げる途中、オート三輪にはねられたショックで、幽霊を見ることができるようになる。すると、この世になにかしら未練のある幽霊が次々に現れて、花田少年にいろいろなことを頼む。幽霊の存在を知っているのは花田少年だけなので、頼まれごとを解決するまで悪戦苦闘することになる。「変なことを言う子供だ」と思われてしまうからだ。
 と、まあ、そういう物語だが、けっして子供マンガではない。恐妻家のじいさんが先にあの世へ行って、あとから来る怖いばあさんが見つけないうちに、昔、ほかの女から来た手紙を処分してくれと、花田少年に頼む話など、子供には理解できないだろう。どの話もストーリーがしっかりしていて、とても感心した。名作だと思う。
 それで、思い切って『ピアノの森』1〜14巻を買ったのは、昨年(2008年)の初めごろだった。
 「森の端」(もりのはた)と呼ばれる、いかがわしい場所で生まれた一ノ瀬海(いちのせ・かい)は、そばの森に捨ててあったグランドピアノで遊びながら育つ。それは、かつて天才ピアニストと言われた阿字野壮介(あじの・そうすけ)が交通事故のけがで演奏家としての道を断念し、売り払ったピアノを買ったキャバレーが倒産し、引き取り手がなくて捨てられたものだった。
 阿字野は、海(かい)が通う小学校の音楽教師となり、この少年と出会う。少年のすばらしい音感に気づいた阿字野は、徹底的にピアノを教える。
 どんな話なんだろうと、最初は、1巻だけ買った。すぐに次が読みたくなり、6巻まで買い、さらに14巻まで買った。これは、文章では表現できない世界だと感じた。おそらく、映像化もできないだろう(最初のころの話が、映画になったことはあるらしい)。すぐに聴衆を魅了してしまう海(かい)のピアノの音の広がり方、聴衆の一人ひとりが、心の中に思い描く光景……それは、マンガでしかできない表現力だ。
 その根底にあるのは、1曲1曲への深い理解力に違いない。
 たとえば、こんな場面がある。
 海(かい)は、いかがわしい店の手伝いをさせられている。ある日、ピアノのレッスンで遅くなった海(かい)は、店主に、罰として森の木にしばりつけられてしまう。しかも、雨。しかし海(かい)は、泣きわめいたりしない。そこで彼は、自分の無力を感じ、そこから、ショパンが「雨だれ」(『24のプレリュード』第15番)という曲を作った心情に思い至るのである。
 「きれいな曲なのに あの中間部の不気味な感じ… 不安感……」
 少年の独白は、作者の感受性の深さであろう。
 『ピアノの森』15巻は、17歳になった海(かい)が、ポーランドで開かれるショパンコンクール第1次審査でピアノを弾き始めるまで、16巻は、第1次を通過するまでが描かれている。
 このコンクールには、小学校の同級生で、ピアニストを父に持つ雨宮修平もエントリーしていた。しかし雨宮は、『24のプレリュード』の最終曲、24番を師のピアニスト、パヴラスから「必要な音の質が出せていない」と言われ、コンクールの選曲からはずした。
 「必要な音の質」とは、なんだろう。
 雨宮は、とても真面目な人柄で、技術的にはすばらしいピアノを弾く。だが、雨宮の「24番」を聞いたパヴラスは、「技術的には見事」と言ったあとで、「正しいけれど面白くない……という演奏は、どこか本質的な点で間違っているのだよ」と言う。
 それが、「必要な音の質」ということなのだろう。
 今から30年以上前になるが、大阪フィルがヨーロッパへ演奏旅行に行った際、現地の批評家に「日本人も、猿まねはうまくなった」と酷評されたことが、新聞に載っていて、それはどういう意味なんだろうと悩んだことがあった。クラシック音楽というけれど、それはある意味、ヨーロッパの民族音楽ではないか、と私は考えていた。その音楽の土壌であるヨーロッパ人の精神の在りよう……たぶん、さまざまな解釈はあるけれど、キリスト教に集約される精神……を理解しない限り、「猿まね」という批評からは脱却できないだろうな、と思った。
 『ピアノの森』にあった言葉、「正しいけれど面白くない……という演奏」から、不意に、30年以上前の記憶がよみがえった。
 このマンガには、そういう「重さ」がある。
 ずいぶん昔だが、石ノ森章太郎の『佐武と市捕物控』(小学館)に「どうして直木賞をやらないんだ」と言った人がいた。誰が言ったか、どうにも思い出せないが、そういう発言があったことは確かだ。『佐武と市』は、いま読み返しても、ストーリーの面白さ、場面展開の巧みさ、そして石ノ森章太郎の絵のうまさが渾然一体となって、ちっとも古びていない。さりげなく挿入された広重の絵などにも、江戸情緒があふれている。このマンガは小学館漫画賞を受賞したが、文学の世界では「直木賞」と言われても、おかしくない作品だと私も思っている。『ピアノの森』は、いつ完結するのかわからないけれど、これもまた、「直木賞」をやりたいと、ひそかに思う。
 それに比べて……音楽大学を舞台にしたマンガ、『のだめカンタービレ』(講談社)も20巻までは買って読んでいたが、途中から、単なるギャグマンガになって、『ピアノの森』の奥深さを知ってからは、続きを読む気が起きない。
 さて、『ピアノの森』の14巻までを買って間もなく、15巻が出た。発行日は、2008年5月23日。調べてみたら、このマンガが雑誌に登場したのは1998年だった。だから、もう10年以上、描き続けられていることになる。単行本は、2005年4月に3巻まで、5月に3冊、6月に3冊と、9巻まで立て続けに出版され、7月に第10巻が出た。それは、この月に掲載誌が別のマンガ週刊誌に変更されたためだろう。その後、単行本の発行間隔が次第に長くなった。14巻から15巻までは11か月かかっている。だから、次の16巻が出るのは1年後かな、とは思っていたのだが……1年3か月も待たされた。

やっと16巻が出た『ピアノの森』
 この調子では、次の17巻が出るのは、いつになることやら……まあ、いいさ。こっちは、1年間の畑のローテーションを考えて野菜を作っている(実際は、ほとんど父親)家庭菜園主。「おおよそ1年後」くらいの時間は、待ちくたびれることもない。今週は出ているか、と、休載の方が多い週刊誌を買って続きを追いかけるのは、ちょっと、さもしい気もする。そんな気分にさせてくれるマンガでもある。

来年はヒマワリ畑?
 梅雨に入る頃に、かみさんがタネをまいたヒマワリが、8月下旬になってようやく咲いた。

やっと咲いたヒマワリ
 河川改修工事をした家の裏は、土手になっていて、1段下に「作業用道路」という名目の平坦な空き地がある。ヒマワリをまいたのは、その片隅だ。国の土地なので、昨年まではほったらかしにしておいたが、セイタカアワダチソウとか、雑草が生い茂ってみっともない。それなら、ヒマワリをたくさん育てて、景観を美しくしようと思い立った。大水が出れば流されるかもしれない場所ではあるが、そうなったら仕方ないことで、草ボウボウよりはいいだろう。掘り返すと、粘土のかたまりのような石がごろごろ出て来る、肥料っけもない土を、私がちょっと耕して、かみさんがタネをまいた。
 そしたら、父親も、その空き地を「耕せば、雑草がなくなる」と言って耕運機を入れ、うねを造って枝豆とヒマワリをまいた。そのヒマワリも咲いた。

父親が育てたヒマワリと枝豆
 枝豆は晩生種なので、今度帰ったときに食べられるかもしれない。
 ヒマワリは今年、合わせても20本ほどしかなかったが、タネはたくさん収穫できた。これを来年まいて、数を増やし、またタネを採って、次の年も増やす。
 その前に、10月には、今年の春に収穫しておいた野生のからし菜のタネをまこう。それが来年の春、空き地を黄色い菜の花で染めて、タネを採って、それが終わったらヒマワリをまく。
 繰り返しているうちに、通りかかった人が、その景色を楽しんでくれればいい。

冬越しのツルからできたサツマイモ
 「お前が帰ってきたら見せようと思って」と、父親が、巨大なサツマイモを掘り起こして来た。「今年の冬を越した、あのサツマイモのツルからできた」と、父親が言った。

巨大なサツマイモ
 皆さんは覚えているだろうか、「んだんだ劇場」の昨年12月号に掲載されているサツマイモの花の写真を。サツマイモは南国の作物で、日本では冬に枯れてしまうが、沖縄以南では、枯れずに花を咲かせる。珍しいだろうと、近所の人が室内でツルに水をやり、咲かせた花を持ってきてくれたのである。

珍しいサツマイモの花
 この写真は、昨年11月に撮ったが、水を絶やさないようにしていたら、年を越して2月ごろまで花が次々に咲き続けた。そのツルを大事にしておいて、父親が今年の春、畑に植えたのである。
 できたサツマイモも見事だが、普通なら枯れてしまうものを越冬させ、翌年の収穫につなげた心持ちが、また見事である。 
(2009年9月13日)



年老いたコロンボ

シベコン、メンチャイ、モツレク……?
 前回の「日記」が出た日に、私がいま勤めているNEXCO中日本(中日本高速道路)の同僚3人と、名古屋の居酒屋で一杯やった。2人は趣味がヴァイオリン、もう1人は「ハイドンの104曲の交響曲を全部聴こうと思っていて、今、42番だ」という、大のクラシック音楽ファンである。3人とも「房総半島スローフード日記」の愛読者で、その日のうちに『ピアノの森』の話は読んでくれていた。
 そのせいもあって、話が音楽中心になり、ちょっと酔ったかなと思う頃に、1人が「シベコンは、いいね」と言った。
 「なに、それ?」
 私もクラシック音楽は好きだが、「シベコン」とは、なんのことやら?
 「シベリウスのヴァイオリンコンチェルトを、略してシベコン」と、解説してもらった途端、私は笑い出してしまった。その曲なら、よく知っている。第3楽章の、ソロヴァイオリンがハーモニック奏法で、物悲しい旋律をかなでるところなんか、夜中に聴いていると涙が出てきそうになる。
 するともう1人が、「メンチャイのレコードもいいよ」と言い出した。
 3大ヴァイオリンコンチェルトというのがあるそうで、それは、シベリウス、メンデルスゾーン、チャイコフスキー。3人とも偉大な作曲家だが、ヴァイオリン協奏曲は、それぞれ1曲ずつしか作っていない。そして、レコードのA面とB面にメンデルスゾーンとチャイコフスキーのコンチェルトを入れたのが「メンチャイ」なのだそうだ。
 「だったら、単独だと、メンコンとか、チャイコンと言うの?」
 私が訊いたら、ヴァイオリン弾きの2人は、口をそろえて「そうだ」と言った。
 いやはや、「ヘビクラ」(ヘビー級のクラシック音楽ファン=私の勝手な造語)だと、そんな符丁みたいな言葉で会話するのか。
 1人が、「そういえば、モツレクというのもあったな」と言った。
 これは……「もしかして、それ、モーツァルトのレクイエム?」と私が言うと、「ピンポーン!」という声が返ってきた。
 2時間以上、結局、そんな話ばかりで、会社の同僚なのに、仕事の話はまったく出て来なかった。楽しくて、しこたま酔った。いい酒だった。
 仕事の話しかしない、と言うより、会社の仕事しか「話題にできない」人と飲むのは、たいてい面白くない(自分の仕事を情熱的に語る人は、別ですよ)。

映画『グレートレース』から44年
 中学2年生の時に、『グレートレース』という映画を見た。たしか「制作費2億円」と宣伝していた、当時としては破格の金をかけた映画だったが、中身は徹底したドタバタコメディ。ニューヨークからパリまで、氷結したベーリング海峡を渡り、シベリアを走るという自動車レースの物語である。
 主演はトニー・カーティス、ジャック・レモン、それにナタリー・ウッド。トニー・カーティスとジャック・レモンはその前に、マリリン・モンローが共演した『お熱いのがお好き』でもコンビを組んでいる。『グレートレース』では、車も衣装も白づくめのトニー・カーティスが善玉代表、黒づくめのジャック・レモンが悪玉代表の役で、それに、『ウエスト・サイド・ストーリー』のヒロイン、ナタリー・ウッドが女性新聞記者に扮し、トニー・カーティスの助手をだまして車から離れさせ、ちゃっかり自分が助手になって同行取材してしまう。
 実はスタートラインには、たくさんの車が並んでいた。悪玉の助手が、競争相手の全部の車に細工をして、出発直後に走れなくしてしまう。善玉の車と、ナタリー・ウッドが新聞社から調達した車は、スタート直前に来たおかげで細工をされないで済む。ナタリー・ウッドの車は途中で故障し、トニー・カーティスの車に拾ってもらうのだが、そのあと、助手席に居座ってしまう。結果として善玉、悪玉の2台のマッチレースが展開される……アメリカのギャグ映画の定番、パイ投げ合戦もあって最後までドタバタが続く中で、私が最も印象的だったのは、悪玉の助手だった。
 やぶにらみのような目をした小柄な助手が、親分のジャック・レモンを勝たせるために奮闘するのだが、たいていドジを踏んで、親分に怒鳴られる。けれど、愛嬌のある笑顔でチョコマカと動き回り、また失敗して観客の大笑いを誘う。
 なんて面白い役者なんだ、と、私は思った。
 それが、ピーター・フォークである。彼の顔と名前は、44年前に覚えた。
 『刑事コロンボ』を最初に見たのはいつか、覚えていないが、「ああ、ピーター・フォークじゃないか」とすぐわかって、うれしかった。
 今年、NHKハイビジョンで毎週土曜日の夜、『刑事コロンボ』を放送している。名古屋から房総半島、千葉県いすみ市のわが家へ帰るのはたいてい金曜の夜だから、土曜の夜は必ずこれを見ている。くたびれたレインコートを着て、ポンコツ車で現れる刑事が、完全犯罪を狙った犯人の仕掛けを解き明かして行くこのドラマは、60本以上あって、1年では全部放送できない。今年は、家に帰るのが楽しみだ。
 ……という気持ちは変わらないが、先日、「ピーター・フォークも、老いたな」と感じた。現実の彼は、80歳を超えたはずだ。『刑事コロンボ』の最新作がどれか知らないが、70歳を過ぎて撮った作品がある。

「老いたな」と感じた『刑事コロンボ』(NHKのテレビ画面)
 顔が老けたというのではなく、なんとなく表情が乏しくなった。動きも昔のようにチョコマカとしていない。以前は、なんと言うこともないしぐさに、ふと笑いを誘われたはずなのに、なんだか台本どおりのギャグしか出て来ない印象だったのである。
 『男はつらいよ』の「寅さん」、渥美清も、最後の作品は動きや表情に乏しく、彼が病気とわかっていても、すわったままで長いセリフをしゃべるのを見ているのはつらかった思い出がある。
 89歳で『放浪記』の舞台を続けている女優、森光子は例外として(さすがに、でんぐり返しはやめたらしい)、気持ちは若い頃と同じでも、誰でもどこかに老いは忍び寄る。
 若い頃の自然な華やぎを補って余りあるのが芸の力だ、と、『風姿花伝』(『花伝書』)には書いてあるけれど、現実にはそうもいかないだろう。若い頃のピーター・フォークを知っているだけに、「老人刑事コロンボ」を見て、なんだか切なくなった。

帰ったら村祭り
 連休なので、9月18日の金曜にわが家へ帰り、19日の土曜日、一杯やりながら『刑事コロンボ』(この日の放送は、ちょっと若い頃の作品だった)を見ていたら、父親が、「明日の朝は早く起きて、旗立てに行ってくれよ」と言い出した。
 (えっ、休みの日は朝寝が楽しみなのに、と内心思いながら)「何時?」ときくと、父親は「7時からだから、10分前に行けばいい。それが終わったら、神社の掃除だ」という。
 毎年、秋分の日は、私が住んでいる旧大原町の祭りである。JR外房線・大原駅のある町の中心街では、神輿が練り歩き、そのまま海に入っていくのが名物で、遠くからも観光客が来るのだが、私は見物に行ったことがない。混雑した大原駅まで行くのが面倒でもあるし、それより、ほとんどすべての集落ごとに神輿が出て、それぞれの氏神さまに奉納するのを見るだけでも十分だろうと思っているからだ。
 わが家も町内会に入っているし、集落の行事には参加しなければならない。田舎暮らしは、そういうのが面倒と言う人もいるが、「郷に入れば郷に従え」でやっていくのが、地域の人たちとうまくやっていく最低限のルールで、都会人の「個人主義」を主張すると、なんとなく暮らしにくくなる。
 でも、「旗立て」って、なんだろう。この辺の3集落共通の氏神である八幡神社の掃除には行ったことがあるが、「旗立て」は知らなかった。
 愛犬モモを連れて、わが家から300mほどの道路ぎわ、田んぼの角まで行くと、人が集まっていた。何人かは、あらかじめ掘ってある穴に太い材木を立て、別の何人かは、長い柱の先端に、ススキ、サカキ、菖蒲をゆわえつけている。それが終わると、太い材木に柱を添えるように立たせる。太いボルトで材木と柱を固定し、ススキなどを飾った先端へ日の丸の旗を揚げて行く。そして、先端から少し下のところから出ている3本のロープをピンと張って、田んぼに埋めた短い支柱にロープを結びつけて、全部の作業が終了した。

柱の先端にススキ、サカキ、菖蒲をゆわえつける

柱を立て、旗を揚げ、3本のロープを張って柱を固定した
 地方によっては祭りの日に、絵を描いた幟を立てる地域もあるが、私が住んでいるこの辺は日の丸の旗を立てるのである。作業を手伝って(実際は、私はほとんど何もすることがなかった)、そんなことに初めて気づいた。
 神社の掃除には、モモをおいて、長い柄の草削りを持って1人で行った。私は境内の雑草を削りとるしか能がないが、ほかの皆さんは、ワラをなって締め縄を作ったり、社殿に幔幕を張ったり、鳥居に日の丸の旗を結わえ付けたりと、それぞれに忙しい。

みんなでしめ縄づくり

鳥居にしめ縄を張り、日の丸の旗を飾る
 しめ縄は、4、5人が担当していたが、熟練の人が太くて長いしめ縄を作っているようだった。私は縄ないなどしたことがないが、母親の実家が農家で、そこで祖父や祖母が縄をなっているのを見たことはある。神社では、大きなしめ縄を作っている人の手際が最もよいように見えた。
 「ワラを取っておくのを忘れて、往生した年があったな」
 誰かが、そんなことを言った。「そうだった、あとで探しても、見つからなくてなぁ」と答えた人がいた。
 最近の稲刈りは、コンバインばかりである。稲ワラは寸断されて、稲を刈ったあとの田んぼにまき散らかしになる。手刈りでなければ、縄をなえるようなワラは残らない。それどころか、かつては大量に稲ワラを使った畳さえ、今はほとんど、中身がウレタンなどの人工物になって、ワラなど要らないのである。
 この辺りでは、8月の旧盆のころにはすっかり稲刈りは終わってしまう。祭りは、それから1か月以上もあとのことだ。うっかりして、このしめ縄を作るためのワラを保存しておくのを忘れた、というのも、「あるだろうな、それは」と思わせる話である。
 聞いて私も、ちょっと笑った。でも……しめ縄を作っている方々は、若くても60歳はとうに超えた人ばかり。あと10年たったら、どうなるのだろう。この辺では今、農家に生まれ育ったと言っても、縄をなうことなど皆無だろう。「縄ない名人」は確実に減っていく。
 長いワラの準備を忘れなくても、「うっかりして、この春死んだじいさまに、縄ないを教わるのを忘れていた」では、笑えない話だ。
 ちょっと、そんな心配が頭をかすめた。 
(2009年9月27日)


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