糀屋の広い屋敷の最も奥まった一画にある寝所の床下で二人の男が耳を澄ましていると、すーっと板戸が開き閉じられる気配。 「遅いぞ武蔵」苛立った女の声、糀屋のカミさんだ。 「お通が放してくれず、遅参した」これは糀屋の言だ。 「この期に及んでヘタな言い訳を」 「小次郎ともあろうものが妬いておるのか」 「なにを世迷言を、いざ勝負」 ずいぶん芝居じみている、のっけから巌流島の決闘気取りだ。 昼の寄り合いで、糀屋の旦那が年寄り相手に、夜毎のカミさんとの一戦を自慢していた。こっちが聞き耳をたてているのを察すると、話はどんどんエスカレートした。曰く、生き死にを賭けた決戦が夜を徹して行われるとか、あまりの凄まじい気配に寝所に近づくものとてないだとか、毎夜のことで太陽が黄色く見えるだの。しまいには、「六十余度の夜這いに一度も臆したことのねえオラだども、女房相手の一戦は骨が折れるべ」 こうまで聞こえよがしに言われたら、確かめねばなるまい。 「わしの逸物で突き殺されるのが待ちきれぬようだな」 「なんの、おぬしのモノに突っ込まれることなど蚊にさされるようなものよ」 「なんと我が逸物を蚊と言うか。さればお前なんぞ、この足の親指一本で悶絶させてやるわ」 「しゃらくせい、やれるもんならやってみろ。おぬしこそこの腹の上で憤死させてやるわ」 いよいよいよいよ始まったようだ。上掛けがはがされ、寝巻きの帯が解かれる物音。 「この足の指技、とくと感じ入れ」 「この小次郎、太腿ぐらいで感じ入るほどうぶではないわ」 「しからばここはどうじゃ」 「お、おぉー、この暗闇でいきなり我がサヤに取り付くとはさすが武蔵」 「だろう。さあいくぞ、エッ、エエィ、ヨォ、そらそら、どうだどうだ」 えらく威勢がいい。このぶんでは、昼間の糀屋の自慢話も、あながちホラと片付けられない。が、ずいぶんこ口舌が長ったらしい。 「エエィしつこい。もうサヤはいい。さっさと次に移れ」 「小次郎敗れたり、勝負に勝たんとする者がサヤを捨てるとは何事ぞ」 「ヘタな洒落でごまかすな、そんなとこで立ち止まっては夜が明けてしまうわ」 「さすれば次は汝の乳首を揉みほぐしてやろう」 「こら失敬な、足の指は使うな、手を使え。それとも我が乳房に顔を近づけるのが恐いか」 「どうしてどうして、この黄金の指先と変幻自在の舌先を用いれば、お前なんぞイチコロぞ」 「片腹痛いわ、お前こそこの両の乳房で窒息死させてやるわ。いざ勝負」 「おう、勝負」 また勝負だ。しかしあの糀屋のカミさんが、そんな豊かな乳房をもっていたとは意外だ。 「ハッ、フッ、ホッ、ベロベロ、ウー、ムー、スー、チュチュチュ」 「あー、はー、んー。おっ、あ、はぁーん」 「どうだどうだ、参ったか」 「ふん、ちょこざいな、返り討ちにしてやるわ。これでどうだ、んーー」 「あっ、ん、……はあ、はあ、はあ。おそるべき乳房。こうなったらしかたない、我が逸物の威力見せてやる。くらえこの櫂を」 「おう、望むところ。この名器の誉れ高い膣でその櫂とやらをへし折ってやるわ。いざ勝負」 またまた勝負だ。それにしても糀屋の旦那の逸物が櫂とは恐れ入る。その上カミさんは名器の持ち主とくる。うな丼に天麩羅を重ねて出された気分だ。 「グィー、グイグイ、グィー、グイグイ、どうだどうだ」 「力技で押してくるなんぞ、武蔵、まだまだ若いのう。しからばこれはどうじゃ、はぁっ、うんっ」 「おっ、ウーム、ウーム。これはマズイ」 「いひひひ、お前の逸物を搾り取ってやる。――ん、あっ。ここで抜くとは臆したか武蔵、我が膣から撤退する気か」 「余の辞書に撤退の文字はない、転進じゃ」 「なにを旧陸軍のようなことをほざきおって、逃げることに変わりはないわ。――あれ、あっ、そこはだめ。バカ、尻のほうは禁じ手じゃ」 「武蔵は二刀流に決まっておろうが」 「はっ、バカ、うっ、ダメ、ひぃ、死ね。、――ん、ああ、謀られた。尻に気をとられているうちに、また前門に押し入るとは」 「ウヒヒヒ、おぬしもしょせんおなご、前と後ろ、両方には気を配れんじゃろ」 「見損なうな、もう一度うぬの櫂をへし折ってやる。んーっ」 「そうはさせじ」 「あっ、こら、我が右足を持ち上げてなんとする。あれー、体がよじれる、これでは膣に力がはいらぬ。はっ、この体形は」 「さよう、秘伝松葉崩し」 すごいことになってきた。 「グィー、グイグイ、グィー、グイグイ、どうだどうだ」 「あー、はー、んー。おっ、あ、はぁーん」 「どうだ参ったか、参ったら参ったと言ってみろ、死ぬーと言ってみろ」 「なんのこれしき、んー、耳掻きでもつっ込んでるのか、んー」 「こしゃくなことを、さればこの櫂の本当の力を教えてやろう。エエィー」 「おっとっとと、おのれのモノをつっ込んだまま我が身を持ち上げてどうする気だ、降ろせー」 すさまじい。縁の下の暗闇で二人は唖然としている。 「こうするのじゃ」 持ち上げたカミさんを裏返しに回転させ四つん這いに床に這わせたものか、ドタ、バタ、と蛸搗きで地ならししたような音。 「あれー、我をこんな格好にして何をする」 「ウッヒヒヒ、秘伝ひよどり越えじゃあ。後ろから突き殺してやる」 「そんな無体な。あー、ひー、おー」 聞きしに勝る壮絶さだ。糀屋の夫婦はすでに五十は超えているはず、よくぞいままで無事であったものだ。 「グィー、グイグイ、グィー、グイグイ、どうだどうだ」 「ひぃー、ひぃー、ひぃー、なんのまだまだ、んー」 「おのれ、しぶといアマだ。しからばこれでどうだ」 「そんな、我が右足を担ぎ上げては……、つぶれるー」 「そうよ、つぶすのが目的よ」 上体を床に押さえつけられたか、塩でも入れたカマスを放り投げたようなドサリという音。 「グィー、グイグイ、グィー、グイグイ、どうだどうだ」 「あー、はー、んー。おっ、あ、はぁーん。――ん、これはもしかして」 「ハハハ、いまごろ気づいたか。秘伝つばめ返し」 「卑怯なり武蔵。それはわらわの技」 「この武蔵を卑怯というか。さればこれでどうじゃ」 「おおっ、こんどはつっ込んだまま立ち上がるのか」 「秘伝つるべ落としだ、グィー、グイグイ」 「ひぃー、ひぃ、ひぃ。頭に血が上るー」 「おう、そうかそうか。それならばこれも武士の情け、エエイー」カミさんを抱え込んでそのまま尻持ちをついたようで、ドスンという蛸搗きの音。 「あれまー」 「ウヒヒヒ、秘伝月見茶臼。この我が櫂でうぬの体を下から突き刺してやるわ。覚悟、グィー、グイグイ」 「ふ、ふ、ふ、油断したな武蔵」 「なな、なんだ。おのれの両足を宙に浮かせてなにをするつもりだ。……もしや」 「秘技御所車だ。うぬが櫂など捩じりとってやるわ」 「オォー、我が櫂がもげるー」 糀屋のカミさん、亭主のモノをくわえたまま反転したとみえて、ドスンと両足を踏んばる蛸搗きの音。 「うぬの自慢の櫂、この名器の膣で床に打ちつけてやるわ。秘技しぐれ茶臼、ほーっ、ほ、ほ、ほ、」 「あーっ、あ、あ、あ。こりゃたまらん」 「ええーいまだまだ、次はこの豊穣なる胸でお前の息の根を止めてやる。秘技本茶臼だ」カミさん、亭主に覆いかぶさったようでドサリとカマスを放りだした音。 「はぁー、ほ、ほ、ほ、ぶにゅ。はぁー、ほ、ほ、ほ、ぶにゅ」 「アー、ア、ア、アッ、――ブホ、ハァー、ハァー、ハァー。アー、ア、ア、アッ、――ブホ」 そのころ床下では、 「おい、これいつまで続くんだべ」 「もう聞いでるだげでゲンナリだな」 「これだば当分夜這いさ行ぐ気もおぎねえ」 「んだなあ。アホらしい帰るべ」 「んだんだ帰るべ、ヒマな奴ら相手にしでもしょうがね」 「……」 「アバ、どうやら帰ったみでえだど」糀屋の亭主、塩の入ったカマスを放り出して、「それにしてもしつけえ奴らだったな」 「オド、疲れだ、おらもう喘ぎ声ひとつ出ねえ」蛸搗きにもたれかかったカミさん、「もう外でヘタな見栄張らねでけれ」 「悪りぃ悪りぃ、あの奴ら、オラの言うごどさ聞き耳立でいだがら、つい調子こいだ。まさが本気で確かめに来るどは思わねがった。それにしてもヒマな奴らだな」 ようやくおとずれた静寂。疲れはて黙りこりやがて寝入ったふたりの間には、蛸搗きとカマス、そして三十年前の嫁入道具、二十数年ぶりに箪笥の奥からひっぱり出した四十八手総覧絵図。いつの間にか昇った朝日が、雨戸の隙間からこの絵図に一条の光りを投げかけます。この朝日にうかぶ色褪せた錦絵だけが、一夜の激闘を物語っているようでした。 |