んだんだ劇場2009年12月号 vol.132
No4 なすび

 末広がりだから「八」がいい、いやラッキーセブンで「七」だ、てなことで好きな数字を決めている人はけっこういるもんです。「四」や「九」なんてのはやはり昔っから嫌われる側でしょうが、「三」なんかは、長嶋の威光か、わりと好かれるようです。「二」なんてのはなんの特徴もなくてあまり見向きされませんが、意外と「一」も人気がない。
 この世が一次元であったら。
 線AB(フンイキがでないので以下AB夫という)は線CD(同様にCD子)にそっと身を寄せた。CD子はそのことに気が付かぬのか、はたまた知らぬ振りを決め込んでいるのか、じっとしていたが、それでもAB夫がCD子の尻(点D付近)に触れると思わず身を縮めた。かといってAB夫を嫌がっている様子はない。その証拠にAB夫がさらに身を寄せても逃れようとはしなかった。いや、変化はあった。その身を薄桃色に染めた。AB夫はこれをCD子の承諾ととらえた。AB夫は意を決してCD子に乗り上げその秘所に手を……、これはちょっと無理があるな、どうしたって情緒に欠ける。
 この世が二次元だったら。
 面A(オスということで以下A夫にしておく)は面B(ユニセックスでは面白くないので以下B子とする)の右肩(北東方向、ちなみに鬼門だ)に手(東の突出部)を置き、B子の反応を窺がった。さすがに鬼門はまずかったかと思ったが、B子は身動きひとつせずじっとしている。A夫はさいぜんから我慢の限界にきている。固唾を呑んでB子を見つめていると、それを察したのかB子はその体を薄桃色に染めていく。A夫は思わずB子におおいかぶさり、B子の陰部(南方の凹部)めがけその男根(南方の凸部)を……、まったく粘菌だね。これじゃ南方熊楠の出番だ。
 やはり秘め事は三次元に限る。この世にたてよこ高さを持つ空間があればこそ、女の胸は盛り上がり腰はくびれ陰部は吸い込み、男のモノはくい込むのです。この世が三次元であることに感謝しなければなりません。てなこと言いながら、もっと肝心なことが抜けています。時間です。この世は正確には四次元の時空間で、時間がなかったら二次元だろうが三次元だろうが、ただのスナップショットの世界です。最近の研究ではこの宇宙は11次元で余分な次元は小さく折りたたまれている、てなことになっていますがそれはともかくとして一方向にしか進まない時間があるからこそ、人は生まれ、飯を食い、夜這いをし、後悔し、老いて死んでいく。火を点した線香は、その丈を灰と煙に変え短くしていく。火を点していない線香であっても、目の前にあるそれは十分前のそれとは別物なのです。なんの変化も感じられなくとも。
 物言わぬ線香であってもそうなのですから、これが世辞を言い、嘘を吐き、屁をこく人間ならば尚更のことです。時々刻々変化しているのは間違いないことであり、しょうがないことでもあります。

 呉服屋の手代の捨吉はおもてむきは真面目で通っているが、根っからの真面目という訳でもない。遊び盛りなどというものではないが、それなりにその気はある。ただ、ケチな遊びならやらないほうがましと思っているだけだ。かといって大尽遊びをしたい訳でもない。しようたって無理な話だが、どうせやるならそこそこの遊びでなけりゃ嫌なのだ。
 遊びだけではない、捨吉はなんでもそうだ。ケチなことはしたくない、かといって一番、二番を狙うこともしない。牛後となるのは嫌だが、鶏口にもなりたくない。自分には三番手が似合っていると思っている。いわゆる中の上狙いだが、分相応ということをわきまえているとも思っている。だから店での旦那、番頭に次ぐいまの手代の地位は居心地がよい。もっともケツに丁稚が一人控えているだけだが。
 この捨吉が今年は女郎屋で年を越そうと考えた。ツケの催促に居留守をつかってやり過ごそうとするケチな野郎どもの師走の暮れとはわけが違う。粋な花町でのおおつごもりだ。それもそんじょそこいらの女郎屋では駄目だ。一顧して城を傾け、再顧して国を傾ける、再びは得がたい、という傾城が棲まう館、松、竹は遠慮するにしても梅ぐらいの格式はほしいところだ。
 こうとなったら捨吉はすごい。半年かけて、一心不乱に、臥薪嘗胆で、艱難辛苦のり越えて、禁酒禁煙誓って、大枚を貯めこんだ。それをフトコロに、暮れの花町に出かけた。往ったり来たりの冷やかしで、値踏みするようなケチなまねはしない。中の上とおぼしき家に、きっぷのよさをみせて、ええいままよと、さっさとすべり込む。内には茶を挽いている女が四、五人たむろしているが、ここでも逡巡したりしない。そんなのは野暮と、いち早く袂を引いた女に引かれるままに二階に上がる。
 部屋に入り初めて敵娼(あいかた)の顔を見た。しもぶくれの浅黒い地肌に虫に喰われたようなまなこが二つ、その下には腰のすわった鼻が二枚重ねの座布団のような唇を台(うてな)に鎮座している。細くとがった頭には、赤茶けた髪が貼りついて、申し訳程度に後ろに束ねられている。とってつけたような富士額で、髪をてっぺんで結ったら、糠床につっ込まれる前に塩でいたずりされたなすびだ。いや、糠漬けには少々くたびれている。焼きなすのほうが無難だろうが、カタチがいびつで、七輪の上を転がりそうだ。城を傾けるというより、一顧すれば網をはずれ、再顧すれば地べたに落ちる、再びは得がたい。しかし女郎は顔じゃない、愛嬌だ。
「この暮れの押し詰まった時に遊びに来てけるどは粋なお人、アダイ、惚れでしまいそうだ。線香燃え尽きるまでは、アダイはオメさんのもの、いっそアダイのごども燃えさせで灰にしてけれ。……んだばまずは先に線香代払ってけれな」
 あまり愛嬌のある言いようではないが、傾城の恋は誠の恋ならず金もってこいだ、女郎はこれぐらい図太くなければつとまるまい。
「灰になった線香の数を勘定しろなんてケチなごどはしねえ、今晩は泊まっていぐ」
「あらうれし、いっしょに年を越してけるどはええお人。そうどなっだらまずは景気づけに」てんで、酒肴をじゃんじゃん運ばせて、手酌で呑み食いを始めた。それでも「アダイのおごり」などと三度に一度は酌をくれるところは、商売抜きの人情を感じさせる。女郎は愛嬌じゃない、誠実さだ。
 女は目の前の酒、肴をたいがい平らげると、腹も満ちたしほろ酔い加減だ。「んだば始めるべ」と鷹揚に奥の間に捨吉を誘う。恥じらいのひとつも見せてほしいところだが、これが商売なのだから、そんなことをされたらかえって興ざめなのかもしれない。嘘がないということにしておこう。
 ともかく同衾ということにあいなります。敵娼の帯を解き先ずは愛撫と体を撫でまわすが、これが顔と同様のしもぶくれで浅黒い。まあ顔が黒くて体が白いとうのも、どっかで黒から白に変わるわけで奇妙なもんでしょうが、しもぶくれの黒いのが二つ繋がっているところなんざどうも大小二つのなすびを串刺ししたようにも見えてくる。まあこれで肌がきゅきゅっと艶やかに張っていれば、それはそれで趣きのあるところだが、だいぶ鬆(す)が立っているようで皮膚がうねっている。それでも肝心のところが瑞々しく潤っていてくれれば文句はないのだが、指を這わせていくと、潤いはとうの昔に蒸発しちまったようでこちらもスカスカの鬆だらけだ。
 これは本年の〆にとんだばばを掴まされたと悔恨の念無きにしも非ずだが、厄落としと考えれば、来年はいい年になりそうだ。変に自分を納得させて、なすびにまたがりなすびにつっ込みなすびを間近に見ると、愛嬌のある顔と思えば思える。醜女の深情けともいう。女郎は体じゃない。喘ぎ声のひとつも出すところなんざ、たとえ義理にしろ、誠実さのあらわれかもしれない。これに応えようと捨吉もせっせと腰を動かすが、なにしろ相手はスカスカの鬆だらけ、妄想をかきたてようやくにして務めを果たし終えた。敵娼はこっちの気も知らず喘ぎ声をいつのまにか高いびきに変えている。まあ女郎にはそんくらいの図々しさが必要なのだろう。
 せっかく泊まりと張り込んだのに、こうなるとやることは何にもない。さいぜんの酒肴の膳が並ぶ部屋に戻り、ひとり手酌で余りものの冷えた燗酒をぐいっとあおる。知らぬ間に鳴り始めていた除夜の鐘の響きを肴に杯を重ねていると、本当に厄が落ちていくような気になる。来る年はえらく明るいような気になる。存外今夜の女郎買いは儲けもんのような気にさえなってくる。
 ふしぎと笑みさえ浮かんできて、そろそろ寝ようかなというときになって、なすびが一発放屁し、おのが放屁に目をさました。厠にでも行くつもりか夜具から這い出してきて、
「あら呑み直しだが、ええでねえの。熱いどご持ってこさせでアダイも付き合うべ。ええがらええがら、アダイのおごりだ」
「オラはもう十分だ、もう寝る」
「したなごど言わねでもうちょっと付き合って、眠ぐなったらアダイの膝枕で寝ればええ」こっちの都合などお構いなしだが、やはり気立てのいいところはあるみたいだ。
 厠と酒の注文に立った女が戻ってきて、燗冷ましで二、三杯重ねるうちに捨吉のほうはすっかり出来上がってしまった。男衆が燗酒を持ってきた時分にはなすびの膝枕でうたた寝していたが、なすびが男衆にそっと告げたことは聞こえた。
「さっきの分と合わせてこの客の勘定さ入れでおいでな。オラのつけになんぞなっでだら承知しねど」

 傾城に誠なし、だ。誠実なんてものは女郎には邪魔なのだろう。そう考えればこの女郎を悪しく思うより、なすびの憐れを感じる。こんな捨吉の心根をなすびがちょっとでも理解できたら、なすびは変わるね、とかく同情は愛情に変化するものだ。
「オメさん起きてけれ、アダイひとりじゃさびしいよ」などと言われようものなら、無理しても元旦の祝い酒を付き合う気にもなる。そうなるとなすびは言うね、
「アダイはオメさんに惚れでしまったみてえだ。こんなアダイだども年季があげだらオメさんのカミさんになりでな」
 こうきたら捨吉も男気の見せ所だ。
「おう、年季があげだらオラを訪ねでこい。所帯かまえる仕度しておくど」
 これはなすびの琴線にふれるね。
「アダイは本気にするよ、本当にオメさんのカミさんにしてけるのけ」てなこと言って捨吉の胸に泣き崩れることになるな。そして年季明けには捨吉のところに転がり込んでくる。女房持ちの手代というのも聞こえが悪いが、店も暖簾分けするほどの身代じゃないもんで、旦那はいくらかの元手を与えて何かの商売をやらせることになる。出が呉服屋だしカミさんがなすび面だ、紺屋がいいだろうてんで染物屋の看板を掲げる。
 染物屋といっても紺屋だ、これしかできないし、およそ紺ものしか注文はない。近郷近在に商売敵は見当たらないし、獲らぬ狸の皮算用でけっこうな儲けを期待しても、そんなうまいことにはならない。腕前はほとんど素人で、みごとななす紺てな具合には仕上がらない。カミさんの愛嬌にはみな鼻白む。だもんで紺屋の白袴なんてことには絶対にならない。手前のものも人様のものもあったものではない、染められるものは手当たりしだい染め上げ、なんとか糊口をしのぐ暮らしだ。
 そんなことが二十年も続いた日には、はたしてこれが自分の人生なのか、てな疑念と、自分の人生はこんなもんだろう、っていう諦念が綯い交ぜになってくる。元をただせばすべては奥に寝そべっているなすびで、あの年季明けからずっと捨吉のそばを離れずにいる。といっても、炊事、洗濯にかいがいしいわけでも、店の手伝いに勤しんでいるわけでもない。餌と棲み処を得て安心している野良猫の体で、主人に対する忠義立てなぞ望むべくもない。最初に一番二番に狙いを定めていたらあるいは別の次第とあいなったかもしれないが、時が経つからこその世の移ろい、中の上を望んで下の上ぐらいになるのも一つの道理だ。ここいらが分相応ということなのだろう。
 奥でごろ寝しているなすびが屁をこいた。もはやおのが放屁で目を覚ますこともなく寝入っているなすびを見てると、これはこれでまんざら捨てたもんじゃなかったと、妙な感慨も沸く。なるほどこのなすびには知性も美貌も欠ける、亭主への献身なんてものもない。でも得心できる、誠実ではあったのだ。奇貨とすべきことだ。嗚呼、傾城に誠なしとは誰が言うた。

「ちょいとオメさん、オメさんたら、起きてけれ、アダイ膝が痺れてきた」
 しもぶくれの顔が覗き込んでいる。
「おっと、こりゃいげねえ。知らねえ間に寝込んでしまったが。……しかしオメェは年をとらねえな、最初に会ったころがらなんも変わらねえな」
「なに寝ぼけてんだよ、年があらたまったがらどいって、一晩で歳くってたら女郎はつとまらねえよ」
「ああ夢だったが。……どうせ見る初夢なら、富士か鷹にせばえがったなあ」


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