んだんだ劇場2010年1月号 vol.133

No44−40年間のふしぎ−

映画と漫画の関係を考えたりして
このところずっと体調が芳しくなかったのだが、心身に少し余裕が出てきたので、気分転換に駅前シネコンで映画をみてきた。「プール」という封切られたばかりの若い女性が主人公の映画だ。「かもめ食堂」や「めがね」と同じスタッフによるもので、それなりに期待して行ったのだが、なんだかちょっと肩すかしを食ってしまった。あまりにも味付けがあっさりしすぎ。主人公の若い女性の心象風景が茫漠とした感じで、表層をなぞっているだけの中途半端さしか感じられないのだ。単に演技がヘタだけなのかもしれないが、彼女の心象風景を推し量りながらも、その「あいまいさ」を演じる下手さ加減に、観ている側が消化不良を起こしてしまう。

ふだんは原作を読んだものの映画はみない。映画を見てしまったら原作は読まない。原則ではないがいつの間に自分の中にルールが出来上がった。が、この映画に引っかかりを覚え、映画の後、原作にも手を伸ばした。いったい原作をどの程度デフォルメした映画なのか確認したくなったのだ。原作の桜沢エリカの漫画本「プール」を読んで驚いた。映画はこの漫画原作をほぼ忠実に映像に置き換えただけだった。映画と原作の関係って、こんな単純なものだったんだ。どちらかといえば漫画のほうの内容が濃く、若い女性の哀切さや癒しへの渇望がよく描かれていた。逆に映画のほうのディテールが淡白すぎ、こちらの感情へのひっかかりを、簡単にスル―してしまっている。

還暦を迎えたオヤジの印象批評で申し訳ないのだが、映画が漫画に従属しているという違和感は、心の中に「漫画より映画のほうが芸術作品として上」という根拠のない保守的なサブカルチャー感が当方にあるせいかもしれない。
そういえば同じ漫画で最近読んだ益田ミリ「週末、森へ」にも感動した。面白くて興味惹かれ、原作者である彼女の文庫本(漫画よりコラムを書く文筆の人なのだ)をまとめ読みしたのだが、あれまあ、本のほうはちっとも琴線に触れてこないのだ。面白くも何ともない。もしかするとここにも「漫画より文学のほうが上」という抜きがたい偏見がこちらにあるせいかもしれないが、「プール」にせよ「週末、森へ」にせよ、漫画ってなんだろう、と考えさせらられる文学性が含まれているのは間違いない。あれ、このどちらの漫画本も出版社は「幻冬舎」じゃないか。


女子高生とファッションと小売業
ずっと長く「ふしぎ」に思っていたことが溶解した。
もう40年も前のこと。生まれ故郷の秋田県南部の人口3万に満たない湯沢市から県都・秋田市に移り住むことになった。大学入学のためである。
めでたく大学生になり、新入生の自己紹介があった際、同じ新入生の女子学生たちの美しさ、スマートな身のこなし、垢ぬけた服装センスに、度肝を抜かれた。その美しい女性たちは秋田市の女子高出身者のグループだった。これまでの人生で見たことのないカッコイイ女性たちで、生まれ故郷で接した女子高生たちとはなにもかも雲泥の差があった。
といっても湯沢の女子高生たちも私にとってはまぶしいくらいにきれいで近づきがた存在だった。制服に真っ白い帽子(国体の選手が被るようなチロリンハット風のも)をかぶり、美人が多く、近隣地域でもオシャレとして高名な女子高生たちだった。それなのに、もっと……ショックは大きかった。

「まったく別の生き物ではないのか」とさえ感じてしまった、あの「格差感」は、いったいどこから来たものなのだろうか……これが40年間じっと「ふしぎ」に感じていたことだ。いまはすっかり秋田市民になり仕事柄、日本全国を歩いている。だから確信を持って言えるのだが、秋田市の若い女性たちのセンスが、特別にいいわけはない。逆に現在では秋田市と湯沢市の若い女性のファッションにほとんど差はない。東京の若い女性と比べても、当時のように極端な地域格差や乖離感を感じることは、ない。とすれば、若いころに感じたあの異常なまでの「格差感」は、なんだったのだろう。

先日、湯沢市のお隣の町・横手市の居酒屋で同年輩の友人たちと歓談した。横手市の友人が「若いころ、湯沢の女子高生たちが垢ぬけてきれいで、憧れだった」ときりだしたのに驚いた。横手市は湯沢市より大きな町で、もちろん高校の数もずっと多かった。しかし湯沢にあって横手にないものがあった。そのため横手の女子高生ファッションは湯沢に差をつけられ、圧倒的に見劣りしていた、と友人はいうのだ。当時、湯沢の小さな町には、町とそぐわないほど大きな洋品店があった。「大丈」というミニ・デパートで、呉服屋さんが大きくなった洋服屋さんである。その「大丈」の存在が若い女性のファッションに決定的に影響を与えた、と友人はいうのだ。横手にその手の大きな洋品店はなかった。が、昭和40年代後半になると、秋田県の南部では逸早く、横手市にジャスコが進出した。これで若い女性のファッションセンスは一挙に逆転、横手がトップになり、湯沢の女子高生に憧れる雰囲気は消えてしまったのだという。

「小売業の力ってすごいよね」というのがその時の友人の結論だった。
そうだったのか。40年もの間、「ふしぎ」に思っていたことがあっさり解明された。心の中に大きな穴があいてしまったような一抹の寂しさもあるが、得心がいったのも事実だ。

大きなデパートが2つもあり、洋服店も沢山あった当時の県都・秋田市と、「大丈」一店だけでもっていた湯沢市の女子高生のファッションでは、もとより勝負にならなかった。ただ、それだけの話なのである。
その証拠に、昭和も50年代に入ると日本国中に同じような洋服を売るチェーン店が出来はじめると、地域間のファッション格差は一挙に縮まった。どこへ行っても女子高生は女子高生、そこになにほどかの格差を見出すことのほうが難しくなってしまって現在にいたる。


発行部数のホラ話
先日、県内のある山の写真を出したい、という企画の売り込みがあった。自費出版ではなく企画出版である。類似企画が多く小舎でも同じような本を何冊か出している。だから「企画出版は無理」と返事した。が、敵もさるもの、「自分の本は確実に2万部売れる」とゆずらない。いやいや、2千部も売れれば御の字です、そんなに売れるのなら講談社も山渓も黙っちゃいません。編集者が飛んできて「うちで出してください」とお願いに来ますよ、とたしなめたが、引き下がらない。2万部には根拠がある。以前、同じような山の写真集を出したことのある町の観光協会の本が4万5千部売れた実績から割り出したものだ、という。その数は誰に確認したのですかと訊くと、観光協会の責任者から聞いたという。その本は現在2刷で、いま改訂版刊行を予定しているのだそうだ。わずか2刷目で4万5千部も売れた本、と言うのは出版業界にいる人間ならありえない、というのはすぐわかる。調べてみると件の本、思ったよりよく売れて初版の2千部を完売、すぐに2,3千だろうが増刷になっていた。だから4,5千部は売れたのだろう。それがいつのまにか10倍くらい数を水増しされ、流通してしまったのである。このホラ話を、この御仁は真に受けてしまった、というわけだ。彼自身、被害者なのである。とはいうものの実はこの手の「妄想」で本を作りたがる人はあとを絶たない。

もう10数年前、私自身も似たような経験をしている。
1976年、私自身が書いた「中島のてっちゃ」という本は売れて秋田では異例のベストセラーになった。その事実に間違いはないが、「ベストセラー」といっても3刷1万部弱、あくまで秋田地方限定のベストセラーである。その本が出てから数年後、本の主人公である中島のてっちゃこと工藤鉄治さんが亡くなった。その葬儀の席上、村の有力者が「君の本を書いて20万部も売り、大儲けした悪辣非道な男――」と私の個人攻撃の弔辞を読みはじめた。ご遺族に促されて最前列に座っていた私は驚くよりも悔しいやら悲しいやらで、居たたまれず、すぐに帰ってきた。村ではいつのまにか1万部が20万部に「作り換えられ」、話が出来上がっていたのである。
前記の山の写真集の御仁にモーレツに腹が立ったのは、実はこうした個人的な「部数ホラ伝説」に関わる苦い思い出のせいかもしれない。


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